【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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家路

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「俺はあんたの助手の方が合ってる」
「また何か言われたのか? 言わせておけ。それとも俺の目が節穴だと言いたいのか?」

 ミシュアは背もたれに身体を預け、不敵に笑う。
 アウファトはそういうつもりで言ったのではなかった。

 首席研究員となると専用の宿舎、助手、研究費が与えられる。もちろん給料もある。なりたいものはごまんといる。そのためやっかみも絶えない。
 なりたくないと言えば嘘になるが、実際なってみると実に苦労が絶えない。ミシュアはこんなことをずっとやっていたのかと思うと、アウファトはミシュアの精神力の強さに感服するばかりだった。

 ミシュアには、竜人の血が流れている。祖母にあたる人が竜人だという。

 人よりもずっと賢く、優れた種族、竜人。
 フィオディカ大陸にかつて栄えた種族で、竜王の作った民だと言われている。角と翼と尾を持ち、血統によって異なる色の鱗を持つ。知力、魔力、体力、膂力に優れた種族で、高い文明を築いていた。

 かつて人と竜人族との間に起きた争いによってその数は大きく減ったが、現在では大陸の北西部に都市があり、人と共存している。
 竜人の声には魔力が込められているという。信じているわけではないが、ミシュアと話すと元気になるのはそういうこともあるのかもしれないと思っていた。

「お前は、できる奴だよ、アウファト。あの文の解読も、お前がやった。だから、胸を張っていい」

 アウファトに言い聞かせるようなその声は、穏やかで、そして力強かった。

「強いて言うなら、アムの解釈だな」
「は?」

 アムの解釈。思わせぶりな言葉を残して、ミシュアは席を立った。アウファトはミシュアの意図がわからないでいた。

「ご馳走さん」

 グラスに入った果実酒を飲み干したミシュアがテーブルに金貨を置いた。
 酒代を払うにしても、多すぎる。今日の支払いも、せいぜい銀貨十枚かそこらの金額だ。

「ミシュア」

 アウファトが金貨を押し返そうとするも、容易く阻まれてしまう。呼びつけたのは自分だから、自分が払うつもりでいたのに。

「かっこつけさせろよ。先輩なんだから」

 アウファトの視線を受け止めて、ミシュアは人好きのする笑みを浮かべる。

「今日は俺に出させろ。そのかわり、お前が帰ってきたら一番いい店で一番いい酒を奢ってくれ」

 絶対帰ってこいというミシュアの激励だった。
 それにしたって、一番いい店なんて行ったら、金貨が何枚飛ぶことになるのかわからない。相変わらず無茶を言うミシュアにアウファトは思わず笑みを零した。

「期待してるよ、首席殿」

 アウファトの肩を叩くと、ミシュアは足早に賑やかな店の入り口へと向かっていってしまう。その足取りは早く、引き留める暇もなかった。

 結局、金貨を置いてミシュアは帰ってしまった。
 そういうつもりで呼んだ訳ではなかったのに。

 アウファトはミシュアが置いていった金貨を眺める。こんなときもミシュアは先輩で、いつまで経ってもその背中は近づいてこない。
 残ったお茶を飲み干し、アウファトは席を立った。カウンターにいた店員に金貨を渡すと、案の定、多くの釣り銭の銀貨が返ってきた。



 店を出たアウファトの目に映ったのは、たくさんの明かりに照らされる石造りの街並みだった。酒場へ入った時間は日暮れ前だったせいでわからなかったが、普段は灰色の街並みが、幾多の灯火によって明るく金色に照らされている。

 街は、夜になっても人の行き交う目抜通りをはじめ、どこの通りも賑わい、華やかな空気に包まれていた。

 この時期、多くの家が窓辺に蝋燭を置く。天にいる竜王への感謝を表すためだ。それにより、窓には多くの灯りが灯り、金色の柔らかな光を夜の街に投げかける。

 ここ、フィオディカ大陸では、今は竜王祭という古くから伝わる祭事の真っ最中だった。地域によって多少の差はあるが、だいたい夏の終わりに行われる。
 この街、リガトラ王国の王都メイエヴァードでもそれは変わらない。

 竜王祭は、この大陸を守護する竜王から預言を授かっていた名残だと言われている。神官が竜王のいる霊峰へ参じ、預言を預かり、王に伝えるための祭事が、形を変えて残っていた。

 現在では竜王に感謝し、新しい酒を飲み、美味いものを食べる日とされている。
 預言を授かる儀式は失われて久しいが、多くの地域では未だ預言の返礼として捧げ物をする習慣が残っていた。街で一番高い場所にその年に採れた穀物や果物、野菜、獣肉や毛皮、宝石、織物、酒など、その地域の様々な特産品を竜王への返礼品として捧げる。

 今では返礼として捧げていた酒や食物が街に流通するようになっていた。商人の発案だと言われている。

 竜王祭になると大きな通りには露店が連なり、各地から届いた品々が売買され、それを目当てにやってきた人々で溢れる。
 メイエヴァードは王のお膝元ということもあり、各地から名のある品が集められる。食料、織物、装飾品、そして酒。誰も普段はお目にかかることのできないものばかりだった。

 アウファトは賑わう露店を横目に、大通りを足早に抜け、家路を急いだ。
 夏と終わりともなると、夜はうっすらと冷える。
 酒場の熱気の残る肌を撫でていく夜風は少しばかり冷たく、羽織ものを持ってこなかったことを後悔した。

 出発の日は目前に迫っている。風邪でもひいたら目も当てられない。
 焦燥感のような高揚感のような、普段なら嫌がるはずの胸の高鳴りが心地好かった。

 アウファトにはミシュアのように気高い血筋があるわけでもない。ただの人だ。伝承に憧れて田舎から出てきたような自分が、どこまでやれるのか、楽しみであり、不安だった。
 それでも、淡い金の髪を揺らしながら人混みを縫って進む足取りは軽かった。
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