終末レンタル家族

井上シオ

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第2章:ほころびの家

第19話「声だけで繋がっていた」

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 小さな部屋だった。
 古びたテーブルと椅子がひとつずつ、カーテンのない窓、簡素な毛布。

 けれど、ヒカルにはここが世界でいちばん静かで、あたたかい場所に思えた。
 

 「……ヒカル。ほんとに……ヒカルなのね」

 母――律子は、目の前に座りながらも何度もそう繰り返した。
 そのたびに、ヒカルの名前が声に乗って揺れた。
 その震えが、ずっと夢見ていた“帰り道”のように響いた。
 

「ずっと、探してたんだ。
 おもちが……母さんの記録を……母さんの声を、俺に届けてくれて……」

「……あの子……生きてたんだね」

 律子はそっと、おもちを撫でた。
 白くて丸い身体が、くすぐったそうにぷるぷる震える。

「――あの子には、全部託したの。
 名前も、記録も、声も……。制度に消されても、どこかで“ヒカル”を呼び続けてくれるようにって」
 

 ヒカルの胸に、熱いものがこみ上げてくる。

「覚えてる……“カップ麺でもごちそうだよ”って言った夜」
「俺、あのとき母さんがちょっと泣いてたの、気づいてた」
「でも、何も言えなかった。怖くて……大人って、壊れないって思い込んでたから……」

 律子はそっと目を閉じた。
 その目尻には、もう隠さなくなった涙がにじんでいた。
 

「ヒカル……ありがとう。あの言葉、ずっと救いだったのよ」
「誰にも届かないと思ってた声が、届いてたんだって――今、やっとわかった」

 
 ヒカルは、震える手でポケットから端末を取り出した。
 そこには、母の記録ファイルが保存されている。

「これ……公開した。みんなに“ヒカルを消さないで”って、伝えた」

 律子は驚いたように目を見開き、そして――静かに笑った。
 

「……そう。よかった。あの声は、あんたに渡せてよかった」

「でも……母さんの声を“制度にさらした”ようなものだよ。……怒ってない?」
 

 律子は首を横に振った。

「制度は、私を消した。
 でもあなたは、“名前を呼び返した”。
 それって、誰にでもできることじゃない。誇りに思ってるよ。
 あんたが、“声を選んでくれたこと”を」
 

 夜が深まっていく。
 名前を呼び合うだけで、時間がゆっくりと流れていく。

 かつてあったはずの家族。
 もう二度と戻らない日々。
 でも、“あった”という記憶だけは、
 制度がどんなに塗り替えても、誰にも奪えなかった。
 

「……ねぇ、ヒカル」

「うん?」

「お母さん、あなたにもう一度だけ、ちゃんと呼ばれたくなった」
 

 ヒカルは微笑む。
 迷わず、優しく、まっすぐに、こう言った。
 

「律子。俺の母さんだよ」
 

 その名を聞いたとたん、律子の瞳から静かに涙がこぼれた。

 泣きながら、笑った。
 その姿を見たヒカルも、声にならないほどのあたたかさに包まれていた。

 声だけで、名前だけで、
 ふたりはつながっていた。
 何年も、制度の向こう側で。
 

 ――そして今、ようやく“存在”として出会えたのだ。
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