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好きな人から好かれたい
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「エドワード様、もしよろしければお使いください」
エドワードは顔は知っているが、話したこともなければ名前も知らない侍女らしき人物からハンカチを差しだされた。
「お気遣いありがとう。でも大丈夫だ」
エドワードは笑顔で礼をいい、その場を足早に離れた。
エドワードが歩きながら手の汚れをふくため、ポケットからハンカチを取りだそうとしている時に声をかけられた。
自意識過剰かもしれないがあの侍女から好意を向けられている気がする。最近よく見かける。
女性から好意を向けられるのは満更でもないのは確かだが、仕事柄、美人局の心配をしなくてはならないこともあり、相手にその気がないときっぱり示しておかなくてはならない。
突然、場にそぐわない華やかな笑い声があがる。
エドワードが声がした方を見ると、王宮一のモテ男として有名な侯爵家の四男と彼を取りまく女性達の姿が目にはいった。
由緒ある家柄で見た目もよく愛想のよい彼の艶聞は、つねに宮内で注目をあつめた。
「彼のような男なら好きな人から好かれないなんてないだろうなあ」
エドワードは大きな溜め息をついた。
モテ男は四男という気軽な身分であるため、政略結婚ではなく好きな女性と結婚すればよいといわれているらしい。そのためモテ男を狙って女性達からのアプローチがすごいと聞く。
彼の元同僚が同じ職場にいるが、女性達の待ち伏せ、告白、愁嘆場と中身の濃い芝居を毎日見ているようだったと話していた。
話しをおもしろくするため大袈裟にいっているとは思うが、落ちない女はいないといわれる男だ。好きな女性を落とすなど簡単だろう。
「俺もモテ男のようだったら妻に愛してもらえるんだろうなあ」
エドワードは大きな溜め息を再びもらした。
エドワードと妻のサラは政略結婚で子供の頃に婚約し結婚した。
サラとは馬が合うことから友達のような気安い関係を婚約中につくり、結婚後も周りから仲の良い夫婦と思われる良好な関係を築いていた。
お互い敵のように憎み合う政略結婚もめずらしくないので、良い関係を築けていることだけでもありがたいといえる。
エドワードは結婚生活を送る中、サラに気持ちを寄せるようになり片思い中だ。
しかしエドワードは婚約中にサラの親友に恋をし、学園時代は彼女の親友のことをずっと想っていた。
だが彼女は婚約者一筋でエドワードなど全く眼中になかった。
それでも想いを断ち切れず、学園在学中は密かに彼女のことを想いつづけた。
婚約者のある身で、それも好きになったのが婚約者の親友という、噂好きが大喜びしそうな状況なこともありエドワードは自分の想いを隠した。
自分では上手く隠しているつもりだったが、妻のサラにばれていたと結婚後しった。
婚約者が親友に恋していたなど、何とひどいことをしたのだと思うが過去は変えられない。
いまもまだ二十代の若造で間抜けなことを多々やらかしているが、学園時代の自分はもっと馬鹿で本当に何も考えていなかった。
何とか挽回したいとおもうがサラの関心は息子のアーサーが独占している。サラは第二子を妊娠中で子がうまれればエドワードへの関心はより一層低くなるだろう。
エドワードの溜め息は深くなるばかりだった。
◆◆◆
「この間やってもらった仕事、完璧だったよ。よくやってくれた」
上司のマシューにさそわれ少し改まった場で昼食をとっていたエドワードは、上司からほめられ素直に喜んだ。
入局五年目の新人に毛がはえた程度の局員にとって、局長であるマシューとはほとんど接点はなく、何かへまをし叱責されるのではと緊張していただけに嬉しかった。
「エドワード、立ち入ったことを聞くが愛人はいるのか?」
エドワードは下世話な話などまったくしなさそうなマシューから愛人について聞かれおどろいた。
部下の個人的なことを気にするような人に見えないので話しの方向性がよく分からない。
「いいえ、おりません」
「うん。じゃあ懸想している女性がいたりは?」
エドワードは上司の質問に混乱する。
仕事に必要でないことを無神経に聞く人ではない。しかし愛人だけでなく、好きな女性はいるのかとより踏み込んだ質問をされるとは思ってもみなかった。
「いいえ、おりません」
エドワードは何とかその一言をひねりだす。
「すまない。上司から聞かれるにしては妙な質問だと分かっている。
実はこれからエドワードに担って欲しいと思っている仕事に関連している。
女に簡単に転びそうな人物かどうか判断する必要があるのでこのような質問をしている。
君と奥方は政略結婚だが夫婦仲はよいようだな。嫡男がおり奥方は第二子を妊娠中だと聞いている」
ようやく話しの方向性は分かったが、上司に夫婦仲や愛人の有無を聞かれるのはとても居心地が悪い。
「はい。夫婦仲は良好です」
マシューが満足そうにうなずいているので、何の仕事をふられるのか分からないが夫婦仲がよいことは重要らしい。
「ところでエドワード、奥方のことを家族ではなく恋愛対象として好きか?」
エドワードは思わず叫びそうになったが、必死に口を閉じ声がもれないよう意識を集中させた。
夫婦仲を聞くまでは理解できるが、恋愛感情について質問されるなど仕事に関連すると思えない。
そもそも政略結婚に恋愛感情は必要ない。
やはり何かしらまずいことをし、罰を受けているのではとエドワードは思い始めた。
「おっと、すまない。変な質問なのは承知だ。下世話だよな。
しかし誓っていうが仕事のためだ」
エドワードは答えたくないので沈黙したかったが、マシューが笑顔で答えろと無言の圧力をかける。
「……あの、まあ、そうです」
「そうですとは恋愛感情を持っているということだな」
「……はい」
エドワードはこれ以上この会話を続けたくなかったが、上司はにこにこしながら話しはこれからだという雰囲気を漂わせている。
「奥方はどうなんだ? 君に恋愛感情をもっているのか?」
エドワードは女優のように衝撃的なことを聞かされ倒れる芸当でこの場を逃れたいと本気でおもった。
マシューは相変わらず答えろと強い圧力を感じる笑みでエドワードを見つめている。
答えたくない。本当に答えたくない。いまここで辞表をかいて去りたいぐらい答えたくない。
どれほどマシューとにらみ合っていたのか分からないが、マシューの苦笑で一気に緊張がとけた。
「その様子だとお前の片思いってところか」
エドワードはマシューにぐさりと刺された。
そんなことは分かっている。サラに自分の気持ちを打ち明けたが二人の仲が進んだとは思えない。気安さはましたが、それが恋愛感情につながっているような感触はない。
それでも嫌われていないし夫として頼られていると感じることも多くなった。
息子のアーサーが生まれた頃は、どれだけ悪阻がひどく苦しんでいてもエドワードに頼ることがなかったサラだが、今では自然と頼ってくれるようになった。
サラがエドワードに恋愛感情をもっているかは正直わからない。しかしそれを他人から指摘されるのは自分が思った以上にダメージが大きかった。
「すまんな、立ち入ったことを聞いて」
ようやく上司は必要なことを聞き終えたらしい。しばらくありきたりな話しがつづいた。
エドワードはふっとこれまでの人生、好きな人から好かれたことがないかもと気付き落ち込んだ。
初恋は六歳の時に一緒に乗馬を習った女の子だった。その子に会えるので乗馬のレッスンが楽しみだったが、彼女は乗馬を教える教師に熱をあげた。
その女の子はエドワードを含めた周囲の人間に「先生、格好よすぎる。結婚したい」と言い回っていた。
それ以降、自分が好きになった女の子から好きになってもらった覚えがない。
エドワードはごく普通の見目で特別な才能もなくどこをとっても平凡だ。それでも女の子から好意をしめされることはあった。
自分がどうでもよいと思っている女性からは好かれるが、自分が好きだと思う相手から好かれない。
「呪われてるのか」思わず考えていることが口から飛びだしていた。
「おい、大丈夫か?
呪われてるって、君は人から恨みをかうようなことをした覚えがあるのか?」
突然、それまでとは違い硬い声色のマシューが問う。
「すみません。お話の途中にまったく違うことを考えてしまって。
先ほどの話しから自分は好きな人から好かれないと思ってしまい、つい変な感想を口走ってしまいました」
あせって答えたエドワードは墓穴をほるようなことをいってしまったことに気付いた。
マシューが何かに納得するような表情をみせている。
「これから話そうと思っていたんだが、君にやってもらおうと思っている機密性の高い調査がある。
まだ詳しいことは言えないが、そのような調査をする人間に近付き情報を得ようとすることは頻繁にある。
だから調査に関わる人間の家族関係などを調べる必要があって先ほどの質問となった」
まだ機密性の高い仕事を任されたことがないエドワードだが、それでも媚びを売ろうとしたり、美人局ではと疑うような接触があった。
貴族内の派閥や利権など、自分は権力闘争に無縁だと思っていても、何かあった時の駒として使うためか何かしら意図をもって近付いてくる人間は絶えない。
そして出世すればするほど、媚びを売る者、弱みを握ろうとする者の数は増えていく。
「仕事ができれば部下の女性関係など、どうでもよいと言いたいところだが、それが隙になってほころびが出てしまうことはよくあるからな」
苦笑を浮かべたマシューをみながら三ヶ月前の他部署でおこったスキャンダルを思い出す。
他国の密偵にからめとられた職員の情報漏洩が発覚した。情報を漏らした職員は、失恋した相手と似ている密偵にたらしこまれた。
「とくに男女の間は何がどう転がってもおかしくないから防ぎようがないといえば防ぎようはないんだが、それでも出来るだけ隙となる確率を低くしたい」
エドワードはその後マシューから仕事の概要を聞き、ようやく解放された。
◆◆◆
恋愛はむずかしい。
学問や仕事は答えがあったり、達成すべき目標があったりと、目に見え分かりやすい結果をえることができる。
しかし人の感情に正解はない。
人がどう感じるのかはその人だけのもので、同じものを見てもどのように感じるかはそれぞれ違う。
人を好きになるのに見た目が好みだ、話しがおもしろい、気があうなど好きになる要素はさまざまだ。
エドワードは自分がサラを好きだと自覚したのがいつかと考える。
もともとサラとは気があった。気安い友達としての親愛があったので結婚するのに不安はなく、実際に穏やかな結婚生活をおくることができている。
話すのが楽しく一緒にいるのが自然で、気がつくとサラと一緒に過ごす時間を楽しみにしていた。
いつの間にかサラのことを好きになっていたというのが一番しっくりくる。
とくに何か特別なことがあって好きになったわけでなく、日々一緒に過ごしていくなかで少しづつサラに対し好ましいと思うことが積み重なり恋心を自覚した。
アーサーが生まれたあとに自分の気持ちをサラに打ち明け、夫婦としての仲を深めたいと思った。
しかし状況はほとんど変わっていない。そしてそれは仕方ないといえた。
一度、酒の場でうっかり学園時代のことを同僚に話してしまい、「うわーやらかしたなあ」としみじみいわれた。
女は男より物事をよく観察している。だからエドワードが親友に懸想していたのは早い段階で妻にばれていたはずだ。
恋愛に夢をもっている年頃の女の子が、目の前で自分の婚約者が他の女に懸想しているのをみて、政略結婚に愛を求めてはいけないと強く決意させるきっかけになったはずだ。
そのような決心をもってのぞんだ結婚だ。いまさら夫に惚れたといわれてもありがたくもないだろう。
そのような意見が半数以上をしめた。
しかし「男と女は何が起こるか分からんからなあ。ひょんなことで恋に落ちたりするからそれなりに可能性はありそうだ」という同僚も複数いた。
エドワードに「あきらめる」という文字はない。好きな人と一緒に暮らしているのだ。それも自分の妻なのだ。
サラを振り向かせるのが難しいのは分かっている。家には最大のライバルである息子がいる。
その息子は生まれる前からサラに愛情をそそがれ、サラが命がけで出産した後はサラの愛情を独り占めにしている。
ライバルが他の男なら卑怯な手を使ってでも何とかしてやると燃えるところだが、さすがに我が子にそのようなことは出来ない。
小さく丸々とした息子は愛らしい。寝ているか泣いているかのどちらかだった新生児のころは、かわいいがそれほど心揺さぶられるものはなかった。
しかし笑ったり、声を発して反応するようになると、愛しさを実感するようになった。
そしてアーサーと過ごすと、もれなくサラと触れ合えるというおまけに気付いた。
見送りや出迎えの時にサラがアーサーを抱っこしている時は、アーサーごとサラを抱きこみ「いってきます」「ただいま」とやることができる。
サラ一人でエドワードを見送り、出迎える時は抱擁などなく挨拶だけだ。
アーサーがサラの愛情を独占していることに悔しさは感じるが、息子のおかげでサラがエスコートや閨事以外でエドワードに触れられることを目こぼししてくれる。
サラはエドワードが触れることを拒みはしないが、エドワードが触れるとさりげなく体の位置をかえたり、すぐにかわしたりと接触を最小限にしようとする。
サラに触れたい、抱きしめたい、閨事でも朝までずっと一緒に過ごしたいと思うが叶わない。
自分でも息子を利用してサラに触れようとするのは姑息だと思うが、そうでもしないと触れる機会が少ないので仕方ない。使えるものは何でも使う。
「好きな人から好かれたい」
エドワードはこれまで自分の「好き」が成就したことがないと嘆息する。
もうすぐ第二子がうまれる。ライバルが増える。
他国のことわざに「この世に絶対などない。絶対というなかれ」というものがある。
サラの気持ちが自分にむいているとは言いがたい。しかしこの状態は絶対ではない。世の中、何がおこるか分からない。
エドワードは好きな人であるサラから好かれるよう、自分ができることをやるだけだと決意をあらたにする。
「この世に絶対などない」
エドワードはつぶやいた。
エドワードは顔は知っているが、話したこともなければ名前も知らない侍女らしき人物からハンカチを差しだされた。
「お気遣いありがとう。でも大丈夫だ」
エドワードは笑顔で礼をいい、その場を足早に離れた。
エドワードが歩きながら手の汚れをふくため、ポケットからハンカチを取りだそうとしている時に声をかけられた。
自意識過剰かもしれないがあの侍女から好意を向けられている気がする。最近よく見かける。
女性から好意を向けられるのは満更でもないのは確かだが、仕事柄、美人局の心配をしなくてはならないこともあり、相手にその気がないときっぱり示しておかなくてはならない。
突然、場にそぐわない華やかな笑い声があがる。
エドワードが声がした方を見ると、王宮一のモテ男として有名な侯爵家の四男と彼を取りまく女性達の姿が目にはいった。
由緒ある家柄で見た目もよく愛想のよい彼の艶聞は、つねに宮内で注目をあつめた。
「彼のような男なら好きな人から好かれないなんてないだろうなあ」
エドワードは大きな溜め息をついた。
モテ男は四男という気軽な身分であるため、政略結婚ではなく好きな女性と結婚すればよいといわれているらしい。そのためモテ男を狙って女性達からのアプローチがすごいと聞く。
彼の元同僚が同じ職場にいるが、女性達の待ち伏せ、告白、愁嘆場と中身の濃い芝居を毎日見ているようだったと話していた。
話しをおもしろくするため大袈裟にいっているとは思うが、落ちない女はいないといわれる男だ。好きな女性を落とすなど簡単だろう。
「俺もモテ男のようだったら妻に愛してもらえるんだろうなあ」
エドワードは大きな溜め息を再びもらした。
エドワードと妻のサラは政略結婚で子供の頃に婚約し結婚した。
サラとは馬が合うことから友達のような気安い関係を婚約中につくり、結婚後も周りから仲の良い夫婦と思われる良好な関係を築いていた。
お互い敵のように憎み合う政略結婚もめずらしくないので、良い関係を築けていることだけでもありがたいといえる。
エドワードは結婚生活を送る中、サラに気持ちを寄せるようになり片思い中だ。
しかしエドワードは婚約中にサラの親友に恋をし、学園時代は彼女の親友のことをずっと想っていた。
だが彼女は婚約者一筋でエドワードなど全く眼中になかった。
それでも想いを断ち切れず、学園在学中は密かに彼女のことを想いつづけた。
婚約者のある身で、それも好きになったのが婚約者の親友という、噂好きが大喜びしそうな状況なこともありエドワードは自分の想いを隠した。
自分では上手く隠しているつもりだったが、妻のサラにばれていたと結婚後しった。
婚約者が親友に恋していたなど、何とひどいことをしたのだと思うが過去は変えられない。
いまもまだ二十代の若造で間抜けなことを多々やらかしているが、学園時代の自分はもっと馬鹿で本当に何も考えていなかった。
何とか挽回したいとおもうがサラの関心は息子のアーサーが独占している。サラは第二子を妊娠中で子がうまれればエドワードへの関心はより一層低くなるだろう。
エドワードの溜め息は深くなるばかりだった。
◆◆◆
「この間やってもらった仕事、完璧だったよ。よくやってくれた」
上司のマシューにさそわれ少し改まった場で昼食をとっていたエドワードは、上司からほめられ素直に喜んだ。
入局五年目の新人に毛がはえた程度の局員にとって、局長であるマシューとはほとんど接点はなく、何かへまをし叱責されるのではと緊張していただけに嬉しかった。
「エドワード、立ち入ったことを聞くが愛人はいるのか?」
エドワードは下世話な話などまったくしなさそうなマシューから愛人について聞かれおどろいた。
部下の個人的なことを気にするような人に見えないので話しの方向性がよく分からない。
「いいえ、おりません」
「うん。じゃあ懸想している女性がいたりは?」
エドワードは上司の質問に混乱する。
仕事に必要でないことを無神経に聞く人ではない。しかし愛人だけでなく、好きな女性はいるのかとより踏み込んだ質問をされるとは思ってもみなかった。
「いいえ、おりません」
エドワードは何とかその一言をひねりだす。
「すまない。上司から聞かれるにしては妙な質問だと分かっている。
実はこれからエドワードに担って欲しいと思っている仕事に関連している。
女に簡単に転びそうな人物かどうか判断する必要があるのでこのような質問をしている。
君と奥方は政略結婚だが夫婦仲はよいようだな。嫡男がおり奥方は第二子を妊娠中だと聞いている」
ようやく話しの方向性は分かったが、上司に夫婦仲や愛人の有無を聞かれるのはとても居心地が悪い。
「はい。夫婦仲は良好です」
マシューが満足そうにうなずいているので、何の仕事をふられるのか分からないが夫婦仲がよいことは重要らしい。
「ところでエドワード、奥方のことを家族ではなく恋愛対象として好きか?」
エドワードは思わず叫びそうになったが、必死に口を閉じ声がもれないよう意識を集中させた。
夫婦仲を聞くまでは理解できるが、恋愛感情について質問されるなど仕事に関連すると思えない。
そもそも政略結婚に恋愛感情は必要ない。
やはり何かしらまずいことをし、罰を受けているのではとエドワードは思い始めた。
「おっと、すまない。変な質問なのは承知だ。下世話だよな。
しかし誓っていうが仕事のためだ」
エドワードは答えたくないので沈黙したかったが、マシューが笑顔で答えろと無言の圧力をかける。
「……あの、まあ、そうです」
「そうですとは恋愛感情を持っているということだな」
「……はい」
エドワードはこれ以上この会話を続けたくなかったが、上司はにこにこしながら話しはこれからだという雰囲気を漂わせている。
「奥方はどうなんだ? 君に恋愛感情をもっているのか?」
エドワードは女優のように衝撃的なことを聞かされ倒れる芸当でこの場を逃れたいと本気でおもった。
マシューは相変わらず答えろと強い圧力を感じる笑みでエドワードを見つめている。
答えたくない。本当に答えたくない。いまここで辞表をかいて去りたいぐらい答えたくない。
どれほどマシューとにらみ合っていたのか分からないが、マシューの苦笑で一気に緊張がとけた。
「その様子だとお前の片思いってところか」
エドワードはマシューにぐさりと刺された。
そんなことは分かっている。サラに自分の気持ちを打ち明けたが二人の仲が進んだとは思えない。気安さはましたが、それが恋愛感情につながっているような感触はない。
それでも嫌われていないし夫として頼られていると感じることも多くなった。
息子のアーサーが生まれた頃は、どれだけ悪阻がひどく苦しんでいてもエドワードに頼ることがなかったサラだが、今では自然と頼ってくれるようになった。
サラがエドワードに恋愛感情をもっているかは正直わからない。しかしそれを他人から指摘されるのは自分が思った以上にダメージが大きかった。
「すまんな、立ち入ったことを聞いて」
ようやく上司は必要なことを聞き終えたらしい。しばらくありきたりな話しがつづいた。
エドワードはふっとこれまでの人生、好きな人から好かれたことがないかもと気付き落ち込んだ。
初恋は六歳の時に一緒に乗馬を習った女の子だった。その子に会えるので乗馬のレッスンが楽しみだったが、彼女は乗馬を教える教師に熱をあげた。
その女の子はエドワードを含めた周囲の人間に「先生、格好よすぎる。結婚したい」と言い回っていた。
それ以降、自分が好きになった女の子から好きになってもらった覚えがない。
エドワードはごく普通の見目で特別な才能もなくどこをとっても平凡だ。それでも女の子から好意をしめされることはあった。
自分がどうでもよいと思っている女性からは好かれるが、自分が好きだと思う相手から好かれない。
「呪われてるのか」思わず考えていることが口から飛びだしていた。
「おい、大丈夫か?
呪われてるって、君は人から恨みをかうようなことをした覚えがあるのか?」
突然、それまでとは違い硬い声色のマシューが問う。
「すみません。お話の途中にまったく違うことを考えてしまって。
先ほどの話しから自分は好きな人から好かれないと思ってしまい、つい変な感想を口走ってしまいました」
あせって答えたエドワードは墓穴をほるようなことをいってしまったことに気付いた。
マシューが何かに納得するような表情をみせている。
「これから話そうと思っていたんだが、君にやってもらおうと思っている機密性の高い調査がある。
まだ詳しいことは言えないが、そのような調査をする人間に近付き情報を得ようとすることは頻繁にある。
だから調査に関わる人間の家族関係などを調べる必要があって先ほどの質問となった」
まだ機密性の高い仕事を任されたことがないエドワードだが、それでも媚びを売ろうとしたり、美人局ではと疑うような接触があった。
貴族内の派閥や利権など、自分は権力闘争に無縁だと思っていても、何かあった時の駒として使うためか何かしら意図をもって近付いてくる人間は絶えない。
そして出世すればするほど、媚びを売る者、弱みを握ろうとする者の数は増えていく。
「仕事ができれば部下の女性関係など、どうでもよいと言いたいところだが、それが隙になってほころびが出てしまうことはよくあるからな」
苦笑を浮かべたマシューをみながら三ヶ月前の他部署でおこったスキャンダルを思い出す。
他国の密偵にからめとられた職員の情報漏洩が発覚した。情報を漏らした職員は、失恋した相手と似ている密偵にたらしこまれた。
「とくに男女の間は何がどう転がってもおかしくないから防ぎようがないといえば防ぎようはないんだが、それでも出来るだけ隙となる確率を低くしたい」
エドワードはその後マシューから仕事の概要を聞き、ようやく解放された。
◆◆◆
恋愛はむずかしい。
学問や仕事は答えがあったり、達成すべき目標があったりと、目に見え分かりやすい結果をえることができる。
しかし人の感情に正解はない。
人がどう感じるのかはその人だけのもので、同じものを見てもどのように感じるかはそれぞれ違う。
人を好きになるのに見た目が好みだ、話しがおもしろい、気があうなど好きになる要素はさまざまだ。
エドワードは自分がサラを好きだと自覚したのがいつかと考える。
もともとサラとは気があった。気安い友達としての親愛があったので結婚するのに不安はなく、実際に穏やかな結婚生活をおくることができている。
話すのが楽しく一緒にいるのが自然で、気がつくとサラと一緒に過ごす時間を楽しみにしていた。
いつの間にかサラのことを好きになっていたというのが一番しっくりくる。
とくに何か特別なことがあって好きになったわけでなく、日々一緒に過ごしていくなかで少しづつサラに対し好ましいと思うことが積み重なり恋心を自覚した。
アーサーが生まれたあとに自分の気持ちをサラに打ち明け、夫婦としての仲を深めたいと思った。
しかし状況はほとんど変わっていない。そしてそれは仕方ないといえた。
一度、酒の場でうっかり学園時代のことを同僚に話してしまい、「うわーやらかしたなあ」としみじみいわれた。
女は男より物事をよく観察している。だからエドワードが親友に懸想していたのは早い段階で妻にばれていたはずだ。
恋愛に夢をもっている年頃の女の子が、目の前で自分の婚約者が他の女に懸想しているのをみて、政略結婚に愛を求めてはいけないと強く決意させるきっかけになったはずだ。
そのような決心をもってのぞんだ結婚だ。いまさら夫に惚れたといわれてもありがたくもないだろう。
そのような意見が半数以上をしめた。
しかし「男と女は何が起こるか分からんからなあ。ひょんなことで恋に落ちたりするからそれなりに可能性はありそうだ」という同僚も複数いた。
エドワードに「あきらめる」という文字はない。好きな人と一緒に暮らしているのだ。それも自分の妻なのだ。
サラを振り向かせるのが難しいのは分かっている。家には最大のライバルである息子がいる。
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ライバルが他の男なら卑怯な手を使ってでも何とかしてやると燃えるところだが、さすがに我が子にそのようなことは出来ない。
小さく丸々とした息子は愛らしい。寝ているか泣いているかのどちらかだった新生児のころは、かわいいがそれほど心揺さぶられるものはなかった。
しかし笑ったり、声を発して反応するようになると、愛しさを実感するようになった。
そしてアーサーと過ごすと、もれなくサラと触れ合えるというおまけに気付いた。
見送りや出迎えの時にサラがアーサーを抱っこしている時は、アーサーごとサラを抱きこみ「いってきます」「ただいま」とやることができる。
サラ一人でエドワードを見送り、出迎える時は抱擁などなく挨拶だけだ。
アーサーがサラの愛情を独占していることに悔しさは感じるが、息子のおかげでサラがエスコートや閨事以外でエドワードに触れられることを目こぼししてくれる。
サラはエドワードが触れることを拒みはしないが、エドワードが触れるとさりげなく体の位置をかえたり、すぐにかわしたりと接触を最小限にしようとする。
サラに触れたい、抱きしめたい、閨事でも朝までずっと一緒に過ごしたいと思うが叶わない。
自分でも息子を利用してサラに触れようとするのは姑息だと思うが、そうでもしないと触れる機会が少ないので仕方ない。使えるものは何でも使う。
「好きな人から好かれたい」
エドワードはこれまで自分の「好き」が成就したことがないと嘆息する。
もうすぐ第二子がうまれる。ライバルが増える。
他国のことわざに「この世に絶対などない。絶対というなかれ」というものがある。
サラの気持ちが自分にむいているとは言いがたい。しかしこの状態は絶対ではない。世の中、何がおこるか分からない。
エドワードは好きな人であるサラから好かれるよう、自分ができることをやるだけだと決意をあらたにする。
「この世に絶対などない」
エドワードはつぶやいた。
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妻の親友に恋してたくせに、妻を好きになったからって相手にも同じ気持ちを返してもらおうなんて今更よ…妻のことバカにしすぎでしょ。
結婚してもらえて世継ぎ産んでもらえただけマシ。
これ以上の望みは分不相応。
子供をライバルって言ってる時点で詰み
お前が作らせたもんだろうが