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とろける琥珀と石油王
秘密基地
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アダムに案内されたのは地下室だった。ここへ来てすぐに家を案内された時には何も触れられなかったので、この家に地下があるなんて気が付かなかった。
「落ち着いたら教えようと思って、内緒にしていたんです」
アダムが開いた扉は、物入れか何かだと思っていた扉だった。その先には階段があり、降りるとトレーニングルームがあった。
多少のウェイトトレーニングの設備の他は、何もない。
「たまに、気が向いたらでいいので相手をしてくれませんか? ジェイもルイも相手をしてくれないので」
どうやらアダムはトレーニングの相手が欲しいようだった。
「俺で相手になるかな」
ユーシーは肩を竦めて見せた。身長差もあるし、何より、街で見せられたアダムの皆こなしは、ユーシーに太刀打ちできるとは思えなかった。
「地下闘技場では大活躍だったと聞いていますが」
「ふふ、ルイから聞いたの?」
「ええ」
「ルイはいいところしか見てないからな」
二人は笑い合う。
「ユーシー、貴方さえ良ければ、貴方の鍛錬も兼ねて、いかがですか」
「ん、やる」
やらない理由がない。相手がアダムなら、不足はない。
「ふふ、よろしくお願いします、ユーシー」
ようやく退屈凌ぎを見つけられて、ユーシーは上機嫌だった。
「アダムはまだ、殺し屋なの?」
素朴な疑問だった。見たところ、アダムはハウスキーパー兼執事のようなことをしているようだった。
「今は元殺し屋ですが、いつ必要になってもいいように準備はしています。何があるかわかりませんからね。特に、石油王ルーの周りなら。用心に越したことはありません」
穏やかな表情は変わらない。アダムは落ち着いた声で淡々と続けた。
「ルイは私の雇用主です。義務ではありませんが、ルイには、拾っていただいた恩があります。こうして仕事をいただいていることにも。だから、何かで返したい」
胸がざわつく。アダムがルイに対してそんな思いを抱いていることが嬉しかったし、負けたくないと思った。
そこにわずかな嫉妬が混ざっていることに、ユーシーも気がついていた。自分が思うよりもずっとルイに執着している。それはユーシーの中でルイが一番な存在になった証だった。なんだか新鮮で、ユーシーの胸を騒がせた。
「……俺も」
ぽつりと溢れたのは、ため息のような声だった。
「俺も、ルイを守りたい」
心からの言葉だった。奪うばかりの殺し屋だった自分が、そんなことを思うなんて不思議な感じだった。
「そうですね、一緒に頑張りましょうか」
ユーシーに向けられたアダムの笑みは慈愛に満ちたものに見えた。
それから、ユーシーは暇さえあればアダムからフランス語を学び、部屋でトレーニングをし、アダムと近接戦闘のトレーニングをした。
アダムの身のこなしは荒い喧嘩のそれではなく、理論に裏打ちされた格闘術だった。
アダムの動きには無駄がなく、動きのキレもある。ハオラン以外でこんなに胸の踊る相手がいただろうか。
アダムはユーシーにとって良い師になった。
土曜日。あさ、ルイのベッドで目を覚ましたユーシーの耳にピアノの音が届いた。
聞いたことのあるメロディーだが、曲名まではわからない。クラシック音楽に疎いユーシーですら聞き覚えのあるので、有名な楽曲なのだろうとは思う。
隣にルイの姿は見えない。もう起き出しているようだった。
そこへジェイがやってきて、いつものようにユーシーを起こす。
気まぐれに見えて、ジェイは時間には厳しい。おそらく、今は八時ごろだ。
「おはよう、ジェイ」
ユーシーが頭を撫でてやると、ジェイは喉を鳴らした。
ジェイを連れてキッチンに降りるとアダムがいた。
「おはよう。アダム」
「おはようございます、ユーシー」
ジェイの食事を用意する間も、ユーシーは聞こえる旋律に耳を傾けた。
「ピアノの音がする」
ユーシーがアダムに不思議そうな視線を送ると、アダムは目を細めた。
「ルイですよ」
「ルイ?」
ルイの姿が隣になかったのはそのせいかと思った。
「呼びにいきましょうか」
アダムに連れられて向かったのは一階の奥。
そっとドアを開ける。ピアノのある部屋だった。グランドピアノの音を生で聴くのは初めてだった。
弾いているのはルイだった。後ろ姿しか見えないが、見間違えるはずがない。
「ルイ」
躊躇いがちに放ったユーシーの声が届いたようで、心地好い旋律が止んだ。
部屋には静寂が戻り、少し残念な気がした。ルイが奏でる心地好い旋律をもう少し聴いていたかった。
「ユーシー、おはよう」
ルイが振り返る。邪魔してしまって申し訳なく思っていたが、ルイは気にしていないのか、朗らかに笑う。いつもの笑みに、ユーシーは安堵した。
「おはよう」
ルイは静かに鍵盤に蓋をした。演奏はもう終わりのようだった。
「すごいな、ピアノ弾けるんだ」
「少しだけどね」
ユーシーがルイのそばまで行くと、先程まで柔らかな旋律を奏でていた大きな手のひらが頭を撫でてくれた。
「ルイ、朝食の時間です」
アダムの声がして、ルイのアイスブルーの瞳がそっと細められる。
「うん。いこうか、ユーシー」
「ん」
「食事が終わったら、一緒に弾こうか」
「いいの」
「いいよ」
ルイの指先は甘やかに頬を撫でた。
三人揃って朝食を食べる。朝食はアダムが用意してくれたパンとオムレツだった。
そのあと、少しだけルイがピアノを教えてくれた。
ユーシーの知らない世界は、あまりに広い。穏やかな暮らしがあることを知っていたが、まさか自分がその中に入り込むなんて思わなかった。
それでも隣にルイがいれば、怖くなかった。
穏やかな日常に、騒乱の足音は、まだ聞こえない。
「落ち着いたら教えようと思って、内緒にしていたんです」
アダムが開いた扉は、物入れか何かだと思っていた扉だった。その先には階段があり、降りるとトレーニングルームがあった。
多少のウェイトトレーニングの設備の他は、何もない。
「たまに、気が向いたらでいいので相手をしてくれませんか? ジェイもルイも相手をしてくれないので」
どうやらアダムはトレーニングの相手が欲しいようだった。
「俺で相手になるかな」
ユーシーは肩を竦めて見せた。身長差もあるし、何より、街で見せられたアダムの皆こなしは、ユーシーに太刀打ちできるとは思えなかった。
「地下闘技場では大活躍だったと聞いていますが」
「ふふ、ルイから聞いたの?」
「ええ」
「ルイはいいところしか見てないからな」
二人は笑い合う。
「ユーシー、貴方さえ良ければ、貴方の鍛錬も兼ねて、いかがですか」
「ん、やる」
やらない理由がない。相手がアダムなら、不足はない。
「ふふ、よろしくお願いします、ユーシー」
ようやく退屈凌ぎを見つけられて、ユーシーは上機嫌だった。
「アダムはまだ、殺し屋なの?」
素朴な疑問だった。見たところ、アダムはハウスキーパー兼執事のようなことをしているようだった。
「今は元殺し屋ですが、いつ必要になってもいいように準備はしています。何があるかわかりませんからね。特に、石油王ルーの周りなら。用心に越したことはありません」
穏やかな表情は変わらない。アダムは落ち着いた声で淡々と続けた。
「ルイは私の雇用主です。義務ではありませんが、ルイには、拾っていただいた恩があります。こうして仕事をいただいていることにも。だから、何かで返したい」
胸がざわつく。アダムがルイに対してそんな思いを抱いていることが嬉しかったし、負けたくないと思った。
そこにわずかな嫉妬が混ざっていることに、ユーシーも気がついていた。自分が思うよりもずっとルイに執着している。それはユーシーの中でルイが一番な存在になった証だった。なんだか新鮮で、ユーシーの胸を騒がせた。
「……俺も」
ぽつりと溢れたのは、ため息のような声だった。
「俺も、ルイを守りたい」
心からの言葉だった。奪うばかりの殺し屋だった自分が、そんなことを思うなんて不思議な感じだった。
「そうですね、一緒に頑張りましょうか」
ユーシーに向けられたアダムの笑みは慈愛に満ちたものに見えた。
それから、ユーシーは暇さえあればアダムからフランス語を学び、部屋でトレーニングをし、アダムと近接戦闘のトレーニングをした。
アダムの身のこなしは荒い喧嘩のそれではなく、理論に裏打ちされた格闘術だった。
アダムの動きには無駄がなく、動きのキレもある。ハオラン以外でこんなに胸の踊る相手がいただろうか。
アダムはユーシーにとって良い師になった。
土曜日。あさ、ルイのベッドで目を覚ましたユーシーの耳にピアノの音が届いた。
聞いたことのあるメロディーだが、曲名まではわからない。クラシック音楽に疎いユーシーですら聞き覚えのあるので、有名な楽曲なのだろうとは思う。
隣にルイの姿は見えない。もう起き出しているようだった。
そこへジェイがやってきて、いつものようにユーシーを起こす。
気まぐれに見えて、ジェイは時間には厳しい。おそらく、今は八時ごろだ。
「おはよう、ジェイ」
ユーシーが頭を撫でてやると、ジェイは喉を鳴らした。
ジェイを連れてキッチンに降りるとアダムがいた。
「おはよう。アダム」
「おはようございます、ユーシー」
ジェイの食事を用意する間も、ユーシーは聞こえる旋律に耳を傾けた。
「ピアノの音がする」
ユーシーがアダムに不思議そうな視線を送ると、アダムは目を細めた。
「ルイですよ」
「ルイ?」
ルイの姿が隣になかったのはそのせいかと思った。
「呼びにいきましょうか」
アダムに連れられて向かったのは一階の奥。
そっとドアを開ける。ピアノのある部屋だった。グランドピアノの音を生で聴くのは初めてだった。
弾いているのはルイだった。後ろ姿しか見えないが、見間違えるはずがない。
「ルイ」
躊躇いがちに放ったユーシーの声が届いたようで、心地好い旋律が止んだ。
部屋には静寂が戻り、少し残念な気がした。ルイが奏でる心地好い旋律をもう少し聴いていたかった。
「ユーシー、おはよう」
ルイが振り返る。邪魔してしまって申し訳なく思っていたが、ルイは気にしていないのか、朗らかに笑う。いつもの笑みに、ユーシーは安堵した。
「おはよう」
ルイは静かに鍵盤に蓋をした。演奏はもう終わりのようだった。
「すごいな、ピアノ弾けるんだ」
「少しだけどね」
ユーシーがルイのそばまで行くと、先程まで柔らかな旋律を奏でていた大きな手のひらが頭を撫でてくれた。
「ルイ、朝食の時間です」
アダムの声がして、ルイのアイスブルーの瞳がそっと細められる。
「うん。いこうか、ユーシー」
「ん」
「食事が終わったら、一緒に弾こうか」
「いいの」
「いいよ」
ルイの指先は甘やかに頬を撫でた。
三人揃って朝食を食べる。朝食はアダムが用意してくれたパンとオムレツだった。
そのあと、少しだけルイがピアノを教えてくれた。
ユーシーの知らない世界は、あまりに広い。穏やかな暮らしがあることを知っていたが、まさか自分がその中に入り込むなんて思わなかった。
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