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番外の1
番外 ルーアとヴェリス神殿の幽霊さん
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自分たちの大切な式を執り行う日程は一向に決まらない。
まだ手紙を送ってから一ヶ月も経っていないのだから、仕方がないのは分かっている。
ましてや、二つの神殿のシスターが二人、同時に同じ男性のもとに嫁ぐとなれば、ことは大掛かりになる。
どちらの神殿が主となって式を執り行うのかも重要な事柄だろう。
そういった諸事情があることも理解している。
けれど、早くその時が来てほしいと思ってしまう自分をファリアは戒める。
「まったく、精進が足りませんね、私は……」
家事を一通り片付けると、リナと相談して、夕食の準備の時間までは自由時間にした。
リナは用事があると言って街に買い物に出かけている。
そこで、一人になったファリアは、件のシノと名乗る女の動きにしてやられたことを反省し、家の裏で修行をしていた。
神に仕えるシスターというと、どうしても戦いとは無縁の存在に思われることが多いが、それは大きな間違いだ。
世俗から切り離れた辺鄙な地域に住んでいる彼女たちは、街の自警団のような頼れる存在が居ない。
自分達の身は自分達で守るしかない。
その状況下では、必然的に生きるための強さも求められるのだ。
争いごとは好まない。
だが、いざ戦いとなれば、シスター達は魔法だけではなく、鍛えられた武術も使用する。
『平和を祈ることは大事なことです。ですが、祈るだけで、他に何もしないのであれば、それはただの怠惰にすぎません』
ファリアの敬愛する、ルピア司教の言葉。
見習いを卒業し、正式なシスターと認められたときに掛けて頂いた言葉をファリアは胸に深く刻んでいる。
「強くなければ守れないものがある。そして、そういったものこそが、何物にも代えがたい守るべきものなのです……」
ルピア司教の言葉を口にし、ファリアは武術の基本動作を、型を行う。
ほんの少しずつ、ゆっくりとした動きで行うその所作は、武術を知らぬものには容易に思えるだろう。
だが、これほど体に負荷がかかるものはない。
ファリアは全身から汗が吹き出てくるのを理解し、自分の体が鈍っているのを痛感した。
それからたっぷりと時間をかけて型を終えたファリアは、最後に大きく呼吸をして目を閉じて気持ちを落ち着ける。だが……。
「……あらっ?」
まるでそのタイミングに合わせたかのように、誰かがこの家にやってくる気配を感じて、慌てて裏口から家に入って玄関に向かう。
もしかすると、神殿からの連絡が来たのかもしれないと、少しだけ期待していたファリアだったが、それはヴェリス神殿からでこそあったが、ルーアからの私的な届け物であった。
最近、この地区の担当になったという配達員の少女にお礼を言い、荷物を受け取る。
その際にジロジロと顔を何度も見られたが、いつものことなのでファリアは特に気にしない。
ユウヤに全てを捧げたあの日から、ファリアは自分に向けられる視線がさして気にならなくなっていた。
「ふふっ。ルーアったら、何を送ってくれたのかしら?」
お目当てのものではなかったが、友人からの贈り物が届いたことは素直に嬉しい。
ファリアは上機嫌で居間のテーブルに荷物を運び、綺麗に開封してその中身を確認する。
中には、手紙と大きめの瓶が二つ入っていた。瓶の中身はパウダー状の物で、大きな文字で、『手紙を読んでから開封するように』と書かれた紙が貼られている。
「これは、一体? とりあえず、手紙を読んでみましょう」
ファリアは同封されていた手紙を読んで、胸が一杯になった。
からかい半分の出だしで始まった文章だったが、読み進めるうちに、ルーアがどれほど自分の結婚を喜んでくれているのかが分かり、涙さえこみ上げてきてしまった。
「ありがとう、ルーア……」
ファリアは親友への感謝の言葉を口にし、笑みを浮かべる。
見るものこそ居なかったが、それはこの上なく美しい笑顔だった。
だが、更に手紙を読み進めるうちに、ファリアは驚愕するのと同時に、ルーアに対する感謝の念を一層強めていくこととなる。
「……素晴らしい。素晴らしいです、ルーア! ああっ、フォルシア様。私にこれ以上ない親友と出会わせて下さったことに感謝します!」
ファリアの言葉は、少し大げさな物言いに思えるかもしれない。
だが、それは偽らざる彼女の気持ちだった。
この瓶の中身は、親友の思いやりだったのだ。
「分かりました、ルーア。貴女の気持ちに応えてみせます!」
ファリアはそう決意すると、親友の手紙の一部を紙に書き写す。
この手紙を直に持って行ったほうが楽ではあろうが、これはファリアにとって掛け替えのない宝物だ。
おいそれと外に持ち出すことなどできない。
そして、ファリアは手紙を丁寧に自分の物入れにしまい、書き写したメモを片手に出かけることにした。親友の期待に応えるために。
番外 『ルーアとヴェリス神殿の幽霊さん』
「……あらっ、どうなされたのですか? ライナ助祭様?」
悪魔がいる。
神に仕える者として、その言葉を同じ信徒たる仲間に向けることなどあってはいけないとは思う。
だが、そうとしか形容しようがないほど、この小娘は悪辣この上ない。
どうして、これほど残酷なことができるのだろう?
どれほど性格が悪ければ、こんな非人道的な行いをするのだろう?
いかようにすれば、こんな阿漕なまねを考えつくのだろう?
この小娘は、自分から譲歩するつもりは全く無い。
ただ、私が屈服するのを待っている。
そう、決して私がこの誘惑に勝てないことを知っているのだ。
それは、魔性の力。
いくら修行を積んで禁欲を追求しても、抗えぬほどの甘美な誘惑。
「ふふっ。もう少し、自分に正直になったほうがいいと思いますよ」
口に出さずとも、その目がそう私に囁きかけてくる。
早々に負けを認めるべきだと。
「……くっ、この……。私は……。私は……」
何故、こんなものが存在する。
こんな暴力的なものを、この小娘は生み出せるのだ。
何を切っ掛けにして、このような力を得たのだろうか?
「どうして私は……。あんなことを言わなければ……」
心のうちで後悔の言葉を口にしてももう遅い。
一度口に出した言葉は、もう引っ込めることはできないのだから……。
◇
それは人が集まるところにはよくあるお話。
何百年と続くこの歴史あるヴェリス神殿でも、そういった話が上がるのは必然だった。
「……ねぇ、ルーア」
すでに就寝時間になろうというのに、自室――とは言っても四人部屋だが――で自慢の長い金髪を後ろでまとめ、ランプ片手に部屋を後にしようとしたルーアに、ルームメイトの同年代のシスターが声を掛けてきた。
「んっ? どうしたのよ、セリフィア?」
「また、第二厨房に行くのよね? 大丈夫なの? あそこって……」
心底不安げなセリフィアの表情に、ルーアは彼女の言わんとしている事を察し、にんまりと意地悪な笑みを浮かべる。
「あっ、もしかして第二厨房に出る幽霊の話?」
正解だったのだろう。セリフィアの顔に恐怖の色が浮かぶ。
彼女は幽霊などと言った類が大の苦手なのだ。
「大丈夫よ。私、すっかり幽霊さんと仲良くなったから」
「えっ? えっ? なっ、何を言って……」
戸惑いの表情を浮かべるセリフィアに、ルーアはニッコリ微笑む。
「よかったら、貴女のことも紹介してあげましょうか? そうしたら今晩にでも、幽霊さんが会いに来てくれると思うわよ」
「いっ、いや、止めて。そんな事はしなくていいから!」
逃げるようにベッドに潜り込むセリフィアに、ルーアはぺろっと舌を出して悪戯っぽく微笑んで部屋を後にした。
「……ぬぅ。少し意地悪が過ぎたかなぁ?」
自分のことを心配してくれた発言だったのに、悪いことをしたという気持ちはある。
「でも、私の一番の親友の結婚を、『厄介払いが済んだ』と言ったのは許せないし。まぁ、今晩は少し怖い思いをしなさいな。それで恨みっこなしにしてあげるわ」
ルーアは足音を立てずに廊下を歩いていく。
時折、見回りの明かりが見えると、それを上手く回避して目当ての第二厨房に向かう。
ヴェリス神殿の第二厨房は離れの客間の近くにある。
本来は、特別な来客用の食事を作るための場所なのだが、公にそこを使うのは年に一度あるかないかの頻度でしかない。
「ふっ、潜入成功!」
部屋に入るとすぐに、ルーアは燭台に明かりを灯す。
もはやこの場所は半分以上ルーアの城となっている。
この神殿の古株の諸先輩と比較しても、この部屋を利用した時間で自分に勝てるものは居ないと自負している。
「さてさて、早速始めましょうかね」
満面の笑みを浮かべて、ルーアはこの部屋に置いてある自分用のエプロンを身に着けて作業に取り掛かる。
それはひどく単純な作業にすぎない。
おおよそ食材と呼べるものを使うことなく、ただ乳鉢を大量に用意してチマチマとした作業を繰り返す。
だが、それはルーアにとっては至福の時間だった。
「ふっ、ふふふふっ。なんて、なんて素晴らしいものを私に教えてくれたの、ファリア! 親友の幸せな結婚というだけでも嬉しいのに、こんな、こんな素晴らしいものを……」
ルーアは興奮を隠しきれずに歓喜の声を上げる。
「基本ベースさえ分かれば、再現はそれほど難しくなかった。でも、この料理はそこで終わりじゃない」
ひたすら繰り返した。何十、何百と組み合わせを繰り返した。
その組み合わせの全てをルーアは記憶している。
記録ではなく記憶している。
そして、僅かな日数で彼女は掴みかけていた。
この素晴らしい料理のひとまずの完成形を。
こと料理に関して、彼女は天賦の才を持っている。
けれど、このひとまずの完成形に至るまでの道程を切り開いたのは、ただただひたすらに手探りで続けた彼女の不断の努力に他ならなかった。
「……うん。これでいい。多少の好みの差はあるけれど、これならきっと……」
真夜中をとうに過ぎた頃、ルーアはそれを完成させた。
「……ねぇ、ファリア。私も貴女の結婚式に行きたいけれど、下っ端の私にそんな機会は与えられない。だから、これを送るわ。
ひたすらに私が努力をして行き着いた完成形。頑張り屋の貴女に送るにはこれ以上ない贈り物だと私は思うの……」
ルーアには大事な友人がいる。
『天賦の才に愛され過ぎている』と周りから揶揄される親友がいる。
けれど、彼女に対してそういった事を口にする者たちは、彼女の努力する姿から目をそらしている。
自分が努力を怠っているという事実から、目を背けるために……。
ファリアは美しい。
それは確かに天性のものだ。
けれど、彼女はそれ以外のことは全て努力を繰り返して手に入れてきた。
彼女の半分でもいい。
それだけの努力をしたと胸を張れる者がこの神殿にどれほどいるというのだろうか?
ただ彼女を妬むことで、自分を誤魔化していないと断言できるものがどれほどいるというのだ……。
「どうして、同じ神殿の仲間の幸せな婚姻を祝福できないのよ……。あの娘が何をしたっていうのよ……」
不必要な衝突はルーアの望むものではない。
だから、一人のこの時にでも吐露しなければいられなかった。
「……まったく、苦労をしているわね」
不意に、ルーアの背中から声が掛けられた。
つい今まで、この部屋には彼女以外には誰も居なかったはずなのに。
「あらあら。今日はずいぶんと遅い登場ですね。第二厨房の幽霊さん」
けれど、ルーアは気にした様子もなく、涙を手で拭って振り返ることなく返事を返す。
「そうね。あまりにもアンタが一生懸命だったから、声をかけるのを躊躇ってしまったのよ。まったく、料理のどこがそんなに面白いのよ。面倒なだけじゃないの」
その言葉に、ルーアは振り返って笑顔を返す。
もっとも、そこには誰の姿もないのだが。
「ふふふっ、分かっていませんね、幽霊さん。その面倒なのが良いんですよ。その苦労を超えた先にある美味を作り出すことがたまらなく楽しいんです」
この『第二厨房の幽霊さん』とルーアは、もう五年を超える付き合いだ。
もちろん初めは驚いたが、ルーアは持ち前の好奇心で積極的にこの厨房を訪れ、彼女と友だちになった。
幽霊さんが言うには、彼女はこの神殿が出来た何百年も前からここに居るのだという。
なんでも、神殿での生活に嫌気が差して自らの命を断ったのだが、それをフォルシア様に咎められて、幽霊として気が遠くなる年月を過ごしているのだという。
何代前か数えるのも馬鹿らしい大先輩の幽霊ということで、ルーアは彼女に一応は敬意を持っている。
「あっ、幽霊さん。私が調合したパウダーには触らないでくださいね。匂いが取れなくなりますから」
「触らないわよ。というか、幽霊に匂いって着くのかしら?」
「どうでしょう? でも、触らないほうが良いと思いますよ」
ルーアは軽い口調で答えて、作業を再開する。
この幽霊さんは気軽な関係を好むので、あまり堅苦しくない言葉遣いを、普段同期のシスター仲間と話す口調でルーアは会話をする。
「そう。分かったわ」
幽霊さんはそう言ったきり押し黙る。
気配も全く無いので、居るのか居ないのか分からなくなるのだが、この幽霊さんは律儀なところがあり、帰るときには必ずそう言うので、ルーアは彼女が変わらず側にいることを理解している。
特段話題がなければ無言になることもあるが、思ったことがあればお互い遠慮せずに話しかける。
この気のおけない雰囲気がとても心地良い。
一番の親友であるファリアが居なくなってしまったことから、ルーアにとってはこの幽霊さんとの不思議な逢瀬が心の支えになっていた。
もっとも、それは幽霊さんも同じようで、所用で厨房に来られなかった次の日は、「何で来なかったのよ」と文句を言われる。
お互い持ちつ持たれつ。
この関係を築ける存在がいることが嬉しくて、ルーアは笑顔で調理台の上の乳鉢などを洗って片付ける。
普段なら後でまとめて洗うのだが、香りが混ざってしまうのを嫌い、ルーアは片付けを優先した。そして、少し窓を開けて換気をする。
「よし、だいぶ匂いが抜けたかしらね。後は実際に作ってみるとしましょうか!」
そう宣言をし、ルーアは食材を保温庫の中から取り出し始めた。
「おっ、ようやく食べられるものができるのね。私、結構お腹が空いているから、味見には付き合ってあげるわよ」
「もう、最初からそれが目当てでしょう? まぁ、楽しみにしていて下さいな。きっと驚く料理ができあがるんで」
この幽霊さんは、幽霊なのに食事ができる。
なんでそんな事ができるのかを尋ねると、「ふっ、他の幽霊とは徳の高さが違うのよ」と自信満々な声で答えていた。
フォルシア様に咎められたという話はどこにいったのだろうか? と思ったが、ルーアも自分の料理を食べてくれる方が嬉しいので、野暮なツッコミはせずにいる。
「……ほほう、言うじゃない。いいでしょう。アンタの努力の成果を私がしっかり判断してあげる」
誰も居ない虚空からの声を背に受け、ルーアは料理を作り上げていく。
そしてそれは、この神殿に置いて大きな革命を起こすほどの料理となるのだった。
まだ手紙を送ってから一ヶ月も経っていないのだから、仕方がないのは分かっている。
ましてや、二つの神殿のシスターが二人、同時に同じ男性のもとに嫁ぐとなれば、ことは大掛かりになる。
どちらの神殿が主となって式を執り行うのかも重要な事柄だろう。
そういった諸事情があることも理解している。
けれど、早くその時が来てほしいと思ってしまう自分をファリアは戒める。
「まったく、精進が足りませんね、私は……」
家事を一通り片付けると、リナと相談して、夕食の準備の時間までは自由時間にした。
リナは用事があると言って街に買い物に出かけている。
そこで、一人になったファリアは、件のシノと名乗る女の動きにしてやられたことを反省し、家の裏で修行をしていた。
神に仕えるシスターというと、どうしても戦いとは無縁の存在に思われることが多いが、それは大きな間違いだ。
世俗から切り離れた辺鄙な地域に住んでいる彼女たちは、街の自警団のような頼れる存在が居ない。
自分達の身は自分達で守るしかない。
その状況下では、必然的に生きるための強さも求められるのだ。
争いごとは好まない。
だが、いざ戦いとなれば、シスター達は魔法だけではなく、鍛えられた武術も使用する。
『平和を祈ることは大事なことです。ですが、祈るだけで、他に何もしないのであれば、それはただの怠惰にすぎません』
ファリアの敬愛する、ルピア司教の言葉。
見習いを卒業し、正式なシスターと認められたときに掛けて頂いた言葉をファリアは胸に深く刻んでいる。
「強くなければ守れないものがある。そして、そういったものこそが、何物にも代えがたい守るべきものなのです……」
ルピア司教の言葉を口にし、ファリアは武術の基本動作を、型を行う。
ほんの少しずつ、ゆっくりとした動きで行うその所作は、武術を知らぬものには容易に思えるだろう。
だが、これほど体に負荷がかかるものはない。
ファリアは全身から汗が吹き出てくるのを理解し、自分の体が鈍っているのを痛感した。
それからたっぷりと時間をかけて型を終えたファリアは、最後に大きく呼吸をして目を閉じて気持ちを落ち着ける。だが……。
「……あらっ?」
まるでそのタイミングに合わせたかのように、誰かがこの家にやってくる気配を感じて、慌てて裏口から家に入って玄関に向かう。
もしかすると、神殿からの連絡が来たのかもしれないと、少しだけ期待していたファリアだったが、それはヴェリス神殿からでこそあったが、ルーアからの私的な届け物であった。
最近、この地区の担当になったという配達員の少女にお礼を言い、荷物を受け取る。
その際にジロジロと顔を何度も見られたが、いつものことなのでファリアは特に気にしない。
ユウヤに全てを捧げたあの日から、ファリアは自分に向けられる視線がさして気にならなくなっていた。
「ふふっ。ルーアったら、何を送ってくれたのかしら?」
お目当てのものではなかったが、友人からの贈り物が届いたことは素直に嬉しい。
ファリアは上機嫌で居間のテーブルに荷物を運び、綺麗に開封してその中身を確認する。
中には、手紙と大きめの瓶が二つ入っていた。瓶の中身はパウダー状の物で、大きな文字で、『手紙を読んでから開封するように』と書かれた紙が貼られている。
「これは、一体? とりあえず、手紙を読んでみましょう」
ファリアは同封されていた手紙を読んで、胸が一杯になった。
からかい半分の出だしで始まった文章だったが、読み進めるうちに、ルーアがどれほど自分の結婚を喜んでくれているのかが分かり、涙さえこみ上げてきてしまった。
「ありがとう、ルーア……」
ファリアは親友への感謝の言葉を口にし、笑みを浮かべる。
見るものこそ居なかったが、それはこの上なく美しい笑顔だった。
だが、更に手紙を読み進めるうちに、ファリアは驚愕するのと同時に、ルーアに対する感謝の念を一層強めていくこととなる。
「……素晴らしい。素晴らしいです、ルーア! ああっ、フォルシア様。私にこれ以上ない親友と出会わせて下さったことに感謝します!」
ファリアの言葉は、少し大げさな物言いに思えるかもしれない。
だが、それは偽らざる彼女の気持ちだった。
この瓶の中身は、親友の思いやりだったのだ。
「分かりました、ルーア。貴女の気持ちに応えてみせます!」
ファリアはそう決意すると、親友の手紙の一部を紙に書き写す。
この手紙を直に持って行ったほうが楽ではあろうが、これはファリアにとって掛け替えのない宝物だ。
おいそれと外に持ち出すことなどできない。
そして、ファリアは手紙を丁寧に自分の物入れにしまい、書き写したメモを片手に出かけることにした。親友の期待に応えるために。
番外 『ルーアとヴェリス神殿の幽霊さん』
「……あらっ、どうなされたのですか? ライナ助祭様?」
悪魔がいる。
神に仕える者として、その言葉を同じ信徒たる仲間に向けることなどあってはいけないとは思う。
だが、そうとしか形容しようがないほど、この小娘は悪辣この上ない。
どうして、これほど残酷なことができるのだろう?
どれほど性格が悪ければ、こんな非人道的な行いをするのだろう?
いかようにすれば、こんな阿漕なまねを考えつくのだろう?
この小娘は、自分から譲歩するつもりは全く無い。
ただ、私が屈服するのを待っている。
そう、決して私がこの誘惑に勝てないことを知っているのだ。
それは、魔性の力。
いくら修行を積んで禁欲を追求しても、抗えぬほどの甘美な誘惑。
「ふふっ。もう少し、自分に正直になったほうがいいと思いますよ」
口に出さずとも、その目がそう私に囁きかけてくる。
早々に負けを認めるべきだと。
「……くっ、この……。私は……。私は……」
何故、こんなものが存在する。
こんな暴力的なものを、この小娘は生み出せるのだ。
何を切っ掛けにして、このような力を得たのだろうか?
「どうして私は……。あんなことを言わなければ……」
心のうちで後悔の言葉を口にしてももう遅い。
一度口に出した言葉は、もう引っ込めることはできないのだから……。
◇
それは人が集まるところにはよくあるお話。
何百年と続くこの歴史あるヴェリス神殿でも、そういった話が上がるのは必然だった。
「……ねぇ、ルーア」
すでに就寝時間になろうというのに、自室――とは言っても四人部屋だが――で自慢の長い金髪を後ろでまとめ、ランプ片手に部屋を後にしようとしたルーアに、ルームメイトの同年代のシスターが声を掛けてきた。
「んっ? どうしたのよ、セリフィア?」
「また、第二厨房に行くのよね? 大丈夫なの? あそこって……」
心底不安げなセリフィアの表情に、ルーアは彼女の言わんとしている事を察し、にんまりと意地悪な笑みを浮かべる。
「あっ、もしかして第二厨房に出る幽霊の話?」
正解だったのだろう。セリフィアの顔に恐怖の色が浮かぶ。
彼女は幽霊などと言った類が大の苦手なのだ。
「大丈夫よ。私、すっかり幽霊さんと仲良くなったから」
「えっ? えっ? なっ、何を言って……」
戸惑いの表情を浮かべるセリフィアに、ルーアはニッコリ微笑む。
「よかったら、貴女のことも紹介してあげましょうか? そうしたら今晩にでも、幽霊さんが会いに来てくれると思うわよ」
「いっ、いや、止めて。そんな事はしなくていいから!」
逃げるようにベッドに潜り込むセリフィアに、ルーアはぺろっと舌を出して悪戯っぽく微笑んで部屋を後にした。
「……ぬぅ。少し意地悪が過ぎたかなぁ?」
自分のことを心配してくれた発言だったのに、悪いことをしたという気持ちはある。
「でも、私の一番の親友の結婚を、『厄介払いが済んだ』と言ったのは許せないし。まぁ、今晩は少し怖い思いをしなさいな。それで恨みっこなしにしてあげるわ」
ルーアは足音を立てずに廊下を歩いていく。
時折、見回りの明かりが見えると、それを上手く回避して目当ての第二厨房に向かう。
ヴェリス神殿の第二厨房は離れの客間の近くにある。
本来は、特別な来客用の食事を作るための場所なのだが、公にそこを使うのは年に一度あるかないかの頻度でしかない。
「ふっ、潜入成功!」
部屋に入るとすぐに、ルーアは燭台に明かりを灯す。
もはやこの場所は半分以上ルーアの城となっている。
この神殿の古株の諸先輩と比較しても、この部屋を利用した時間で自分に勝てるものは居ないと自負している。
「さてさて、早速始めましょうかね」
満面の笑みを浮かべて、ルーアはこの部屋に置いてある自分用のエプロンを身に着けて作業に取り掛かる。
それはひどく単純な作業にすぎない。
おおよそ食材と呼べるものを使うことなく、ただ乳鉢を大量に用意してチマチマとした作業を繰り返す。
だが、それはルーアにとっては至福の時間だった。
「ふっ、ふふふふっ。なんて、なんて素晴らしいものを私に教えてくれたの、ファリア! 親友の幸せな結婚というだけでも嬉しいのに、こんな、こんな素晴らしいものを……」
ルーアは興奮を隠しきれずに歓喜の声を上げる。
「基本ベースさえ分かれば、再現はそれほど難しくなかった。でも、この料理はそこで終わりじゃない」
ひたすら繰り返した。何十、何百と組み合わせを繰り返した。
その組み合わせの全てをルーアは記憶している。
記録ではなく記憶している。
そして、僅かな日数で彼女は掴みかけていた。
この素晴らしい料理のひとまずの完成形を。
こと料理に関して、彼女は天賦の才を持っている。
けれど、このひとまずの完成形に至るまでの道程を切り開いたのは、ただただひたすらに手探りで続けた彼女の不断の努力に他ならなかった。
「……うん。これでいい。多少の好みの差はあるけれど、これならきっと……」
真夜中をとうに過ぎた頃、ルーアはそれを完成させた。
「……ねぇ、ファリア。私も貴女の結婚式に行きたいけれど、下っ端の私にそんな機会は与えられない。だから、これを送るわ。
ひたすらに私が努力をして行き着いた完成形。頑張り屋の貴女に送るにはこれ以上ない贈り物だと私は思うの……」
ルーアには大事な友人がいる。
『天賦の才に愛され過ぎている』と周りから揶揄される親友がいる。
けれど、彼女に対してそういった事を口にする者たちは、彼女の努力する姿から目をそらしている。
自分が努力を怠っているという事実から、目を背けるために……。
ファリアは美しい。
それは確かに天性のものだ。
けれど、彼女はそれ以外のことは全て努力を繰り返して手に入れてきた。
彼女の半分でもいい。
それだけの努力をしたと胸を張れる者がこの神殿にどれほどいるというのだろうか?
ただ彼女を妬むことで、自分を誤魔化していないと断言できるものがどれほどいるというのだ……。
「どうして、同じ神殿の仲間の幸せな婚姻を祝福できないのよ……。あの娘が何をしたっていうのよ……」
不必要な衝突はルーアの望むものではない。
だから、一人のこの時にでも吐露しなければいられなかった。
「……まったく、苦労をしているわね」
不意に、ルーアの背中から声が掛けられた。
つい今まで、この部屋には彼女以外には誰も居なかったはずなのに。
「あらあら。今日はずいぶんと遅い登場ですね。第二厨房の幽霊さん」
けれど、ルーアは気にした様子もなく、涙を手で拭って振り返ることなく返事を返す。
「そうね。あまりにもアンタが一生懸命だったから、声をかけるのを躊躇ってしまったのよ。まったく、料理のどこがそんなに面白いのよ。面倒なだけじゃないの」
その言葉に、ルーアは振り返って笑顔を返す。
もっとも、そこには誰の姿もないのだが。
「ふふふっ、分かっていませんね、幽霊さん。その面倒なのが良いんですよ。その苦労を超えた先にある美味を作り出すことがたまらなく楽しいんです」
この『第二厨房の幽霊さん』とルーアは、もう五年を超える付き合いだ。
もちろん初めは驚いたが、ルーアは持ち前の好奇心で積極的にこの厨房を訪れ、彼女と友だちになった。
幽霊さんが言うには、彼女はこの神殿が出来た何百年も前からここに居るのだという。
なんでも、神殿での生活に嫌気が差して自らの命を断ったのだが、それをフォルシア様に咎められて、幽霊として気が遠くなる年月を過ごしているのだという。
何代前か数えるのも馬鹿らしい大先輩の幽霊ということで、ルーアは彼女に一応は敬意を持っている。
「あっ、幽霊さん。私が調合したパウダーには触らないでくださいね。匂いが取れなくなりますから」
「触らないわよ。というか、幽霊に匂いって着くのかしら?」
「どうでしょう? でも、触らないほうが良いと思いますよ」
ルーアは軽い口調で答えて、作業を再開する。
この幽霊さんは気軽な関係を好むので、あまり堅苦しくない言葉遣いを、普段同期のシスター仲間と話す口調でルーアは会話をする。
「そう。分かったわ」
幽霊さんはそう言ったきり押し黙る。
気配も全く無いので、居るのか居ないのか分からなくなるのだが、この幽霊さんは律儀なところがあり、帰るときには必ずそう言うので、ルーアは彼女が変わらず側にいることを理解している。
特段話題がなければ無言になることもあるが、思ったことがあればお互い遠慮せずに話しかける。
この気のおけない雰囲気がとても心地良い。
一番の親友であるファリアが居なくなってしまったことから、ルーアにとってはこの幽霊さんとの不思議な逢瀬が心の支えになっていた。
もっとも、それは幽霊さんも同じようで、所用で厨房に来られなかった次の日は、「何で来なかったのよ」と文句を言われる。
お互い持ちつ持たれつ。
この関係を築ける存在がいることが嬉しくて、ルーアは笑顔で調理台の上の乳鉢などを洗って片付ける。
普段なら後でまとめて洗うのだが、香りが混ざってしまうのを嫌い、ルーアは片付けを優先した。そして、少し窓を開けて換気をする。
「よし、だいぶ匂いが抜けたかしらね。後は実際に作ってみるとしましょうか!」
そう宣言をし、ルーアは食材を保温庫の中から取り出し始めた。
「おっ、ようやく食べられるものができるのね。私、結構お腹が空いているから、味見には付き合ってあげるわよ」
「もう、最初からそれが目当てでしょう? まぁ、楽しみにしていて下さいな。きっと驚く料理ができあがるんで」
この幽霊さんは、幽霊なのに食事ができる。
なんでそんな事ができるのかを尋ねると、「ふっ、他の幽霊とは徳の高さが違うのよ」と自信満々な声で答えていた。
フォルシア様に咎められたという話はどこにいったのだろうか? と思ったが、ルーアも自分の料理を食べてくれる方が嬉しいので、野暮なツッコミはせずにいる。
「……ほほう、言うじゃない。いいでしょう。アンタの努力の成果を私がしっかり判断してあげる」
誰も居ない虚空からの声を背に受け、ルーアは料理を作り上げていく。
そしてそれは、この神殿に置いて大きな革命を起こすほどの料理となるのだった。
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