夜街迷宮

八陣はち

文字の大きさ
36 / 48
とろける琥珀と石油王

秘密基地

しおりを挟む
 アダムに案内されたのは地下室だった。ここへ来てすぐに家を案内された時には何も触れられなかったので、この家に地下があるなんて気が付かなかった。

「落ち着いたら教えようと思って、内緒にしていたんです」

 アダムが開いた扉は、物入れか何かだと思っていた扉だった。その先には階段があり、降りるとトレーニングルームがあった。
 多少のウェイトトレーニングの設備の他は、何もない。

「たまに、気が向いたらでいいので相手をしてくれませんか? ジェイもルイも相手をしてくれないので」

 どうやらアダムはトレーニングの相手が欲しいようだった。

「俺で相手になるかな」

 ユーシーは肩を竦めて見せた。身長差もあるし、何より、街で見せられたアダムの皆こなしは、ユーシーに太刀打ちできるとは思えなかった。

「地下闘技場では大活躍だったと聞いていますが」
「ふふ、ルイから聞いたの?」
「ええ」
「ルイはいいところしか見てないからな」

 二人は笑い合う。

「ユーシー、貴方さえ良ければ、貴方の鍛錬も兼ねて、いかがですか」
「ん、やる」

 やらない理由がない。相手がアダムなら、不足はない。

「ふふ、よろしくお願いします、ユーシー」

 ようやく退屈凌ぎを見つけられて、ユーシーは上機嫌だった。

「アダムはまだ、殺し屋なの?」

 素朴な疑問だった。見たところ、アダムはハウスキーパー兼執事のようなことをしているようだった。

「今は元殺し屋ですが、いつ必要になってもいいように準備はしています。何があるかわかりませんからね。特に、石油王ルーの周りなら。用心に越したことはありません」

 穏やかな表情は変わらない。アダムは落ち着いた声で淡々と続けた。

「ルイは私の雇用主です。義務ではありませんが、ルイには、拾っていただいた恩があります。こうして仕事をいただいていることにも。だから、何かで返したい」

 胸がざわつく。アダムがルイに対してそんな思いを抱いていることが嬉しかったし、負けたくないと思った。
 そこにわずかな嫉妬が混ざっていることに、ユーシーも気がついていた。自分が思うよりもずっとルイに執着している。それはユーシーの中でルイが一番な存在になった証だった。なんだか新鮮で、ユーシーの胸を騒がせた。

「……俺も」

 ぽつりと溢れたのは、ため息のような声だった。

「俺も、ルイを守りたい」

 心からの言葉だった。奪うばかりの殺し屋だった自分が、そんなことを思うなんて不思議な感じだった。

「そうですね、一緒に頑張りましょうか」

 ユーシーに向けられたアダムの笑みは慈愛に満ちたものに見えた。
 それから、ユーシーは暇さえあればアダムからフランス語を学び、部屋でトレーニングをし、アダムと近接戦闘のトレーニングをした。
 アダムの身のこなしは荒い喧嘩のそれではなく、理論に裏打ちされた格闘術だった。
 アダムの動きには無駄がなく、動きのキレもある。ハオラン以外でこんなに胸の踊る相手がいただろうか。
 アダムはユーシーにとって良い師になった。



 土曜日。あさ、ルイのベッドで目を覚ましたユーシーの耳にピアノの音が届いた。
 聞いたことのあるメロディーだが、曲名まではわからない。クラシック音楽に疎いユーシーですら聞き覚えのあるので、有名な楽曲なのだろうとは思う。
 隣にルイの姿は見えない。もう起き出しているようだった。
 そこへジェイがやってきて、いつものようにユーシーを起こす。
 気まぐれに見えて、ジェイは時間には厳しい。おそらく、今は八時ごろだ。

「おはよう、ジェイ」

 ユーシーが頭を撫でてやると、ジェイは喉を鳴らした。
 ジェイを連れてキッチンに降りるとアダムがいた。

「おはよう。アダム」
「おはようございます、ユーシー」

 ジェイの食事を用意する間も、ユーシーは聞こえる旋律に耳を傾けた。

「ピアノの音がする」

 ユーシーがアダムに不思議そうな視線を送ると、アダムは目を細めた。

「ルイですよ」
「ルイ?」

 ルイの姿が隣になかったのはそのせいかと思った。

「呼びにいきましょうか」

 アダムに連れられて向かったのは一階の奥。
 そっとドアを開ける。ピアノのある部屋だった。グランドピアノの音を生で聴くのは初めてだった。
弾いているのはルイだった。後ろ姿しか見えないが、見間違えるはずがない。

「ルイ」

 躊躇いがちに放ったユーシーの声が届いたようで、心地好い旋律が止んだ。
 部屋には静寂が戻り、少し残念な気がした。ルイが奏でる心地好い旋律をもう少し聴いていたかった。

「ユーシー、おはよう」

 ルイが振り返る。邪魔してしまって申し訳なく思っていたが、ルイは気にしていないのか、朗らかに笑う。いつもの笑みに、ユーシーは安堵した。

「おはよう」

 ルイは静かに鍵盤に蓋をした。演奏はもう終わりのようだった。

「すごいな、ピアノ弾けるんだ」
「少しだけどね」

 ユーシーがルイのそばまで行くと、先程まで柔らかな旋律を奏でていた大きな手のひらが頭を撫でてくれた。

「ルイ、朝食の時間です」

 アダムの声がして、ルイのアイスブルーの瞳がそっと細められる。

「うん。いこうか、ユーシー」
「ん」
「食事が終わったら、一緒に弾こうか」
「いいの」
「いいよ」

 ルイの指先は甘やかに頬を撫でた。
 三人揃って朝食を食べる。朝食はアダムが用意してくれたパンとオムレツだった。
 そのあと、少しだけルイがピアノを教えてくれた。



 ユーシーの知らない世界は、あまりに広い。穏やかな暮らしがあることを知っていたが、まさか自分がその中に入り込むなんて思わなかった。
 それでも隣にルイがいれば、怖くなかった。
 穏やかな日常に、騒乱の足音は、まだ聞こえない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

処理中です...