終末レンタル家族

井上シオ

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第2章:ほころびの家

第20話「誰にも消せないもの」

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 翌朝、ヒカルは薄い布団から起き上がると、まだ眠る母の横顔を見つめた。
 その顔はやせ細り、以前の面影は少ししか残っていなかったが――それでも、母だった。

 声も、目も、手のひらのしわも、すべてが「律子」で、ヒカルにとって唯一無二の存在だった。
 

 「おはよう、おもち」

 足元で丸まっていた白い球体が、小さくブルっと震えた。

 “おもち”は、ヒカルの言葉に反応するように体の一部を開き、光を放った。

 中から、録音データが再生される。
 

 《――当該市民:本間律子は、記録上抹消済みです――》
 《これ以上の探索行動は推奨されません》
 《仮想家族による再代替をご提案します》
 

 ヒカルは画面を閉じた。

 制度は、まだ“母を認めていない”。
 たとえ目の前に実在していても、名前を呼び合っても――“記録にない者”は、存在しないと。
 

 「だったら、書き直してやるよ」

 ヒカルは、呟いた。

 母が目を覚ます前に、ヒカルは部屋を出た。
 

 この街にはネットワークの隙間がある。
 制度の目をすり抜ける“旧式の中継所”がまだ地下に残っていることを、ナオトから聞いていた。
 

 数時間後、ヒカルはそこにたどり着いた。

 埃にまみれたコンクリートの壁、古びた端末。
 でもその中には、まだ生きたデータベースの残響が息づいている。
 

 おもちの記録を差し込む。
 律子の声、ヒカルの名前、ふたりが交わした会話。

 それらを圧縮し、データに刻む。
 

 “母の声は、消えてなどいなかった”
 “ヒカルという名を呼び続けていた”
 

 ヒカルは一文字ずつ、手入力で文章を打ち込んだ。
 記録に名前を、声に存在を、そして関係に意味を。

 やがて画面にこう表示された。
 

 《家族構成の再定義を要求します》
 《再審査中……受理完了》
 

 その瞬間、小さな“承認音”が鳴った。

 ヒカルは、ふぅ、と息を吐いた。

 これはほんの一歩だ。
 けれど確かな前進だった。
 

 誰かの“存在”は、記録に書かれているからではなく、
 呼びかけた人がいたから、そこにいる。

 それが、ヒカルが母と再会して知ったことだった。
 

 帰り道、ヒカルは夜の風に吹かれながら歩いた。

 小さな青い家の前で、おもちが静かに震えた。

 ヒカルがドアを開けると、律子が立っていた。
 手に一冊のノートを持って。
 

 「ねぇ、ヒカル……このノート、まだ少し残ってたの。
 あんたが小さい頃、話しかけた言葉、書き留めてたのよ」
 

 ヒカルはそれを受け取った。

 中には、くしゃくしゃな字で、こう書かれていた。
 

 『おかえり』って言う日を、ずっと待ってる。
 それまで、消えないように声を出す。
 

 ヒカルは、そのページを静かに閉じた。
 

 「ただいま、母さん」

 律子は泣きながら、笑った。

 もう“制度”が何を言っても、この言葉は消えない。

 誰にも、消せない。
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