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竜と愛の在る処

竜と愛の在る処-2

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 カイルがキースのにくまれ口を聞き流していると、ユアンがこちらに視線を向けた。

「外が騒がしかったみたいだけど、何かあった?」

 カイルがオーティスのことを報告すると、ユアンは机の上で頭を抱えた。

「……雪山で遭難だって? どうしてこんな天候の時にわざわざ飛んだんだ」
「心配ですね。北部の天気は変わりやすいと聞きます」

 そう答えたカイルに、キースは「馬鹿なだけだよ」としんらつに評した。
 ユアンはちょっと首を傾げて、カイルを見る。

「カイル卿」
「はい。隊長」

 ユアンはアルフレートの腹心の部下だ。アルフレートとカイルが王都で再会した際、彼は辺境伯の一行いっこうの中にいて、何かとカイルを気にかけてくれた。貴族らしからぬ穏やかな青年で、年下のカイルにも気安く接してくれる。こっそり友人のように思ってはいるのだが、現在カイルはユアンの副官という立場なので、城内では敬語である。
 そんなユアンはため息をつきつつきっぱりカイルに言う。

「今日も明日も明後日も、僕たちは忙しいからね。オーティスたちにはあまり関わらないこと! ……冬山に備えなくおもむけば、遭難することくらいは北部の人間ならば十分に認識しているはずだ。ごうとくだから」
「そう、なんですか?」
「心配しなくても大丈夫、明日には戻ってくるさ」

 ユアンは眉間にしわを寄せて、カイルに答えた。
 基本的に人のよいユアンだが、オーティスに対する評価は厳しい。キースもユアンに同意する。

「釘を刺しとくけど……カイルお前、絶対に首突っ込むなよ」
「……わかっているよ」

 カイルは頷いたが、キースとユアンが一瞬視線をわし合ったので、居心地悪く首の後ろをかいた。
 ――厄介事に巻き込まれがちなので、いまいち信用がない。
 以前、王都で事件に巻き込まれひんになり、最終的にアルフレートに命を救われたのだ。
 信用がない理由に心当たりがありすぎて、カイルは内心でうーんとうなった。
 ともかく、己が関わらない形で、なんとかオーティスが無事に戻ってきてほしいとカイルも祈っていたのだが――残念ながらカイルの祈りは大神には届かなかったらしい。
 オーティスは翌日も戻らず、彼の所属する小隊以外の騎士たちも幾人か捜索に駆り出されることになった。
 その日、ユアンは手薄になった城でクリスティナの補佐をし、カイルは日課になった竜厩舎への訪問をして――オーティスと同じ団の青年たちが深刻な表情で話し込んでいるのを、目撃した。

「まずいな……」

 呟いて、カイルは引き返すことにした。
 オーティスはカイルを嫌っている。あからさまに攻撃されることはないが、会話の端々に敵意とべつがある。
 となれば、彼と同じ所属の青年たちも自然にカイルを見る目が厳しくなる。言うなれば敵方しかいない場所に足を向けるのは得策ではないだろう。

『カイル!』

 そろりと竜厩舎に背を向けたカイルを、青年たちのドラゴンが目敏く見つけて喜びの声をあげた。

『帰っちゃうの、どうしたの!?』
「……ああ、うん。ちょっと。……また来るよ」
『帰っちゃやだよ! あそぼうよ』

 カイルは、しーっと口に人差し指を当てて、ドラゴンに静かにするように頼んだが、気ままに生きるドラゴンに空気を読むという選択肢はない。

「そこにいるのは誰だ?」

 ドラゴンの鳴き声が耳に入ったのか、オーティスの部下が近づいてきた。

「これは、カイル卿。どうしたんです、竜厩舎に何か御用ですか?」

 カイルは無邪気なドラゴンを多少うらみつつ、彼らに向き直った。

「日課です。竜厩舎にユアン隊長のドラゴンがいるので……毎日世話をしています。お取込み中のようなので、出直そうかと……」

 嘘ではない。彼らは疑わしそうな様子だが、一人の青年がカイルを上目遣いに見た。そしておそるおそる、というふうに切り出す。

「オーティス様の騎乗していたドラゴンは、このめすドラゴンのつがいなのです」
「オーティス殿のドラゴンの、つがい?」
『そうよ、私のつがいなの!』

 おうむ返ししたカイルに、茶色の皮膚のドラゴンが無邪気にキュイと鳴いて肯定する。
 青年は、沈痛な面持ちでカイルに尋ねた。

「ドラゴンは感応能力がある。親しいあいだがらならば、特に……こいつなら、オーティス様の居所を捜し当てることができるだろうか?」
『……それが、なあに? 私のつがいはお出かけ中よ』

 人がドラゴンの言葉を解さないように、ドラゴンは人の言葉があまりよくわからない。カイルのような異能持ちならば別だが……
 青年たちはせっ詰まった様子でカイルに詰め寄った。

「カイル卿、ご助力を願いたい。……このドラゴンに騎乗して、オーティス様を捜してくれないか。私も同行する。山の天気が変わりそうになったら、すぐに戻るから。どうか一緒に」
「……いや、それは」

 カイルは少々くちごもった。

「私はユアン様の部下です。上司の許可なく加勢するわけには……」
「あなたも今は北領の男だろう。見捨てるのか、同胞どうほうを。あなたにはオーティス様を救える異能があるのに――オーティス様は閣下の従弟いとこでもあるのに」
「おい、やめろ」

 若い騎士がカイルをぞうの視線で見て、同僚がそれを止める。
 だが、若い騎士はさらに言い募る。

「あなたが薄情なのは、閣下やユアン卿がオーティス様をうとんでおられるからか」

 カイルは騎士の発言に首を横に振った。

「まさか! 二人とも、北部の安定をいつも願っておられる。オーティス殿が早く戻られることを私も願っている」
「ならば、それを行動で示してはどうだ?」

 そう言われても、カイルは勝手に行動できる立場ではない。
 黙って去ろうとしたカイルの耳に、しょんぼりとしたドラゴンの声が飛び込んできた。

『オーティスが行方不明なの? じゃあ、私のつがいはどこなの? 捜しに行かなきゃ』

 カイルは動きを止めた。
 行くな、とユアンの声が聞こえた気がする。
 だが、この青年たちが言うようにつがいのドラゴンならばお互いの場所がわかるかもしれない……
 それに、万が一オーティスが雪山で遭難したまま戻らないという最悪の事態になれば「辺境伯の愛人は、オーティスを悪意を持って見殺しにした」と噂されるに違いない。
 カイルはため息をついた。
 厄介事に巻きこまれないようにする、と皆に誓ったばかりなのに……

「……私が役に立てるならば、できる範囲で助力しましょう」
「それは、ありがたい!」

 カイルが請け負うと、青年は表情を明るくした。
 カイルはさっそく青年の一人とドラゴンに同乗し、オーティスを捜索することになったのだが。
 数時間ドラゴンと飛んだ先の山小屋で、オーティスはあっなく見つかった。
 彼は防寒具を持ってきていたようで、思っていたよりも健康状態はよさそうだった。
 だが、づなを握る腕を傷めたらしく、ドラゴンへの騎乗が難しかったようで、痛みが引くまで待機していたらしい。

「オーティス様、よくご無事で」
「……心配をかけたね」

 再会を喜び合う主従の背後で、カイルはこっそり「人騒がせな」と悪態をついた。
 それから、ちらり、と青空を眺める。……雪はやんでいて、今なら問題なく帰れそうだ。
 以前、カイルと同じユアン隊所属の同僚が「天気がいい日がポツリと出てくると危ない。数日のうちに吹雪ふぶくぞ」と言っていたのが奇妙に印象に残っていて、気がく。

「無事で何よりです。オーティス殿。皆、心配しています。雪が降らないうちに戻りましょう」

 カイルが声をかけると、オーティスは柔和にゅうわに微笑む。

「ああ、カイル卿。君が捜しに来てくれたとは嬉しいな! ありがとう」
「……当然のことをしたまでです。さあ、早く」

 オーティスはわかった、と告げたが、申し訳なさそうにカイルを見た。

「カイル卿、その前に腹ごしらえをしてもいいか?」

 どうやら食糧が尽きていたらしい。それくらいなら時間はあるだろうと、カイルはオーティスの部下と視線をわし合って許可を出した。
 腕が痛むというオーティスを休ませて、カイルは彼の部下とともに山小屋のだんに火をともす。
 迷惑な男だが、貴族だ。彼をえさせても凍えさせてもならない。

「……つっ」

 考え事をしながら火をおこしたせいで、指を派手にぶつけてしまう。指先からにじむ血に、カイルは何度目かのため息をついた。
 火の番をしていると、少し具合がよくなったのかオーティスがカイルのそばに歩み寄ってくる。

「……同僚がいろいろと失礼なことを言ったらしいな。申し訳なかった、カイル卿」
「いいや、気にしていない。あなたが無事でよかった」
「ありがとう。……ああ、指に怪我をしたのか?」
「いや、これはたいしたことは……」

 カイルは指を引っ込めたが、オーティスは上機嫌で微笑んで、彼の家紋の刺繍ししゅうが入った手巾でカイルの指をおおった。

「少しの傷でも、大怪我につながることもある。油断はいけないよ、カイル卿」

 なんだか、妙に教訓めいている。
 ぱち、と火がぜる。
 一瞬、炎の色に緑が混じるのを奇異に思っていると、オーティスが背後で立ち上がる気配がした。

「カイル卿。あなたの欠点は……人がいことだな」

 何を、と思っていると炎が大きく揺らいで、緑の火が大きくなる。
 息を吸った途端に、くらりと身体が傾いだ。
 オーティスの部下も、オーティスも口元を布でおおっている。
 しまった、と思った瞬間には視界が揺らぐ。
 優美な指がカイルのあごを捕らえた。

「そういうところが気に食わない」
「なに……を」
「安心してくれ。人殺しは好きじゃないから、殺しはしない。アルフレートは君の死体から執念で死因を探るだろうから、毒が残っても困る。だから君はここで遭難してくれ。もうすぐ吹雪ふぶきが来る。……君は親切にも私をここへ捜しに来て、自分が遭難して……悲劇的に死ぬ。面白くはないけれど、まあ、雪山に慣れていない者によくある死因だよ」

 ふざけるな、と言いたかったがまぶたが重くて開かない。
 耳元でねとり、と声が流し込まれる。
 よい夢を、と……


 山小屋で一人目覚めた時、カイルはあまりの情けなさ加減にうずくまりたくなった。
 ……余計な親切を働いて自分が死ぬのでは意味がない。
 本当にお前は馬鹿だと自分をなじってやりたくなる。
 しかし、うずくまったところで、ここで緩やかな死を待つだけだ。
 それだけは、避けたい。
 どうしようかと考え、カイルは防寒着を着込み、山小屋の外に出てみる。
 このいっときだけかもしれないが雪はやんでいて、頭上には曇天が広がっていた。
 冷たい風に当てられながら、小屋の周辺を歩いてみる。
 ざくざくと音を立てて雪の上をしばらく進んでみるが、人影も他の建物も見当たらない。オーティスの狙い通り、この場にいる限り誰かに助けてもらうのは絶望的だ。
 白い息を吐いて手のひらをこすり合わせる。
 ふと視線を上げた先には、山があった。
 この山の先にあるのは――
 カイルはいちの希望をいだいて――苦笑した。

「……いつも一かばちかな気がするな」

 カイルは急いで山小屋に戻ると、あるだけの食糧を袋に詰め込んだ。
 山小屋にあった油と燃料を毛布やカーテンに染み込ませ、それらを外に持ち出すと、火種を使って盛大に燃え上がらせる。火は小屋に燃え移り、黒々とした煙が雪原を黒く染めていった。
 遠くからは黒煙と火が大きく見えるはずだ。
 特に上空から……たとえばドラゴンに乗っている者にはよく見えるだろう。
 そうであってほしいと願い、カイルは胸元から笛を取り出した。
「ドラゴンには聞こえる笛らしいぞ」と、アルフレートがくれたりゅうてきを取り出し――そして、思い切り吹いた。
 しばらくカイルが寒さと恐怖で震えていると、待ち兼ねた羽音が上空から聞こえた。
 その音は近づいてきて……やがて背後で止まり、ざ、ざ、と足音がする。

「……そこにいるのは何者だ? 同胞どうほうか、それとも、人間か?」
「この気配は同胞どうほうじゃないか? りゅうてきを持っていたし」

 どうやら男性二人だ。
 カイルは振り返って息を吐き出した。ガチガチと歯が鳴るのは、寒さが限界に達したせいだ。

「……魔族の里の方と、お見受け、する」

 カイルの視線を受けて男二人は顔を見合わせた。
 黒い髪にかっしょくの肌。
 瞳はあかく、二人ともおもむきは違えども美しい容姿をしていた。
 間違いない、魔族だろう。
 かじかむ指で、胸元から普段は隠している紋章を示す。
 背の高いほうの男が紋章を目にして眉間にしわを寄せた。
 いぶかしまれているのはわかっているが、今は遠慮している場合ではない。

「辺境伯の、カイル・トゥーリという。魔族のおさ、キトラ・アル・ヴィースに助力を願いたいと……伝えて……」

 それが気力の限界だった。
 倒れそうになったカイルを、背の高い男が、がしりと掴む。
 意識を失う瞬間、男のうめきが聞こえてきた。

「おい、この雑種野郎。俺様を面倒ごとに巻き込みやがったな?」

 不機嫌な声を聞きながら、カイルの意識は再び、闇に落ちた――


 寒い、というよりも痛みでカイルはのたうちまわった。どうやら凍傷になりかけているらしい。
 指が痛い、足の指が痛い熱い、助けてほしい、かゆい、切り落としてしまいたい。
 いっそなくなってしまえば楽だろうか。
 誰かがれるたびにくぐもったうめき声をあげて、唇を噛んで耐える。
 その時、耳元で皮肉な声がした。

「手足の指を全部切り落としてキトラのクソ野郎に送りつけてやろうかと思ったが、お前、なかなか我慢強いじゃないか、雑種野郎。泣きわめかないのが気に入った」

 薄く目を開けると、あかい瞳の男が笑っている。
 彼は何を思ったのか、カイルの指をべろりとなめた。

「――がっ」

 痛みで、カイルは魚のように跳ねた。

「あー、よしよし我慢しろ。痛いのよくなるだろ?」

 確かに男のざらりとした舌にれた部分の熱が、嘘のように引いていく。
 すべての箇所の痛みが引いてから、男は得意げにカイルに声をかけた。

「俺様に感謝しろよ! ええっと、お前、名前なんだっけ」
「かいる……」

 うまく回らない舌で言葉を紡ぐと、男は明るく笑う。

「カイルか、平凡な名前だな。俺はザジだ。目がめたら、はいつくばって俺に礼を述べろよ、いいな?」

 なんだか妙な奴に拾われた気がする、そしてこいつと似た何かを知っている。
 そうだ、孤児院にいた頃、キースとひそかに可愛がっていた黒く大きな野良犬だ。
 あいつも態度は偉そうだったが、実にもふもふと触り心地のいい奴だった……
 懐かしく思いながら、カイルは昏倒こんとうした。
 ――目覚めたのは、翌日のことだった。

「おい、人間。飯食えるか。お前、猫舌?」
「いえ、温かいスープは嬉しいです。ありがとうございます……」

 そう言って朝食を持ってきてくれたのは、少年姿の魔族、バシクだった。
 鶏肉と根菜を煮たスープをすすりながら、カイルは礼を言う。バシクは「じゃあ、よかったな」とカイルの頭を犬にするように撫でた。
 ……十五、六に見える少年だが、魔族は長寿なので、カイルと同じくらいは年齢を重ねているはずだ。
 カイルを拾ったのは、昨日治療してくれたザジとバシクという二人組だった。
 身体はまだ重いが助かった。カイルは両足を伸ばし、手指を開閉する。
 ……正直なところ、凍傷で身体を損なうのは覚悟していただけに、今の状況は幸運だ。
 しかし、ザジとバシクがどういう立場なのかがよくわからない。

「お、飯は食えたのか!」

 突然、うさぎを弓で仕留めてきたらしいザジが、元気に顔を出した。朝、カイルが目を覚ましたのを確認した彼は「ここにいても暇だ」と外に狩りに行っていたのだ。
 バシクが「よこせ」とうさぎを取り上げる。
 ザジは一気にカイルと距離を詰めると、あごを掴んだ。
 魔族には美形が多いが、ザジは綺麗というより精悍せいかんな顔つきだ。
 その顔が、鼻がつきそうなくらい近くにある。

「……ッ、なに」
「おい、カイル・トゥーリ。助けてやった礼に、正直に話せ」

 ニヤリと笑った口元から犬歯が覗いた。
 その手には、カイルがキトラからもらった紋章がある。

「雑種のお前が、何故キトラ・アル・ヴィースと面識がある? しかもどうして奴の持っていた紋章を持っている? お前、なんだ?」
「ん……ぐ……」

 応えたくても、あごを掴まれていては、しゃべれない。
 視線を動かすと、バシクは落ち着き払って朝食をとっていた。
 助け船は期待できなそうだと思っていると、ザジはさらに強く掴んでくる。

「おう、なんとか言え。言えないんなら、やっぱり切り刻んであいつに送りつけるぞ。いやがらせでな」

 だから、手を離せよ! と心の中でうなっていると――ザジの姿が視界から消えた。

「ぎゃんっ!!」

 大声をあげて誰かに蹴り飛ばされたザジが、小屋の壁に激突する。

「……な、なに?」

 カイルは無様にすっころんだザジに目を丸くしていると、頭上から不機嫌な声が降り注いだ。

「何、と聞きたいのは私のほうだ。カイル。その有様は……どういうことだ?」
「キトラ……!」

 あわてて見上げると、彫刻のように美しい男が、ほんのわずかに目を細めた。
 銀色の髪がさらりと揺れる。
 優美な指が動いて、ザジが掴んでいたカイルのあごぬぐうようにれる。

「駄犬がれたな? けがれた」

 キトラ・アル・ヴィース――魔族のおさであり、カイルの腹違いの兄である男は、美しい姿で嫣然えんぜんと微笑んだ。
 吹っ飛ばされたザジは、痛みにうめきながらもキトラを見てわめいた。

「いきなり現れて! 蹴る奴があるか! この……」
「うるさい、黙れ」

 キトラが投げた短剣は、ザジの顔の横の壁に、ずぶりと刺さった。
 ヒェ、とザジがあおめ、バシクはあーららと天井をあおぐ。
 そんな二人を気にする様子もなく、キトラはカイルを抱きしめた。

「半年ぶりか」
「キトラ、ご無沙汰、して、います……」

 異母兄の腕の中におさまりながら、カイルは目をまたたかせた。キトラは楽しげに微笑む。

「お前は会うたびに死にかけているな?」
「いつもというわけでは、ないんですけど。すみません、お呼び立てするつもりでは……」

 アル・ヴィースの名前を出せばきっと魔族はにはしないだろうと、キトラの名を出しただけなのだが、彼自身が来てくれるとは。
 驚いていると、キトラはカイルの頭の先から爪先まで心配そうに眺める。

「バシクから連絡を受けた。凍傷は?」
「あ、おそらくザジ、さんが、舐めてしてくれて……」

 そう答えて、カイルはギョッとした。
 ザジのいたあたりに、黒い狼がいて、うなっている。
 その狼を見て、キトラはフンと鼻を鳴らした。

「駄犬、カイルをしたことはめてやる。……が、舐めただと? 気に食わんな。あとでその舌を切り落としてやろうか?」
「がううううううううう!!」

 おそらくザジであっただろう狼が、うなり声をあげた。
 ものすごく怒っている。それはそうだろうな、と思う。
 カイルを助けたのにキトラに邪険にされては、腹が立つだろう。

「あー、お気になさらず、カイル様! キトラ様とそこの駄犬はねえー、会えばギャンギャンやり合うのがお約束なんですよう。どっちもおこちゃまなん……ぎゃっ!! 痛い! なんで私まで怒るんですかあ! キトラ様ぁ」

 唐突に声がしたので扉を見ると、魔族にしては珍しい色白の青年が、アハハと手を振っていた。
 キトラの側近、カムイだ。

「……カムイさん」
「元祖駄犬、お前もうるさい。黙っていろ!」

 あっに取られているカイルのすぐそばで、キトラが怒鳴る。
 カムイはそんな彼に全く動じず、恍惚こうこつとした表情を浮かべている。

「横暴だなあ。でも、怒るその横顔が美しくて素敵です、我が主人……」

 そういえば、カムイ……彼も犬の姿をとるはずだとカイルは思い出した。
 カムイとザジは知り合いなのだろうかと思っていると、この場でただ一人冷静なバシクが「カムイ、相変わらずきめえな」とぼやいた。
 全く、と同意しそうになり、カイルは首を横に振る。
 さすがに失礼だろう。助けに来てくれたっぽい人に対して、と反省する。
 そんなカイルに、バシクは説明してくれた。

「ザジと俺は……今はキトラに仕えてないから、部下ってわけじゃない。氏族が違うしな。だが、アル・ヴィースは我ら魔族の王だ。その名を出されたら、助力しないわけにはいかない。だから、カイルを助けた」
「助かりました。本当に……ありがとうございます」

 そうだ、感謝しろ! とばかりに『わふ!』とザジが鳴く。
 カムイがザジのそばに寄って、犬にするようにわしゃわしゃと撫でた。
 二人の様子に苦笑しながら、バシクは再び口を開く。

「で、そこの変態カムイと馬鹿ザジは、俺たちの氏族のいいとこのボンボンな。ザジはキトラ様が嫌いだから反発していて、カムイはキトラ様に心酔して仕えてんの。だから俺たちは顔見知り」
「わかりやすく説明してくれてありがたい」

 カイルが礼を言うと、バシクが首を傾げる。

「どーも。キトラ様がこんなにすぐに……しかも辺境伯の身内のために来るなんて想定外でした。こいつは、なんですか?」

 キトラはカイルの髪に指を潜らせながら、バシクに答える。

「これは、私の弟だ」
『がうっ?』

 ザジが驚いて妙な吠え方をする。
 後ろ足でガシガシと首筋を掻いて遠吠えをすると、ぽんっと音を立てて人の姿に戻った。

「――おとおとぉ? ……確かに、似たにおいがするじゃねえか。……アレか。お前のクソ親父の落としだねか?」
「そうだ。母はヒトだ。カイルは今は騎士として辺境伯領にいる」

 キトラの答えに、ザジはふぅん、と目を細めてカイルの首筋に鼻を寄せた。クンクンとにおいをがれる。
 全裸で近づくのはやめてほしい、と思っていると、キトラが無言でザジの顔を蹴った。

「近づくな。弟がけがれる」
「弟の命の恩人を蹴るんじゃねえっ……」

 がうがう、とザジがいかり、その隣でバシクがいたって冷静に尋ねる。

「キトラ様。俺たちが弟君を助けられたのは全くの幸運ですが、そのほうはいただけるんでしょうか?」

 カイルはぎょっとした。俺が……と言おうとするのを、キトラにさえぎられる。

「無論。キロランの息子、バシクとザジよ。貴兄らを我が家にて歓待しよう。参られよ」

 ザジとバシクは沈黙したが、両手を胸の前で合わせて礼をした。承諾の合図らしい。
 キトラはそれに鷹揚おうように頷くと、今度はカイルを見た。

「カイル」
「はい」
「ザジがしたとはいえ、お前は万全ではない。お前も連れて行くぞ、いいな」
「……辺境伯家に連絡を」
「私の屋敷に到着してからにしろ」

 キトラは機嫌よくカイルの反論を封じた。
 カムイがカイルに向かって指を唇に当てて「しーっ」と口を動かす。逆らうな、ということらしい。

「……わかり、ました」

 魔族の里の本拠地は少し遠いというので、カイルはキトラたちに文字通り運ばれることになった。
 魔族の異能により、抱えられたまま瞬間移動したわけだ。
 ザジが一度家に寄りたいというので、カイルたちも同行した。

「まずは私の屋敷でのんびりしましょう。本宅ではなく、私が住むだけの別宅ですが」

 カムイにそう言われて、カイルは首を傾げる。

「カムイさんの?」
「ええ、私とザジは同郷ですから」


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