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第3章 立ち上がれ! 絶望に汚されても
9.協力者たち
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例の新入りがこの部屋に戻ってきたのは、闘技大会から二日後の夜だった。思っていたよりもしっかりとした足取りで戻ってきたことは意外だったが、丈の短い服から垣間見える右脚の刀傷と、赤く腫れ上がった目や頬が痛々しくて、とても見ていられなかった。ティルスがゆっくりと寝床に着座するのを見届けると、アルクは視線を落とし、己の手元を凝視した。
(…………ッ)
ロシャナクに聴いたところによれば、闘技大会当日に突然、ティルスの対戦相手がテンプルという青年にすり替わってしまったらしい。よりにもよって、どうしてティルスが懇意にしていた剣奴に! そう思うと、今でも腸が煮えくり返りそうだ。
(こんな時、なんて言ってやればいい……)
友人を目の前で殺されたのだ。そして、ティルスは人一倍、感受性が強い。だから、きっと今は、怒りと悲しみの感情をぶちまけてしまいたい、そういった具合だろう。
(だが……)
慰めてやりたいが、その類が得意じゃないことは自分が一番分かっている。むしろ「だから言っただろ、ここは“馴れ合うような”場所じゃねーって」などと思わず口をついてしまいそうだった。
(……アイツの相手は、ロシャナクに任せよう)
心の内を上手く聴けるのは、ロシャナクの方だ。自分は静かに見守ろう。
──そう思っていたから、開口一番ティルスに告げられた言葉に、アルクは頭が真っ白になった。
『ここから逃げよう』だ、と……?
◆◆◆◆◆◆
「……だから、逃げるんだ! 頼む!」
一通りの話を聴き終え、アルクは頭を抱えた。気持ちは痛いほど伝わってきた。と同時に、完全に気持ちだけが先走ってしまっている状態であることも。あまりにも要領を得ない提案に頭がくらくらする。ティルスの左隣に腰を下ろすロシャナクに目を向けると、彼も自分と同様に困惑しているのか、顎に手を当てて「うーん」と返答に窮している様子だった。
「ロシャナク、アルク、協力してくれないか!?」
ティルスが不安そうな表情を浮かべながら、目の前で勢いよく頭を下げる。
「……………………おい」
「えッ、あ、はい!」
思ったより低い声で話しかけてしまったせいだろうか。ティルスは肩をビクつかせてゆっくりと顔を上げた。まずい、もうちょっと優しく声をかけるべきか。
「……それ、誰かに言われたのか?」
「えっ?」
質問の意味が分からず、きょとんとするティルスにアルクは問いを重ねた。
「 “一緒に逃げよう”って他の剣奴に吹き込まれたのか? って訊いてんの」
「ううん! 違う! オレが」
一人で考えたんだ、そんなんじゃない! と、ティルスは左右に大きく首を振った。
(……なるほど)
他の誰かに利用されている、というわけではなさそうだ。アルクは「そうか」と手短に返答すると、次の疑念をティルスにぶつけた。
「……他のヤツには、相談したのか?」
「し、してない……と」
少しだけ口ごもったティルスに違和感を覚え、アルクは尖った視線を向けた。
「──テンプルが生きていたうちも、アレリアにもか!?」
「あっ」
ティルスは眉根を寄せながら、小さな声で続けた。
「昨日の夜、相談っていうか。アレリアには言っちゃった。『詳しくは言えないけど、今考えていることがある、上手く行ったらお前も……、だから、生きることをあきらめないでくれないか?』って」
「…………そうか」
(アレリアは何言ってんだコイツ? って思っただろうな……)
アルクはふぅ、と小さく息を吐いた。状況を整理すると、テンプルを亡くした夜に逃亡について考え、その翌日、壁越しにアレリアと会話し意味深な言葉を投げたにとどまっている、ということか。それなら、他の剣奴達やラケルドにこの話が漏れているという可能性は低いように思えた。ティルスが馬鹿デカい声でしゃべっていなければ、の話だが。
「…………なんか、当てがあんのか?」
「え?」
「外から手助けしてくれる仲間とか、逃亡した後のこととか」
当てがあるから、俺達に提案してるのか? と尋ねると、ティルスは悄然とうなだれ、今にも消えてしまいそうな声で呟いた。
「ごめん、何もない。……だから二人に相談してる」
「…………そう、か」
極力落胆をにじませないよう口にしたつもりだったが、上手く装うことができていただろうか。アルクは肩を落とした。
(ただ本当に、協力が欲しくて話してるだけなんだな、コイツ……)
“なんで俺達に話した?”──という、喉元まで出かけた言葉は、愚問だと判断して飲み込んだ。ティルスに打算や明確な意図はおそらく、ない。「賛同されなかったらどうしよう」という憂いさえも持ち合わせていないように思われた。彼はただ素直に、まっすぐに、自分達に気持ちを打ち明けてくれているだけなのだ。
(……ッ、どうする)
アルクは膝の上で結ぶ右手を、固く握りしめた。
この場所に連行されてから約一年半。
ため息と共に心に沈めてきた、憤りと本当の願いを! 今、ここで、打ち明けるべきか。
(……いや、無謀だろ、どう考えても!)
かぶりを振り、アルクは薄汚い床へと視線を落とした。
逃亡するなんて、無理だ。できるなら、とっくに実行している。大体にして、ロシャナクがこんな意味不明な誘いに乗るわけが──。
「分かった。その話、僕もちょっと考えてみようかな」
「…………は?」
思わず声が漏れる。
聞き間違いだろうか。今、なんと言ったか。
驚いて顔を上げると、同じように目を丸くしたティルスと視線が合う。ティルスは自分から協力を仰いでいたにも関わらず、賛同されるとは思っていなかったのか「え? 反対しないのか?」と口をぱくぱくさせていた。挙動不審のティルスとは対照的に、妙に落ち着き払った様子のロシャナクが、穏やかなため息をつく。
「そのうち、ティルスに相談されるんだろうなぁって思ってたんだ」
「え、ええ!?」
でも思ったより、早いタイミングで相談されちゃったなぁ、と独り言のように呟くロシャナクの姿は、半ば呆れを含みつつも、どこか柔和な雰囲気さえ感じられた。どういうことかアルクが尋ねると、「ティルスの性格を考えると、数ヶ月後ぐらいには“ここから逃げる方法はないのか?”“もう耐えられない!”と言われるだろうなと予想していた」とのことだった。そして当初は、そんなリスクのある行動を持ちかけられても、断るつもりでいた、と。
「え!? じゃあ、なんでっ?」
「なんでかな。そうだね……」
ロシャナクはうつむいてしばらく思案した後、静かに顔を上げ、ティルスの後方──ティルスがどこからか持ち込んできた、枕元にある木彫りの人形に視線を向けた。
「──今回の件で、僕にも心境の変化があった、ってところかな」
「え?」
「耐え忍んで帝国人になれるなら、と思っていたけれど……」
木彫りの人形を見つめながら、ロシャナクは切々とした想いを語りだした。
今回の件で、結局のところ生殺与奪を握っているのはすべてラケルドや皇帝達──帝国側の人間だと痛感した。この環境に居る限り、僕達はいつでも彼らの気まぐれやさじ加減で、命を握りつぶされてしまう。いつ、どんな風に死んでしまうか分からない状況に怯えながら一縷の望みをかけて耐え忍ぶより、逃亡を実行した方が『生きて彼女の元へ帰る』確率が上がるなら、それを考えてみたくなったんだ──、と。
「……ただ、少し。時間をくれないか」
実行するからには必ず成功させなきゃいけないし、逃亡した後のことも考えなくちゃね、とロシャナクは諭すようにティルスと向かい合った。
「時間!? ど、どのぐらいだ?」
「情報収集や探りを入れるのに、数ヶ月は──」
「数ヶ月!? ダメだ、そんなに待ってられない!」
ティルスがロシャナクにグイっと詰め寄り、必死に訴えかける。
「あと二か月で十月になってしまう! そしたら雪も降って食料が……」
「ティ、ティルス落ち着いて。レグノヴァ帝国じゃそんなに早く冬には……」
「でもでも、いつ次の試合があるかも分かんねぇし!」
「気持ちは分かったから、ね」
「…………………………………………」
「アルク?」
自分でも、らしくない表情をしていたと思う。
アルクは唇をかみしめ、涙をこらえながら二人のやりとりをじっと見つめていた。いつもと違う形相を浮かべていることに気づいたロシャナクが、己の名を呼ぶ。
その呼びかけに吸い込まれるように。
ティルスの想いに呼応するように。
心にずっと堰き止めていた言葉が、零れた。
「……心当たりがある。方法も。協力者も」
◆◆◆◆◆◆
二人には反対されると思っていた。特に、ロシャナクには強く。アルクには気持ちは分かってもらえても、大仰に呆れられると。
だから今日は「そんなことは無理だ」「冷静になれ」と言われる覚悟で、ただ正直な気持ちを打ち明けた。その後何度か説得をして、少しずつ二人の気持ちが変わってくれれば……そんな心持ちでいたのに。どういう訳か、あっという間に話がまとまろうとしている。アルクに至っては「心当たりがある」とまで!
「ありがとう……」
感極まって、ティルスは涙を流した。「おいおい、まだ何も始まってねーぞ」とアルクにたしなめられる。アルクにも心境の変化があったのだろうか。それとも人知れず、彼の心にも燻り続けていた何かがあったのだろうか。いつもは厳しい剣幕の、刀傷が刻まれた左瞳も、今日はキラリと潤んでいるようにみえた。
ティルスは腕で涙をぬぐうと、ハッキリとした口調で二人に告げた。
「オレは、ここに居る剣奴全員を解放したいと思っている! 剣奴だけでなく、料理を作ってくれている女の子達もだ! なんとか、全員で脱出できる方法を、考えよう!!」
「え……………………?」
「は? おい、お前…………?」
「どうした二人とも、そんな怖い顔して……」
一瞬にして、場の空気が固まったことをティルスはまざまざと感じ取った。
ここは一致団結して「頑張ろう!」と、気持ちを高め合う場面ではないのか。
(え!? オレなんかダメなこと言った!?)
しばし、なんとも言えない空気が房の中をただよった。
「俺達だけで逃げようって話じゃねーのかよ……」
アルクが額を押さえながら、長く深い、ため息をつく。
「……ふふ、びっくりしたけど、まぁティルスらしいね」
ロシャナクが目を細めて、小さく笑った。
「えっ!? あれ、オレ言ってなかった!?」
初めから「ここに囚われている奴隷みんなで逃げよう」という持ちかけをしているつもりだったが、二人の反応を見るに、どうやら伝わっていなかったようだ。どうしよう、やっぱり断られてしまうだろうか。高揚した気持ちが一転し、心がざわつきはじめる。ティルスは大きくうなだれた。
「……乗りかかった舟だし、やろうアルク」
驚いて顔を上げると、ロシャナクが柔らかな笑みを浮かべながら、アルクへと視線を向けている。
「………………はぁ、仕方ねェな」
アルクは腕を組んだまま、ただ一言ぶっきらぼうにそう答えたが、不思議とこれまでに纏っていたとげとげしさは感じられない、優しい声音だった。
「!! ありがとう……ありがとう……」
再び感極まって、ティルスは何度も感謝の言葉を述べた。「分かったから、声がデケェ!」「ティルス落ち着いて」と二人から言い聞かせられ、ティルスは深呼吸し気持ちを整えた。
(そうだ。まだ何も始まってない、これからだ!)
「えと、それで、オレは何を……調べたり、考えたらいい?」
自分が発案者なのだから、積極的に動かなければ。そんな思いで口にした言葉に対し、返ってきたのは意外な返答だった。ロシャナクが真剣な眼差しで「そのことなんだけどさ」と口を開く。
「いったん、僕とアルクに預からせてくれないか?」
「え!? え!?」
「養成所は、僕達の方が長い。それに、さっきのアルクの口ぶりだと、アルクは何か“材料”を持っている、ということだよね?」
「……まぁな」
「分かっている者同士で作戦を考えた方が、きっと早いと思うんだ。話がまとまって、協力して欲しいことができたら、ティルスにもお願いするから」
ロシャナクの提案に賛同するかのように、アルクも深く頷いた。
「二人に頼り切ってしまって、いいのか?」
申し訳ない気持ちで尋ねると、アルクが静かに口を開く。
「足の怪我もあるだろ。お前はしばらく寝とけ」
「あ……」
「しいて言うなら、お前の役目はしばらく“何もしないこと”だ。いいか、気になるからって、アレリアにも、他の剣奴にも、絶対しゃべんなよ!」
そこまで強く言われては、ティルスも「はい」と首を縦に振ることしかできなかった。
「ふふ……」
「おい、ロシャナク、何笑ってやがる」
「いや、珍しくアルクが饒舌だなぁって」
「──!!」
耳まで赤くなったアルクを、ロシャナクがどこか嬉しそうに眺めている。
(そうだったな……)
この二人は自分よりも長くこの場所に囚われているのだ。ロシャナクとアルクは何年、この檻で過ごしてきたのだろう。次から次へと自身に降りかかる出来事に対応するのに必死で、そういえば二人とそこまで踏み込んだ会話をしていなかったな、と思い返す。同時に、軽口をたたけるほどの関係である彼らに任せた方が、話が早そうだと確信する。
「分かった。二人には申し訳ないけど、頼んでいいか? 実はまだ、上手く頭、回らなくてさ……」
怪我のせいだろうか。それとも、友人を亡くしたばかりだからだろうか。
時々ドクドクと波打つ右脚の傷に視線を落とすと、また涙が浮かんできた。こらえきれずあふれた雫が、ぽたぽた、と己の太ももを濡らす。
「ここに来てから、色々ありすぎて……正直、疲れてるんだ……」
「うん、だから任せて欲しい」
何も全部、君が一人でやる必要なんてないんだ、ロシャナクはそう呟くと、大きな手でティルスの背中をさすった。ロシャナクもアルクも、集団戦という死地を乗り越えてきたばかりなのに。それでも、自分の悲しみに寄り添おうとしてくれている。その優しさを思うと、胸がいっぱいになった。
(ありがとう、本当に……)
二人に、今日はもう休むよう促され、ティルスは泣きながら寝床へと横たわった。
◆◆◆◆◆◆
(頼って、いいんだな……)
これまで生きてきた中で、何かと一人でやらなければいけない場面が多かったため、今回も自然と自分が主導しなければ、と勝手に気負っていた。でも、ロシャナクとアルクは「任せて」と言ってくれた。
ティルスの心に、温かい気持ちが広がった。
仲間がいる。殺し合うために互いを避けるのではなく、逃亡という目的に向かって、一緒に前を向ける仲間が。そのことが、心強くて、嬉しくて。
(テンプル、ロシャナクがさ)
枕元に置いた木彫りの人形をそっと撫でながら、ティルスは心の中で語りかけた。ロシャナクが、少なくともお前のことを思って、心境の変化が生まれたと言ってくれた。
(お前が生きているうちに、思いつけなくてごめん)
テンプルの死を無駄にしない、と言ってしまうのはなんとなく綺麗事のような気がして、ティルスは胸がチクリと痛んだ。まだこの痛みを手放したくない。手放してもいけないと思う。でも。でも。
(前に進まなきゃ、いけない)
生きている者が。生き残った者が。
(生きている限り、状況は変えられる)
険しい道になるだろう。幾重にも困難が立ちはだかるだろう。
でも、不思議と。闘技大会の前に抱いたような絶望感や虚無感は、なくなっていた。
仲間を殺すことにもう心を砕かなくてもいいという安堵感が、勇気に変わる。
自分が本当に望むこと。求めていることをやっていくのだ。
(隊長、オレがんばるよ)
塞ぐような気持ちではなく、形見のペンダントを握りしめるのはいつの日以来だろう。
隊長の笑みを思い返す日も。
(隊長、ありがとう)
胸に再び宿った灯りを抱きながら、ティルスはそっと目を閉じた。
(…………ッ)
ロシャナクに聴いたところによれば、闘技大会当日に突然、ティルスの対戦相手がテンプルという青年にすり替わってしまったらしい。よりにもよって、どうしてティルスが懇意にしていた剣奴に! そう思うと、今でも腸が煮えくり返りそうだ。
(こんな時、なんて言ってやればいい……)
友人を目の前で殺されたのだ。そして、ティルスは人一倍、感受性が強い。だから、きっと今は、怒りと悲しみの感情をぶちまけてしまいたい、そういった具合だろう。
(だが……)
慰めてやりたいが、その類が得意じゃないことは自分が一番分かっている。むしろ「だから言っただろ、ここは“馴れ合うような”場所じゃねーって」などと思わず口をついてしまいそうだった。
(……アイツの相手は、ロシャナクに任せよう)
心の内を上手く聴けるのは、ロシャナクの方だ。自分は静かに見守ろう。
──そう思っていたから、開口一番ティルスに告げられた言葉に、アルクは頭が真っ白になった。
『ここから逃げよう』だ、と……?
◆◆◆◆◆◆
「……だから、逃げるんだ! 頼む!」
一通りの話を聴き終え、アルクは頭を抱えた。気持ちは痛いほど伝わってきた。と同時に、完全に気持ちだけが先走ってしまっている状態であることも。あまりにも要領を得ない提案に頭がくらくらする。ティルスの左隣に腰を下ろすロシャナクに目を向けると、彼も自分と同様に困惑しているのか、顎に手を当てて「うーん」と返答に窮している様子だった。
「ロシャナク、アルク、協力してくれないか!?」
ティルスが不安そうな表情を浮かべながら、目の前で勢いよく頭を下げる。
「……………………おい」
「えッ、あ、はい!」
思ったより低い声で話しかけてしまったせいだろうか。ティルスは肩をビクつかせてゆっくりと顔を上げた。まずい、もうちょっと優しく声をかけるべきか。
「……それ、誰かに言われたのか?」
「えっ?」
質問の意味が分からず、きょとんとするティルスにアルクは問いを重ねた。
「 “一緒に逃げよう”って他の剣奴に吹き込まれたのか? って訊いてんの」
「ううん! 違う! オレが」
一人で考えたんだ、そんなんじゃない! と、ティルスは左右に大きく首を振った。
(……なるほど)
他の誰かに利用されている、というわけではなさそうだ。アルクは「そうか」と手短に返答すると、次の疑念をティルスにぶつけた。
「……他のヤツには、相談したのか?」
「し、してない……と」
少しだけ口ごもったティルスに違和感を覚え、アルクは尖った視線を向けた。
「──テンプルが生きていたうちも、アレリアにもか!?」
「あっ」
ティルスは眉根を寄せながら、小さな声で続けた。
「昨日の夜、相談っていうか。アレリアには言っちゃった。『詳しくは言えないけど、今考えていることがある、上手く行ったらお前も……、だから、生きることをあきらめないでくれないか?』って」
「…………そうか」
(アレリアは何言ってんだコイツ? って思っただろうな……)
アルクはふぅ、と小さく息を吐いた。状況を整理すると、テンプルを亡くした夜に逃亡について考え、その翌日、壁越しにアレリアと会話し意味深な言葉を投げたにとどまっている、ということか。それなら、他の剣奴達やラケルドにこの話が漏れているという可能性は低いように思えた。ティルスが馬鹿デカい声でしゃべっていなければ、の話だが。
「…………なんか、当てがあんのか?」
「え?」
「外から手助けしてくれる仲間とか、逃亡した後のこととか」
当てがあるから、俺達に提案してるのか? と尋ねると、ティルスは悄然とうなだれ、今にも消えてしまいそうな声で呟いた。
「ごめん、何もない。……だから二人に相談してる」
「…………そう、か」
極力落胆をにじませないよう口にしたつもりだったが、上手く装うことができていただろうか。アルクは肩を落とした。
(ただ本当に、協力が欲しくて話してるだけなんだな、コイツ……)
“なんで俺達に話した?”──という、喉元まで出かけた言葉は、愚問だと判断して飲み込んだ。ティルスに打算や明確な意図はおそらく、ない。「賛同されなかったらどうしよう」という憂いさえも持ち合わせていないように思われた。彼はただ素直に、まっすぐに、自分達に気持ちを打ち明けてくれているだけなのだ。
(……ッ、どうする)
アルクは膝の上で結ぶ右手を、固く握りしめた。
この場所に連行されてから約一年半。
ため息と共に心に沈めてきた、憤りと本当の願いを! 今、ここで、打ち明けるべきか。
(……いや、無謀だろ、どう考えても!)
かぶりを振り、アルクは薄汚い床へと視線を落とした。
逃亡するなんて、無理だ。できるなら、とっくに実行している。大体にして、ロシャナクがこんな意味不明な誘いに乗るわけが──。
「分かった。その話、僕もちょっと考えてみようかな」
「…………は?」
思わず声が漏れる。
聞き間違いだろうか。今、なんと言ったか。
驚いて顔を上げると、同じように目を丸くしたティルスと視線が合う。ティルスは自分から協力を仰いでいたにも関わらず、賛同されるとは思っていなかったのか「え? 反対しないのか?」と口をぱくぱくさせていた。挙動不審のティルスとは対照的に、妙に落ち着き払った様子のロシャナクが、穏やかなため息をつく。
「そのうち、ティルスに相談されるんだろうなぁって思ってたんだ」
「え、ええ!?」
でも思ったより、早いタイミングで相談されちゃったなぁ、と独り言のように呟くロシャナクの姿は、半ば呆れを含みつつも、どこか柔和な雰囲気さえ感じられた。どういうことかアルクが尋ねると、「ティルスの性格を考えると、数ヶ月後ぐらいには“ここから逃げる方法はないのか?”“もう耐えられない!”と言われるだろうなと予想していた」とのことだった。そして当初は、そんなリスクのある行動を持ちかけられても、断るつもりでいた、と。
「え!? じゃあ、なんでっ?」
「なんでかな。そうだね……」
ロシャナクはうつむいてしばらく思案した後、静かに顔を上げ、ティルスの後方──ティルスがどこからか持ち込んできた、枕元にある木彫りの人形に視線を向けた。
「──今回の件で、僕にも心境の変化があった、ってところかな」
「え?」
「耐え忍んで帝国人になれるなら、と思っていたけれど……」
木彫りの人形を見つめながら、ロシャナクは切々とした想いを語りだした。
今回の件で、結局のところ生殺与奪を握っているのはすべてラケルドや皇帝達──帝国側の人間だと痛感した。この環境に居る限り、僕達はいつでも彼らの気まぐれやさじ加減で、命を握りつぶされてしまう。いつ、どんな風に死んでしまうか分からない状況に怯えながら一縷の望みをかけて耐え忍ぶより、逃亡を実行した方が『生きて彼女の元へ帰る』確率が上がるなら、それを考えてみたくなったんだ──、と。
「……ただ、少し。時間をくれないか」
実行するからには必ず成功させなきゃいけないし、逃亡した後のことも考えなくちゃね、とロシャナクは諭すようにティルスと向かい合った。
「時間!? ど、どのぐらいだ?」
「情報収集や探りを入れるのに、数ヶ月は──」
「数ヶ月!? ダメだ、そんなに待ってられない!」
ティルスがロシャナクにグイっと詰め寄り、必死に訴えかける。
「あと二か月で十月になってしまう! そしたら雪も降って食料が……」
「ティ、ティルス落ち着いて。レグノヴァ帝国じゃそんなに早く冬には……」
「でもでも、いつ次の試合があるかも分かんねぇし!」
「気持ちは分かったから、ね」
「…………………………………………」
「アルク?」
自分でも、らしくない表情をしていたと思う。
アルクは唇をかみしめ、涙をこらえながら二人のやりとりをじっと見つめていた。いつもと違う形相を浮かべていることに気づいたロシャナクが、己の名を呼ぶ。
その呼びかけに吸い込まれるように。
ティルスの想いに呼応するように。
心にずっと堰き止めていた言葉が、零れた。
「……心当たりがある。方法も。協力者も」
◆◆◆◆◆◆
二人には反対されると思っていた。特に、ロシャナクには強く。アルクには気持ちは分かってもらえても、大仰に呆れられると。
だから今日は「そんなことは無理だ」「冷静になれ」と言われる覚悟で、ただ正直な気持ちを打ち明けた。その後何度か説得をして、少しずつ二人の気持ちが変わってくれれば……そんな心持ちでいたのに。どういう訳か、あっという間に話がまとまろうとしている。アルクに至っては「心当たりがある」とまで!
「ありがとう……」
感極まって、ティルスは涙を流した。「おいおい、まだ何も始まってねーぞ」とアルクにたしなめられる。アルクにも心境の変化があったのだろうか。それとも人知れず、彼の心にも燻り続けていた何かがあったのだろうか。いつもは厳しい剣幕の、刀傷が刻まれた左瞳も、今日はキラリと潤んでいるようにみえた。
ティルスは腕で涙をぬぐうと、ハッキリとした口調で二人に告げた。
「オレは、ここに居る剣奴全員を解放したいと思っている! 剣奴だけでなく、料理を作ってくれている女の子達もだ! なんとか、全員で脱出できる方法を、考えよう!!」
「え……………………?」
「は? おい、お前…………?」
「どうした二人とも、そんな怖い顔して……」
一瞬にして、場の空気が固まったことをティルスはまざまざと感じ取った。
ここは一致団結して「頑張ろう!」と、気持ちを高め合う場面ではないのか。
(え!? オレなんかダメなこと言った!?)
しばし、なんとも言えない空気が房の中をただよった。
「俺達だけで逃げようって話じゃねーのかよ……」
アルクが額を押さえながら、長く深い、ため息をつく。
「……ふふ、びっくりしたけど、まぁティルスらしいね」
ロシャナクが目を細めて、小さく笑った。
「えっ!? あれ、オレ言ってなかった!?」
初めから「ここに囚われている奴隷みんなで逃げよう」という持ちかけをしているつもりだったが、二人の反応を見るに、どうやら伝わっていなかったようだ。どうしよう、やっぱり断られてしまうだろうか。高揚した気持ちが一転し、心がざわつきはじめる。ティルスは大きくうなだれた。
「……乗りかかった舟だし、やろうアルク」
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「………………はぁ、仕方ねェな」
アルクは腕を組んだまま、ただ一言ぶっきらぼうにそう答えたが、不思議とこれまでに纏っていたとげとげしさは感じられない、優しい声音だった。
「!! ありがとう……ありがとう……」
再び感極まって、ティルスは何度も感謝の言葉を述べた。「分かったから、声がデケェ!」「ティルス落ち着いて」と二人から言い聞かせられ、ティルスは深呼吸し気持ちを整えた。
(そうだ。まだ何も始まってない、これからだ!)
「えと、それで、オレは何を……調べたり、考えたらいい?」
自分が発案者なのだから、積極的に動かなければ。そんな思いで口にした言葉に対し、返ってきたのは意外な返答だった。ロシャナクが真剣な眼差しで「そのことなんだけどさ」と口を開く。
「いったん、僕とアルクに預からせてくれないか?」
「え!? え!?」
「養成所は、僕達の方が長い。それに、さっきのアルクの口ぶりだと、アルクは何か“材料”を持っている、ということだよね?」
「……まぁな」
「分かっている者同士で作戦を考えた方が、きっと早いと思うんだ。話がまとまって、協力して欲しいことができたら、ティルスにもお願いするから」
ロシャナクの提案に賛同するかのように、アルクも深く頷いた。
「二人に頼り切ってしまって、いいのか?」
申し訳ない気持ちで尋ねると、アルクが静かに口を開く。
「足の怪我もあるだろ。お前はしばらく寝とけ」
「あ……」
「しいて言うなら、お前の役目はしばらく“何もしないこと”だ。いいか、気になるからって、アレリアにも、他の剣奴にも、絶対しゃべんなよ!」
そこまで強く言われては、ティルスも「はい」と首を縦に振ることしかできなかった。
「ふふ……」
「おい、ロシャナク、何笑ってやがる」
「いや、珍しくアルクが饒舌だなぁって」
「──!!」
耳まで赤くなったアルクを、ロシャナクがどこか嬉しそうに眺めている。
(そうだったな……)
この二人は自分よりも長くこの場所に囚われているのだ。ロシャナクとアルクは何年、この檻で過ごしてきたのだろう。次から次へと自身に降りかかる出来事に対応するのに必死で、そういえば二人とそこまで踏み込んだ会話をしていなかったな、と思い返す。同時に、軽口をたたけるほどの関係である彼らに任せた方が、話が早そうだと確信する。
「分かった。二人には申し訳ないけど、頼んでいいか? 実はまだ、上手く頭、回らなくてさ……」
怪我のせいだろうか。それとも、友人を亡くしたばかりだからだろうか。
時々ドクドクと波打つ右脚の傷に視線を落とすと、また涙が浮かんできた。こらえきれずあふれた雫が、ぽたぽた、と己の太ももを濡らす。
「ここに来てから、色々ありすぎて……正直、疲れてるんだ……」
「うん、だから任せて欲しい」
何も全部、君が一人でやる必要なんてないんだ、ロシャナクはそう呟くと、大きな手でティルスの背中をさすった。ロシャナクもアルクも、集団戦という死地を乗り越えてきたばかりなのに。それでも、自分の悲しみに寄り添おうとしてくれている。その優しさを思うと、胸がいっぱいになった。
(ありがとう、本当に……)
二人に、今日はもう休むよう促され、ティルスは泣きながら寝床へと横たわった。
◆◆◆◆◆◆
(頼って、いいんだな……)
これまで生きてきた中で、何かと一人でやらなければいけない場面が多かったため、今回も自然と自分が主導しなければ、と勝手に気負っていた。でも、ロシャナクとアルクは「任せて」と言ってくれた。
ティルスの心に、温かい気持ちが広がった。
仲間がいる。殺し合うために互いを避けるのではなく、逃亡という目的に向かって、一緒に前を向ける仲間が。そのことが、心強くて、嬉しくて。
(テンプル、ロシャナクがさ)
枕元に置いた木彫りの人形をそっと撫でながら、ティルスは心の中で語りかけた。ロシャナクが、少なくともお前のことを思って、心境の変化が生まれたと言ってくれた。
(お前が生きているうちに、思いつけなくてごめん)
テンプルの死を無駄にしない、と言ってしまうのはなんとなく綺麗事のような気がして、ティルスは胸がチクリと痛んだ。まだこの痛みを手放したくない。手放してもいけないと思う。でも。でも。
(前に進まなきゃ、いけない)
生きている者が。生き残った者が。
(生きている限り、状況は変えられる)
険しい道になるだろう。幾重にも困難が立ちはだかるだろう。
でも、不思議と。闘技大会の前に抱いたような絶望感や虚無感は、なくなっていた。
仲間を殺すことにもう心を砕かなくてもいいという安堵感が、勇気に変わる。
自分が本当に望むこと。求めていることをやっていくのだ。
(隊長、オレがんばるよ)
塞ぐような気持ちではなく、形見のペンダントを握りしめるのはいつの日以来だろう。
隊長の笑みを思い返す日も。
(隊長、ありがとう)
胸に再び宿った灯りを抱きながら、ティルスはそっと目を閉じた。
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