卒業した姉とこれから入学するのではしゃぐ妹

月輝晃

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もう一人

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 いつもの事だが、今日は部室で二人きり

 座道についての何気ない話の後、奈々が手を握ってきた。

 ……いつもより緊張している……

 わたしたちはしばらく何も言わなかった。
 でも、手は離れなかった。

 指先がそっと重なるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
 鼓動の音が、お互いの中で共鳴しているような気がした。

「……かおり、なんで目、閉じたままなの?」

「奈々の声、聞いてるだけで落ち着くから」

「そんなこと言うと、またくっついちゃうよ?」

「……うーーん」

 わたしは目を開けずに、ほんの少し微笑んだ。

 畳の上で、制服のスカートがかすかにふれ合う。
 奈々の髪の香りが近づく。
 呼吸の音が、わたしの耳に落ちてきた。

 そのとき──

「……あの……失礼します」

 部室の戸が、こんと控えめに叩かれた。

 私たちは、反射的にぴたりと距離を取って、顔を見合わせた。奈々は驚きながらも笑いをこらえている。

「ちょっと……このタイミング……!」

 私は顔を赤くしながら、立ち上がって扉の方へ向かった。



「……こんにちは」

 戸を開けると、そこには小柄な女の子が立っていた。

 長めの前髪に、きれいに整えられた制服。肩に小ぶりなトートバッグをかけて、胸元には真新しい名札。

 目が合った瞬間、彼女はぺこりと頭を下げた。

「一年の、三宅ゆずはといいます。掲示板で“座道部、活動再開”って書いてあるのを見て……あの、見学って、まだできますか?」

「もちろん、どうぞ」

 わたしがそう言うと、ゆずはちゃんはほっとしたような表情を浮かべて、部室に入ってきた。

 中を見回しながら、そっと畳の端に座る。

 その姿勢がとても自然で、美しかった。

 足の揃え方、背筋の伸ばし方、目線の落とし方。
 まるで、もともとこの部屋にいたみたいに、馴染んでいた。

「……えっと、もしかして、経験ある?」

「はい。中学のとき、茶道部に入っていて……正座とか、礼の作法とか、好きで。雰囲気が似てるかなって思って……」

「……うれしい。」

 心の中で姉の名前を呼んだ。

 座道部は、ちゃんとまた“生きよう”としてるよ。



「じゃあ、今日の座道部……三人で、ちょっとやってみよっか」

 私はそう言って、部室の真ん中に戻った。
 奈々とゆずはちゃんも、それぞれ自分の位置に正座する。

 春の光が差し込む、静かな和室。
 その空間に、わたしの声だけが、やわらかく響く。

「まず、呼吸から。背筋をまっすぐにして、両手は膝の上……ゆっくり、吸って……吐いて……」

 その言葉に合わせて、三人の身体が静かに揺れた。

 呼吸のリズム。
 肌にふれる空気の温度。
 畳の感触。
 すべてが、まるで“見えない音楽”みたいに溶け合っていた。



 ふと目を開けると、ゆずはちゃんが、じっと奈々の姿勢を見ていた。

「……奈々さん、肩が……少しだけ上がってます」

「えっ? あ、ほんと?」

 奈々が思わず首をすくめたような声を出すと、ゆずはちゃんは慌てて手を振った。

「ご、ごめんなさいっ。えっと、悪いって意味じゃなくて、すごく綺麗なのに、ちょっとだけ緊張してるのかなって……」

「そ、そっか……なんか、見られてると余計に意識しちゃうな……」

 奈々が照れたように笑い、肩を落とす。
 その様子があまりに可愛くて、わたしもつい笑ってしまった。

「でも、わたしも最初はうまくできなかったよ」

「嘘だ。かおり、最初から“お姉さん式”だったじゃん」

「お姉さん式……?」

 ゆずはちゃんが首をかしげる。

 奈々は少し得意げに答えた。

「かおりのお姉さんって、座道部の創設者で、もう卒業してるけど……かおり、完全にその流派を継いでる感じ」

「流派って……」

 わたしは笑いながらも、ちょっとだけ誇らしくなった。



 そのあとも、呼吸と姿勢の練習を30分ほど続けた。

 ほんの短い時間だったけど、三人の間には確かに“何か”が芽生えはじめていた。

 言葉にしなくても通じる気配。
 動作ひとつに宿る、やさしさと美しさ。

 座道って、やっぱりすごい。
 ただ座るだけで、誰かと繋がれるんだ。

「ねえ、これからも来てもいいですか?」

 ゆずはちゃんが帰り際、小さくそう尋ねた。

「もちろん。これから、“座道部”なんだから」

 わたしはそう言って、彼女に向けて軽く頭を下げた。

「ようこそ、わたしたちの場所へ」


 そのあと、奈々とふたりで部室に残った。

 夕陽が差し込む畳の上。
 片付けを終えてから、わたしは自然と奈々の隣に腰を下ろした。

「ねえ……今日のゆずはちゃん、どうだった?」

「うん。すごく素直で、なんか……空気を崩さない子だったね」

「うん……でも、ちょっとだけ褒めすぎてなかった?」

「え? なにそれ、嫉妬?」

 奈々がにやっと笑った。

 その顔がちょっと憎らしくて、でも嬉しくて。
 わたしは黙って、奈々の肩にもたれた。

 奈々の身体が、ぴくっと震える。

「……かおり、また急に……」

「うん、急に。だって、今の奈々、ちょっとかっこいい顔してたから」

「もう、ずるいなあ……」

 奈々の声が、耳元でやわらかく揺れる。

 畳の香りと、春の夕暮れ。
 心の中で静かにゆれている、気持ちの色。



 その日、帰り道で、わたしはスマホを開いて姉にメッセージを送った。

《今日、見学に来た子がいたよ。すごく真面目で、いい子だった》

《奈々とも、少しずつだけど、ちゃんと“部活の仲間”になれてる気がする》

 送信してすぐ、既読がついた。

 しおりんからの返事は、ひとことだけだった。

《かおりん、すごいね》

 それを見た瞬間、目の奥が少しだけ熱くなった。

 わたしは今、ちゃんとここで息をしてる。

 畳の上のこの空間に、わたしの時間と、わたしの想いが刻まれていく。
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