夜街迷宮

八陣はち

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夜街迷宮

嵐の後

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 嵐が過ぎた後。夕方に起き出したユーシーがトレーニングとストレッチ、ランニングから帰ると、電話にジンからメッセージが来ていた。

『今夜、家に行く』

 時刻は午後六時を過ぎたところだった。ユーシーは足早にバスルームに向かうと、手早くシャワーを済ませた。
 ジンが家に来るのは珍しい。隠れ家のようなワンルームの部屋には片付けるほど物はないが、ユーシーは軽く掃除をしてジンを待った。

 ユーシーの部屋の呼び鈴が鳴ったのは午後八時を過ぎた頃だった。備え付けの呼び鈴が二回鳴らされる。ジンが来た時の合図だった。
 ドアスコープからジンの姿を確認して、ドアを開ける。
 スーツ姿で皮のボストンバッグを持ったジンの姿があった。

「どうしたの、ジン」
「仕事だ」

 ジンの声は硬い。その表情にもどこか硬さが感じられた。
 ユーシーにも緊張が走る。
 ユーシーは黙ってジンを部屋に通した。

「相変わらず、殺風景な部屋だな」

 ジンの言葉通り、ユーシーの部屋に家具はベッドがあるばかりで他にはキャビネットがあるくらいだった。ジンの部屋にあるような来客用のソファはない。ジンは少しだけ考えておもむろにベッドに座った。

「最近、忙しいの?」
「そうだな、ちょっとバタついてる」

 ジンはスーツの懐から紙のような何かを取り出した。
 波打ったシーツの上に広げられたのは繁華街の地図だった。その上に写真が並ぶ。
 地図の一角に、赤いマーカーで印がついている。

「ここの廃ビルに、見ない顔の白人が三人。名前は不明。スーツ姿の三人だ。片付けろ」

 ジンの声はいつになく鋭く響いて、ユーシーの背を痺れるような緊張が走った。
 いつもなら相手は一人の仕事ばかりだが、今回は三人。当然難易度は上がる。ジンの声色からも、重い仕事だというのは感じていた。
 印のついたビルは近くを通ったことがあった。ビルがあることは知っていたが、廃ビルだとは知らなかった。

「いつまで?」
「三日だ。一人でいけるか?」
「ん、いけると思う」

 できないと答えるつもりはなかった。下見で一日使っても、二日あれば問題ないはずだ。おそらく、ジンもそういう想定で依頼をしている。
 ユーシーはちらりとジンを見遣った。

「心配するな、報酬は用意してある」

 ユーシーのもの言いたげな視線に、ジンが口を開く。しかしそれはユーシーが欲しかった答えではなかった。

「ご褒美も予約させろよ」
「お前なぁ」

 当然のことのように言うユーシーにジンは嫌な顔をしたが、その表情はすぐに諦めた笑みに変わった。

「……わかった、そのつもりで待ってるよ」
「へへ」
「獲物はこれでいいか?」

 銃と、サイレンサー、マガジンが二本出された。いつもより用意される弾数が多いのは、人数が多いからだろう。

「マガジンは一本でいいよ。あと、ナイフが欲しい」

 荷物は増やしたくなかった。相手は三人。マガジン一本あれば一人二発使っても余裕がある。保険でナイフがあれば問題ない。

「これでいいか」

 出されたのは刃渡り十五センチほどのナイフだった。ユーシーの手でも扱いやすそうなサイズで、手に取るとよく馴染んだ。

「うん。ありがとう」

 ベッドの上に並ぶ地図と写真、武器を眺めるユーシー。

「ユーシー」

 ユーシーが視線を持ち上げると、ジンがいつになく優しい顔をしていた。

「無理そうなら、すぐ連絡しろよ」
「うん」
「終わったら、うちに来い」

 ジンの手がくしゃりとユーシーの髪を撫でた。その手が温かくてユーシーは笑った。
 早く終わらせよう。早く終わらせて、ジンにご褒美をもらいたい。
 焦燥にざわめく心を抑え込んで、ユーシーはジンを見上げた。
ユーシーに向けられたジンの目はいつになく穏やかだった。



 ジンが帰った後、ユーシーは着替えを済ませ、ターゲットのいる廃ビルへと向かった。ポケットにはジンに与えられた銃とナイフを忍ばせて。

 ジンの事務所近くの裏通りの廃ビル。ここ一年程、取り壊されずに残っているビルだった。ビルの周りには雑な囲いが組まれているが、隙間があり忍び込むには苦労しなかった。
 ビルの内部にはに明かりはなく、街から届く薄明かりがあるだけだった。
内装は剥がれ、壁も床もコンクリートが剥き出しになっている。迂闊に踏み込めば、灰色の壁に足音が響く。
 ユーシーは足音を忍ばせて、一階から順番にフロアを覗いていく。

 建物内は入ってすぐ右手に階段があり、左にかつて店舗か事務所があったであろう部屋があった。一フロアに一部屋。それが上まで続いているようだった。

 ターゲットたちはおそらく街の様子を伺っているはず。それなら、階層は上だろうが、それまでは見落としのないよう様子を見ていくことにした。敵に認識される前に見つけなくてはならない。そうしなければ、斃されるのはユーシーだ。
 耳を澄まして音を探す。暗い、灰色の世界には、遠くに聞こえる街のざわめき以外に音はなく、街とは切り離された別世界のように静かだ。

 ユーシーは一階ずつ確かめながら階段を昇る。
 弾の軌道と死角を意識して、壁に寄りすぎず、意識を張って人の気配を探す。ジェンイーに教わったことだ。
 下から順に六階まで確認したが誰もいない。残りフロアは四つ。

 七階にも姿は見えなかったが、人がいた痕跡を見つけた。真新しいタバコの吸い殻が落ちていた。
 八階。ようやく窓際に人影が見えた。街の光に反射して光るものがある。双眼鏡のようだ。
 ユーシーは静かに銃を構えた。向こうはユーシーの存在には気付いていないようだった。
 安全装置を解除して静かに構える。引き金を引くと、空気を裂く音がして窓側の人影が倒れた。
 他の気配が無いことを確認して部屋に入る。
 暗い部屋には白人の男が一人倒れているだけだった。
 駆け寄り、死亡を確認する。弾は頭に命中。一撃だった。スーツの懐を探ると銃が出てきた。
 窓から見えるのは、裏通り。ユーシーもたまに通る裏道だ。ここから何を見ていたのか、ユーシーには想像もつかない。

 上のフロアへ向かう。誰もいない。
 ということは、上に二人いるということになる。
ユーシーは最上階へ向かった。
 人影は、やはり窓辺に一つだった。フロアには部屋はここだけ。他の人影は見えない。もう一人はこのビルにはいないのか。それとも、屋上だろうか。
 ひとまずフロアにいる一人を片付ける。気付かれていないので簡単だった。
 倒れた男の懐を探る。メモが出てきた。そっとポケットにしまう。
 いよいよ残りは一人になった。フロアは全て確認した。残るは屋上だけだ。

 屋上の塔屋の金属の扉には鍵がかかっていなかった。ドアノブを静かに捻り、ユーシーは音を立てないように外へ出る。
 埃っぽい空気は一転して熱気を孕んだか夜の街の空気になった。街の明かりがぼんやりと辺りを照らす。暗い屋上には貯水タンクやらエアコンの室外機などが並ぶ。
 見回すと、隅の方に人影が一つあった。
 ユーシーは物陰に回って様子を伺う。

 屋上の隅に座ってじっと街を見下ろしている男の姿があった。三十そこそこくらいの、白人の男だった。写真で見た男で間違いない。このチームの指揮官だろうか。
 ユーシーは銃を構えた。照準を合わせ、引き金を引く。サイレンサー付きの自動小銃から放たれた弾丸は静かに男に命中したようで、男が倒れ込んだ。

 ユーシーは足音を殺して素早く駆け寄る。
 ポケットを探ろうと伸ばした腕を掴まれた。見れば弾が逸れたようで、男の脇腹が血で湿っていた。
 もう一撃必要だ。ユーシーはすぐに銃を構える。
 しかし、その前にユーシーの視界は反転し、星の見えない空が視界を埋めた。
 ユーシーはコンクリートの床に転がされていた。

「お前か、撃ったの」

 男の、忌々しげな低い声がして、視界に男の顔が映る。

「そうだよ、死に損ない」
「クソが、お前、ブラックアンバーか」

 男が吐き捨てる。
 ユーシーは銃を構えようとする男の脇腹に蹴りを入れた。黒い琥珀。それを知っているなら、容赦する必要はない。こちら側の人間だ。

「テメェ……」

 俺から呻くような低い声が上がる。男が転がって蹲る。上から退かすことには成功した。

「勤勉だな」

 ユーシーは身体を起こす。頭の中も、胸も、恐ろしく凪いでいた。
 次は仕留める。ユーシーは迷わず銃口を頭に向けた。

「そうだよ」

 ユーシーの抑揚のない声とともに、湿った夜の空に空気を裂く音が微かに響いた。サイレンサー越しの銃声を知るものは誰一人いない。



 撃った男のポケットから出てきたのは、隠し撮りされたレイの写真と走り書きのメモだった。
 ユーシーはポケットにしまって、踵を返す。
 硝煙の匂いは、夜風に飛ばされてもう跡形もなかった。
 ユーシーはため息をひとつついて屋上を後にした。

 階段を降りるごとに、心拍が落ち着いて仕事モードが少しずつ抜けていく。
 半分ほど降りてきたところで、ふと、足音に気付いた。階下から響いてくる一人分の足音。その足取りは軽い。
 ユーシーは急いでフロアの部屋に身を隠す。
 もう一人いたのか、連絡係か、どちらかはわからない。いずれにせよ、死体を見つかるのはまずい。
 足音はゆっくりと階段を登ってくる。
 ユーシーは近付いてくる足音に耳を澄ませた。コンクリートの階段を、革靴が昇ってくる。
 足音が近い。
 ユーシーは視線を階段に向け、銃を構える。

 人影が見えた。白人だった。先程までの三人より少し若い。
 手すりの隙間から見えた手にはビニール袋。買い出しの帰りのようだ。

 こちらに気付かれないうちに、ユーシーは躊躇いなく引き金を引く。
 予定外の一撃が静寂を裂いて、男が倒れる音がした。
 部屋から出たユーシーは階段に倒れ込んだ男に息がないのを確認して、ポケットを探る。
 スマートフォンが入っている以外、特にない。
 連絡係のようだった。
 これといって報告が必要そうな物は持っていなかった。
 途端にユーシーは興味を失った。
 その視線はもう階下を見るばかりで振り返ることはなかった。
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