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取材
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1. 仮面の朝
朝、スラックスに脚を通す動作に、一切の迷いはない。 布地が内腿をなぞる瞬間、数日前に刻まれたばかりの「赤」が微かな疼きをもって存在を主張した。
新城は表情ひとつ変えず、ベルトを締め、ネクタイの結び目をミリ単位の狂いもなく整える。 鏡の中にいるのは、血も涙もない医学部の教授だ。 その内側に、他人の情欲とインクを流し込まれた「標本」が隠されているなど、誰が想像できるだろうか。
新城:「……行くか」
自分自身に静かな号令を下し、彼はいつものように大学へ向かった。
2. レンズの侵食
講義室の空気は、新城が教壇に立つなり一点の曇りもない静謐に包まれた。 彼が纏う理路整然とした厳格さが、数百人の学生を等しく律する。 新城は淡々とスライドを進め、澱みのない論理で講義を展開していった。
だが、不測の事態は唐突に訪れる。 広報部の職員が取材班を引き連れて入室してきた。
職員:「本学教育広報部の者です。本日の講義、少し撮影させていただければと」
無機質なレンズが新城に向けられる。 普段なら意識にも留めない程度の視線だ。 しかし今日に限って、カメラの「記録する」という性質が、新城の防衛本能を静かに逆撫でした。 見えるはずのない「赤」が、皮膚の裏側からかすかに熱を放つ。
新城:「……構いません。続けましょう」
声は凪いでいる。 だが、外界という公的な空間に、羽生という私的な執着が持ち込まれた事実に、新城の体温は静かに上昇した。
3. 不在の支配
教卓のスマートフォンが一度だけ短く震えた。 羽生からのメッセージ。
『もう終わった?』
たったそれだけで、取材の緊張も、一瞬で世界の“裏側”へ押し流される。
新城:(……今は、仕事中だ)
心の中で淡々と切り捨て、新城は意図的に重心を正した。 ここは俺の場所だ。 だが、スラックスの裏地が「赤」を撫でるたび、鉄壁だったはずの身体の統制が、わずかに意識からこぼれ落ちていく。
職員:「教授、講義の流れを崩すほどではありません。自然に進めていただいて構いませんので」
職員の言葉に、新城は短くうなずいた。 いつも通りに歩き、立ち振る舞う。 それが最も得意なことであるはずなのに、自覚できないほどの速さで心拍が刻まれていく。 それは秘密を抱えた罪人の緊張ではない。 他人の無機質な視線に、自らの内側を静かに踏み荒らされることへの、潔癖なまでの拒絶反応だった。
記者:「教授、少し質問をお願いいたします。今日のテーマである“人の内の変容”は、どのように表れやすいとお考えですか?」
新城:「人は、外側より内側の変化に気づきにくい。だからこそ、身体的なストレスや緊張が、まず現れやすいんです」
答えながら、自分の内腿に刻まれた「変化」を冷徹に切り離した。 これは私生活だ。講義とは無関係だ。 そう自らに言い聞かせることで、かろうじて平熱を保つ。
記者:「教授ご自身はどうですか? 外と内で、意識のズレを感じることはありますか?」
レンズが自分のスラックスを透過し、内腿の『赤』を暴き立てようとしている。 それは羽生の視線のような熱を持たず、ただ自分を「標本」として切り取る無機質な視線だった。 新城は一拍置き、仮面のような笑みを浮かべた。
新城:「誰でもありますよ。ただ、それを表に出さないだけです」
そのとき、カメラマンが何気ない一言を放った。
カメラマン:「先生、もう少し脚を閉じてもらえますか? その方がラインが綺麗なので」
その指示に、新城の思考が一瞬だけ停止した。
脚を閉じる――それは、内腿の『赤』を自らの肉で押し潰し、そこに刻まれた「羽生」という異物を改めて全身に染み渡らせる行為に他ならない。 新城はわずかに奥歯を噛み締め、両腿を垂直に揃えた。 肉同士が密着し、まだ過敏な皮膚が、鈍い熱を脊髄へと伝える。
新城:(……黙れ。思考を止めるんだ。……余計なことは、何も考えるな)
外界という汚泥に触れるくらいなら——。 そこまで思考が進みかけた瞬間、新城は即座にその連想を遮断した。 比較するな。選ぶな。それは判断ではなく、ただの錯誤だ。
それでも、無機質なレンズが自分を「解剖」しようとするたび、理性の裏側で、羽生の体温だけが反射的に浮上する。 望んだのではない。 ただ、あらゆる外界を拒絶した結果、その残滓だけが「正解」のように居座っているだけだ。
4. 内側の熱
再びスマホが震え、画面が小さく光る。
『今日は長そうだね』
新城は画面を伏せ、深く、重い息を吐き出した。
新城:(……外の視線より、あいつの一言の方が厄介だ)
取材陣がカメラを収める音が響く。 新城はようやく教卓に軽く体重を預け、そっと目を閉じた。
学生たちが去り、教室の空気がようやく緩み始めた。 新城は教卓に寄りかかったまま、背中から脚へ抜ける疲労を感じ、深呼吸を繰り返した。
新城:(……下らぬ時間だった)
脳裏にこびりついたレンズの視線を振り払うように頭を振るが、脚を閉じた際のあの「密着した熱」だけは、容易に霧散してくれない。 他人の無遠慮な言葉が、図らずも羽生に刻まれた印を鮮明に呼び覚ましていた。
…………その時。机の上のスマートフォンが再び震えた。
『取材、来てるって聞いた』
質問とも呼べない短さ。 けれど、この一言だけで胸の奥が急激な熱を帯びた。 十分前まで自分を追い立てていた外部の言葉たちが、一気に遠ざかっていく。
新城:(……救いようのない、疫病神め)
小さく呟き、心拍を整えようと試みる。 外界の誰に何を暴かれようと、この歪んだ「赤」を共有しているのは、羽生ただ一人なのだという事実だけが、今の彼を奇妙に落ち着かせていた。
新城は長く息を吐き、ようやく背筋を伸ばしてスマホを手に取った。
『講義終わったところだ。…おまえは?』
たったこれだけの返信に、三十秒もの時間を要していた。 羽生の返信が来る前に、新城は鞄を肩に掛け、重い脚を運んで教室を後にした。
内腿にある熱は、まだ、一向に引く気配を見せなかった。
朝、スラックスに脚を通す動作に、一切の迷いはない。 布地が内腿をなぞる瞬間、数日前に刻まれたばかりの「赤」が微かな疼きをもって存在を主張した。
新城は表情ひとつ変えず、ベルトを締め、ネクタイの結び目をミリ単位の狂いもなく整える。 鏡の中にいるのは、血も涙もない医学部の教授だ。 その内側に、他人の情欲とインクを流し込まれた「標本」が隠されているなど、誰が想像できるだろうか。
新城:「……行くか」
自分自身に静かな号令を下し、彼はいつものように大学へ向かった。
2. レンズの侵食
講義室の空気は、新城が教壇に立つなり一点の曇りもない静謐に包まれた。 彼が纏う理路整然とした厳格さが、数百人の学生を等しく律する。 新城は淡々とスライドを進め、澱みのない論理で講義を展開していった。
だが、不測の事態は唐突に訪れる。 広報部の職員が取材班を引き連れて入室してきた。
職員:「本学教育広報部の者です。本日の講義、少し撮影させていただければと」
無機質なレンズが新城に向けられる。 普段なら意識にも留めない程度の視線だ。 しかし今日に限って、カメラの「記録する」という性質が、新城の防衛本能を静かに逆撫でした。 見えるはずのない「赤」が、皮膚の裏側からかすかに熱を放つ。
新城:「……構いません。続けましょう」
声は凪いでいる。 だが、外界という公的な空間に、羽生という私的な執着が持ち込まれた事実に、新城の体温は静かに上昇した。
3. 不在の支配
教卓のスマートフォンが一度だけ短く震えた。 羽生からのメッセージ。
『もう終わった?』
たったそれだけで、取材の緊張も、一瞬で世界の“裏側”へ押し流される。
新城:(……今は、仕事中だ)
心の中で淡々と切り捨て、新城は意図的に重心を正した。 ここは俺の場所だ。 だが、スラックスの裏地が「赤」を撫でるたび、鉄壁だったはずの身体の統制が、わずかに意識からこぼれ落ちていく。
職員:「教授、講義の流れを崩すほどではありません。自然に進めていただいて構いませんので」
職員の言葉に、新城は短くうなずいた。 いつも通りに歩き、立ち振る舞う。 それが最も得意なことであるはずなのに、自覚できないほどの速さで心拍が刻まれていく。 それは秘密を抱えた罪人の緊張ではない。 他人の無機質な視線に、自らの内側を静かに踏み荒らされることへの、潔癖なまでの拒絶反応だった。
記者:「教授、少し質問をお願いいたします。今日のテーマである“人の内の変容”は、どのように表れやすいとお考えですか?」
新城:「人は、外側より内側の変化に気づきにくい。だからこそ、身体的なストレスや緊張が、まず現れやすいんです」
答えながら、自分の内腿に刻まれた「変化」を冷徹に切り離した。 これは私生活だ。講義とは無関係だ。 そう自らに言い聞かせることで、かろうじて平熱を保つ。
記者:「教授ご自身はどうですか? 外と内で、意識のズレを感じることはありますか?」
レンズが自分のスラックスを透過し、内腿の『赤』を暴き立てようとしている。 それは羽生の視線のような熱を持たず、ただ自分を「標本」として切り取る無機質な視線だった。 新城は一拍置き、仮面のような笑みを浮かべた。
新城:「誰でもありますよ。ただ、それを表に出さないだけです」
そのとき、カメラマンが何気ない一言を放った。
カメラマン:「先生、もう少し脚を閉じてもらえますか? その方がラインが綺麗なので」
その指示に、新城の思考が一瞬だけ停止した。
脚を閉じる――それは、内腿の『赤』を自らの肉で押し潰し、そこに刻まれた「羽生」という異物を改めて全身に染み渡らせる行為に他ならない。 新城はわずかに奥歯を噛み締め、両腿を垂直に揃えた。 肉同士が密着し、まだ過敏な皮膚が、鈍い熱を脊髄へと伝える。
新城:(……黙れ。思考を止めるんだ。……余計なことは、何も考えるな)
外界という汚泥に触れるくらいなら——。 そこまで思考が進みかけた瞬間、新城は即座にその連想を遮断した。 比較するな。選ぶな。それは判断ではなく、ただの錯誤だ。
それでも、無機質なレンズが自分を「解剖」しようとするたび、理性の裏側で、羽生の体温だけが反射的に浮上する。 望んだのではない。 ただ、あらゆる外界を拒絶した結果、その残滓だけが「正解」のように居座っているだけだ。
4. 内側の熱
再びスマホが震え、画面が小さく光る。
『今日は長そうだね』
新城は画面を伏せ、深く、重い息を吐き出した。
新城:(……外の視線より、あいつの一言の方が厄介だ)
取材陣がカメラを収める音が響く。 新城はようやく教卓に軽く体重を預け、そっと目を閉じた。
学生たちが去り、教室の空気がようやく緩み始めた。 新城は教卓に寄りかかったまま、背中から脚へ抜ける疲労を感じ、深呼吸を繰り返した。
新城:(……下らぬ時間だった)
脳裏にこびりついたレンズの視線を振り払うように頭を振るが、脚を閉じた際のあの「密着した熱」だけは、容易に霧散してくれない。 他人の無遠慮な言葉が、図らずも羽生に刻まれた印を鮮明に呼び覚ましていた。
…………その時。机の上のスマートフォンが再び震えた。
『取材、来てるって聞いた』
質問とも呼べない短さ。 けれど、この一言だけで胸の奥が急激な熱を帯びた。 十分前まで自分を追い立てていた外部の言葉たちが、一気に遠ざかっていく。
新城:(……救いようのない、疫病神め)
小さく呟き、心拍を整えようと試みる。 外界の誰に何を暴かれようと、この歪んだ「赤」を共有しているのは、羽生ただ一人なのだという事実だけが、今の彼を奇妙に落ち着かせていた。
新城は長く息を吐き、ようやく背筋を伸ばしてスマホを手に取った。
『講義終わったところだ。…おまえは?』
たったこれだけの返信に、三十秒もの時間を要していた。 羽生の返信が来る前に、新城は鞄を肩に掛け、重い脚を運んで教室を後にした。
内腿にある熱は、まだ、一向に引く気配を見せなかった。
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