影武者の天下盗り

井上シオ

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第7章:天下の仮面

第45話:虚構の序章

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 春の風が安土城を撫でていた。

 京より使者が来たという知らせに、十兵衛――“信長”は政務の手を止めた。
 使者は朝廷の高官、吉田兼行。掌には一通の綸旨、そして言葉には重い響きがあった。

 「征夷大将軍に――おなりくださりませ」

 居並ぶ家臣たちがざわめいた。

 将軍――それは足利が途絶えて以来、空位となっていた“天下の名代”。
 すなわち、“天下人”そのもの。

 「……将軍、か」

 十兵衛の声には戸惑いも驚きもなかった。ただ、静かな確信。
 “影”であるはずの男が、“歴史の先頭”に立とうとしていた。

 その夜、濃姫は問いかける。

 「あなたは、そこまで登って……どこへ行くつもり?」

 「上へ。もっと上へ。……“信長”として、この国の形そのものを変える」

 「あなた自身が、もうどこにもいなくなっても?」

 十兵衛は、かすかに笑う。

 「それでいい。俺は、“誰か”でいるより、“何か”で在りたい」

 ──

 やがて、諸国に“天下布武”の新令が発せられる。
 それは、武家諸法度の改定。寺社・公家にも統治の手が及び、信長の権威は“神仏”すら従え始めた。

 城下に住む農民たちは語った。

 「殿様は、もう昔の殿様やない。……あれは天から遣わされたもんや」

 「本能寺で焼けた身が蘇ったんや。まことの不死身、あれこそ“本物”や」

 だが、そんな信仰にも似た熱狂の影で、新たな“記録”の改ざんが進められていた。

 過去の書状、信長の筆跡、遺影――
 全てが、十兵衛に“似たもの”へと書き換えられてゆく。

 「……歴史とは、記録ではない。記憶である」

 黒田官兵衛の言葉が、耳の奥で響いていた。

 「信じる者が多ければ、真実は変えられるのです」

 “影”が“本物”に成り代わるのではない。
 “本物”そのものが、影の形に歪められていく。

 その始まりが、いま刻まれた。
 これが、「虚構の序章」。
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