3IN-IN INvisible INnerworld-

ゆなお

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一章【集結】

九話 計画通りの誤算

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 一日目が終わり朝を迎える。朝食はドライフルーツを混ぜたパンと紅茶、そして少量の干し肉をつまみ代わりに食べる。ヴィッツとザントは眠そうにしている。うつらうつらと舟を漕ぐヴィッツを見て
「あらヴィッツ、眠そうだけど何かあったの?」
 スティアがそう聞くと
「ああ、カルロと話してたら結構な時間が経っててさ。寝るのが遅くなっちまった。そういや俺より後に寝てるはずなのにカルロは眠くないのか?」
 とヴィッツは話題をカルロに振る。
「そんなことはないな。あんたは初めての長旅なんだろう? 疲れが溜まってるところに夜更かしだ。眠いのもそのせいだろう。逆に俺はなんかいつも以上に力みなぎって、むしろ調子が良いくらいだ」
 そう言って食事を終えたカルロは
「ヴィッツは少し戦い方を覚えた方がいい。この先の旅で逃げるだけじゃ生きていけない。あんたに合った武器、見繕ってやるよ。食事が終わったら表に出な。俺は使えそうな武器を倉庫から出してくる」
 と言って小屋を出て行った。ヴィッツはとりあえず眠そうな顔をしつつ食事をゆっくり味わう。一方ザントはいつもの元気さがなく食が進んでいない。
「どうしたの? いつもより食欲がないわ。どこか具合でも悪いの?」
 スティアに聞かれ
「うーん。なんだかよくわからないけど、体の中の魔力がなんだかぐにゃぐにゃする~。エルフの森にいた頃にはこんなことなかったのにー」
 とザントがこくりこくりと眠そうに答える。
「魔力がぐにゃぐにゃ?」
 不思議そうな顔をするスティア。すると
「普通魔力は一定に保たれてる。でも月と日によっては魔力が不安定になって身体や精神に支障をきたす場合がある。今日は何の日かわかるかしら」
 とミーンは紅茶を一口飲んで言う。
「えーと、家出してから曜日感覚狂ってるのよね……。今日が何の月で何の日だったか……」
 スティアが悩んでいると
「土の月そして土の日ですね、そして表の週だから地属性が最も強くなる日です」
 とナスティが答える。すると
「あっ! ザントの魔法属性と相反する日!」
 とスティアがザントを起こさない程度に声を上げた。
「そう、普通の人間やエルフならあまり影響がないけど、彼の場合魔力がとても高いから影響を受けるのよ。反発しあう力で魔力と言う水槽が揺さぶられて水面が乱れてる状態」
 ミーンの言葉に
「それで眠そうだったり魔力がぐにゃぐにゃって言ってるのね。ザントと出会ってまだ一年も経ってなかったから知らなかった。ミーン、教えてくれてありがとう。今日はザントに付き添ってゆっくり休ませるわ」
 とスティアが礼を言う。
「その方がいいわ。今日さえ過ぎれば元に戻るから、今は静かに眠らせてあげなさい」
 ザントはやっとご飯を食べ終えたと思ったら、そのまま隣のスティアの膝を枕に寝てしまった。スティアはザントを抱きかかえると屋根裏部屋に登っていった。
「ザント君、大丈夫でしょうか……」
 ナスティが心配そうにするが
「一日だけのものよ。症状は人によってさまざまだけど、彼の場合は眠気として出るみたいね。あとはこの症状が出る全員に現れる魔力の揺れの不快感。何とも言えない感覚だから、恐らく彼も眠ってても何度もぐずって起きると思うわ。今日は小屋の周りでは静かにしていましょう」
 とミーンが安心させる。
「そうですね。あ、私カルロ王子から美味しい木の実が採れる場所教えてもらったんですよ。今日はミーンさんと私で取りに行くのはどうでしょうか。ザント君、お肉大好きなようですが今日は食が進まないみたいですし、軽く糖分だけでも取れればと思いまして。恐らく小屋周辺は王子とヴィッツさんが武器の使い方の指南でいらっしゃるでしょうし。少し出かけてみませんか?」
 ナスティがそう提案すると
「森に入るとして護衛は……グレイがいるわね」
 とぼそりと呟いた。
「ですです。グレイがいるからいざ魔物が出たとしても大丈夫です」
「そうね。じゃあ、まずは食器を片付けましょう。ヴィッツ、もう食事終わったでしょう?」
 いつの間にか食事を食べ終え、木のカップを持ったままうとうとしていたヴィッツ。声を掛けられビックリして目を覚ます。
「あっ! ああ、すまねぇ。半分寝てた。いまので目が覚めた。ザントの話は一応聞いてたが、魔力が高いと高いなりに悩みがあるんだな。あと二人は木の実採りに行くんだな。気を付けて行けよ」
 洗い場は狭いためミーンとナスティの二人で洗うとのことで、ヴィッツは食器を洗い場に置いて外に出た。小屋から少し海側に近いところに倉庫がある。カルロは倉庫の前で武器をいくつか並べていた。
「おー、ヴィッツ。やっと来たか。その様子なら眠気は吹っ飛んだようだな。そういやあの眠そうだったおチビは?」
 とカルロにザントのことを聞かれたので一部始終を話した。
「あー、なるほどね。今日やたら俺のやる気あるのそのせいか」
 カルロが地属性の精霊と契約していることを思い出し
「そうか、カルロの属性は地か。ってことは今カルロが魔法使えばすっげー威力が出るってことか」
 と言うが
「あのおチビが具合悪いんじゃあここで魔法使うわけにもいかねぇ。魔法は使えば使うほど魔力が放出されて減り、そして放出された魔力は大気と大地に帰り、また精霊の元に力として戻る。そん時に属性も一緒にくっついてるから、今俺が魔法使えば具合の悪いおチビの体にゃ余計悪い。この周辺に今日のおチビに毒な地属性の魔力をまき散らすようなもんだ。魔法の世界は割と複雑なんだよ」
 とカルロは説明する。魔法については無知なため、そういうものなのかとヴィッツは思った。
「とにかくそれは置いといて、あんたに合う武器が何か選びたい。色々質問するから答えてくれ」
 そう言ってカルロはヴィッツからどういう動きが得意か、どれくらいなら持ち上げられるか色々質問をしてそこからどの武器が得意そうか考える。
「あんたの場合ある程度の力と素早さはあるが、一撃が重い攻撃が難しい。かといって兄貴みたいに短剣で素早く切り込むのも難しそうだ。重さがあってだが重すぎず長すぎず、持ち歩きにも邪魔にならないなら片手剣だな」
 カルロは手頃な長さの片手剣を選ぶ。
「こう突いて攻撃もできるが、振り上げて叩き切ることも可能。まあ折れる可能性もあるが敵の攻撃を受け止めるのにも使える」
 と剣を突いたり振り下ろしたりする動きを見せて簡単な使い方を教える。カルロはヴィッツに片手剣を渡した。農具のクワよりは軽いか同程度くらいか、ヴィッツは片手剣を握りながら重さを量る。
「あとは片手で扱えるかが重要だ、まあ両手で持ってもいいけどな。今日は小屋周辺から動くこともないだろう。さあ素振り千本だ」
「は? これ持って千回も振るのか?」
「当たり前だろ。まずは持って軽々動けるようになるのが重要。俺は数えてるから頑張れよ」
 カルロは倉庫の前で座り込む。ヴィッツは仕方なしと右手に持った片手剣を素振りする。それをずっと数えながらカルロは足腰の位置や姿勢など時々指示を入れていた。

 木の実集めに出かけたナスティとミーン。植物のツルで編み込まれた持ち手が中央に一つある小さい籠を下げている。どうやら普段からカルロが果物採集に使っているようで壁に掛けられていたのを拝借した。
「ここからはそう遠くないそうです」
 ナスティはそう言って周りの気配を読みつつ木の実がなっている場所へと案内する。こうして数分歩いたところに赤くて丸い小ぶりな実が一粒ずつ沢山なっている、天辺には手が届かないくらいの高さの木を見つけた。一粒採って食べると、皮ははじけるように口の中で溶け、甘い甘い果汁が口いっぱいに広がった。確かにおいしいと二人は採り始める。
「あまり採り過ぎても良くないわ。食べきれないし、それにこれは日持ちしなさそう。本当に今日食べられるだけ採りましょう」
 ミーンの言葉にナスティも納得して
「はい! 大地の恵みは精霊たちの力のおかげでもあります。彼ら精霊たちもこの木の実を嗜んで食べることがあるでしょう。私は魔法が使えないので人づてに聞いた話ですが、精霊たちも人間が食べるものと同じものを食べるそうですね。ですからこれだけの数、全部採ってしまったら怒られてしまいます」
 と言いながら所々残しつつ、実を摘み取る。
「ええそうよ。精霊たちの力は世界に広がる魔法の力であるマナだけではないわ。食事、睡眠それらも彼らの英気を養う。彼らの力は無限ではない有限のもの。そのためにも彼らは食事をしたりするし、ゆっくりと眠りについて休む。そういう部分は割と人間と似てるのよ」
 一つ一つ実を採りながらミーンはそう話した。
「そう言えばミーンさんの精霊は水の精霊さんですよね」
「ええ。リリアはおとなしい子よ。基本的にはあの子の好きなようにさせてるから、見えないところで今頃お茶会でもしているかもしれないわね」
 ミーンがそう微笑みながら言うと
「ええっ? 見えないところでお茶会ってどんな感じでしてるんですか?」
 と不思議そうな顔をした。
「魔法を使うために私たちは精霊と契約するけれど、彼らの住む世界はこの現実世界ともう一つ『精霊たちだけが入れる世界』が同時間軸に存在するの。彼らが姿を消しているときは本当に隠れてるか、あるいはその見えない世界にいるかのどちらか。特に見えない世界の方にいるから魔法が使えなくなるとかはないわ。彼らだって私たちの行動を常に見張ってる義務はない、私たちが彼らを常に呼び出さないのと同じようにね。呼べば出てきてくれるけど、せっかくゆっくりお茶を飲んでいるときに呼んだらかわいそうでしょ。だから私はどうしても呼び出さなければならない時以外は自由にさせてる」
 ミーンの説明に納得した様子で
「へぇ、精霊たちにもいろいろあるんですね! 私もいずれ、いえすぐに精霊と契約する必要があるんですよね。静の精霊でしたっけ」
 ナスティの言葉にミーンは頷く。
「ええ、でも今はまだ無理ね。精霊が近くにいない。あなたの契約する精霊は静と動で対になっている。ヴィッツの契約する動と正反対の性質を持つ精霊。基本的には敵を眠らせたり足を遅くしたり、そう言った『相手の能力を下げたりする』魔法が多いわ。どんな魔法が使えるかはあなたの魔力とセンス次第よ」
 そう言ってミーンは籠を持ち上げる。
「さあ、籠いっぱい採ってしまったら重たいからこのあたりにしましょう」
「あっ! 私が持ちます!」
「いいのよ。今は魔物の気配がないけれど、もしもの時は私より素早く動けるあなたの方が役に立つわ」
 そう言ってミーンは籠を持って歩き始めた。
「はい! それでは私は周りに気を配ります!」
 ミーンを護衛するようにナスティは周囲を警戒した。今日は運よく魔物も出ずに小屋まで帰ることが出来た。ミーンとナスティは手に入れた木の実をつぶれないように軽く洗い、木の器に入れて屋根裏部屋に上がる。
「あ、ミーンにナスティ、いいところに来てくれたわ。実はザントが喉が渇いたけど水は飲みたくないって言ってて、どうしようかと思ってたの。それに寝たと思ったらいきなり嫌そうにバタバタしてなかなか寝付いてくれなくて。そしたら今度は喉が渇いたって言い出してそれからずっと渋い顔しててね……」
 困った顔でスティアがザントを座って抱きかかえながらそう話すと
「ちょうどよかったわね。ナスティがカルロから聞いたっていう木の実を採ってきたわ。ナスティとも『食が進まなそうなザントでも食べられるのでは』って話してたの。皮ごと食べられて甘い果汁で水分も取れるわ」
 ミーンはそう言うと一つ摘まみ、ザントの口にそっと入れた。少し口を動かすザントはしばらくもぐもぐと口を動かしそして飲み込んだ。
「おいしい……もっと食べる……」
 と眠そうだが木の実を要求した。
「少しずつ食べさせるわ。二人ともありがとう」
 ミーンから器を受け取ったスティアは床に置くと一粒取ってザントに食べさせた。顔は美味しそうではないが、食欲のない割には食べている。
「じゃあ私たちは下にいるわ。何度もぐずって起きることがあるだろうけど、スティアも無理しないようにね」
 そう言ってミーンとナスティは下に降りた。一方延々と汗を書きながらヴィッツが素振りするのを、にんまりと笑いながらカルロが数える。こうしてこの日はザントの看病とヴィッツの特訓で終わった。

 三日目の朝。
「食べたい! 食べたい!! 食べたーい!!!」
 元気になったザントがどうやら昨日食べた木の実がよっぽど気に入ったようで、再度食べたいと駄々をこねる。
「あの実なぁ、日持ちっつーか採って半日も経たないうちに変色して食えなくなるんだ」
 カルロが旅に持っていく武器を忙しそうに手入れしながらそう言う。
「そうね、確かにザントが食べる分以外を後でヴィッツとカルロにもと思っていたら、渡す前に黒くなって水分が抜けて苦そうなにおいを放っていたわ」
 ミーンも困った様子で首を振る。
「木になってる間はかなり長持ちするんだが、採っちまうとすぐ食わなきゃなんねぇのが難点だ。この島でしか今のところ採れないから外にも持ち出せねぇ」
 そう話している間もイヤイヤとザントは床を転げまわってあの実が食べたいと言う。
「よっぽど美味しかったのね。しょうがないわねぇ、じゃあ全部食べないって約束でその木の実のなる木の所まで行きましょう」
 スティアがそう言うとガバッと立ち上がり
「ボク、今日はやる気満々!!」
 ともう採りに行く気になっている。カルロは武器の手入れで忙しく、ミーンも昨日肉料理が多かったからとカルロの畑の手入れと収穫に行くと断る。食べるザント本人と場所を知っているナスティが行くとしてもう一人はスティアが行くと話していると
「あ、もしよかったらスティアの代わりに俺を行かせてくれ。昨日の特訓の成果が見られるかはわからねーが、もしも魔物が出たときに戦えるかちょっと試してみたいんだ」
 とヴィッツが申し出た。
「私が行くわよ。ザントのこと少なくともこの中で一番知ってるし……」
 スティアがそう言いかけると
「お前は日付変わるまで寝ずの番でずーっとザント看てたんだろ、ミーンとナスティに聞いてる。お前は今日はゆっくり休め。あとなんかあった時はミーンとカルロがそばにいるから安心だろ?」
 と、ヴィッツはスティアを気遣った。
「そこまで知ってたんだ。ヴィッツありがとう、今日は私がゆっくり休む番ね」
 こうしてカルロとミーンとスティアはヴィッツたちを見送った。今日は水の日、森の中は少し霧がかかっている。
「昨日と雰囲気が違いますねー。水の日だからでしょうか、霧が少し出てます。霧が出やすい時は魔物も出やすいのでヴィッツさんも気を付けてください」
「そうなのか。ナスティ、魔物の気配は?」
「今はないですね! ザント君! 遠くに離れたらダメですよー」
「はーい」
 そんなやり取りをしつつザントはナスティとヴィッツの頭上をふわふわ飛びながら進む。そうこうしているうちに一行は昨日来た木の実のなっている場所にたどり着いた。
「わー! いっぱい! いっぱいある!」
 ザントは勢いよく木のてっぺんに飛びついて木の実をひとつひとつ食べ始めた。
「あっ、ザント君! 持ち帰って……あー、もう無理そうですね」
「あいつ食うことになると本当、他の事考えらなくなるからな」
 呆れた様子でヴィッツとナスティは笑う。その様子を見ているとナスティは背後に寒気を感じた。
「魔物っ!」
 小声で隣にいるヴィッツに伝える。
「場所は?」
「後方二十メートル。今現れたばかり」
「神出鬼没ってのは本当なんだな。ザントは木のてっぺんで食うのに夢中で声が聞こえてないみたいだ。俺たちでなんとかするしかない」
「はい。ヴィッツさん、いつでも武器を構えられるよう準備を」
「ああ」
 後ろからにじり寄ってくる熊型の魔物。後方の魔物に気付かれないように少し首を動かし後ろを伺うと、大きさは先日の中型のものより大きく手足も太い。そして食べるのに夢中でこちらに気付いていないザントに近寄らせないよう、二人は振り返り一気に間合いを詰める。
「はあああっ」
 ナスティは飛び上がり魔物の背中に飛び乗る。そして武器を突き刺した。しかし、急所ではなかったようでナスティは立ち上がった魔物の勢いで振り飛ばされる。クルっと空中で回転して無事着地する。
「魔物は急所を突くか深手を負えば倒せます!」
 後方にナスティ、前方にヴィッツと挟み撃ちの状態。しかし今回の魔物は大型でナスティの突き刺し型の武器ではなかなかダメージが通らないようだ。
「仕方ねぇ! 俺がやってみる!」
 昨日素振りと武器の使い方動きを教えてもらった。完全に叩き込んだわけではないが戦うしかない。ヴィッツはその場で立ち尽くしている魔物に対して切り込む。まずは両腕。動きで立ち上がった状態の魔物の腕に素早い剣の重さを利用して切りつける。少しダメージが通ったようで魔物は少しよろめいた。すると
「遅れてごめんなさい! 魔法かけるよ! スピードアップ!」
 と、ようやくこちらの戦闘に気付いたザントが慌てて二人に補助魔法をかけた。そして追撃で攻撃魔法も使う。魔物の背後にいるナスティも必死に攻撃するが
「こいつ凄く硬い! 私の攻撃では突き刺しても皮に穴をあける程度。急所の紋の場所さえわかれば……。でも見当たらない」
 急所の部分には何かしらの印があるようで光っているらしい。先日のナスティが突き刺して倒していたのも、その『急所』を突いたからだったようだ。
「ザント! 無理しない程度に魔法で追撃頼む! 俺が出来る限り何とかするっ!」
 そう言ってヴィッツは剣を握り直し、魔物の頭に振り下ろす。ザントが後方からウインドカッターを撃ち込む。こうして急所は突けないものの、なんとか魔物の体力を削っていく。魔物も三人の攻撃に徐々に弱っていった。頭を地面につけて動かなくなる。
「こいつでとどめだ!」
 ヴィッツは魔物の頭に上から剣を突き刺した。急所は突かずとも深手を負えば倒せると聞いていたからだ。
「はぁはぁ、これで……倒せたか?」
 動かない魔物。しかし炎だけの残りカスにはなっていない。そしてうめき声をあげながら魔物は突然立ち上がりヴィッツに右腕で思いっきり振りかかってきた。初めての実戦、そして肝心の武器は魔物の頭に刺さったまま。丸腰のヴィッツに逃げる間もなく魔物の攻撃が襲ってくる。
「くっ」
 息が上がって動くこともできずどうしようもない状態。死を覚悟して目を背けた瞬間、何かが刺さる音と顔に液体が飛び散った。目を開けると目の前にはグレイが背を向けて立っていた。グレイの左腕に突き刺さる魔物の爪、そして流れるのは真っ赤な血。ヴィッツの顔に飛び散ったのはその血だ。左腕で魔物の攻撃を受け止めた状態で
「急所は……ここだ!」
 そう言ってグレイは右手で握った短剣で魔物の右わきを突き刺した。確かにそこには何か魔法の紋のような印があった。みるみるうちにしぼむ魔物。そして小さな炎の塊になったのを見たザントが大急ぎで浄化魔法で消し去った。なんとか危機は去った。しかしそこには深手を負ったグレイが立っている。左腕を抑えながら
「戻る……」
 と言うが
「早く治療しないと、魔物の穢れが全身に回ってしまう! あの温泉なら浄化出来ると思います。急ぎましょう!」
 ナスティがそう言って急いでグレイを連れて行こうとした。しかしそれより先に動いたのはヴィッツだった。グレイを肩に担ぐと急いでカルロの小屋の方向に走る。
「ナスティ! お前の言葉が本当なら俺が、俺が連れて行く!」
 自分を命がけで助けてくれた相手を死なせるわけにはいかない。その一心で疲労も忘れるくらい必死に残りの力を振り絞って走った。
「だ、大丈夫だ」
 グレイはそう言うが
「馬鹿野郎! そんな傷で大丈夫なわけねーだろが! 俺は放っておけねーんだよ! 何もできねー俺だけど、そんな俺を二回も助けてくれたお前になぁ! ちったぁ恩返しがしてーんだよ!」
 と叫びながらヴィッツは全力で走り、そして温泉の洞窟に到着し入っていった。温泉の傍まで来るとグレイを下ろす。壁にもたれさせる形で座らせる。
「とにかく穢れが多くついてる服を脱がすぞ」
 そう言って黒装束を脱がせようとする。
「一人で……大丈夫、だ……」
 と言うも
「片腕やられてんだ。無理に決まってんだろ」
 と強引に留め具を外して服を脱がせた。そこでヴィッツは見てしまったのだ。黒装束の下に着られたタイトな黒いスーツの形。そこには
「え……お前まさか、女?」
 胸のふくらみ具合に動揺が隠せない。そしてヴィッツがグレイだと思っていた人物は
「ごめん、なさい……」
 と女性の声で一言謝った。そう、サウザントの宿でミーンの部屋から出てきたグレイを追いかけて捕まえたときの声。そして
「お前にしては三日も持てば充分だ」
 と背後から声がして慌てて振り向くとそこにはグレイが立っていた。自分の目の前にいるのはグレイだが女性、そして背後に立っているのもグレイ。ヴィッツが混乱していると、ヴィッツを押しのけて
「全くこんな奴を助けるため身を挺するとはお前らしい。とりあえずは穢れの浄化だ。傷の治療はその後だ」
 そう言って手際よくグレイは分身である彼女の覆面を外し服を脱がせている。あまりにも素早く服を脱がせているため、ヴィッツは正体の分からないグレイに扮した女性の体を見ないように慌てて背中を向けた。こうして服を脱がせ終えたグレイは、分身を温泉に浸からせ傷口の浄化具合を見る。光の粒が傷口に集まり、そして溶けるように蒸発していく。しばらくそんな状態が続き、浄化が終わると
「傷の手当だ。入れ」
 分身を湯から上げると抱きしめ、そしてその瞬間分身は重なるようにグレイと融合して姿を消した。ヴィッツは少しだけ様子を見た。グレイだと思っていた女性がグレイ本人に吸い込まれるように融合していくところを。とりあえず彼女がいなくなったのを確認して
「グレイ……お前一体……」
 そう聞こうとしたが
「兄貴! 姉貴の様子……ああ、もう融合した後か。ヴィッツが姉貴担いで洞窟入っていった後、兄貴が入っていったからな」
「また姫の悪い癖が出たようね。子供の頃から変わっていないわ」
 カルロとミーンも駆けつけてきた。唖然としているヴィッツの顔を見て
「いろいろ知っちまったな、兄貴と姉貴のこと。もう隠す必要もないだろう。姉貴が回復するまで説明するよ。とりあえずヴィッツは魔物の穢れが混じった姉貴の血が顔についてるだろう。さっと風呂入って穢れ落としとけ。着替えはすぐ持ってくる、とりあえず持ってきた体洗う布渡しておこう。小屋に畳んであったのでいいか?」
 呆然としつつも頷くとカルロは着替えを取りに行く。皆が出払ったのを確認して身を清め服を洗う。そうこうしている間に服を取ってきたカルロはヴィッツに
「さっきの、怪我した方のことは大丈夫だ。傷口から穢れが入っちまったがこの温泉には穢れを浄化してくれる効果もある。俺も何度か直接傷を負ってこの温泉に入れば傷の奥深くまでキッチリ浄化してくれるのは体験している。後は怪我の方は……まあ兄貴に任せとけば大丈夫だ。詳しくは後で説明する」
 とカルロは話した。色々聞きつつも謎が深まる。ヴィッツは温泉から上がり着替えてカルロと洞窟を出る。外には遅れて帰ってきたナスティとザントが待っていた。温泉が空いたことを二人に伝え、ヴィッツは服を干しに行き、カルロは小屋に戻る。とにかく真相が知りたい。グレイが二人いて片方は女性なのは確定していて、もう一人は恐らく男。カルロが兄貴と姉貴と呼んでいたからだ。そしてミーンは女性であるグレイのことを姫と呼んでいた。謎が多すぎて頭が混乱している。服を干し終え小屋に帰ってくると、スティアはソファに座り、その横にミーンとカルロが並んで立つ。グレイはそんな一行から少し離れた部屋の角の木箱の横で腕を組んで壁にもたれかかる。覆面は外し素顔があらわになる。左目が覆面で隠れていたのは左目に傷があるからだったようだ。綺麗な金髪と水のように透き通った青い目だった。しばらくして穢れを落としたナスティとザントも小屋に帰ってきた。ナスティとザントはスティアの座っているソファに並んで座る。
「さぁて、特にヴィッツが一番混乱しているようだが、どこから説明するかな」
 そう言ってカルロがここにいる全員に話を振る。
「グレイと姫との関係は私がするわ。私の説明で足りない部分があればカルロが説明して頂戴」

 ミーンがそう言うと
「りょーかい」
 とカルロは小屋の端に置いてある木箱に座った。グレイの隣だ。ヴィッツはとりあえずテーブルの椅子をスティアとミーンがいる間から離れたあたりに持ってきて座る。全員が輪になるような配置となった。そしてミーンの長い話が始まった。
「今から話すことはグレイ本人も知らない部分があるわ」
 その言葉にグレイは少しだけ眉が動いて反応する。
「千年前、ある日を境に時空の歪みが度々発生する事件が起きた。調査のためその場所を進入禁止区として封鎖し、調査団で歪みの性質を調べていた。一時調査を中断したその数日後、事故が発生した。その事故で魚人族の第一王女の魂がその歪みに吸い込まれ、肉体だけが取り残された。その魂はこの時代に移動し、生まれたばかりのグレイと融合し永い眠りについた。それが、今から二十七年前のこと。それからしばらくしてグレイは孤児院に拾われ育てられた。その村では金髪は忌み子とされていて、周りの大人にあまりいい顔をされず、また大人たちの行動を見ていた子供たちにもひどい仕打ちを受けた。それに耐えきれず八歳の時に孤児院を抜け出した。それから二年後、合成魔術の失敗で村は丸ごと吹き飛んでしまった。グレイは爆発から一番離れたところに居た唯一の生き残りだった。そのとき、爆発音を聞きつけて現れたのが旅行中だったサウザント国王の部隊。国王は右手と両足を失ったグレイを回復魔法で止血して、緊急用の転送魔法で国王とグレイを含む一部部隊と城へ戻り、実験段階の魔法で体の一部を再生させる治療を施した。それは、欠損部位の完全な再生を目的とした実験であったが未完成だったためか、水のように青く透明な魔法で具現化された腕と足として再生された」
 そう言われてヴィッツは女性であるグレイを体内に取り込む時に外された手袋から辛うじて見えた右腕を思い出す。それは透明な青色で、何か光のようなものが中で漂っている不思議な腕だった。
「私は姫を元の時代に連れて帰る任務を受けて千年前からやってきた。元々は過去を見る力なんて無かったけれど、時空の歪みに飛び込んだ際に手に入れた力なの。どういう理由か、原因かまでは分からない。でも、姫の行く先の手掛かりをつかむためには必要な力だった。過去を見る力を使って姫を宿したグレイがサウザント城にいることまで突き止めたわ。そしてスティアたちの協力でようやく姫に会うことができた。そして今、この世界は光と闇の均衡を保てなくなりかけている。一刻も早く姫とグレイの魂を分離させ、別々の人間としての肉体を得て、光を司る者と闇を司る者にならなければならない。そのためには八つの基礎精霊を宿した八人の人間が必要になる。竜人を探すためにも八人揃ってなければいけない、常に揃っていないとエルフの杖の効果を発揮できない。姫を、そして世界を救う鍵が彼方たちなの。お願い、私にそして世界に力を貸してほしい」
 そう懇願するミーン。カルロは
「なあ、俺たちが選ばれた理由ってなんだ? 基礎精霊もちなんてあちこちいるだろうに。兄貴と姉貴はまあ話聞けば分かるけど、特にヴィッツは農村育ちの一般人だ。何故、そんなヴィッツや戦えるけど関係なさそうな俺にスティアやザント、そしてナスティが選ばれてるかちとわかんねぇな」
 とミーンに聞く。
「精霊たちが言うのよ。この旅で必要なのはこの八人だって。でも理由までは教えてくれなかった。私だってヴィッツに関しては反対したけど、彼でなければならないの一点張り。精霊としては何か意図があるみたいだけど何も話してくれないのよ」
 ミーンはそう説明した。そして
「少し話が脱線してしまったわね。グレイの話に戻るわ。グレイが過去にどれだけひどい仕打ちを受けても、国王に救われたときに忠誠を誓ったのは姫の心もあったから。あなたの中ではずっと夢に出てたでしょう? 何か分からない温かい光が」
 ミーンの言葉にグレイは左手を胸に当てる。
「俺は独りだった。でもいつもどこかで誰かが見守っている、傍にいる、そう感じていた。普通ならあの境遇にいれば人間を信じる事なんでできなかった。だが、国王陛下の優しさに俺の心の奥底にいたあいつが反応した。それから俺は国王陛下にだけは命を捧げてもいい、そういう気持ちが生まれた。それからだ、あいつが俺から出てくるようになったのは」
 グレイがそう言うと
「恐らくそこが分離、分身として離れられるようになったきっかけね」
 とミーンが答えた。そして今まで他人と話すことがなかったグレイが語り始めた。
「俺は親に捨てられ孤児院に拾われてずっと蔑まれたという記憶だけが残っている。呪いのように周りに言われたからだ。そんな俺の中にあいつはいて、ずっと俺のことを見ていたと言っていた。俺の心をずっと温めてくれていた。だがあいつは自身の名前すら憶えてなかった。分離できるようになってからはあいつは俺に色々話しかけてくれた、体から出ても体の中にいても記憶がないなりに話しかけてきた。あいつと国王陛下と接することで少しずつ人とのやり取りを覚えた。そして修行を積んで十五になってからは最初は簡単な任務から、そしていつしか重要な任務に就くようになった。だが、俺はあいつと長時間分離できない枷がある。離れると強制的に繋がった魂同士を千切れそうなほどに引っ張っている状態。だから俺は基本あいつと同行、または城から近距離の同時任務しか出来ない。そしてお前たちが城にやってきた。ミーン、お前の言っていた言葉が正直信用できん。俺の名前は『グレイ』国王陛下が付けてくれた名前だ。そしてお前は俺に言った『グレイ・ハウ・ラインド』それが本名だ、と。それは偶然かそれとも必然か。お前は過去が見られるのならば、俺の過去も……生まれも親も何もかも知っているんだろう。時が来るまで話せないと言っていたが、それは今もまだ聞くことは出来ないのか」
 淡々とした口調でミーンに聞く。それでもミーンは「まだその時ではない」と話してくれなかった。そして
「あなたの場合は絡まった糸をほどくように、少しずつ心と記憶の整理をしていかないといけない。今は話しても混乱をきたすだけよ。まずはあなたから姫を分離して、そしてあなたは闇を司る者としての力を手に入れなければならない」
 と言った。あまり納得した様子はないがグレイはそれ以上言わず目を閉じた。しばらく沈黙が続く。するとグレイがぱっと目を開けた。
「あいつの傷が完治した。もう俺とあいつとの関係が知られた以上、そしてこれから俺とあいつもお前たちについて行かなければならないのなら、会わせておいた方がいいだろう。おい、出てこい。姿は普段のお前のままでいい」
 そう言うとグレイの体が少しぶれ、そして本当に分身が現れるかのようにグレイから目を閉じた左目に傷のある同じ姿が現れた。服の形状で表からは分からないが女性であるのは間違いない、その開いた目はとても優しかった。
「姉貴! もう傷は大丈夫か?」
 そう言ってカルロがテーブルの椅子を持ってきて彼女を座らせた。
「王子、大丈夫です。もう、傷は完治しています。ご迷惑をおかけしました。それにヴィッツ、心配させてしまってごめんなさい。そんなつもりではなかったのですが、結果として混乱させてしまいました。本当に、ごめんなさい」
 謝る彼女に
「ああ、えーとその、お前、あっいや……あー何て呼べばいいのかな。名前、覚えてないんだっけか、グレイがそんなこと言ってたよな……」
 何か伝えたいが名前をまず何と呼べばいいのか悩むヴィッツの話を聞いて
「そういや親父、兄貴にはちゃんと名前与えたのに姉貴の名前は考えなかったな」
 とカルロが疑問に思う。すると
「私があえて名前を付けないようにお願いしたのです。周りの方々にはご迷惑をおかけしてしまいますが、私の意思でした。『グレイとして生きねばならない』私に名前は付けてはいけないと思っていたのです」
 と彼女は名前がない理由を話す。
「ですので、その……呼びやすい呼び方で大丈夫です。グレイには『あいつ』とか『お前』とか『俺の分身』みたいに、国王陛下には『あの子』とか『君』とかそんな風に呼ばれてました。でも、やはりこうやって沢山の人と行動するとなると名前がないのは不便ですよね……」
 好きに呼んでいいいといいつつ、名前がなくてグレイなのか彼女なのか区別がつきにくい状況に困っていると
「あまり姫を困らせないで」
 とミーンが周りをなだめる。すると
「じゃあ俺は『姫さん』って呼ぶか。スティアと被るがスティアのことは名前で呼んでるしな」
「なんだか私より本当にお姫様って感じの雰囲気するし『姫』でいいわね」
 とヴィッツとスティアが呼び方を決める。そんな話をしているとじっとスティアとナスティの間に座っていたザントが無言でソファから降りると姫の元に走っていく。そしてうつむいて
「えっと、今日は水の日で霧で魔物が出やすい日なのに、ボクがあの木の実食べたいって言って、みんなについてきてもらって。それで、姫ちゃん怪我させちゃってごめんなさい」
 とザントが申し訳なさそうに謝る。ザント的には呼び方は『姫ちゃん』のようだ。するとザントの頭を姫は優しく撫でる。
「別に気にしてませんよ。私は私の役目を果たしただけです。貴方のせいではありません」
 すると
「そうだ。むしろ戦えもしないのに、練習の成果と言ってついて行ったお前のせいだ」
 とグレイがヴィッツをにらみつける。ヴィッツはグレイの挑発するような言葉に今までなら逆上するところを素直に
「そ、そこは謝るよ。姫さんに怪我させることになっちまったのは本当申し訳ない、悪かった。あの場合、スティアは別としてミーンかカルロについて行ってもらった方がよかったよ。俺の実力のなさが本当によくわかった。あと何日だっけか、船が戻ってくるまでカルロにみっちり修行に付き合ってもらってなんとか戦えるようになりたい。それで少しでもみんなのお荷物にならないように頑張るから……。本来だったら違う旅になるはずだったが、巻き込まれた上に俺が選ばれちまったから。だから、迷惑かけないように努力するから今はそれで許してくれ」
 そう言って深々と頭を下げて姫とグレイに謝る。グレイは何も言わずに顔を逸らす。一方姫は
「貴方が無事でよかったです。守らなければならない、とっさに動いただけです」
 と微笑んだ。その優しい微笑みにとても安心感を覚える。その物腰の柔らかさ、雰囲気に
「ああ、母さんもこんな感じの人だった……」
 ととても小さくぼそりと呟いた。それが聞こえていたのはグレイと姫だけだった。
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