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4話 暗闇
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冗談だよ、と何かの間違いだと言ってくれるのではないかとまだ期待している自分がいる。だが心の片隅では分かっているのだ。これは夢じゃない。突きつけられたこの現実は、紛れもなく本物なのだと。
カタカタと唇が震える。いい加減にしなさい、と怒鳴ってやりたかった。けれど何も言葉が出てこないのだ。真っ青になって唇を固く閉ざす。
「俺のこと怖い?」
こくんと素直に頷くと、悠は一瞬傷ついたように苦笑する。
「大丈夫。あの頃と何も変わってないよ。俺はちーちゃんのものだから」
宥めるように優しく髪を撫でて、ぎゅっと優しく抱きしめられる。けれど体の感覚がない。石のように固まって悠の体温を感じることさえできない。
――どうしよう。怖い。
こんなの私の知っている悠じゃない。一体この数年間で何があったのか。何が悠をここまで変えてしまったのか。聞きたいのに聞きたくない。
あれほど心配で仕方がなかったというのに、今は再会しなければよかったと思ってしまっている自分がいる。
「もう、私の知ってる悠じゃないのね」
「どうだろう。自分じゃよく分からないや」
あの頃と同じだ。子どものように無邪気に笑う。
けれど悠はこんなことを言う子じゃない。穏やかで、優しくて、人を傷つけるようなことなんて絶対にしない。
その悠が、私の前に立ち塞がる。一度も私の前に立ったことなんてなかったくせに、逃げ道を塞がれていく。こんな再会を望んでいたわけじゃない。できることなら、また一緒にいたかった。
「私、辞めるから……」
「やめる?」
「会社、辞める……」
ぼそりとか細い声で本音が漏れた。
もうどうでもいい。どちらにしてもハワイに行けないならここにいる意味もない。私の積み重ねてきたことは全て無駄だったのだ。ここでやりたくもない仕事に就くぐらいなら、いっそ転職してしまった方がマシだ。
「できないよ、そんなこと」
「悠が決めることじゃない!」
声を荒げて、キッと悠を睨みつけた。けれど悠は動じることもなく、迫るような顔つきで私を見つめる。
「今回の買収はちーちゃんをうちに貰う条件で受けたんだ。断ったら本当に倒産するよ」
「あんな会社こっちからお断りよ……!」
会社のことなんてもうどうでもいい。どうせ売られた身だ。あんな会社に居続ける理由も義理もない。
「ふーん……」
すると悠が、嘲笑うような冷笑を浮かべる。
「じゃあ、ちーちゃんの大好きな斎賀さんや後輩クン達がどうなってもいいんだ」
「え……?」
「ちーちゃんが、あの人たちの人生も全部つぶすことになるんだよ」
優越感の混ざった瞳で見つめられ、悠がニヤリと口元を歪める。
妙な胸騒ぎがした。斎賀さんの顔が頭に浮かぶ。先ほどの件もある。悠は斎賀さんのことを良く思っていないはずだ。
(まさか本気で……?)
ありえないことじゃない。有澤ロイヤルは相模リゾートの傘下に入るのだ。
その気になれば、簡単に辞めさせることだってできるに違いない。
「脅してるつもり?」
「そうだよ、脅してる」
私だけならいい。けれど、斎賀さんを巻き込むというのならたとえ幼馴染であっても許せない。
「最低っ……!」
「最低でもいい。ちーちゃんが俺のものになってくれるなら」
「だから私は……!」
振り上げた腕を掴まれた。悠がスッと目を細めて、微笑を浮かべる。
唇が触れるか触れないかの距離で、悠は真っ直ぐ私を見つめたまま口を開いた。
「俺ね、ちーちゃんに置いて行かれて本当にショックだったんだ。だから――」
「今度は逃がさないよ」
――だめだ。
悠は本気だ。私の気持ちなんて関係ない。
きっと何を言っても引き下がるつもりはないのだろう。
凍ったような沈黙が支配する。これ以上は埒があかない。言い争っても無駄だ。悠は意思を変えるつもりはないし、私も易々と受け入れるつもりはない。
「……オフィスに戻る」
悠の腕を振り切って、なんとか立ちあがった。
淡々と言葉を吐き捨てて、悠の横を通り過ぎる。
「行っておいで。今日は自由にしてあげる」
私は何も答えなかった。無言でドアノブに手を伸ばし、勢いよく扉を開く。
「でも明日からは、俺のものだからね」
ばたんと扉が閉まる直前、言葉にできないほどの罪悪感が重くのしかかる。
視界がどんどん暗闇に染まっていく。思い描いた未来が少しずつ消えて、ぽつんと一人取り残される。
――いやだ。いかないで。私を置き去りにしないで。
必死に足掻いて走り出した。けれど、どれだけ走っても辿り着けないのだ。
あの頃からずっと、私は何も変わっていない。
(もう、嫌なのよ。これ以上苦しむのは……!)
あとどれだけ、この暗闇の中で苦しめばいいのだろう。どれだけ走りつづければいいのだろう。
形の見えない希望を求めて、後どれだけ追いも求めればいいのだろう。
(お願いだから……もう……)
暗闇の中、必死に手を伸ばした。
けれど最後に残った希望の光さえも、やがて静かに消えていった。
⇔
頭が真っ白になったまま、なんとかビルを出た。
これからどうしよう。会社に戻って荷物をまとめて、後輩に仕事を引き継いで、明日から――。
(明日から、悠の元で……)
――いやだ。行きたくない。
分かっているのに、悠の言葉が頭から離れない。
(私、どうすればいいの……)
あの悠が一歩も譲らなかったのだ。むしろ私に挑んできた。今まで私に意見したことなんて一度もなかったのに。
疲れ果てて、足に力が入らない。貧血でも起こしているのか、くらりと眩暈がする。
体が崩れ落ちそうになった時だった。とん、と誰かの手が体を支えてくれる。
そこにいたのは――。
「朝倉」
「……斎賀さん?」
カタカタと唇が震える。いい加減にしなさい、と怒鳴ってやりたかった。けれど何も言葉が出てこないのだ。真っ青になって唇を固く閉ざす。
「俺のこと怖い?」
こくんと素直に頷くと、悠は一瞬傷ついたように苦笑する。
「大丈夫。あの頃と何も変わってないよ。俺はちーちゃんのものだから」
宥めるように優しく髪を撫でて、ぎゅっと優しく抱きしめられる。けれど体の感覚がない。石のように固まって悠の体温を感じることさえできない。
――どうしよう。怖い。
こんなの私の知っている悠じゃない。一体この数年間で何があったのか。何が悠をここまで変えてしまったのか。聞きたいのに聞きたくない。
あれほど心配で仕方がなかったというのに、今は再会しなければよかったと思ってしまっている自分がいる。
「もう、私の知ってる悠じゃないのね」
「どうだろう。自分じゃよく分からないや」
あの頃と同じだ。子どものように無邪気に笑う。
けれど悠はこんなことを言う子じゃない。穏やかで、優しくて、人を傷つけるようなことなんて絶対にしない。
その悠が、私の前に立ち塞がる。一度も私の前に立ったことなんてなかったくせに、逃げ道を塞がれていく。こんな再会を望んでいたわけじゃない。できることなら、また一緒にいたかった。
「私、辞めるから……」
「やめる?」
「会社、辞める……」
ぼそりとか細い声で本音が漏れた。
もうどうでもいい。どちらにしてもハワイに行けないならここにいる意味もない。私の積み重ねてきたことは全て無駄だったのだ。ここでやりたくもない仕事に就くぐらいなら、いっそ転職してしまった方がマシだ。
「できないよ、そんなこと」
「悠が決めることじゃない!」
声を荒げて、キッと悠を睨みつけた。けれど悠は動じることもなく、迫るような顔つきで私を見つめる。
「今回の買収はちーちゃんをうちに貰う条件で受けたんだ。断ったら本当に倒産するよ」
「あんな会社こっちからお断りよ……!」
会社のことなんてもうどうでもいい。どうせ売られた身だ。あんな会社に居続ける理由も義理もない。
「ふーん……」
すると悠が、嘲笑うような冷笑を浮かべる。
「じゃあ、ちーちゃんの大好きな斎賀さんや後輩クン達がどうなってもいいんだ」
「え……?」
「ちーちゃんが、あの人たちの人生も全部つぶすことになるんだよ」
優越感の混ざった瞳で見つめられ、悠がニヤリと口元を歪める。
妙な胸騒ぎがした。斎賀さんの顔が頭に浮かぶ。先ほどの件もある。悠は斎賀さんのことを良く思っていないはずだ。
(まさか本気で……?)
ありえないことじゃない。有澤ロイヤルは相模リゾートの傘下に入るのだ。
その気になれば、簡単に辞めさせることだってできるに違いない。
「脅してるつもり?」
「そうだよ、脅してる」
私だけならいい。けれど、斎賀さんを巻き込むというのならたとえ幼馴染であっても許せない。
「最低っ……!」
「最低でもいい。ちーちゃんが俺のものになってくれるなら」
「だから私は……!」
振り上げた腕を掴まれた。悠がスッと目を細めて、微笑を浮かべる。
唇が触れるか触れないかの距離で、悠は真っ直ぐ私を見つめたまま口を開いた。
「俺ね、ちーちゃんに置いて行かれて本当にショックだったんだ。だから――」
「今度は逃がさないよ」
――だめだ。
悠は本気だ。私の気持ちなんて関係ない。
きっと何を言っても引き下がるつもりはないのだろう。
凍ったような沈黙が支配する。これ以上は埒があかない。言い争っても無駄だ。悠は意思を変えるつもりはないし、私も易々と受け入れるつもりはない。
「……オフィスに戻る」
悠の腕を振り切って、なんとか立ちあがった。
淡々と言葉を吐き捨てて、悠の横を通り過ぎる。
「行っておいで。今日は自由にしてあげる」
私は何も答えなかった。無言でドアノブに手を伸ばし、勢いよく扉を開く。
「でも明日からは、俺のものだからね」
ばたんと扉が閉まる直前、言葉にできないほどの罪悪感が重くのしかかる。
視界がどんどん暗闇に染まっていく。思い描いた未来が少しずつ消えて、ぽつんと一人取り残される。
――いやだ。いかないで。私を置き去りにしないで。
必死に足掻いて走り出した。けれど、どれだけ走っても辿り着けないのだ。
あの頃からずっと、私は何も変わっていない。
(もう、嫌なのよ。これ以上苦しむのは……!)
あとどれだけ、この暗闇の中で苦しめばいいのだろう。どれだけ走りつづければいいのだろう。
形の見えない希望を求めて、後どれだけ追いも求めればいいのだろう。
(お願いだから……もう……)
暗闇の中、必死に手を伸ばした。
けれど最後に残った希望の光さえも、やがて静かに消えていった。
⇔
頭が真っ白になったまま、なんとかビルを出た。
これからどうしよう。会社に戻って荷物をまとめて、後輩に仕事を引き継いで、明日から――。
(明日から、悠の元で……)
――いやだ。行きたくない。
分かっているのに、悠の言葉が頭から離れない。
(私、どうすればいいの……)
あの悠が一歩も譲らなかったのだ。むしろ私に挑んできた。今まで私に意見したことなんて一度もなかったのに。
疲れ果てて、足に力が入らない。貧血でも起こしているのか、くらりと眩暈がする。
体が崩れ落ちそうになった時だった。とん、と誰かの手が体を支えてくれる。
そこにいたのは――。
「朝倉」
「……斎賀さん?」
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