桃寺のわらしゃんど

不来方久遠

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不逞の輩

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 長雨が続く時節になっていた。
〝ちんちろりん〟
 戌の刻であった。
 廃屋の中から不思議な音が聞こえてきた。
 上座にどっかと胡坐をかいた藪睨みの頭目の下で、賭場が開帳されていた。
 欠けた茶碗の中に、さいころが投げ入れられて転がされていた。
 十数名のうらぶれた浪人達が集っていた。
 鉄火場と化したそこは、判断力を失わせる目的で酒がふんだんに振舞われた。
 そうとは知らず、ただ酒に正体を無くすほど浪人達は呑んだくれて博打に興じ
た。
「さあ、張った張った」
 がたいの大きい壺振り役が言った。
「丁」
 博徒の一人が言った。
「半だ」
 他の博徒達も賭けた。
「さんぴんの丁」
 壺代わりの茶碗を引っくり返すと、三と一の賽の目が出ていた。
「よし、いただきだ」
 博徒が、言った。
 茶碗に二つのさいころが入れられた。
「さあ、どうだ」
 壺振りは促した。
「丁だ」
 博徒が賭けた。
「ぴんぞろの丁」
 壺振りの声が響いた。
 一のぞろ目であった。
「くそっ。二だ。ごしゃげるな」
 博徒の一人が怒りを露にして、傍の空になった徳利を悔し紛れに倒した。
「いい歳して、わらすみてぇにごんぼほるな」
 隣の博徒が、その子供じみた行動を揶揄した。
「んだども、さっきから丁ばかりでねえが」
 負けが込んでいるその博徒は、事態に納得が行かない様子であった。
「んだんだ」
 同様に負けている者が同意した。
 どこを見ているのか焦点の定まらない瞳で睨みながら頭目が、左手で顎を撫で
る仕草をした。
 それを、小柄だが頭の切れそうな策士然とした男が見ていた。
 策士は、さいころを右の袂に仕舞い込むと、左の袂から別のさいころと取り替
えて壺振りにそっと手渡した。
「次は、半」
 頭目からの合図を見て取ると、配下の者が張った。
「んだば、丁だ」
 他の博徒達が反対の目に張った。
 茶碗が開けられた。
 四と一の目であった。
「しっぴんの半」
 壺振りは、無情に言った。
「こんだぁ、逆だべ」
 すっかり、賭け事にはまった博徒達は熱くなっていた。
 今は食いはぐれて博徒に身をやつしてはいるが、かつては一角の武士であった
者もいた。
 この者達は秀吉による奥州仕置によって、主を失い路頭に放り出されて浪人に
成り果てたのだった。
 そして、十年の歳月を仕官先の当ても無いまま無頼の徒と化して流浪していた。
 賭ける金が無くなると、武士の魂である筈の腰の大小もあっさりと差し出した。
 博打に熱くなった結果、一人勝ちの博徒の他はほとんどが素寒貧になった。
「こりゃあ、おかしいべ」
 負けた博徒が言った。
「とんだ言いがかりだな」
 策士が、返した。
「いんちきじゃねえのか」
 他の博徒も言った。
「代金、耳を揃えて置いていってもらおう」
 冷たく、策士が言った。
「こんなの認められねえ。馬鹿らしくて払えるか。なあ、そうだろう」
 博徒が、言った。
「んだんだ」
 他の博徒も同調した。
「負けた腹いせをほざいたところで、身ぐるみ剥がし簀巻きにして川に流すだけ
だ」
 そう、策士は言って頭目を見た。
 ぎろりと、頭目が藪睨みの目を剥いて鶺鴒の尾のように後ろに長く突き出す鶺
鴒差しにした刀を握る仕草をした。
「じぇんごたれども。あれが抜かれたら、貴様等の首がここに並ぶ事になるぞ」
 田舎者共と罵倒して、策士が脅した。
「い、いや。そんなつもりは、なあ」
 恐れをなして、博徒は腰砕けた。
「んだのす」
 付和雷同の博徒達だった。
「銭が無いのであれば、身体で払ってもらう」
 策士は、提案した。
「どういう意味だべ」
 博徒が、聞いた。
「こさえた借金の棒引きをしてやろうと言うのだ」
 奇異な事を、策士は言った。
「何をするべ」
 追いすがるように、博徒は言った。
 策士が、頭目の眼を見た。
「城取りぞ」
 考えるようにして一言、頭目は答えた。
 それは、半月ほど前の事であった。
 直江状に呼応するように蜂起した石田三成と、下野の小山でそれを知った徳川
家康が西と東に分かれてより多くの諸大名を味方に付けようと綱引きしている間
隙に、他国を切り取っておこうという動きがあった。
「城持ちにならぬか」
 脚に黒い布を巻いた男に、そんな誘いを受けた。
 噂に聞く黒脛巾衆と推察された。
 伊達政宗麾下において諜報や暗殺等、隠密裏に行動する間者で黒革の脚絆を着
用していたためそう呼ばれた。
 密命を帯びた間者は国を二つに割るほどの大戦が今、西の方で起こると語った。
 画を描く主が誰かは詮索せぬほうが身のためであるが、このどさくさに領地を
切り取っておけば戦が終わり次第、安堵を約束すると言う。
 背後に伊達の手引きがある事を、策士は確信した。
「それが信ずるに足るという証はあるのか」
 間者に、頭目は訊いた。
「このまま、野伏りで一生を終わりたければ、この話は受けずとも良い」
 一転、突き放すように間者は言った。
 頭目は、子分である策士に意見を求めた。
「豊臣と徳川のきな臭い話は聞いております。元より失うものなど無き身の上の
我等にあっては、やってみる価値はあるかと」
 策士は、進言した。
「そうだな」
 頷くと、頭目は承知の旨を間者に伝えた。
「しかし、一口に城取りと言ってもそう容易くはあるまい。策はあるのであろう
な」
 策士が、質した。
 間者は、具体的な攻め取り方と日取りを伝えた。
 城の近くに砦を築き、そこを足掛かりとして後陣が詰め、眼前の城を囲む。
 そして、籠城する相手を孤立させ攻め落とすというものであった。
「墨俣や石垣山の如くか」
 策士が、一人ごちた。
 籠城する相手の戦意を殺ぐ出城の効用は、秀吉による美濃攻めや小田原攻めで
広く証明されていた。
「ある意味、定石通りの城攻めであるが、砦など普請する暇があろうか」
 端的に、疑問を策士がぶつけた。
「砦は既にある。そこを占拠すれば良いだけの事」
 間者は、答えた。
「出城である砦ならば、それなりに兵が詰めておろう」
 策士は、食い下がった。
「そこは、寺だ。いるのは坊主のみ」
 間者が、言った。
「なるほど」
 得心したように、頭目が頷いた。
 寺に押し入るのは容易であろうが、占拠後に本城から逆に攻められぬ手筈を整
えねばならないと策士は思った。
 それには、手持ちの兵とそれを掻き集めるための金子が入用だった。
 手っ取り早く用立てするために、こたび博打場を開いて浪人等を呼び寄せたの
であった。
 何とかと鋏みは使いよう。
 浪人から金を巻き上げ、丸裸にした上に借金の形に傭兵として使い捨てる算段
だった。
 そのため、いかさま博打を打った。
 有り金全てと刀を巻き上げられた裸同然の浪人達は、長雨の中、外に逃げる事
も叶わず頭目等に従う他なかった。
 ねぐらである廃屋を出て、頭目が欠けた茶碗に濁酒を注いだ。
 そして、右の袂から二個のさいころを酒に沈めた。
 二個ともに丁の側が上向きになった。
 再度、さいころを酒に沈めて見せた。
 二度ともに、さいころは丁の出目を上にした。
「うまくしたものだ」
 茶碗の酒を飲み干すと、頭目が呟いた。
 そして、がりりと奥歯で噛み砕いてさいころを吐き出し掌に受けた。
 芯が一・三・五の奇数面の片側に寄せてあった。
 常に、二・四・六の偶数面が表になる仕掛けである。
 博打で使われていたさいころには芯が片寄せされた細工が施されていた。
 六面から成るさいころの目は、一と六・二と五・三と四のように対面の数字の
和が七になるように構成されている。
 各面は一・三・五の奇数と二・四・六の偶数の三面ずつに、それぞれ固まって
いる。
 二つのさいころを同時に振り出す場合、片方のさいころの出目を奇数、もう一
方を偶数になるようにすればその合計数は奇数になる。
 逆に、両方のさいころの出目を奇数にするように設定すればその合計数は偶数
になる。
 また、偶数同士であれば合計数も偶数になる。
 つまり、奇数と偶数の目を自在に出せれば、さいころが二個であっても丁半の
出目の操作が可能となるのである。
 左の袂からもさいころを取り出すと、頭目は全てのさいころを裏山に投げ込ん
で捨てた。
 いんちきの証拠隠滅であった。


 朝は晴れていたが、昼頃に降り出した雨が夕方過ぎに止んだ。
 猫の目のような目まぐるしい天候であった。
 風も強く、辺りが暗くなるまで童達は寺に足止めを余儀無くされていた。
 その間、半は和尚の言い付け通り子供等に手習いを教えていた。
〝ぐぇっぐぇっ〟
 闇を切り裂くような無気味な鳴き声が夜のしじまに響いた。
 と同時に、不逞の輩の影が蠢動していた。
 長月の二十日の事だった。
 煌々と照る月夜の晩であった。
 その一団は木陰に潜んで昼間を過ごし、夜になると水辺を徘徊しながら獲物を
捕食するごいさぎのようであった。
〝おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ〟
 すでに卒乳していたぴんであったが、激しく泣き出した。
「かっちゃ、恋しべな」
 母親が恋しかろうと、四が言った。
 あまりの泣き声に、離れから和尚がやって来た。
「いや、それだけでもあるまい。ぴんの癇に障るその脅えるような表情は尋常で
は無い何かを感じておるやもしれぬ」
 和尚は、異変を感じていた。
「ちと、一緒に参れ」
 和尚が、半を手招いた。
 高台に向かって歩を進めると、大手門である寺門前の一本橋を抜けた先に、故
意に枡形に曲折した場所が見えた。
 半が和尚の後ろから付いて行った先は、峻険な崖の上だった。
「ここからだと、火の見櫓の如く周囲が一望であろう」
 和尚は、言った。
「はい」
 夜霧に煙る眼下を臨みながら半が答えた。
「この寺は関所も同様。悪い奴は断じて通さぬ」
 和尚が、言った。
 半は、和尚が何を考えているのか分からなかった。
「嫌な予感がする」
 ぼそりと、和尚が呟いた。
「何の事でしょう」
 半にとっては、ますます意味不明だった。
「山の上と下では景色が異なる。下からでは見えぬものが、上からなら見えるも
のじゃて。あの炎にゆぐねえ気配が分からぬか」
 と、指差しながら和尚は言った。
 和尚が悪意を感じるという下界を半がよく目を凝らしてみると、ちらちらと木
漏れ日の様な炎が見えた。
「松明、でございますか」
 半は、千里眼のような和尚の眼力に感心した。
「うむ」
 今頃気付いたかと言わんばかりに、和尚が頷いた。
「まさか、敵襲」 
 驚いたように、半が聞いた。
「数は不明じゃが、相当数おる」
 和尚は、言った。
「敵が攻めて来たとなれば、時は一刻を争います。鐘を撞いて本城に報せましょう」
 勇んで、半が言った。
「安易だの」
 呆れたように、和尚は言った。
「では、如何にすれば」
 焦れるように、半が聞いた。
「ここで下手に動こうものなら、本堂になだれ込まれて寺の者は口封じに皆殺し
にされようぞ」
 和尚は、淡々と説いた。
「城が攻められるのを知りながらここで指を咥えて見てはいられませぬ」
 半が、息巻いた。
「そこよ。城の戦の準備が整うまで、敵を引き付けたまま救援を要請するのじゃ」
 和尚が、戦法を語った。
「この寺で敵を迎え撃つのですか」
 半は、驚いた。
「それには、相手方の正確な兵力を知らねばならぬな」
 和尚が、答えた。
 またしても、半は和尚の言う意味が分からなかった。
「あべ」
 和尚が、促した。
「はい」
 訳も分からずに、半は返答した。
 半を連れて、和尚が境内を出て行った。
「止まれっ」
 月明かりの峠の途上で、暗がりから制止する声がした。
「全て儂が話をつけるおって、お前は何も語らぬでないぞ」
 小声で指示する和尚に、半が頷いた。
 和尚と半は武装した正体不明の野伏り数十名に包囲された。
 強盗提燈が照らされた。
 手元を暗くして光が相手の正面一方だけを照らすように工夫され、強盗を捕ら
える目的でそう呼ばれた提燈の灯りが和尚の顔面を捉えた。
「おばんでがんす。何用でございましょう」
 晩の挨拶をしながら和尚が聞き返した。
 半は、下を向いて黙っていた。
「何奴だ。このような刻限に何処に行く」
 相手方が、詰問してきた。
「この先の寺の住持でございます。急の病で亡くなった邑人の弔いで、里に向か
う途中です」
 和尚は、答えた。
 これは渡りに舟。
 和尚が不在となれば、易々と寺を制圧できるというものだ。
「であるか」
 そう胸算用して、相手方はほくそ笑んだ。
「お侍様方は、城下にお勤めの方ですか」
 逆に、和尚が問い返した。
 味方の可能性もあったからであった。
「我等は、城の危機に際し馳せ参じた者共」
 相手方が、言った。
「お城に何かあったのですか」
 和尚は、すっ呆けて聞いた。
 本当に家中から来た者かも知れないからだ。
「城が取り囲まれていると聞く」
 相手方は、言った。
「では、他の支城から応援に」
 和尚は、聞いた。
「和尚様。きゃっぽりしてないです」
 その時、相手方の履を見た半がさほど濡れていない事を耳打ちした。
〝足元がさほど汚れておらぬ。遠方からやって来たのなら、雨のぬかるみで足が
泥まみれのはず。雨を避け、きっと近辺の炭焼き小屋などに身を潜めていたに相
違ない〟
 そう、半が確信した。
「うむ」
 和尚が、頷いた。
 半の機転によって、以心伝心で和尚に伝わり夜間であったが敵味方を判別でき
た。
「我等を見られたぞ。このまま生かしては、誰ぞに通報しないとも限らぬ」
「いっそ、始末したほうが」
「坊主殺さば、末代祟ると聞くぞ」
 相手方が、囁き合った。
「これから戦というのに、祟り話は士気に障り都合が悪い」
 縁起を担いだ相手方は坊主殺しに二の足を踏んだ。
「お侍様方は何やらお忙しいようですので、私共はこれにて失礼させて頂きます」
 和尚は、退去を促した。
「夜も遅い。道中気を付けるのだぞ」
 相手方の頭目らしい者が、和尚を気遣った。
 藪睨みの者の眼を和尚が一瞬間、覗き込んだ。
「有難うございます」
 そして、合掌しながら念仏を唱えるように言うと一団から遠のいた。
「頭目の尋常では無い眼つきを見て分かった。まるで、空腹の蛇が蛙を目の前に
したように血走っておったわ。何者をも恐れぬ底なしの狂気をはらんでいて、油
断ならざる者と見た」
 呟くように、和尚は言った。
 あのような眼を覚えておる。
 武士であった頃、出世のためには卑劣な事をしてでものし上がろうとする者の
眼光、そのような輩と同じ眼であった。
「きゃつ等の兵数を読めたか」
 和尚が、半に聞いた。
「敵の数は弓や刀を揃えた、およそ十と数名と見ました」
 半が、答えた。
「そうじゃの」
 暗がりでの半の見立てに、和尚も同感した。
 一団をやり過ごすと、袈裟の下から野歩きする時に使う護身用の鉈を取り出し
て生い茂った近くの草木を伐採し出した。
 月明かりが射してきた。
 夜目の利く和尚は目印の橅の木を探した。
 そして、そこに刻印されたある印を触った。
 熊が自分の縄張りを主張する引っ掻き傷にも似ていた。
 それは“木印”と呼ばれ、不思議な記号と文字の組み合わされた暗号のような
物であった。
 ふと、和尚が歩を止めた。
「どうされました」
 半が、聞いた。
「ゆばりじゃ。お前もどうじゃ」
 和尚は、答えた。
「はい」
 半は頷くと、和尚と並んで連れ小便をした。
「こうして臭いを残しておけば獣も避けて通る。冷えてきたの」
 ぶるぶると、夜気に体を震わせながら和尚は言った。
 和尚は昼間に時々ここに来て、小便をしていた。
 臭いを残して縄張りを主張する事で、獣達を遠ざけていたのであった。
 急坂を緩やかに登れるように工夫され何回もくねくねと折れ曲がった九十九折
りの道を、だらだらと歩かされた不逞の輩の一団はいい加減閉口していた。
 その間に、近道を示す木印の誘導地図に従って、和尚と半は勝手知ったる人一
人が屈んでようやく通れる獣道の近道を抜けて先に寺に舞い戻った。
 和尚の放つ殺気を感じるのか、狼などの危険な獣が現れる事は無かった。
「敵を通してはならぬ。城兵の大半は戦の応援に出ていて、今は本城も手薄。こ
こで食い止めねば城が乗っ取られる」
 和尚が、言った。
「籠城戦でございますか」
 寺に着くと、半が聞き返した。
「それには、敵にここが十分な兵力を備えた難攻不落であると思わせねばならぬ」
 和尚が、言った。
「おそれながら」
 半が、前置きした。
「思った事を忌憚無く申せ」
 和尚が、言った。
「城攻めは籠城する兵の十倍の数で討たなければ破れぬと言いますが、十数名の
寄せ手に対して、我等は全くの徒手空拳。本城に助けを求めましょう」
 半が、言った。
「はっはっは。これは一本取られたかの。三十六計、逃げるがしかず。その考え
は、戦でもっとも重要な策であるな」
 和尚は、至極もっともという風であった。
「兵も刀も無い寺に、果たして勝ち目がありましょうか」
 半は、言った。
「それよそれ。そこが付け目なのじゃ。兵法通りにいかぬのが戦。賊はまさか、
寺に兵が隠れておるとは思いもせなんだろう」
 和尚は、言った。
「全くわかりませぬ」
 半は、言った。
「兵がおると思わせれば良いのじゃ」
 和尚は、言った。
「六韜によれば、平地は一騎対歩兵八、山間部では一騎対歩兵四との用兵論が述
べられておりますが、寄せ手は武装した十名余りの賊。対する守り手は和尚様の
他、私と子供六人。否、女子と赤子のぴんを除けば四人。無理です、とても敵い
ませぬ」
 混乱と興奮をない交ぜにしながら半が反駁した。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
 飄々と、和尚が言った。
「信玄公のお言葉」
 半が、呼応した。
「勝敗を決めるは堅固な城ではなく人の力。要は人の遣いようじゃて」
 和尚は、言った。
 半は、和尚が本気で敵を迎え撃つ気でいるのが信じられなかった。
「小兵相手の力任せの押し相撲が、意外に梃子摺ったとしたらどうな
る」
 にやりと、和尚は口角を上げた。
「そうか。籠城方の兵数を見誤ったと考える」
 半が、同意した。
「であろう」
 和尚は、続けた。
「はい」
 半は、頷いた。
「真の兵数を把握していない不安から、容易に攻められぬと警戒する筈」
 和尚は、言い切った。
「夜陰に乗じた相手を、逆手に取るのでございますね」
 ここにきて、半にも少し和尚の考えが分かってきたように感じた。
「さよう」
 和尚は、答えた。
「それも、宵闇の間。夜が明ければ化けの皮も剥がれますが」
 半が、指摘した。
「援軍無き籠城は座して死するを待つのみ。城に籠って戦うは、城外の味方が助
けに来るのが前提。それなくしては成り立たぬ策なり。であるゆえ、四よ」
 籠城戦の兵法を語ると、和尚は四を名指しした。
「へ」
 突然、呼ばれた四が返事した。
「すばしこいお前が適任と思うておった」
 和尚は、言った。
「オラけ」
 体を前に乗り出して、四が答えた。
「この寺を盾に朝まで持ちこたえれば、勝機はあろう。本城に救援の伝令として
参るのだ。獣が吼える暗闇の中での野駆けになろう。容易ではないぞ」
 注意と覚悟を、和尚が促した。
「やれるべ」
 大任を任されて、四はやる気満々であった。
「千よ。水と握り飯を持たせてやってくれ」
 和尚が、千に頼んだ。
 千は、幼児のぴんを百に預けて仕度にかかった。
「頑張れよ」
 お調子者の六が励ました。
「待ってるからな」
 八が、四の肩を叩いた。
 四は、竹の水筒と笹で包んだ握り飯を肩から提げて暗闇の中、北側の急斜面を
転げるように駆け下りて本城に向かった。
「半よ。前に、武士にとって家名が一等大事と言っておったの」
 やおら、和尚が言った。
「はい」
 半は、答えた。
「武士とは死ぬるために生きると言うが、儂の考えは違う。戦っても生き残る事
が大切だ。しぶとく生き残ってこそ相手に勝つ機会が訪れ、家名を守れるという
ものじゃ」
 まるで自身に言い聞かせるように、和尚は言った。


 松明を持って、その邑人は先を急いでいた。
「うぬはどこに行くのだ」
 強盗提燈を照らして男が、行く手を遮るように声をかけてきた。
 暗がりで、相手の顔が見えなかった。
「へえ。日中、桃寺に預けてある我が子を引取りに向かう途中で」
 留め置かれた邑人が答えた。
 帰りの遅い愛息子を心配して迎えに来たぴんの父親であった。
 鎧仕度で弓や刀の他に、丸太や縄といった戦道具を担いだ浪人衆はその分歩む
速度が遅かったのと、途中和尚を問い質したりしていたため、後から来た単身の
父親に一団が追い付つかれてしまったのだった。
「山を降りる誰かには会わなかったか」
 配下の者の中でも策士であるらしい男が訊ねた。
「いえ、誰とも行き会わねえです」
 父親が、答えた。
「この上の山寺に行くには、他に道があるのか」
 続けて、策士が聞いた。
「桃寺に行くには、この一本道以外に道はねえです。他には獣道があるども、熊
や狼に出くわしたらただで済まねえべも」
 と、父親は説明した。
「桃寺とな」
 策士が、聞き返した。
「んだ」
 当たり前の事を聞くなと言わんばかりに、父親が答えた。
「つい先ほど、和尚が邑に向かって行った筈だが」
 怪訝な表情で、策士は言った。
「狐か狸にでも化かされたんでねえべか」
 真面目な顔で、父親は答えた。
「馬鹿を申すな。解せぬが何かの勘違いかも知れぬ」
 怒気を含んで、策士は言った。
「はあ」
 父親は、口をあんぐりと開けて聞いていた。
「住持は下山して今は寺にはいない筈だが、寺に伏兵がおるやも知れぬゆえ、用
心したほうが良いかと」
 賊の頭目に、策士が耳元で告げた。
「うむ」
 頭目は、頷いた。
「こやつを先導させれば、難なく寺に入れるかと」
 そう、策士が進言した。
「任せる」
 頭目が、答えた。
「我等も寺に急用がある。その方、案内せい」
 策士が、父親に命じた。
「それは構わねえども、おらが先立ちするまでもねく、桃寺にはこの先一本道だ
で猿でも行けるがの」
 父親は、不審がちに言った。
「我等は不案内なのだ」
 焦れるように、策士は言った。
「おめさんだち、初めてここに来たのすか」
 無意識に、父親が急所を突いた問いをした。
「そのような事はどうでも良かろう。我等は先を急いでおるのだ。いいから、早
く行け」
 策士が、促した。
「そうでがすか。んだば、行くべか」
 そう言いながら父親は歩を進めた。
 賊も、進軍し出した。
「それはそうと、この道を知らねようだが、おめさんだぢはどっからお出ったべ」
 十歩も歩かない内に、父親が振り返って言った。
「向うだ」
 父親がとんだ喋り上手だと気付いた策士は、ぞんざいに答えた。
「どっちの方だべ」
 父親が、食い下がった。
「要らぬ詮索をせぬほうが身のためぞ」
 策士が、刀に手を置く仕草をした。
「おお、おっかねごど。くわばらくわばら」
 亀のように首をすぼめて、父親は前を向き直した。
 その者の背負った煩悩分だけ重く感じられると言われる煩悩階段を、重くてか
さばる戦道具を持った賊等一味がぜえぜえ言いながら上った。
「ゆるぐねな」
 賊の一人が、きついと言う意味の弱音を吐いた。
 大きい岩に対して、雨中でも泥で崩れないように小さい砂利石をちょっと敷い
ておく工夫がされている石段は、山城のそれであった。
 やっとの思いで寺門に辿り着いた。
 門の先には、桃の木が見えた。
 この桃は、菊松和尚の宝であった。
 黙って門を通ろうとする者は、桃泥棒の疑いをかけられ烈火の如く怒った和尚
によって半殺しにされるとの掟は、邑の者なら知らぬ者は無かった。
〝どんどんどんどんどん〟
 けたたましく、木戸が叩かれた。
 いつしか、この門を潜る時は桃泥棒では無いと宣言するように叩くのが慣わし
となっていた。
 六地蔵に身を隠すようにして、賊が控えていた。
 焦る賊の一人が、周囲を窺いながら開閉具合を確かめるため柄の先で少し木戸
を押して見た。
「やめれ」
 父親が、大声を出した。
 木戸が少しだけ、押し開いたようだった。
 その瞬間、戸の後ろの閂に繋がった綱がたわんだ。
〝じゃらんじゃらんじゃらんじゃらん〟
 綱に付けられた無数の鈴の音が一斉に鳴り出した。


「きゃつらが来たようじゃの」
 鈴の音を聞いて、和尚が言った。
「どうなさるので」
 半が、聞いた。
「まずは、敵の出方を見る。しばし、お前が相手をしておけ」
 和尚は、指示した。
「はい」
 返事をして、半は門に向かった。
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