レコンキスタ

琥斗

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 第3章 立ち上がれ! 絶望に汚されても

 10.切り戻し◆

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◆◆◆◆◆◆

「今日の夜、作戦を説明する」

 そうロシャナクに耳打ちされたのは、ティルスが逃亡の相談をしてから四日後のこと、──八月六日の午後、訓練の休憩中だった。

 思いがけないタイミングでの打ち明けに、ティルスは思わず息を呑んだ。が、感慨にひたる間もなく、すぐさまアルクに汗ばんだ手を引かれる。

「?」
「……いいからついて来い」

 「ラケルドがいない今のうちに」と小声でロシャナクに促され、三人は井戸水を飲みに行くというていを装い、じりじりと日差しが降りそそぐ訓練場を後にした。ロシャナクとアルクに連れられた先は、剣闘士養成所の敷地の外れ、建物の裏手だった。

「説明にあたって、先にを見てもらった方が分かりやすいと思って」
 ロシャナクに指で示された先に、目を凝らす。

「!! これ……」

 ティルスは驚愕した。養成所をぐるりと取り囲む鉄柵。なんとその一部が、老朽化しているではないか。アルクに地面も見るよう言われ、指し示された箇所に視線を落とすと、ティルスはさらに目を丸くした。動物が穴を掘ったのか、はたまた人為的な何かが施されたのだろうか。本来ならば地中深く鉄柵が突き刺さっているはずの部分が、一部、不自然に露わとなっている。まるでえぐり取られたように、この箇所だけ極端に土が少ない。

 鉄柵が不安定な状態であることは、一目瞭然だった。

(もしかしたら、これ……!)

 ──十人以上で一斉に押したら、壊せるんじゃないか!?

 高鳴る鼓動を押さえながら、アルクとロシャナクと目を合わせようとして、顏を上げた矢先、視界に飛び込んできたのは、少し先で動く紫色の髪だった。

「ラ、ラケルドがいるっ」
「は!?」
「えっ?」

 ほら、あそこ! と言いかけた声は、アルクの手によって口元を塞がれ、封じられた。「いいからしゃがめ! 隠れるぞ!」と半ば強引に体を引っぱられ、近くにあった植木の陰に身をひそめる。

「なんか建物に入っていった……小さい、木造の」

 生い茂る枝葉の隙間から、憎き興行師の姿を追う。「ああ、あそこは、確か倉庫だ」とロシャナクが小さな声で教えてくれた。

(倉庫? なんでこんなところにアイツが?)

「……バレたら厄介だ。ティルス、アルク、今のうちに訓練場に戻ろう」


「あ、うん……」


 生返事で応じるものの、ティルスの瞳は倉庫をとらえたままだった。

「ティルス、ほら」
 ロシャナクに手を引かれ、ティルスは静かに身を起こした。


「……………………」


 建物の裏手を後にする直前、ティルスは振り返り、もう一度ラケルドが入っていった木造の建物を見やった。

、いなかったか?)

 ラケルドを視界の端にとらえた時、もう一つを見た気がする。

「ッ……!」
 どうしてだろう、こんな取るに足らないことなのに、胸がざわついて『確かめたい』という気持ちが湧くのは。
 
 ──倉庫へと足を向けかけて。

 ティルスはで、そのを止めた。

 せっかくロシャナクとアルクがこっそりと柵を見せてくれたのだ。わざわざラケルドの不在を狙って。秘密裡に、計画を進められるように!

(……たぶん、兵士か看守だろう)

 そう、思う、ことにした。
 ティルスは小さくかぶりを振って、前を歩くロシャナクとアルクの背を追った。

◆◆◆◆◆◆

「おいアレリア、ちょっと来い」

 他の剣奴達とは少し離れた場所で、剣の稽古をしている最中だった。拘束具を手にしたラケルドに呼ばれるや否や、乱暴に手首を掴まれ、アレリアは頭が真っ白になった。構えていたはずの木剣が、するりと両の手をすり抜けて、乾いた地面へと落ちる。

 そのまま手を引かれ、ラケルドの居住している館の門をくぐる。混乱しながらも「ラケルドの部屋にでも連れて行かれるのだろうか」と思い巡らせたところで、階段をのぼらずに館の裏門を出たため、ますます不安になった。最終的に連れられた先は、建物の裏。井戸の近くにある古びた木造の建物だった。

 ラケルドは木戸を開け放つと、アレリアを乱雑に部屋の中へと押し込めた。覚束おぼつかない足元がもつれ、思わずその場で膝をつき倒れ込んでしまう。小窓から漏れる射しに照らされて、煙っぽい埃が宙を舞った。上手く呼吸ができない状態も相まって、アレリアは埃を吸うと、小さく咳き込んだ。

 もっと奥だ! という怒号と同時に、再び強く手を引かれ、部屋の奥の寝床のような場所へと体を投げ飛ばされる。

(こわい、なにされるの……?)

 震える腕を支えにしながら、寝床の上でかろうじて半身を起こすと、ラケルドの冷たい視線と目が合った。

「お前さ、この前の試合はなんなの? 手ぇ抜きやがって」

 苛立ちを隠すことなく、興行師は立ったまま寝床のアレリアを見下みくだした。



「……………………」



 この前の試合。──もうお父さんはいないという現実に迷い、それでも自分が生き残るために相手を殺すべきか、自害するべきか、決めあぐねた結果。そう、ラケルドから受けた戦い方の指示を的確に実行できず、中途半端な形で、自分によくしてくれた剣闘士のことを──殺してしまった時のことだ。

 ラケルドは露骨に大きなため息を吐きながら、低い声で続けた。

に、戻りたくねーだろ?」
「っ……!」

 前の場所、という言葉に体が硬直する。心臓がドクドク、と波打ち息苦しくなった。
 アレリアは震えながら、かろうじて首を縦に振った。

「ハァ……。だったらもっとさ、ちゃんとやれよ!」


「…………もうしわ、け、ございません、でした」


 泣きながら、喉の底から声をしぼり出す。頭が上手く働かない。どうしよう、早くこの場から逃げ出したい。痛い目に遭う前に、早く。早く。

「つ、つぎは、ちゃんと、します」

 懇願に近い声色で、アレリアは繰り返した。心なしか、ラケルドはそんな自分の姿を、とてもたのしんでいるように思う。恐怖と同時に、とてつもない不快感が胸いっぱいに広がったが、興行師に抗うすべなど、持ち合わせていなかった。行き場のない感情は、ただただ涙となってあふれていく。

「フン、言葉だけで許してもらえると思ってんのか?」

 再び、頭が真っ白になる。ねっとりとしていて、でもどこか“たのしそう”な色を含む言い回しに、嫌な予感が体全身を駆け巡った。

「──服を脱げよ、
「え…………?」
「前の場所に戻りたくないなら、お前はここで頑張るしかねぇんだよ。──その感情を、思い出させてやるって言ってるんだ」

 ラケルドが下卑た笑みを浮かべながら、寝床へと膝を乗せて、近づいてくる。
 ギシィ、と寝床が嫌な音を立てた。

「っい、や……!」
 思わず漏れた声は、右頬をぶたれた音でかき消された。と同時に「自分で脱がねぇなら脱がすぞ」と、奴隷服の胸元に手が伸びる。


「子供ができない方法でガマンしてやるよ」


 そういえば父親おやじに『妊娠だけはさせるな、だからな』ってきつく言われてるからな、そう口にしながら、ラケルドは慣れた手つきでアレリアの両手に手錠をはめた。

(たすけて……だれか……)

 恐怖で体が動かない。上手く息ができない。喉がまるで締め付けられたように苦しくなって、もう声をあげることはできなかった。

 アレリアはギュッと目を閉じた。


◇◇◇◇◇◇


 ──悪夢のような時間だった。
 上手く息ができない。胸が締め付けられたように苦しい。

 ラケルドは欲を満たすと、半裸のアレリアを適当に倉庫の外へと放り出し「訓練に戻れ」とだけ告げて、そそくさと館へと戻っていった。

「……………………っ」

 浅い呼吸。放心状態のまま。
 震える手で、はだけてしまった衣服に袖を通す。

 胸元や裾を整えると、アレリアは植木の陰で、膝を抱えてうずくまった。そして声を押し殺して、咽び泣いた。


 ──ここに来て剣闘士になってこんな目に遭うとは思わなかった。


「……………………っ、っ」

 首筋にまとわりつく黒髪が、じっとりとして気持ち悪かった。
 胸元も同じく、自分の汗なのか何なのか分からないものでべっとりとしていて。口の中も、ひどく汚い感じがして不快だった。
 すえた臭いが、ずっと鼻の奥にこびりついているような気もする。

(きもち、わるい……)

 早く体を洗い流してしまいたい、けれど。

 ぼんやりとする頭の片隅で、お風呂は夕食後、他の剣奴達が入ったあとでないと自分の番にならないことを思い返す。看守に言えば、先に入浴させてもらえるだろうか。いや、きっと好奇の目で見られるに違いない。アレリアは両膝に顔をうずめて泣き続けた。

「……………………」

 せめて口をゆすぎたい。そう思い、少しだけ顔を上げて、枝葉の隙間から少し先にある井戸を見ると、稽古の休憩中だからだろうか。何人かの剣奴達が、談笑しながら喉を潤している姿が見てとれた。

(……………………)

 もっと人がいなくなってから行こう。アレリアは再び、顔をうずめた。

 こんな姿で立ち寄ったら、それこそ何事かと思われる。看守ほど好奇の目を向けられないにしろ、何があったかぐらいは察せられてしまうに違いない。

(おとう、さん……)

 ぐちゃぐちゃした気持ちの中で、どうしてだろう。
 心の中で、もう会うことの叶わない、父の姿を思い出す。恥ずかしくて、情けなくて、どうしようもなく辛い気持ちになるのに。

 “生きている限り状況は変えられる”

 お父さんは、あの人──名前はなんて言っただろう──碧湖守備隊ノール・ヴァルトの部下だった人に、そう言ったと聴いたけれど。

(それは……)

 そんなのがある、“男の人”だけの話だ。男の人なら、体力も腕力もあって、強い人なら尚更、実力でなんとか生きていけるのかもしれない。

(でも……“女”のあたしは)
 お父さんから手ほどきを受けた剣術をどんなに磨いても。訓練で体力をつけても。

(……………………)
 一度刷り込まれた恐怖には逆らえなくて。
 男の人の力押しには勝てなくて。

「……………………」
 そして一度、奴隷に身をやつしたら最後。
 どこまでも、いつまでも、死ぬまで帝国人にこの身と心を弄ばれる──。

「っ……はぁ、はぁっ、ッ、ッ」
 どうしてだろう。こんな目に遭った後はいつも、体がいうことを利かなくなってしまう。震えはひどくなるばかりで、息苦しさもどんどん増していった。アレリアは両腕で、震える体をぎゅっと抱いた。

 息が上手く吸えない。視界がかすんでいく。このまま死んでしまうんじゃないか──と苦しさと恐怖でいっぱいになる一方で、心のどこかでは『いっそのこと、それでもいいか』とさえ思う。

(そう、だ、よね……)
 朦朧もうろうとする意識の中で、ラケルドが「前の場所に戻す」と言うのも、半ば冗談ではないだろうと予感する。 

 剣闘士としての利用価値が無くなれば、自分は、帝国貴族の家に売られる。そして、そして。今日と同じようなことを。いやそれ以上のことを……。

(──いやだ! おもいだしたくない)
 
 記憶を拒めば拒むほどに、生々しくはいつもアレリアの脳裏に浮かび上がってくる。帝国兵に捕らわれた後、帝国貴族の屋敷で家内奴隷として、意に沿わない行為ばかりを強要させられた日々。そして今や剣闘士として、この手を血で汚し続けている殺戮の記憶。

「──っ、はぁ、はぁっ、ッ! ……!」

 鮮明な記憶の発作と同時に、喉にすっぱいものが込み上げてきて、アレリアはたまらず地面に向かって激しく嘔吐した。咄嗟に口元を塞ごうとした右手が、吐しゃ物でべたべたになってしまったのを、浅い呼吸を繰り返しながら、ただ茫然と虚ろな瞳で見つめる。


 途端。
 心の中でプツリ、と。
 何かがもう、切れてしまった音がした。


「……………………」


 力なく、汚れてしまった右腕をおろす。
 得体の知れない、底冷えするような永遠の闇が、心の中に広がっていった。

 ──もう、耐えられない……。
 

 次第に、汚れた体も。土のこびりついた膝も。べたつく右手も。
 何もかも、もう全部。どうでもよくなってしまった。
 乱れた呼吸のまま、アレリアは両手で顔を覆った。


 ──何度も迷ったけど、やっぱりもう、にするべきなんだ。


(ごめんなさい、うばった命に、むくえなくて)

 ──もっと早く、こうするべきだったのかもしれない。ああ、きっとそうだ……。
 とめどない後悔が胸をついて苦しい。やっぱり自分は弱い人間だと思う。

(でも……っ、でも)
 これは、さいごに自分が。誰にも操られず、脅されず。己の意志で実行したと言える、唯一の行動となるはずだから……。

 ──心が決まったら、もう止めることはできなかった。鋭利な尖った石が足元に転がっているのも、なんらかののようにさえ思えた。

「…………ッ!」

 乾いた砂に、華のように鮮血が飛び散る。
 アレリアは尖った石を、己の左手首へと。
 衝動にまかせてどこまでも深く、勢いよく、すべらせた。
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