私の騎士、最後にひとつだけ約束してください。

ななな

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騎士の誓い

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 姫、と囁きが落とされて、私は暗がりに目をこらしてテオの姿を探した。

「おっしゃったじゃありませんか。ヘルヴェスで仕事を得て、庶民として暮らすのだと。もちろん、姫のお気持ちが変わったのなら俺がどうにでもいたしますが、そうではありませんよね」

 黙っている私に、テオはくすりと笑んで数を数え始めた。ひとつ、ふたつ、みっつ……。
 まあと嘆息した私は、生まれて初めて頬を膨らませたい気持ちになったものだ。おのずと、拗ねたような甘えたような声になる。

「……あなたの言うとおりよ。でも、あなただけなら検問を通ることができるのに」
「何をおっしゃいますやら。そんなの、密入国でもすればいいだけです」

 ごくあっさりとんでもないことを言ってのけたテオは、驚く私を負ぶうとするすると樹を登った。

「あまりに無茶だわ。考えて直してちょうだい」
「姫、騎士とは主の願いを叶えてさしあげるために存在しているのです。さ、恐れ入りますが、今宵は俺の膝でお休みください。夜が明けたら、これからの話をしましょう」

 宥め賺されながら携帯食を食べさせられた私は、どうしようもないことにうとうとし始めてしまった。温かい胸に頬を埋めて、静かに刻まれる鼓動を聞いていると、時折思い出したようにテオが囁く声が降る。大丈夫ですよ、テオがお守りしますから。


 翌朝、周囲にひと気がないことを確認してから地上に降りると、テオは改まった素振りで膝を突いた。

 いまも、昨日のことのように思い出せる。
 森の奥深くには、私たちのほかには風が立てる葉擦れの音と遠くに羽ばたく小鳥の鳴き声くらいしかなくて。まるで、あの日は世界からそこだけ切り離されたみたいに静かな朝だった。

「……姫。俺と約束をしませんか? 一生をかけた約束です」

 さやさやと木々を揺らす風が通した光が降り注ぐ森の中、跪いたテオは汗や土に汚れていてもなお、内側から淡く光を放っているかのように見えた。身を隠すために一緒に肌を汚したはずなのに、自分とは違う生きものを見ているような心地がしたことを覚えている。

「約束……?」

 はいと頷いた端正な顔立ちにはわずかに幼さの名残があって、けれども浮かべた笑みはとうに子ども時代を脱ぎ捨てたように大人びていて。光を吸い込んだ瞳がたわんで、ただまっすぐに私の胸を射貫いた。

「はい。これから、俺たちは戦にまぎれて国を出た縁戚を演じるのです。御名だけでなく、すべて異なる人生を生きましょう。恐れながら、これからは俺を従兄としてお思いください。兄妹と言うには顔立ちが似ていませんから、いとこくらいの続柄が適当かと。何、すぐ慣れます。姫がお好きなお人形遊びのようなものですから」

(私はもう十一だし、とうにお人形遊びはしなくなったのよ)

 言おうとした言葉を呑み込んで俯いた先で、土が入り込んだ指の先を包むように握られる。
 草の汁で汚れた私の右手を優しく押しいただいて、セオフィラスは正式な騎士の作法をとってみせる。それで、彼が私を安心させるためにこんな振る舞いをしているのだとわかった。

「俺はまだ従騎士で、正式に叙任を受けた騎士ではありません。こうした申し出をするには不足のある身と弁えておりますが、どうかお許しいただければと思います。
 どうか、騎士セオフィラスが捧げる忠誠をお受け取りください」

 ――もう少ししたら、貴女にも専属の近衛騎士を付けましょう。貴女を生涯の主と仰ぐ、貴女だけの騎士よ。ヒルデ、騎士の忠誠はわたくしたちにとってかけがえのない力で、何より容易いのに本当には手に入れがたいもの。貴女のために心から尽くしてくれる騎士がいることを願っているわ。

 いつかにお母様が言っていたことを思い出して、息が細るのを遠くの方で感じ取る。
 両手で振り絞られたように痛んだ胸とは裏腹に、喉が苦しげにことばを吐き出した。

「セオフィラス。私は、あなたに何もあげられない……!」

 騎士の忠誠は、権力の庇護や恩恵と引き換えに結ばれる約束だ。私の両手からは、なけなしの身分さえこぼれ落ちようとしている。

 だのに、テオの決意は小揺るぎともしなかった。こちらを見つめ続ける瞳が、さあと私を促す。
 ことりと胸の中にある錘が揺れて、心が小さな欲望を拾い上げる。

(……いいじゃないの。だって、テオが望んでくれているのだもの)
(ちがう。だって、何も返せない。優しさに甘えて、この先ずっと献身を搾取するつもり?)

 泣きそうに息苦しくなったとき。テオが目を細めて、唇だけで囁いた。大丈夫ですよ、と。

 ――私、この手を離したくない。

 そうと自覚した瞬間、私は自分がこれから取り返しのつかないことをする恐ろしさに身体を震わせた。けれども、望みに突き動かされた身体は気づけば顎を引いていた。

 あたたかいテオの手のひらに縋るように立つ私は、もう引き返すことはできないのだと唇を噛む。
 同時に、心の暗がりで安堵が滲むのがわかった。……だって。だって、彼のそばを離れたくなかった。

 私の後ろめたさなど知らないで、テオは瞳に強い意思を湛えて微笑んだ。

「騎士セオフィラスは、ヒルデガルト姫に忠誠を誓います。決して姫を裏切ることなく、最後までお供いたします」

 危ないですから剣は省略しましょうと囁いて、セオフィラスは何も持たない私の手に唇を降ろした。いつか心に決めた主のために練習していたのだろうとわかる、優美な所作だった。
 さあと促されて、私もまた将来に備えて習っていたとおりに顎を引く。

「許します。騎士セオフィラス、あなただけが私の騎士です」

 口を突いて出た言葉は拙く、どこかまじないめいた響きをしていた。
 ――そう、誓いは呪いに似ている。

 このときのことを思い返すたびに、私は自分が口にした言葉に刺し貫かれるような心地がした。

 だけれど。泥と汗と、それから乾いた血の滲んだ手のひらに載せてさし出された約束だけが、純然たる事実としてそこにあった。
 私を安心させるためだけに誓われた騎士の忠誠は、確かに私を救ってくれたのだ。それから先に至るまで、ずっと。

 私の指先がかすかに震えていたのに気づいたテオは一度瞬いて、それからゆっくりとあたたかい手のひらで包んでくれた。

 彼がまばゆく破顔したその一瞬の、どんな輝石さえ及ばぬ瞳の光を、きっと彼自身さえも知らないだろう。世界でただ一人、私だけが、その炯々けいけいと輝き燃えるいのちを見つめていた。
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