卒業した姉とこれから入学するのではしゃぐ妹

月輝晃

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映画鑑賞

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「じゃあ、今日はホラーでいこうか」

 夕方の和室教室。
 畳の匂いと、夕暮れの斜陽に包まれながら、わたしたちはいつものように円になって座っていた。

 和室には今日も4人。
 わたし、ひかりん、法学部の山野くん、文学部の安達さん。
 みんなそれぞれ、座り慣れた場所に落ち着いている。

「今日の作品、何かリクエストあります?」

「俺、ホラーとかどうっすか。座道でホラーって、逆に新鮮じゃないです?」

「いいね。静けさの中にある恐怖……座道的に深めがいがあるかも」

 ひかりんが面白がるように笑った。

「じゃあ、クラシックなやつにしましょうか」

 そう言って、私は準備していたDVDを手に取る。

『4月13日の金曜日』

 スラッシャーホラーの古典。
 血が出る。叫び声もある。でも、そのすべてが80年代らしい、ちょっとレトロで、どこかリズムのある恐怖。

 わたしは、ふと、ひかりんを見る。

「……ホラー、大丈夫?」

「うん。たぶん」

 そう言いながらも、彼女の目が少し揺れているのを、私は見逃さなかった。



 映像が始まると、和室はぐっと暗くなった。

 障子を閉めて、ランタンライトを一つだけつける。
 畳に正座して、深く息を吸う。呼吸を整える。

 さっきまでほんのり温かかった空気が、音と光によって、ひんやりと冷たくなる。

 湖畔のキャンプ。
 ティーンたちの軽薄な笑い声。
 そして、ナイフのきらめき。

 緊張と緩和が交互に訪れる中、ふと、ひかりんが私の袖をつまんだ。

「……ちょっと、怖いかも」

 その声はとても小さかった。

 私はそっと彼女の手を握った。

 その指は冷たくて、でも細くて、かすかに震えていた。

 映像が始まった瞬間、和室の空気が変わった。

 障子を閉めきった室内。
 明かりは、床に置かれた小さなランタンひとつ。
 その弱い光が、畳の織り目をかすかに照らしていた。

 私たちはそれぞれの場所で静かに正座し、無言でスクリーンを見つめていた。
 呼吸を整えながら、姿勢を保ち、心を落ち着ける。

 ──映画の中の世界と、私たちの身体が、少しずつ重なっていく。

 画面には、遠くからゆっくりとズームされる、静かな森のカット。

 風が木々を揺らし、湖の水面がきらりと光を反射する。
 その何気ない風景に、すでに“何か”が潜んでいる気がして、無意識に息を詰めてしまう。

 BGMは、ほとんど聞こえないレベルのかすれたストリングス。
 その不協和音が、少しずつ、胸の奥にじわじわと染みこんでくる。

 気づけば、私の手の中に、ひかりんの手がある。

 さっきまで、袖をつまんでいただけだったのに。
 彼女の指が、そっと絡んでくる。冷たい。でも、その冷たさが、逆にリアルだった。

 それを振りほどく理由なんて、どこにもなかった。

 物語は進んでいく。

 キャンプ場に集まる若者たち。
 くすくす笑いながらふざけあう姿。その軽さが、逆にフラグのように感じられてしまう。

 スクリーンの中で、ひとりの女の子が湖のほとりを歩いていた。
 水面に手を伸ばすその瞬間、カメラは彼女の背後に忍び寄る“視線”に切り替わる。

 BGMは一瞬止まり、代わりに、息づかいだけが響く。

 ドッ。

 奈落の底に突き落とすような音が、突如として鳴り響いた。

 私は、ぴくんと身体を跳ねさせた。

 ひかりんの指先も、ぴしりと緊張した。
 手のひらが少し汗ばんでいて、それを感じた瞬間、彼女がわたしよりも緊張しているのが伝わってくる。

 殺されるシーンの描写は、思っていたよりもあっけなかった。

 ナイフが肩口に突き刺さる。血が噴き出す。
 けれど、なぜか“死”そのものよりも、その一瞬前の“沈黙”の方が、よほど怖い。

 ひかりんが、かすかに口を開いたまま、言葉を飲み込んでいるのがわかった。

 その横顔を横目に見ながら、わたしはそっと彼女の指をもう一度ぎゅっと握った。
 心がどくどくと鳴っているのを、誰にも聞かれたくなかった。

 中盤、画面が急に真っ暗になる。

 キャンプ場の電気がすべて落ち、
 キャラクターたちが手探りで懐中電灯を持ち歩くシーン。

 その無音に近い映像の中で、私も、ひかりんも、息をひそめた。
 障子の向こうの木々のざわめきすら、映画の演出の一部に聞こえてしまう。

 そのとき。

 コツン……

 教室のどこかで、何かが落ちたような音がした。

「……っ!」

 ひかりんの手が、私の腕にぎゅっとしがみついた。

「だ、大丈夫……きっと風とか……たぶん」

 そう言いながらも、私の声も震えていた。

 映画の中では、キャラクターのひとりが首を傾げながら物音の方へ歩いていく。

 そして、カメラが突然、視点を切り替えた――

 影が走る。

 ナイフが振り下ろされる。

 耳元で、ひかりんが、小さく息をのんだ。

 場面が転換され、画面が一気に明るくなったとき、
 わたしたちはふたりとも、ふぅ、と息を吐いた。

 緊張の糸がふっと切れた瞬間。
 それが、どれだけ張り詰めていたかをようやく実感する。

「……正座、してたの、つらくなってきたね」

「うん……でも、崩せないって感じ、わかる?」

「うん、わかる。なんか……この姿勢が、映画の世界に溶け込んでいく感じ」

 小声でささやき合う。
 それすらも、物語を壊さないように、そっと。

 映画の中の登場人物が追いつめられるように、わたしたちの心もじわじわと追い詰められていく。

 ラスト。

 唯一の生存者の女の子が、湖に浮かぶボートに逃げ込むシーン。

 ようやく朝が来て、霧が晴れ、光が差し込んで、
 観ているこちらも「ああ、助かった」と思ったその瞬間――

 水面から、突然手が伸びて彼女を引きずり込む。

 「――っ!」

 ひかりんの手が、私の手を強く握りしめた。

 叫び声はなかった。
 でも、わたしたちの心臓は、ほとんど同時に跳ねたと思う。

 数秒後、映画は静かにフェードアウトしていく。
 エンドロールが流れ始めても、わたしたちはしばらくその場から動けなかった。



 そして。

「……あのさ、ひかりん」

「うん……?」

「わたし、こういうホラー観ると、いつも最後に思うことがあって」

「なに?」

「誰かと、こうやって手をつないで観たら、きっと怖さも半分になるんじゃないかなって……」

 ひかりんは、私を見て、すこし照れくさそうに笑った。

「それ、今日……実感したかも」

 その笑顔に、私の胸がじんわりと温かくなった。

 恐怖の余韻のなかに浮かび上がる、やさしさ。
 それは、映画よりも鮮やかな“シーン”だった。



「……あー、こわかった」

 安達さんと山野くんがぽつぽつと会話を交わす中、わたしとひかりんは無言だった。

 というより、言葉にしたくなかった。

 ホラーのあとに生まれる静けさって、なんだか不思議だ。
 怖さがまだ残ってるのに、同時に人の温もりが恋しくなる。

 心が、すごく、やわらかくなる。

「今日は……ここで終わりにしよっか。残りの片付け、わたしがやるから」

 そう言ったのは、ひかりんだった。

「手伝うよ」

「……一緒にいたいだけでしょ?」

 くすっと笑うその顔が、いつもより少しだけ艶っぽく見えて、私の胸が跳ねた。



 他の部員たちが帰ったあと。
 和室には、私とひかりん、ふたりだけ。

 畳の縁に並んで座り、スクリーンをたたみ、コードを巻く。

 でも、ふたりともまるで“片付け”なんてどうでもいいことのように、心ここにあらずだった。

 ひかりんが、ふとわたしの膝に頭を預けた。

「……こわい夢、見そう」

「見るかもね」

「しおりがいれば、平気になる?」

「うん。たぶん、わたしも怖くなくなる」

 沈黙。
 でも、いやな沈黙じゃない。

 私たちは、畳の上でぴたりとくっついて座っていた。
 映画の中の恐怖と、現実のやさしさが、ゆっくりと混ざっていくような時間。



 そのあと、わたしたちは畳に寝転んで、天井を見つめた。

 真っ暗な和室。
 薄い光が障子越しに差し込んでいて、世界がまるで水の底みたいにゆれて見えた。

「しおり、眠くなった?」

「ちょっとだけ……」

「じゃあ、目、閉じて」

 そう言われて、私はそっとまぶたを閉じた。

 すると、頬にあたたかな唇の感触がした。
 それは優しくて、でもちゃんと熱を持っていて、
 わたしの心に、ひとつ火を灯してくれた。



 帰り道。

 わたしは、春の夜の風に吹かれながら、スマホを開いた。

 かおりんから、新しいLINEが届いていた。

《見学に来てくれた子がいたよ。緊張したけど、奈々と一緒にがんばった》

《お姉ちゃん、わたし……ちょっとずつだけど、“座道”をちゃんと続けられそう》

 そのメッセージに、胸があたたかくなった。

 返事は、シンプルな一言だけにした。

《かおりん、偉いよ》

 それだけでいい。
 きっと、伝わる。
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