【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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なみだとことば

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 身体がだるくて、瞼が重い。
 何があったのか記憶を探って、アウファトは何とも言えない苦い気持ちになる。
 自分は何か間違えたのかと、まだ霞がかかる意識で物思いを始めようとしたところでアウファトの思考は遮られた。
 自分のものではない、ぐず、と鼻を啜るような音が聞こえて思わず目を開けた。

「あう……」

 涙声の響く部屋は暗いままだった。
 夜色に染まった視界には、瞳を濡らした美しい顔が見えた。ジェジーニアは金色の瞳を涙で濡らして、零れ落ちた温かい涙がアウファトの頬に落ちて弾けた。
 ジェジーニアが泣いている。初めて見るジェジーニアの泣き顔にアウファトは息を呑んだ。

 もう夜もすっかり更けているようで、他に物音はしない。ジェジーニアの静かな呼吸と、時々鼻を啜る音がする。
 先程までのことを思い出して、アウファトは思わず後退りながら身体を起こす。

 アウファトはベッドの脇の灯りをつけた。ウィルマルトにもらった、光る鉱石を使った燭台は、金属の枠を指先でそっと叩くと柔らかな金色の光を放ち始める。
 薄明かりに照らし出されたアウファトもジェジーニアも裸だった。あの後、そのまま気を失っていたらしい。

「あう、ごめんなさい」

 ジェジーニアの声だった。同じ声色で、アウファトと同じ言葉を喋っている。
 アウファトは咄嗟にジェジーニアの顔を見た。
 長いまつ毛が濡れている。燭台の淡い金の光を受けて、濡れた瞳が煌めいている。

「アウファトのこと、いっぱい痛くした。あうの匂いがしたら、身体、熱くて、苦しくて、何もわからなくて、止められなかった。ごめんなさい」

 澄んだ声は痛々しく震えている。ジェジーニアはぽろぽろと涙の粒を落とした。灯りを受けて輝く涙が、敷布に落ちて小さな染みを作った。

 アウファトは驚いていた。いつの間に、アウファトと同じ言葉を覚えたのか。気を失う前は、確かに古竜語しか話せなかったはずだ。

 どういう訳かジェジーニアはアウファトと同じ言葉を喋っている。喋り方に拙さはあるが、使う言葉はアウファトと同じアーディス語のようだった。
 アウファトが気を失ったほんの少しの時間で言葉を覚えたとでもいうのか。

「ジジ、言葉が……」

 動揺して、最後まで言葉にならない。もはや自分がされたことよりも、ジェジーニアが同じ言葉を話していることの方がアウファトの心をとらえて離さなかった。
 アウファトの混乱をよそに、ジェジーニアはごくごく普通のことのように静かに答えた。

「ことば、あうから魔力をもらったから、わかるようになった」

 ジジが言う魔力というものが引っかかった。自分はただの人間。魔術師でもない。ただの学者で、誰かに与えられるほどの魔力なんてないはずだ。

「魔力?」
「あうを、いっぱい舐めたから」
「舐め、た……?」

 そこから考えられるのは一つだった。
 確かに舐められた。口の中、身体、それから。

「体液から、魔力が得られるのか?」
「タイエキ?」

 言葉は喋れるようになったが、ジェジーニアには難しい言葉はわからないようだった。

「血、汗、よだれ、他にも、体から出るものだ」

 アウファトはできるだけ噛み砕いた言葉を使う。ジェジーニアはそれで理解できたようだった。

「ん。あうは、違う?」
「人間は、俺は、そういう風にはできていない」
「ごめんなさい、アウファト」

 ジェジーニアは眉を下げ、悲しげな顔でアウファトを見つめる。

「ああ、ちがう、怒ってるわけじゃない」

 アウファトは未だ止まらない涙を指先で拭ってやる。

「ジジ、泣くな。もう大丈夫だし、怒ってない」

 確かに怒りはあったはずなのに、悲しげなジェジーニアの顔を見たらそんなものはどこかに消えてしまった。今、アウファトの胸にあるのは仕方ないという気持ちと、涙を落として自らの過ちを悔いるジェジーニアへの温かく優しい気持ちだった。

「あう、俺のこと、嫌いになった?」
「……嫌いには、ならないよ」

 それは、アウファトの正直な気持ちだった。
 もう体に痛みはなかった。
 見たところ、ジジはまだ若そうだった。自分よりは長く生きているのだろうが、話し方や見た目はまだ幼さが見て取れる。不慣れな発情で、うまく制御ができなかったのだろう。

 まだ近寄るのは少し緊張するが、悪気がなかったのだから、怒る気にもならない。何より、ジェジーニアが自分に向ける真っ直ぐな気持ちが、どういうわけかアウファトには心地好かった。
 手を伸ばしてそっと頭を撫でてやると、ジジはくるると嬉しそうに喉を鳴らした。

「あう、痛い?」
「ん、いや、もう、痛くない」

 アウファトは首を横に振る。もう痛みは残っていない。腰の辺りに慣れないだるさがあるが、気になるほどではない。
 そうしてようやくジジは微笑んだ。

「よかった。いっぱい舐めて、飲ませた。もう痛くない?」
「舐めて、飲ませた?」
「ん」

 止める間もなく唇を重ねられて、舌を捩じ込まれて、甘い唾液を送られる。ジェジーニアが言うのはこれのことのようだった。

「これ、傷、治るから。あうのお尻も、これで治した」

 思い出して、顔が熱くなる。
 アウファトは思わず俯いた。

「アウ?」
「その、ああいうことは、初めて?」
「ン、初めて」
「はじめて、か。俺も、初めてだった」
「あうと同じ。うれしい」

 ジェジーニアは微笑む。ずっと泣いていたのか、赤くなった目元が痛々しい。

「あう、ごめんなさい。もう、あうのこと、痛くしないから。もう、傷つけないから」

 ジェジーニアにしっかりと抱きしめられてしまった。その声からは、ジェジーニアの真摯な思いが伝わってきた。元々、素直で真っ直ぐな性格なのだろう。

「ふふ、わかった。そうしてくれるとありがたい」

 アウファトはそっとジェジーニアの背に腕を回し、背中を撫でた。ジェジーニアの竜翼と尾が揺れる。

「大好き。アウファト、おれのつがい」

 やはり、アムの意味はそういうことなのだろうか。好意、愛情。好きとか、愛してるとか。
 ジェジーニアの腕の中に収まって、アウファトは考える。

 王都での解釈は護るだが、自分の故郷では愛を意味する言葉だった。
 もしかしたらミシュアに聞くまでもないのかもしれない。ジェジーニアがこんなに何度も囁く言葉が、愛でも護るでも、ジェジーニアが自分に向ける想いは紛うことなき愛情だ。

 愛を知らないアウファトにもわかる。
 ジェジーニアはあまりに真っ直ぐにアウファトに愛を向けている。
 愛を知らなかったアウファトにまで、これが愛というのもなのだろうと思わせる、ジェジーニアの真っ直ぐな言葉。
 自分をつがいだと言う、竜王の子。
 改めてとんでもないものを目覚めさせてしまったのだとアウファトは思う。

「あう?」

 濃い花の香りがする。それに、なんだか心が安らぐのを感じた。
 なんだか、気が抜けてしまった。そうなるともう、襲ってくる睡魔には太刀打ちできない。

「ん」

 瞼が勝手に落ちてくる。
 そんな曖昧な返事を返して、アウファトは身体をジェジーニアに預けた。

「おやすみ、あう」

 優しい声が降ってくる。ジェジーニアの心地好い声に応えることもできず、アウファトは意識を手放した。
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