九戸墨攻

不来方久遠

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豊臣軍の襲来

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 政実は、長興寺に辿り着いた。
 この辺りでは見かけぬ一行が、寺の場所を聞いて回ったとの報せを受けての事
だった。
 大小の刀を付き人に預けて政実は単身、寺に入った。
「今日は何用じゃ」
 出迎えた和尚が、言った。
「坐禅をしに参った」
 政実は、平静を装って答えた。
「ほう」
 政実の返答に、和尚は意外な表情をした。
 座敷に通された政実は、足を組んで瞑想した。
 時折、表から聞こえる烏の鳴き声以外は、物音一つしなかった。
 政実の右肩に、警策が打たれた。
 政実は、目を閉じたまま無言で礼をした。
「雑念があるの」
 和尚が、声をかけた。
「千里眼ですな」
 静かに目を開けて、政実が言った。
「人を探しに来たのであろう」
 和尚は、鎌をかけて聞いてきた。
「なぜ、そのような事を」
 政実は、空とぼけて言った。
「百以上の兵を、寺の裏山に潜ませておろう。息遣いが聞こえるわ」
 吐き捨てるように、和尚は答えた。
「和尚の地獄耳には、かないませぬな」
 核心を突かれた政実は、皮肉を言ってはぐらかした。
「儂を霞を食らう得体の知れない仙人の如く言う己れは気付いておらぬようだが、
ここに来た時から血と火薬の匂いがぷんぷんする」
 と、大仰に鼻をつまむ仕種を和尚がした。
「以前、我が軍師にお誘いしたのを覚えておられるか」
 政実は、話題を変えた。
「好き勝手に戦をしておるお主には、必要無かろう」
 和尚は、何の興味も無いという態度だった。
「九戸以外の軍師になられる事を怖れているのです」
 政実は、和尚に釘を刺した。
「儂は、誰の軍師にもならぬ」
 政実に背を向けながら和尚が言った。
「それを聞いて安堵しました」
 そう言って政実は立ち上がり、寺を後にした。
「信直一行の消息が皆目つかめなくなりました」
 実親は、言った。
 執拗な捜索にもかかわらず、政実は信直の身柄を押さえる事が出来ずにいた。
「逃亡の手引きをしたのが和尚であれば、さもあらん。捕まえるのは至難の技」
 政実が、答えた。
「信直に、和尚は寝返ったのか」
 政則が、疑念を口にした。
「和尚はそんな小さな器量ではない。何か考えあっての事であろう」
 政実は、言った。
「三戸に通ずる境を見張っておれば、いずれ現われる筈」
 実親のほうは、自信有り気な口調だった。
 しかし、逃亡した信直の所在は一向につかめなかった。
 逃げ足だけは、誰にも引けを取らず南部一といっても過言ではなかった。


「やはり、あの狸和尚の腹は読めませぬ。ここは、私に妙案がございます」
 と言って、信愛は信直と従者を薩天和尚に紹介された寺に残して、一人の供だ
けを従えて斯波領に向かった。
 昨今成り上がった戦国大名とは同格ではないという名門の末裔として矜持のあ
る斯波氏は、名目上、伊達にも南部にも与していなかった。
 信愛は、勝手に縁組みをした事を理由に九戸討伐を仕掛けながらもそれに失敗
すると、今度はその縁組みを持ち出し、南部は敵ではないと斯波氏に面会を申し
出た。
 大した二枚舌であった。
 そして、隠密裏に政実の末弟の中野修理を訪ねた。
 兄、政実の命により斯波に婿入りさせられ中野修理と改名した康実は、捨石に
された事を怨んでいた。
 婿入りした修理には、日がな一日何もやる事が無かった。
 斯波の次なる頭領としての処遇も無く、さりとて九戸に戻れる約定も無かった。
 所詮は余所者、屈折した僻みを抱えながら孤独感に苛まれた。
 やがて、修理は酒に溺れるようになった。
 名ばかりの妻は、修理の下を離れ別居していた。
 そんな時、北信愛がやって来たのであった。
 修理は、信愛の甘言に付け込まれる事になる。
 信愛は、冷飯を食う中野修理を巧言令色に懐柔し、三戸本家への迎え入れを密
約した。
 いざとなれば、政実に対して九戸の人質として交渉する事も考えての事だった。
 修理こと康実のほうは、自分を捨てた兄の政実を見返してやれると考えていた。
 斯波と南部双方に顔が利く中野修理の案内で、信直一行は九戸領の境界線を巧
みにすり抜けて、九戸の目の届かない岬と入江とが鋸の歯のように複雑に入り組
んだ三陸の海岸線に出る事に成功した。
 眼前に、澄んだ青い海と白い岩肌の鋸歯状半島が広がっていた。
 後の天和年間に、霊鏡竜湖和尚がまるで極楽浄土のようだと表現し、爾来、浄
土ヶ浜と呼ばれるようになった場所であった。
 うみねこが飛び交い、奇岩怪石が聳える広大な三陸の海を舟で北上した。
 今回の戦では、政実の母の実家である誼から中立の立場を保っていた八戸伝い
に命からがら三戸に戻った信直は、政実に和議を申し入れた。
 信直は、九戸の力を侮っていた事を痛感した。
 自力では九戸を倒せないので、策士である北信愛の提案により、信直は息子で
ある晴直を加賀に向かわせた。
 晴直は、何の面識も無い前田利家に会うために、先にその妻のまつに面会を申
し出た。
 陸奥における厳しい自然での暮らしぶりから、まつの端切れを使った小袖の作
り方を伝授して貰いたい旨を訴えた。
 倹約に努める南部家の姿勢に共感したまつは、自身の貧しかった若かりし頃を
偲び、夫である利家に取次いでくれた。
 利家に秀吉への帰属を約束し、その代わり領地の安堵と九戸政実の討伐を願い
出た。
 実直な晴直の人となりを、利家は大層気に入った。
 晴直は、利家の一字を賜わる事となり、先々代の南部晴政から貰った晴の字を
あっさりと捨て去って、以後は利直と名乗った。
 利家の仲介により、信直は京で秀吉に謁見する運びとなった。
 秀吉は、近々に北条を討つゆえ、その時は召集に応ずるように言った。
 信直は、快諾した。


 中野修理が信直に下った事は、九戸にも届いた。
「康実は、人質に捕られたのか」
 次男の実親が、驚きの表情をした。
「であるほうが、ましだった」
 政実は、脇息に右肘を乗せながら言った。
「九戸を裏切って、寝返ったのだ」
 三男の政則が、一言で吐き捨てた。
「我の真意は伝わらなかった。拙速に事を進め過ぎたかの。もっと、よく話をす
れば良かったのかもしれぬ」
 自身を責めるかのように、政実が呟いた。
 九戸の南の先には、家督を継いだ伊達の小倅の政宗が控えていた。
 命限りの戦して、かなわざる時は雑兵に紛れ、敵の大将と組みて刺し違えん。
 そう口外して領土を広げる政宗に、死んだ信長と同じ匂いを感じ、その動静に
は油断ならなかった。
 縁組みを反故にした斯波を取り込んで、九戸に攻め込んで来るかもしれない。
 仕掛けられた戦ならいざ知らず、九戸を留守にして迂闊に三戸に兵を送り、こ
れ以上戦火が拡大すれば、他国に付け入る隙を与えかねない事は九戸と三戸双方
が承知する事であった。
 政実は和議を受け入れ、南部同士の戦は一先ず休戦となった。


 信長が本能寺で討たれてから八年の月日が経っていた。
 下剋上で国盗りをした先駆けである北条早雲を祖とする相模国の小田原城は、
天下統一を敢行する秀吉によって掻き集められた諸将の兵二十五万騎で包囲され
た。
 その中には、政実と共闘した大浦為信の姿があった。
 機を見るに敏の為信は、三戸南部領を攻め取った直後に秀吉の下を訪れ、その
所領安堵のお墨付きを得て、大浦改め津軽氏を名乗った。
 そして、見す見す領地を分捕られた南部信直もまた参陣していた。
 苦々しく思うと共に、信直はこれだけの大兵力を集められる秀吉という男の力
を、まざまざと見せ付けられた思いであった。
 奥州の隻眼の暴れ龍と異名される伊達政宗は遅れて参陣し、その詫びに全身白
ずくめの死装束で現われた。
 勘の鋭い秀吉は、白装束に隠された政宗の別の覚悟を感じた。
 許されなければ、この場で関白の首を絞め刺し違える決意である事を見て取っ
た。
 政実同様に秀吉もまた政宗に対して、信長のような狂気を内に秘めていると思
った。
 圧倒的な軍勢で、秀吉は北条の各支城を落とし、小田原を孤立させていた。
 対する北条氏が四万騎で籠城して和戦の是非を論じている間に、小田原城の目
と鼻の先に位置する石垣山の木々が一夜にして全て伐採された。
 日が昇ると、そこには秀吉が命じて作らせた出城が建っていた。
 世に言う、石垣山一夜城であった。
 美濃の墨俣では河原に柵であったが、今度のは一坐をも切り崩した大掛かりな
山城だった。
 度胆を抜かれた北条方は、呆気無く降伏し、優柔不断な対応の代名詞として小
田原評定という汚名を後世に残す羽目となった。
 明くる年、黄金の衣装を纏った秀吉は、京の聚楽第で新年を迎えていた。
 主だった大名達が、天下統一のお祝いに馳せ参じていた。
 秀吉による天下統一は、小田原合戦で成就したと言われる。
 が、秀吉は不満であった。
 まだ、満足な検地もされていない場所があると秀吉は思いを巡らしていた。
 陸奥の北方は手付かずのままであった。
 それを手中に収めなければ、真に天下を獲ったとは公言できぬと。


 雪に閉ざされた南部にも恒例の新年の参賀が行われていた。
 年始ご祝儀のため、各戸一門が本家三戸城に出仕するのが慣行であった。
 和議が成った後、政実は腰痛だの風邪を拗らせただのとその都度何かと口実を
作っては形だけの名代を本家に送り、決して自ら出向く事はなかった。
 信直による先代のような謀殺を警戒しての事だった。
 しかし、この年は異変が起こった。
 年初の挨拶に、九戸一族だけは登城しなかったのである。
 戦わずして秀吉の臣下に成り下がった三戸本家に足を踏み入れる事を拒否した。
 南部には付き従うが、どこの馬の骨とも分からぬ猿の家来になるつもりは無い
というのが、政実からの返答だった。
 宗家をないがしろにする南部始まって以来の出来事に、本家は激怒した。
 南部を統率する者として、九戸政実の専行をこのまま野放しにはできない。
 九戸の独断を許せば、他戸の長衆にも示しがつかず、宗家を継いだ自身の器量
が疑われてしまう。
 兵を動かすには、春を待たねばならない。
 信直は、忸怩たる思いで冬を過ごした。
 一日千秋の思いでようやく雪融けになると、京の秀吉に対して舟で三陸から矢
継ぎ早に、九戸政実の乱に対する出兵要請の使者を出した。
 南部信直からの矢の催促に対して、ついに秀吉は九戸討伐を名目に奥州攻めを
下知した。
 独眼龍の伊達政宗以外に、名立たる武将の噂も耳にしない陸奥など、自ら指揮
するほどの事もなく容易いと侮った秀吉は、甥の秀次にその仕置を命じた。
 豊臣方は北条攻めほどではないにせよ、実に五万の大軍を送り込んで乱の鎮圧
に当てた。
 この反乱があちこちに飛び火して秀吉の天下統一を脅かす恐れがあったからで
ある。
 秀吉は、秀次の天下を束ねる力量をこの戦を通じて推し量るつもりで、敢えて
秘蔵っ子の石田三成には監視役としての横目付を任じ前線の指揮を執らせなかっ
た。
 引き立ててやった恩も忘れて、何の苦労もせずに気位ばかり高い秀次を試した。


 政実は、信直の動きを察知していた。
 戦になる事を想定し、容易周到にその準備に取り掛かっていた。
 敵が攻めて来るのは、夏の盛りを過ぎた頃と読んだ。
 秀次が総大将を命じられたというのは、政実には好都合であった。
 秀吉ならば、自軍の兵をできるだけ失わずに相手を調略して、その外堀を埋め
るであろう。
 これまでに伝え聞いた戦ぶりを見れば分かる。
 速やかに事が運ぶように多数の人足等を雇い入れ、競争心を煽りながら金に糸
目を付けず栄楽銭を湯水の如く与えて、大掛かりな戦略で勝ちに行く。
 備中で水攻めして沈めた高松城、鳥取城での兵糧攻めにおいては、餓死し人の
屍骸を切食えりという惨状まで追い込んだ。
 秀吉のように信長の草履取りから苦労の末に天下に上り詰めた者ならいざ知ら
ず、七光りで地位を得た秀次ならば、その威光をかざして悠長に攻めて来よう。
 本能寺の変の折、短期間で毛利攻めから大返しした秀吉のような奇策を弄して
強行軍をする理由もない。
 冬の到来前に、数を頼んだ力攻めで開城できると思い上がっているであろう。
 それが、こちらの付け目だ。
 五万もの兵を引き連れて、京より陸路この陸奥まで移動させるのに優に二月は
かかる。
 そうであれば、思う壺だった。
 今度の戦は籠城戦になる筈だ。
 籠城戦においては、十分な食糧と弾薬に見合う兵力、そして何よりも兵達の士
気が勝敗を分ける。
 まずは、城に立て籠る兵を養わなくてはならない。
 九戸の百姓に、早めに秋口の農作物の収穫を終えさせて、城の兵糧として納め
させた。
 さらに、無数の井戸を深く掘って飲み水を確保し、城内の建物の土塀に干瓢を
塗り込め、畳床には食用になる里芋茎を用いた。
 五百頭の馬と同じ挺数の火縄銃を揃え、迎え撃つ覚悟は出来ていた。
 政実には、勝算があった。
 兵法によれば、城攻めは城内にいる十倍の数で討たなければ破れないのが定石
である。
 兵法通りであれば、籠城戦を取る限り五分の戦ができると、政実は踏んでいた。
 この半年ほどを凌げば、冬将軍が到来し、陸奥の厳しい寒波が野営地を襲い、
兵糧が尽きて敵を蹴散らしてくれる。
 それを承知している敵方も、短期決戦に持ち込む腹積もりである事も明白であ
った。
 豊臣秀次を総大将にした五万余の軍勢が、反抗する残党を掃討し検地を行ない
ながら北に向かった。
 陸奥と東国の境界である勿来の関を越えたのは、政実の思惑通り陸奥の短い夏
の盛りであった。
 上代においては白河の関の異称とも云われて、〝蝦夷勿来(エミシよ、これよ
り先に来るなかれ)〟という意味から勿来の名が付いたとされ、蝦夷の侵入に備
えた防御線である。
 朝晩冷えて、秋の気配がする時節になり、沿道に龍胆と七竃が咲き出した。
 無数の豊臣兵の軍靴によって、青紫色の花と赤い実が踏み潰されて、鮮血のよ
うに道端に飛び散った。
 それはまるで、古来より続く中央軍の蹂躙により流された陸奥の人々の血のよ
うな光景だった。
 秀次の出陣による九戸攻めの報を聞いた政実の妹の嫁ぎ先である七戸家国など、
豊臣に叛旗を翻して続々と政実に与する者が兵を連れて九戸城に参集していた。
 四千を超える南部の猛者達が、九戸の城に入った。
「ホンニ、クルベカ」
「クルベモ」
 九戸城に集まった兵達が、不安を口々にしていた。
「マンズ、カデルベガ」
 他戸の兵の一人は、戦の勝算を聞いた。
「ユギッゴフルマデモデバナ」
 九戸の兵が、降雪まで持ち堪えれば敵は退散すると的確に答えた。
「ンダベガ」
 だが、見た事も無い京から来襲する大軍相手に思惑通りにいくのか疑問の声も
あった。
「ンダノス。ソスレバ、バッケガオガルコロマデセメラレネデバ」
 退却さえさせれば、蕗の薹がなる春頃までは攻めては来られないのは北国の戦
における通説であった。
 九戸以外の将兵も混成した兵達の声は、政実の耳にも届いていた。
 多数の将士の命を預かっている責任を痛感した。
 無駄な戦は無用。
 政実は、出城を全て空にした。
 斯波領を通過した豊臣軍は、何の障壁もなく九戸方の出城を次々と落としてい
き、易々と南部領へと分け入った。
 椰の父である四戸宗恭が悩み抜いた末に、加勢に来るとの報せが入った。
 このままでは、四戸氏が入城する前に豊臣軍の先遣隊が城に到着してしまうお
それがあった。
 そうなれば、四戸の兵は孤立して全滅の憂き目を見兼ねない。
 それを阻止するには、豊臣軍の侵攻の足を遅れさせなければならなかった。
 四戸氏を入城させる時を稼ぐため、政実は奇襲に討って出る事にした。
「遠くにいる秀吉に対して、決して我等が軍門に降らないとの決意を示し、城内
に陣取る者供には、本気で戦が始まる心構えを新たにして貰う」
 火急に召集した軍議の席で、政実は敵の大軍に浮き足出す兵の気持ちを引き締
めるように述べた。
 城中の兵に、煎餅が振舞われた。
 その昔、戦場で腹をすかせた八戸軍の兵達が、あり合わせの蕎麦粉に胡麻と塩
を混ぜ鍋代わりの鉄兜で焼いて食べると、士気が上がって戦勝する事ができた。
 それ以来、南部煎餅と言われて多くの合戦で携行され非常食として用いられた
と伝わる。
 政実は、三男の政則に秘策を授けて送り出した。
 鬱蒼とした樹木に覆われ、昼なお薄暗い場所ゆえに蝮の巣と云われる蛇の島と
いう中洲があった。
 対岸が絶壁になった日高見川にあって、草木に繋がれた根のため水位が上昇し
ても決して沈まない浮島で、平安時代には前九年の役の際に、陸奥を支配してい
た安倍貞任の軍船の隠し場所だったとも伝えられている。
 夕闇迫る頃、蛇の島に潜ませた舟を出し、一艘に十人、計十艘に分乗させた百
名の鉄砲隊を、政則が引き連れて出発した。
 陸奥の大地を北から南に流れる大河である日高見川沿いの街道に据えられた豊
臣軍の野営地では、晧晧と松明を灯していた。
 ここまで九戸軍による待ち伏せも無く、悠々と行軍して来た豊臣兵達は、気も
緩み酒を酌み交わし騒いでいた。
 乱の首謀者の九戸政実は、豊臣の軍勢に怖れをなして首を洗って待っていると
の噂話が、まことしやかに兵達の間に流布していた。
 所詮は陸奥の田舎侍と囃し立て、戦前にもかかわらず戦勝祝いの宴に酔いしれ
ていた。
 その時だった。
 夜の闇に、轟音と共に百発の砲火が稲妻の如く明滅した。
 政則率いる九戸鉄砲隊が、一斉に発砲したのだ。
 日頃より夜間訓練を積んでいたので、手許の僅かな堤燈の灯りでも素早く弾の
入れ替えを行なう事が出来ていた。
 川の流れに任せて移動する舟上から一人十発ずつ、百人で計一千発の鉄砲の弾
が、長い隊列を組んでいた豊臣軍を急襲した。
 ここに、強大な豊臣軍と九戸軍との戦火の火蓋が切って落とされた。
 予期せぬ夜襲に、蜂の巣を突ついたように豊臣軍が慌てふためいた。
 予定数の弾を撃ち終えると、政則の鉄砲隊は火の気を全て消して闇に溶け込ん
だ。
 豊臣方の兵達が状況を把握し臨戦態勢を調え、暗い川面を松明で照らして敵の
姿を捜したが、何の応戦も出来ずに見失っていた。
 その時分、政則は下流域に隠しておいた五十頭の馬にそれぞれ二人ずつ分乗さ
せて、脱兎の如く戦線を離脱していた。
 これ以降、豊臣軍は奇襲に備えて用心深くなり、九戸城への行軍の勢いを削が
れる事となった。
 政則の働きにより、七百の屈強な兵を連れた四戸宗恭は、無事に九戸城に入る
事が出来た。
 政実の率いる九戸軍は、総勢五千に膨れ上がっていた。


 葉月の晦日だった。
 南部一戸領の南境に位置する沼宮内に、豊臣軍は一旦着陣した。
 南部本家三戸城の留守を預かっていた信直の子である利直が、九戸領を迂回し
て合流していた。
 利直は、相模国河原氏一族から連なる沼宮内の山城の城主である民部常利に、
豊臣軍の指揮所を設けさせた。
「民部殿には各将の休息場の提供とこの後、戦が長引いた場合の兵站を担って頂
く」
 九戸の乱の総指揮を執る、将監の蒲生氏郷が申し伝えた。
 戦場の後方にあって、兵糧及び武器や弾薬等の物資を補給する兵站は、長期の
戦をする上で生命線とも言える機関であった。
「慎んで承りました」
 民部常利は、深々と頭を下げて答えた。
 沼宮内の民部氏は、北国の飢饉に備えて積極的に開墾を奨励していた。
 その地に開かれた田んぼの一字を民部の下に当てた『民部田』が、現在の同地
域の地名や姓に残って受け継がれている。
 民部氏の案内で、城内全てが豊臣方の将兵で埋め尽くされた。
 沼宮内城の本丸で、九戸城攻めに対する軍議が開かれた。
「立て籠もった九戸の兵は、精鋭と聞く」
 軍監として総奉行を司る、浅野長政が言った。
「うむ」
 蒲生氏郷が、頷いた。
「矢弾も兵糧も十分に運び込み、騎馬鉄砲隊をも持つらしい」
 浅野長政は、続けた。
「兵糧が尽きぬとあれば、水攻めはどうか」
 蒲生氏郷は、提案した。
「冬までには間に合わぬ。それに、水攻めは合力の諸将が手柄を立てる機会を奪
うもの」
 そこに、武者大将の堀尾吉晴が割って入った。
「秀次様は、早々の決着をお望みではある」
 浅野長政は、同意した。
「一気呵成に攻めて、城を落とし政実が首を刎ねれば、それで終いぞ」
 堀尾吉晴は、気ぜわしく言った。
 軍議の結果、九戸の出方を窺う策が取られた。
「先鋒は、南部の信直殿と津軽の為信殿に務めてもらおう」
 堀尾が、両者に伝えた。
 南部の信直と津軽の為信、陸奥では仇敵同士が肩を並べて九戸を攻めるなど、
さしずめ呉越同舟といったところであった。
 信直と為信の二人は、豊臣に対して二心無き事を試されたのである。
 また、夷を以って夷を征すという、古来より言われなき夷狄の巣窟と蔑まれた
陸奥における非情な常套策であった。
 為信は、実力ある政実と一線交えるのを楽しみにしている風であった。
 信直のほうは、先の戦で煮え湯を呑まされた経験から、政実の力を知るゆえに
二の足を踏んでいた。
 月が変わり長月に入ると、豊臣軍は馬仙峡谷沿いを進軍し、九戸城を望む大崩
崖の山並みに布陣した。
 絶海に突き出した孤島のように、雲海の中に九戸城の縄張が浮かんで見えた。
 信直は北の白鳥川、為信は西の馬渕川の対岸にそれぞれ陣を構えた。
 東側の猫渕川には、浅野長政が陣を据えた。
 鼠一匹抜けられぬほどに包囲された九戸城は、まるで無人のような静けさを保
っていた。
 そして、一斉に豊臣の太閤桐と呼ばれる黒い印が縫われた黄色い旗を揚げた。
 後世の日本国政府の紋章にも使われる事になる、三つ並んだ桐の葉の上に、五
枚・七枚・五枚と花弁が咲いた五七桐の家紋が入っていた。
 菜の花畑のように野山を埋め尽くすほど翻った五万本の旗の様子は、圧巻であ
った。
 北条同様に、これで相手の士気を削ぐ事が出来る筈だった。
 不気味な沈黙をする九戸の城に、動きが見られた。
 城内全ての櫓の天辺に、向い鶴の紋所が入った旗が掲げられた。
 それは、南部の家紋であった。
「逆賊が南部の旗印を掲げるなど、不埒極まれり」
 寡黙な信直が、珍しく吐き捨てるように悪態を付いた。
「この前の舟上からの鉄砲による夜襲を、どう思われますか」
 堀尾吉晴の指揮下に入った為信が聞いた。
「何ほどの事もない。攻められる口惜しさから出た最後っ屁という程度であろう」
 堀尾は、九戸など造作も無いといった態度で答えた。
「であれば、宜しいのですが」
 為信は、政実の顔を思い浮かべながら呟いた。
「先の城攻めでも、政実は己から城を出て向かって来たのであろう」
 次に、堀尾は信直に言った。
「はっ」
 信直は、恭しく返答した。
「であれば、今度は数が違う。一息に叩き潰せる」
 この戦勝ったりと、ほくそ笑みながら堀尾が言った。
 城を包囲しての初日の日中は小競合いさえ無く、九戸城には何の変化も見られ
なかった。
「使者を立てますか」
 為信が、気を利かせるように提案した。
「何を馬鹿な事を。我等から使者を立てるなど無用。立てるのは、降伏する側で
あろう」
 堀尾の言葉を聞いた信直は、先に失敗した九戸攻めに対しての自身に対する皮
肉に受け取った。
「もっとも、簡単に降伏されては巧妙の立て所が無くなって困るがの」
 信直と為信の二人は、堀尾吉晴の頭の中には論功行賞しか浮かばないかのよう
に思われた。
 日が落ちると早々に、豊臣の陣所内では飲酒する将兵の姿が目立った。
 九戸城を囲んだ川縁に、薄の穂が風にそよいでいた。
 その晩は、三日月が晧晧と光っていた。
 城の方から、優雅な笛の音が聞こえてきた。
 白檀が焚かれ、その香の匂いがほのかに漂ってきた。
 櫓の四方に薪が燃やされた。
 すると、城塀の一番高い櫓に、能楽師が現われた。
 笛や太鼓、大鼓と小鼓の伴奏に合わせて、能が舞われた。
 薪能が始まった。
 月明かりと薪の炎に照らされて、幽玄な能舞台が乾闥婆城のように現出した。
 装束を纏い、能面姿で太刀を振るいながら舞いを披露しているのは、政実であ
った。
 豊臣の兵達は、何事かと思い舞台を注視した。
 それはまるで、帝釈天に仕えて音楽を司り、武装し獅子冠をかぶって香のみを
食すと云う乾闥婆神が幻術によって空中に作り出した楼城のようであった。
 演目は、源氏ゆかりの南部にあって九郎義経だった。
 同門に追われる境遇の九郎と九戸を、同じ頭の九の数になぞって掛けたのであ
る。
 その意味を鑑みる者は少なかったが、白鳥川に陣取る南部信直は気付いていた。
「ふざけた真似を。誰か、射殺せ」
 酒癖の悪い堀尾吉晴が、怒鳴った。
 しかし、矢も鉄砲の弾も届かぬ距離であった。
 無論、政実はその事を承知しての行動だった。
「無粋な事を申すでない」
 浅野長政が、諌めた。
 半刻ほどの舞いが終わると、九戸方のみならず豊臣兵からも拍手喝采が巻き起
こった。
「戦にあっても、敵は風流を解する余裕があるという事だ」
 眼前の城に居る九戸政実という者、ただならぬ。
 この戦、存外に長引くかも知れぬと、浅野長政は思った。
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 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

after the rain

ノデミチ
青春
雨の日、彼女はウチに来た。 で、友達のライン、あっという間に超えた。 そんな、ボーイ ミーツ ガール の物語。 カクヨムで先行掲載した作品です、

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

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