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第1話 雪夜の出会い
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山は、息を潜めていた。
音という音がすべて雪に吸い込まれ、白く塗り潰された世界の中に、灯(あかり)はひとり立っていた。
社の石段には雪が積もり、鳥居の上にまで氷柱が垂れている。
息を吐くたび、白い煙がかすかに揺れた。
冬至を過ぎたばかりの夜は長く、闇がいっそう深い。
「……今夜も、来ないのね」
灯は、両手を合わせて祈る。
この山に春を運ぶといわれる神獣――白狐(びゃっこ)。
二十五年前の大雪の年を最後に姿を消し、それ以来、春が遅れがちになったという。
人々は信仰を失いかけていた。
それでも、彼女だけは祈りを欠かしたことがない。
――いつか、また春が戻ると信じて。
灯籠の火を確認しようと社の裏手へ回ったときだった。
ふと、雪の上に赤いものが点々と続いているのが目に留まった。
足跡――いや、血の跡。
嫌な予感が走る。
灯は裾を掴み、雪の中をたどるように進んだ。
ほどなくして、倒れた白い影が見えた。
息を呑む。
それは――真っ白な毛並みの、狐だった。
その毛は雪よりも白く、月光を浴びて微かに光を放っている。
けれど、その脇腹には深い傷。血が雪を朱に染めていた。
「……だめ、死なないで」
灯は迷わず抱きかかえた。
小さな体は驚くほど熱を失っていて、細い息がかすかに震えている。
その金色の瞳が、一瞬だけ彼女を見た。
――氷のように冷たいのに、なぜか懐かしい。
灯は急いで社へ戻り、囲炉裏に火を起こした。
乾いた藁布を敷き、狐を寝かせる。
温めた湯で傷口を拭い、布で包むと、狐が小さく鳴いた。
「よかった……意識があるのね」
安堵の息を吐いた瞬間、狐の身体が淡く光を放ち始めた。
目を見開く灯。
白い毛が風に散り、代わりに現れたのは――ひとりの青年だった。
長い銀髪に、金の瞳。
白装束のような衣をまとい、胸元には古い勾玉が光っている。
傷はそのままだが、その姿はまるで――神のようだった。
「……人?」
灯が呟くと、青年はゆっくりと目を開いた。
「……いや、神だ」
低く澄んだ声が、雪明かりの中で響いた。
「我は白鷺――この山を護る神狐」
灯の胸が跳ねた。
ずっと祈り続けていた、伝承の“白狐”。
けれど、その瞳には苦痛と疲労がにじんでいる。
「どうして……こんなところで……?」
灯の問いに、白鷺はかすかに笑った。
「封印が……解けかけている。春を呼ぶ前に、山の力が……乱れているのだ」
その声が途切れ、白鷺は再び意識を失った。
灯は急いで湯を取り替え、手を握った。
「お願い、もう少しだけ、生きて」
白狐の手は冷たく、でも確かに脈を打っている。
夜が明けるころ、囲炉裏の火が少しずつ弱まっていった。
灯はその隣で、疲れたように座り込んだ。
その手には、白狐の尾の柔らかな感触――もふもふの温もり。
雪はまだ降り続いていたが、
その日、山の空気にはわずかに春の匂いが混じっていた。
音という音がすべて雪に吸い込まれ、白く塗り潰された世界の中に、灯(あかり)はひとり立っていた。
社の石段には雪が積もり、鳥居の上にまで氷柱が垂れている。
息を吐くたび、白い煙がかすかに揺れた。
冬至を過ぎたばかりの夜は長く、闇がいっそう深い。
「……今夜も、来ないのね」
灯は、両手を合わせて祈る。
この山に春を運ぶといわれる神獣――白狐(びゃっこ)。
二十五年前の大雪の年を最後に姿を消し、それ以来、春が遅れがちになったという。
人々は信仰を失いかけていた。
それでも、彼女だけは祈りを欠かしたことがない。
――いつか、また春が戻ると信じて。
灯籠の火を確認しようと社の裏手へ回ったときだった。
ふと、雪の上に赤いものが点々と続いているのが目に留まった。
足跡――いや、血の跡。
嫌な予感が走る。
灯は裾を掴み、雪の中をたどるように進んだ。
ほどなくして、倒れた白い影が見えた。
息を呑む。
それは――真っ白な毛並みの、狐だった。
その毛は雪よりも白く、月光を浴びて微かに光を放っている。
けれど、その脇腹には深い傷。血が雪を朱に染めていた。
「……だめ、死なないで」
灯は迷わず抱きかかえた。
小さな体は驚くほど熱を失っていて、細い息がかすかに震えている。
その金色の瞳が、一瞬だけ彼女を見た。
――氷のように冷たいのに、なぜか懐かしい。
灯は急いで社へ戻り、囲炉裏に火を起こした。
乾いた藁布を敷き、狐を寝かせる。
温めた湯で傷口を拭い、布で包むと、狐が小さく鳴いた。
「よかった……意識があるのね」
安堵の息を吐いた瞬間、狐の身体が淡く光を放ち始めた。
目を見開く灯。
白い毛が風に散り、代わりに現れたのは――ひとりの青年だった。
長い銀髪に、金の瞳。
白装束のような衣をまとい、胸元には古い勾玉が光っている。
傷はそのままだが、その姿はまるで――神のようだった。
「……人?」
灯が呟くと、青年はゆっくりと目を開いた。
「……いや、神だ」
低く澄んだ声が、雪明かりの中で響いた。
「我は白鷺――この山を護る神狐」
灯の胸が跳ねた。
ずっと祈り続けていた、伝承の“白狐”。
けれど、その瞳には苦痛と疲労がにじんでいる。
「どうして……こんなところで……?」
灯の問いに、白鷺はかすかに笑った。
「封印が……解けかけている。春を呼ぶ前に、山の力が……乱れているのだ」
その声が途切れ、白鷺は再び意識を失った。
灯は急いで湯を取り替え、手を握った。
「お願い、もう少しだけ、生きて」
白狐の手は冷たく、でも確かに脈を打っている。
夜が明けるころ、囲炉裏の火が少しずつ弱まっていった。
灯はその隣で、疲れたように座り込んだ。
その手には、白狐の尾の柔らかな感触――もふもふの温もり。
雪はまだ降り続いていたが、
その日、山の空気にはわずかに春の匂いが混じっていた。
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