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関ヶ原の章
第十六話 関ヶ原の戦い(後編)
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安治殿、よくぞ某に命運を預けてくれた。
脇坂安治らの軍勢が吉継の軍勢へと動き出したことを確認し、高虎は微かに笑んだ。
調略の種を蒔いていたのは去る九月七日。そう。大谷吉継・戸田勝成・平塚為広が秀秋を闇討ちすべく佐和山へ移動していた時分であった。
秀秋・高虎の攻撃には辛くも耐えていた吉継・勝成・為広の陣であったが、この慮外の位置よりの攻撃に為す術も無く態勢は崩されてゆく。
「勝成殿、吉継殿」
息を切らせ、為広が吉継の陣へと駆け込む。その身体には無数の傷を負っていた。
「かく在るも某が筑前中納言を殺せなんだ故の失態よ。某が時を稼ぐ。お二方はこの地より逃げ果せよ」
為広の言に勝成がかぶりを振る。
「その責は私も負うべき物。私も共に参りましょうぞ。吉継殿は貴殿の為すべき事を為されよ」
為広と勝成が吉継に背を向ける。吉継は二人の背に、無言で頷いた。
「然らば御免」
その言葉を最後に、二人は振り返る事無く駆けて行った。
来る。
眼前の隊列の変化を、秀秋は機敏に感じ取っていた。
「者共、来るぞ! 敵方の最期の突撃だ! 皆、守りを固めよ!」
秀秋の号令に、兵が槍衾を構える。
戦場が凍てついたかと思う程の静寂。刹那、どう、と轟音が吠えた。
駆けるは為広の軍勢。だが、圧倒的な兵力差に見る間にその軍勢は削り取られていく。しかし。
「不味い、あの男を秀秋様の元へ行かせるな!」
正成が叫ぶ。
しかし――軍勢の中に在りて、その男は確かに秀秋の方へと押入っていた。
「某は平塚因幡守為広! 此度こそ筑前中納言秀秋殿の首を貰い受ける!」
為広が手にした薙刀を振り被る。
「させぬ! 私は生きる!」
秀秋が波およぎ兼光で薙ぐ様にその刃を弾き返す。
「小倅が、なかなかやりおるわ!」
「小倅では無い! 私は小早川隆景の『息子』にして豊臣秀次の『弟』!」
舞うが如き斬撃、その美しさに正成は息を呑む。しかし、直ぐ様思い直す様に馬を駆った。
「そして秀頼様の『兄』、小早川秀秋である!」
一撃。激しい金音と共に為広の薙刀が宙を舞う。
為広が満足げに笑む。
刹那。正成が横繰りに斬撃を喰らわせ、為広は落馬した。
「平塚因幡守為広、我らが討ち取ったり!」
戦場に歓声が木霊する。秀秋は肩で息をしながら、唯為広の亡骸を眺めていた。
――そうだ。私は生きる。生きなければならない。この戦で散っていく者達の為にも。
同じ頃。戸田勝成の軍勢もまた、藤堂高虎の軍勢へ向かって最期の突撃を行っていた。
「藤堂佐渡守高虎殿! その首貰い受ける!」
「させぬ! 我らの目指す『世』の為、我らは勝たねばならぬ!」
高虎の軍勢は安治らの軍勢と共にこれを迎え撃っていた。
「名を掛ける程の物だと言うのですか! 徳川の世が!」
「違う!」
高虎は大きく息を吸った。
「我らが望むのは天下の静謐。そして某はその『世』の為、唯この才を尽くすのみ!」
戦場に響く高虎の大声。その声を号令としたが如く高虎の軍勢が勝成の軍勢を呑み込んでゆく。
大勢は決した。
「平塚隊、戸田隊、共に壊滅致しました」
「……そうか」
武人に肩を貸され山中に座り込んだ吉継はその報告を聞くと、空を仰ぐ様に上を向いた。
「五助、空はどうだ」
傍らの武人――湯浅五助は吉継の言にしばし意を捉えられず佇んでいたが、言葉通りの意味なのだと気付き、空を仰いだ。
「晴れ渡る青空に御座います」
「そうか。ふ、はははっ」
不意に吉継が声を上げて笑った。
「そうか。我は畳の上では無く、碧空の元死ねると言うのだな」
「吉継様」
五助はたしなめる様声を掛けたが、吉継は微笑を浮かべ五助に向き直った。
「この身体では最早逃げ果せまい。ならば我は、僅かでも三成に勝機のある道を択ぼう」
吉継が袂より短刀を取り出す。庖丁藤四郎。藤四郎吉光の作であり、かつて多賀高忠が鶴の中に仕込まれた鉄棒を切ったとする包丁藤四郎と同じ名を持つ刀である。
「五助。この首、敵に渡してくれるなよ。この大谷刑部少輔吉継の首級を上げさせぬことこそ我の最期の足掻き。出る筈の無い我の首を敵に探させる事で僅かでも三成の勝機に繋がるのならば、我は弔いなど要らぬ」
庖丁藤四郎を握る手を五助が包む。
「畏まりました。なればこの湯浅五助が御介錯を仕りましょう」
「頼む。ふ、運命時至り是非も無し、と言ったところか。恐らく我の命運は、秀秋殿が松尾山城を獲った時に決まっておったのだ」
庖丁藤四郎を腹に当てる吉継。しかしその心はこの秋空の様に晴れ渡っていた。
病で死を待つばかりであった己が、今一度その才を振るい戦う事が出来た。
その才智を尽くしても勝てぬ手合いとの戦い。鮮烈な名将へと成長した、次代を担う少年との戦い。
負けはしたが、吉継は不思議と爽やかな充足感を感じていた。
誰を憎むでもない、誰を呪うでもない、その空は雲一つも有りはしない青空であった。
平塚隊・戸田隊・大谷隊。この三隊の壊滅を引き金に、三成側の軍勢の崩壊が始まった。
小西隊・宇喜多隊も戦線を離脱。戦場には石田隊が残されていた。
「石田治部少輔三成! 貴様だけは、貴様だけは許さん!」
その三成の陣へ、開戦から今の間まで手を緩める事無く攻撃を続ける軍勢が在った。
細川忠興。溺愛とも呼べるほど深く愛していたその正室・珠は三成らの人質となる事を良しとせず、自ら側近の介錯の元果てた。
忠興が空を裂くような叫び声を上げ、手にした刀を向ける。歌仙兼定。一説に忠興が三十六人を斬った為この名が付いたともされる名刀である。
「せめて、せめて貴様だけは殺し、泰平の世を……私が妻と共に生きたかった世をもたらすのだ!」
珠は明智光秀の娘であった。故に、本能寺の変の後数年間の幽閉生活を余儀なくされる事となる。尤も、忠興の愛はその障害に翳る事は無く、幽閉された珠との間に子を儲ける程であったのだが。
或いは、忠興が秀吉・家康と言った泰平をもたらす者に接近したのもまた、妻と安穏に暮らせる世を作りあげたかったが故なのやも知れない。
「我らが押している! 攻撃の手を緩めず進め!」
黒田長政の軍勢もまた、忠興と共に攻撃を行っていた。
手にした城井兼光が翻り黒き光を放つ。
時と共に削り取られてゆく軍勢。三成は手にした脇差・石田貞宗を忠興と長政の軍勢に向けながら、それでも尚、戦い続けていた。
「三成殿! 最早貴殿もこれまで! 大人しく首級となり世の礎と成るが良い!」
長政の言が耳を貫く。
大人しく死ぬ。それが皆への、この戦場で散っていった皆への答えであると言うのか。
――お主もそろそろ覚悟を決めよ。天下は屍の上に立つ事を知れ。
嗚呼、お前は屹度、甘いとまた怒るのであろうな。吉継。
ふと過ぎる友の顔は、まるで自身を叱りつけている様であった。
その友は、この戦場で散った。しかし、恐らくあの男は。
俺が此処でくたばる事を許しはしないだろう。
「兵庫!」
「は」
三成が傍らの武人に叫ぶ。
「俺はこの戦場より離れ再起を図る。お前は……」
殿となり俺を逃がせ。その言葉を出せず、三成が口篭る。
「この舞兵庫。必ずや敵勢を押し留め、殿を生かしまする」
兵庫が頷き、三成の手を取る。
「頼んだぞ」
その三成の声を背に、兵庫は槍を携え馬へと飛び乗った。
「必ずや、お生き下さいませ」
三成の返答を聞かず、兵庫が馬を駆る。最前線へと躍り出る。
三成殿に救われた命。返すは今。
「若江八人衆、舞兵庫・前野忠康! 我を討ち取れる者あらば罷り出よ!」
若江八人衆。かつて豊臣秀次に仕えていた名うての武人衆である。この舞兵庫こと前野忠康は秀次事件の折、一説には連座の危機にあったものを三成が雇い入れたと言う。そして、三成は他の若江八人衆もその半数以上を召し抱えていた。
「どうした! 誰も我を討ち取る気概のある者は――」
銃声が高く響いた。
午の刻。この頃には三成方の全ての兵は討死、或いは敗走していた。結局、両軍の主力の激突する『決戦』は半日――否、四半日足らずで終結した事になる。
「高虎殿、やはり吉継殿の首は見つから無かったか」
「は……。側近の湯浅五助の首は某の甥・藤堂高刑が討ち取りまして御座いますが、ついぞ吉継殿の首は見つからず……」
葵の紋の染め抜かれた陣幕の内で、家康は息を吐き頷いた。
戦にて討ち取られた平塚為広、戸田勝成らの首は当然ながら家康も対面している。しかし、同じ様に陣の壊滅した大谷吉継の首が見つかる事はついぞ無かった。
「元よりあの様子では吉継殿も生きてはいまい。気に病む事は無かろう。それと」
家康が高虎に刀を差し出す。
「藤堂高刑と言ったか。良き家臣だ。大切にするが良い」
高虎の目が見開かれる。見透かされていた。
主・吉継の介錯を行った湯浅五助はその後、藤堂高刑に発見される。高刑は五助に側近であれば存じている筈だと吉継の首の在り処を問うが、五助は答える事が出来ない、代わりに己の首を取るが良いと高刑に言い遺し、その首を討たせたのである。
「は、必ずや」
それを分かった上で、家康殿はその度量を示されたのだ。――やはり、某の才を活かすのはこの方の元以外には無い。
高虎は刀を受け取ると、恭しく辞儀をした。
「家康殿」
陣幕が翻り、その向こうより一人の青年が家康へと歩み寄る。
「おお、秀秋殿! 此度の戦、真に秀秋殿の手柄で御座った。よう松尾山を押さえてくれた」
家康が秀秋の手を両手で固く握り締める。その傍らで高虎が微笑んでいた。秀秋は僅かに高虎へ笑むと、間合いを詰め家康の顔を覗き込んだ。
「家康殿、まだこの戦は終わっておりません」
二人の視線が交差する。
「どうか、私と安治殿らに佐和山城攻めの先鋒をお命じ下さい」
射抜く様な目で家康を見やる秀秋。家康の眉が僅かに痙攣した。
「某よりも御願い申し上げる」
高虎が慇懃に頭を下げる。
こやつら、最初からその心算であったな。家康は口を真一文字に固く結んだ。
高虎と脇坂安治は旧知の仲である。恐らく佐和山城攻めの先鋒に加えさせ、内応の遅れた埋め合わせをしようと持ちかけていたのだろう。
しかし、佐和山城の早期の接収は必要不可欠であった。三成は戦場より逃走し未だ行方不明。この三成が佐和山に入り籠城戦を行う事も有り得た。
ならば、士気の高い者に任せ早期に落とさせた方が良い。――後でどうとでも出来よう。
家康はそう思い至ると、真一文字に結んだ口元を綻ばせた。
「うむ。殊勝な心掛けだ。任せたぞ」
家康の指が、食い込む程固く秀秋の手を握る。
「はい。しかと承知仕りました」
秀秋の口が笑む。しかしその目は家康を怜悧に見詰めていた。
――三成に手は打たせない。そして私はこの戦で誰もが認める確かな軍功を得、守り通すのだ。秀頼様を。
脇坂安治らの軍勢が吉継の軍勢へと動き出したことを確認し、高虎は微かに笑んだ。
調略の種を蒔いていたのは去る九月七日。そう。大谷吉継・戸田勝成・平塚為広が秀秋を闇討ちすべく佐和山へ移動していた時分であった。
秀秋・高虎の攻撃には辛くも耐えていた吉継・勝成・為広の陣であったが、この慮外の位置よりの攻撃に為す術も無く態勢は崩されてゆく。
「勝成殿、吉継殿」
息を切らせ、為広が吉継の陣へと駆け込む。その身体には無数の傷を負っていた。
「かく在るも某が筑前中納言を殺せなんだ故の失態よ。某が時を稼ぐ。お二方はこの地より逃げ果せよ」
為広の言に勝成がかぶりを振る。
「その責は私も負うべき物。私も共に参りましょうぞ。吉継殿は貴殿の為すべき事を為されよ」
為広と勝成が吉継に背を向ける。吉継は二人の背に、無言で頷いた。
「然らば御免」
その言葉を最後に、二人は振り返る事無く駆けて行った。
来る。
眼前の隊列の変化を、秀秋は機敏に感じ取っていた。
「者共、来るぞ! 敵方の最期の突撃だ! 皆、守りを固めよ!」
秀秋の号令に、兵が槍衾を構える。
戦場が凍てついたかと思う程の静寂。刹那、どう、と轟音が吠えた。
駆けるは為広の軍勢。だが、圧倒的な兵力差に見る間にその軍勢は削り取られていく。しかし。
「不味い、あの男を秀秋様の元へ行かせるな!」
正成が叫ぶ。
しかし――軍勢の中に在りて、その男は確かに秀秋の方へと押入っていた。
「某は平塚因幡守為広! 此度こそ筑前中納言秀秋殿の首を貰い受ける!」
為広が手にした薙刀を振り被る。
「させぬ! 私は生きる!」
秀秋が波およぎ兼光で薙ぐ様にその刃を弾き返す。
「小倅が、なかなかやりおるわ!」
「小倅では無い! 私は小早川隆景の『息子』にして豊臣秀次の『弟』!」
舞うが如き斬撃、その美しさに正成は息を呑む。しかし、直ぐ様思い直す様に馬を駆った。
「そして秀頼様の『兄』、小早川秀秋である!」
一撃。激しい金音と共に為広の薙刀が宙を舞う。
為広が満足げに笑む。
刹那。正成が横繰りに斬撃を喰らわせ、為広は落馬した。
「平塚因幡守為広、我らが討ち取ったり!」
戦場に歓声が木霊する。秀秋は肩で息をしながら、唯為広の亡骸を眺めていた。
――そうだ。私は生きる。生きなければならない。この戦で散っていく者達の為にも。
同じ頃。戸田勝成の軍勢もまた、藤堂高虎の軍勢へ向かって最期の突撃を行っていた。
「藤堂佐渡守高虎殿! その首貰い受ける!」
「させぬ! 我らの目指す『世』の為、我らは勝たねばならぬ!」
高虎の軍勢は安治らの軍勢と共にこれを迎え撃っていた。
「名を掛ける程の物だと言うのですか! 徳川の世が!」
「違う!」
高虎は大きく息を吸った。
「我らが望むのは天下の静謐。そして某はその『世』の為、唯この才を尽くすのみ!」
戦場に響く高虎の大声。その声を号令としたが如く高虎の軍勢が勝成の軍勢を呑み込んでゆく。
大勢は決した。
「平塚隊、戸田隊、共に壊滅致しました」
「……そうか」
武人に肩を貸され山中に座り込んだ吉継はその報告を聞くと、空を仰ぐ様に上を向いた。
「五助、空はどうだ」
傍らの武人――湯浅五助は吉継の言にしばし意を捉えられず佇んでいたが、言葉通りの意味なのだと気付き、空を仰いだ。
「晴れ渡る青空に御座います」
「そうか。ふ、はははっ」
不意に吉継が声を上げて笑った。
「そうか。我は畳の上では無く、碧空の元死ねると言うのだな」
「吉継様」
五助はたしなめる様声を掛けたが、吉継は微笑を浮かべ五助に向き直った。
「この身体では最早逃げ果せまい。ならば我は、僅かでも三成に勝機のある道を択ぼう」
吉継が袂より短刀を取り出す。庖丁藤四郎。藤四郎吉光の作であり、かつて多賀高忠が鶴の中に仕込まれた鉄棒を切ったとする包丁藤四郎と同じ名を持つ刀である。
「五助。この首、敵に渡してくれるなよ。この大谷刑部少輔吉継の首級を上げさせぬことこそ我の最期の足掻き。出る筈の無い我の首を敵に探させる事で僅かでも三成の勝機に繋がるのならば、我は弔いなど要らぬ」
庖丁藤四郎を握る手を五助が包む。
「畏まりました。なればこの湯浅五助が御介錯を仕りましょう」
「頼む。ふ、運命時至り是非も無し、と言ったところか。恐らく我の命運は、秀秋殿が松尾山城を獲った時に決まっておったのだ」
庖丁藤四郎を腹に当てる吉継。しかしその心はこの秋空の様に晴れ渡っていた。
病で死を待つばかりであった己が、今一度その才を振るい戦う事が出来た。
その才智を尽くしても勝てぬ手合いとの戦い。鮮烈な名将へと成長した、次代を担う少年との戦い。
負けはしたが、吉継は不思議と爽やかな充足感を感じていた。
誰を憎むでもない、誰を呪うでもない、その空は雲一つも有りはしない青空であった。
平塚隊・戸田隊・大谷隊。この三隊の壊滅を引き金に、三成側の軍勢の崩壊が始まった。
小西隊・宇喜多隊も戦線を離脱。戦場には石田隊が残されていた。
「石田治部少輔三成! 貴様だけは、貴様だけは許さん!」
その三成の陣へ、開戦から今の間まで手を緩める事無く攻撃を続ける軍勢が在った。
細川忠興。溺愛とも呼べるほど深く愛していたその正室・珠は三成らの人質となる事を良しとせず、自ら側近の介錯の元果てた。
忠興が空を裂くような叫び声を上げ、手にした刀を向ける。歌仙兼定。一説に忠興が三十六人を斬った為この名が付いたともされる名刀である。
「せめて、せめて貴様だけは殺し、泰平の世を……私が妻と共に生きたかった世をもたらすのだ!」
珠は明智光秀の娘であった。故に、本能寺の変の後数年間の幽閉生活を余儀なくされる事となる。尤も、忠興の愛はその障害に翳る事は無く、幽閉された珠との間に子を儲ける程であったのだが。
或いは、忠興が秀吉・家康と言った泰平をもたらす者に接近したのもまた、妻と安穏に暮らせる世を作りあげたかったが故なのやも知れない。
「我らが押している! 攻撃の手を緩めず進め!」
黒田長政の軍勢もまた、忠興と共に攻撃を行っていた。
手にした城井兼光が翻り黒き光を放つ。
時と共に削り取られてゆく軍勢。三成は手にした脇差・石田貞宗を忠興と長政の軍勢に向けながら、それでも尚、戦い続けていた。
「三成殿! 最早貴殿もこれまで! 大人しく首級となり世の礎と成るが良い!」
長政の言が耳を貫く。
大人しく死ぬ。それが皆への、この戦場で散っていった皆への答えであると言うのか。
――お主もそろそろ覚悟を決めよ。天下は屍の上に立つ事を知れ。
嗚呼、お前は屹度、甘いとまた怒るのであろうな。吉継。
ふと過ぎる友の顔は、まるで自身を叱りつけている様であった。
その友は、この戦場で散った。しかし、恐らくあの男は。
俺が此処でくたばる事を許しはしないだろう。
「兵庫!」
「は」
三成が傍らの武人に叫ぶ。
「俺はこの戦場より離れ再起を図る。お前は……」
殿となり俺を逃がせ。その言葉を出せず、三成が口篭る。
「この舞兵庫。必ずや敵勢を押し留め、殿を生かしまする」
兵庫が頷き、三成の手を取る。
「頼んだぞ」
その三成の声を背に、兵庫は槍を携え馬へと飛び乗った。
「必ずや、お生き下さいませ」
三成の返答を聞かず、兵庫が馬を駆る。最前線へと躍り出る。
三成殿に救われた命。返すは今。
「若江八人衆、舞兵庫・前野忠康! 我を討ち取れる者あらば罷り出よ!」
若江八人衆。かつて豊臣秀次に仕えていた名うての武人衆である。この舞兵庫こと前野忠康は秀次事件の折、一説には連座の危機にあったものを三成が雇い入れたと言う。そして、三成は他の若江八人衆もその半数以上を召し抱えていた。
「どうした! 誰も我を討ち取る気概のある者は――」
銃声が高く響いた。
午の刻。この頃には三成方の全ての兵は討死、或いは敗走していた。結局、両軍の主力の激突する『決戦』は半日――否、四半日足らずで終結した事になる。
「高虎殿、やはり吉継殿の首は見つから無かったか」
「は……。側近の湯浅五助の首は某の甥・藤堂高刑が討ち取りまして御座いますが、ついぞ吉継殿の首は見つからず……」
葵の紋の染め抜かれた陣幕の内で、家康は息を吐き頷いた。
戦にて討ち取られた平塚為広、戸田勝成らの首は当然ながら家康も対面している。しかし、同じ様に陣の壊滅した大谷吉継の首が見つかる事はついぞ無かった。
「元よりあの様子では吉継殿も生きてはいまい。気に病む事は無かろう。それと」
家康が高虎に刀を差し出す。
「藤堂高刑と言ったか。良き家臣だ。大切にするが良い」
高虎の目が見開かれる。見透かされていた。
主・吉継の介錯を行った湯浅五助はその後、藤堂高刑に発見される。高刑は五助に側近であれば存じている筈だと吉継の首の在り処を問うが、五助は答える事が出来ない、代わりに己の首を取るが良いと高刑に言い遺し、その首を討たせたのである。
「は、必ずや」
それを分かった上で、家康殿はその度量を示されたのだ。――やはり、某の才を活かすのはこの方の元以外には無い。
高虎は刀を受け取ると、恭しく辞儀をした。
「家康殿」
陣幕が翻り、その向こうより一人の青年が家康へと歩み寄る。
「おお、秀秋殿! 此度の戦、真に秀秋殿の手柄で御座った。よう松尾山を押さえてくれた」
家康が秀秋の手を両手で固く握り締める。その傍らで高虎が微笑んでいた。秀秋は僅かに高虎へ笑むと、間合いを詰め家康の顔を覗き込んだ。
「家康殿、まだこの戦は終わっておりません」
二人の視線が交差する。
「どうか、私と安治殿らに佐和山城攻めの先鋒をお命じ下さい」
射抜く様な目で家康を見やる秀秋。家康の眉が僅かに痙攣した。
「某よりも御願い申し上げる」
高虎が慇懃に頭を下げる。
こやつら、最初からその心算であったな。家康は口を真一文字に固く結んだ。
高虎と脇坂安治は旧知の仲である。恐らく佐和山城攻めの先鋒に加えさせ、内応の遅れた埋め合わせをしようと持ちかけていたのだろう。
しかし、佐和山城の早期の接収は必要不可欠であった。三成は戦場より逃走し未だ行方不明。この三成が佐和山に入り籠城戦を行う事も有り得た。
ならば、士気の高い者に任せ早期に落とさせた方が良い。――後でどうとでも出来よう。
家康はそう思い至ると、真一文字に結んだ口元を綻ばせた。
「うむ。殊勝な心掛けだ。任せたぞ」
家康の指が、食い込む程固く秀秋の手を握る。
「はい。しかと承知仕りました」
秀秋の口が笑む。しかしその目は家康を怜悧に見詰めていた。
――三成に手は打たせない。そして私はこの戦で誰もが認める確かな軍功を得、守り通すのだ。秀頼様を。
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また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。
失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。
その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。
裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。
市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。
癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』
――新感覚時代ミステリー開幕!
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