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第二章 お役目
第二章ー⑤
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朝食後に最終的な打ち合わせを終え、ファリアとリナは目的地であるユウヤという人の家のまでやって来た。
思っていたよりも宿から距離があったが、若い二人にとってはどうということはない。
それよりも、問題なのは……。
「ファリアさん。それでは、私が最初にユウヤさんにご挨拶をします」
リナがそう緊張で震える自らを叱咤するように告げてきたので、ファリアは苦笑交じりに「ええ、お願いしますね」と答える。
「本当に、この子は真面目ですね」
昨日、街を出歩いた際に迷子になってしまったことを、リナはファリアに正直に話して謝罪した。
これほどの大きな街だ。気をつけていても道に迷うこともあるだろう。
ファリア自身、この街の地図はある程度頭に入れているつもりだが、一人で出歩いて絶対に迷わないなどとは断言できない。
幸い、コリィと言う親切な方が今回も道案内をしてくれたおかげで、リナは無事に宿屋に戻ってくることが出来た。そして、その事をリナは深く反省している。
だからファリアは形式上、「今後は気をつけなければいけませんよ」と軽いお小言を口にしてその話は終わりにしようとしたのだが、リナの顔色は優れなかった。
おそらく、先日と同じ失敗を繰り返してしまったリナは、その程度のお小言だけでは、自分自身を許せなかったのだろう。
その後、宿を出て、友人のルーアが是非にと勧めていた料理店に向かうことにしたのだが、やはりリナは気落ちして元気がなかった。そのため、ファリアは一つだけリナに罰を与えることにした。
それが、この家を訪ねた際に、一人でユウヤという男性に今回の訪問内容を説明することだった。
ファリアの突然の提案に、リナは狼狽したが、やがて、「分かりました」と頷いた。どこか安堵するような表情を浮かべて。
それが功を奏してか、その後の素晴らしい夕食は、二人で心から楽しむことが出来た。
「ごっ、ごめん下さい!」
リナが少し上ずった声で控えめにノックする。すると、ドアの外からも分かるくらいに慌てて玄関に向かって走ってくる足音が聞こえた。
いよいよだと、リナほどではないが、ファリアも緊張で硬くなりそうな自らを律する。
「……ユウヤ様……。いったいどのような方なのでしょうか? いえ、愚問ですね。男性なのですから、やはりあの男の人のように傲慢で、威圧的な……」
そう思うと、ファリアはいつの間にか無意識に拳を握り締めていた。
「あっ、はい。今出ます」
「……えっ?」
ドア越しに聞こえた、明らかに女性のものとは違う声に、ファリアは危うく言葉が出そうになり、慌ててそれを飲み込んだ。
あまりにもファリアが知っている男性の声とは違った声。
無論、同じ人間ではないのだから声質が違うのは当たり前だ。だが、ファリアが聞いたその声は、彼女の知る男のものとは大違いのとても優しい響きだった。
ファリアが想像していた声色との違いに呆然としているうちに、ドアが開かれた。
「はっ、はじめまして。私はリスレ神殿のシスターで、リナと申します」
リナが傍目にも気の毒になるほど緊張した声で名前を名乗り、頭を下げたが、ファリアはまだ呆然としたままだった。
「あっ、ええ……」
「そっ、その、こちらはユウヤ様のお宅で間違えありませんか?」
何とか賢明に声を出して、男の人に尋ねるリナ。その言葉に、ファリアはようやく我に返る。
「……何をしていたのでしょうか、私は。リナに全てを押し付けるつもりなのですか?」
ファリアは無意識のうちにドアの影に立っていた自分を恥じると、リナと会話を交代するために足を踏み出す。
「リナ、まずは初めにご用件をお伝えしなければいけませんよ」
リナの後ろを回って前に歩みを進めると、ファリアはリナを庇う様に彼女とユウヤの間に入り込んで静かに頭を下げた。
「なっ……」
ユウヤが何か声を上げたが、ファリアは気にせずに言葉を続ける。
最初が肝心だ。毅然とした態度で挑まなければと自らに言い聞かせる。
「失礼致しました。私はヴェリス神殿のシスターで、ファリアと申します。私達…は……」
慇懃な物言いで、ファリアは笑みを浮かべることもせずに事務的に事を進めるつもりだった。だが、ユウヤの顔を直視するうちに、彼女は言葉を失ってしまう。
驚きの表情のまま固まったその顔は、一般的には魅力的な姿ではないだろう。だが、腹に一物を抱えているようなあの男の顔とは異なり、ファリアの嫌うものではなかった。
「……あっ、すみません。続けてください」
やはり優しい声だとファリアは思う。
きっと、自らの反応が私の話を遮ったと思ったに違いない。
それで私に謝罪の言葉を……。
年齢は私より随分上のようなのに、この物腰の柔らかさはなんだろう?
困ったような笑みを浮かべる顔も優しさに溢れていて、メガネ越しに見える薄茶色の瞳も穏やかな光を宿している。……まるで違う。私の知っている男の人とは……。
「……あの、ファリアさん……」
困惑を含んだリナの声に、ファリアは目の前の男性に見とれていたことに気づく。
「大変失礼いたしました。事前にお手紙でお知らせさせて頂きましたとおり、私達は、先日、ユウヤ様にお届けさせて頂いた寝具に最後の仕上げをするために参りました」
普段の自分では考えられない地に足が着かない感覚を何とか押し殺し、ファリアは簡潔に用件を告げる。
この上なく単純明快な説明を普段どおりの話し方と速度で行い、ファリアは少し自分の気持ちが落ち着くのを感じた。
そして、この調子で話を進めようと口を開きかけた時だった。
「……えっ、ええと……。手紙って、なんです?」
ユウヤの口から信じられない事実を聞かされたのは。
「あっ、あの、改めまして、リスレ神殿のシスターで、リナと申します」
赤髪の可愛らしい少女に握手を求められ、ユウヤは差し出された手を軽く握る。
その際に、リナが「あっ」と眉をしかめたので、ユウヤは慌てて手を引っ込めた。
「ヴェリス神殿のシスター、ファリアです。重ね重ね大変失礼を致しました。お手紙が届いていないばかりか、寝具をお届けした際にも説明をさせて頂いていないとは……」
ファリアは握手を求めようとはせずに、お詫びの言葉だけを口にする。
「あっ、いや、お気になさらずに」
テーブルを挟み、二人の少女に深々と頭を下げられ、ユウヤのほうが恐縮してしまう。
このファリアとリナと名乗ったシスター達によると、本来は、神殿から件のベッドの仕上げというものを行う通知が来ているはずで、また、先日ベッドを届けた際にもその説明がされているはずだったらしい。
念のためにユウヤは郵便受けを確認したが、そのような手紙は入っていなかった。
おそらく郵便の手違いか何かなのだろう。
「ええと、それで、あのベッドの仕上げというのはいったい……」
すでに組み立てが終わり、形を成しているベッドにこれ以上することがあるのだろうかと怪訝に思い尋ねると、ファリアが「はい、ご説明させていただきます」と慇懃に頭を下げて説明をしてくれた。
彼女の話によると、これから三日間、毎日一時間ほどベッドに祈りを捧げる儀式を行うことが最後の仕上げで、そのために彼女たちは遠方からこの街まで旅をしてきたと言う。
「そんなことのために、わざわざ……」
声にこそ出さなかったが、ユウヤの正直な感想はその一言だった。
信心深くないユウヤにしてみると、ベッドなどただ使えればいいもので、そのような祈りを捧げるという行為の必要性が理解できない。
「突然の訪問に加えて、図々しい事この上ありませんが、どうか祈りを捧げさせて頂けませんでしょうか?」
「どっ、どうか、よろしくお願いいたします」
再び二人に頭を下げられ、ユウヤは苦笑するしかなかった。
特に断る理由はないし、こんなに熱心に頼まれては、嫌とは言えない。
「ええ。分かりました。お願いします。ご覧のとおり、ベッドはあの部屋にありますので」
空いたドアから見える別室に置かれた巨大なベッドに視線を遣り、ユウヤは少し後ろめたい気持ちになる。
ベッドには骨組みの木材部分だけで、付属されていた敷布団などは一切見当たらない。
必要がないので、それらは押入れにしまってあるのだ。
ユウヤ自身、ベッドが完成した際にコリィにせがまれてためしに一度横になったことがあるだけで、それ以外に使用したことは一度もない。
「ありがとうございます、ユウヤ様」
リナは嬉しそうに零れんばかりの笑顔になったが、ファリアは静かに「ありがとうございます」と事務的な感謝の言葉を口にするだけだった。
「……すごく綺麗な女の子だけど、何か嫌われているようだな、僕は……」
ユウヤ自身、自分が初対面の相手に好かれる類の人間ではないと分かっているが、彼女の応対はあまりに冷淡だと思う。
しかし、ユウヤは顔にはそれを出さずに、彼女たちを別室に案内する。
部屋に入るとすぐに、彼女たちはお互いを見つめて小さく頷きあった。
「それでは、早速始めさせて頂きましょう。リナ、準備はいいですか?」
「はい、ファリアさん」
二人の少女はベッドの前に跪くと、目を閉じ、歌うように祈りの言葉を唱え始めた。
「……綺麗な声だな」
祈りの言葉は日本語ではないため、その意味は分からないが、そのあまりに美しい声の音に聞き惚れる。
お経のようなものを想像していたユウヤにとって、二人の少女の美声は驚きで、しかしそれは同時に荘重なものだった。
「……あれっ?……」
ユウヤは、不意に木製のベッドが淡い光を帯びていくことに気づく。
まるで、ファリアたちの声に呼応しているかのよう――いや、間違いなく呼応し、常識では考えられない現象を起こしている。
ファリアたちは一度もベッドに手を触れていないし、今日この日まで今のような現象が起こったことはないのだから。
「……これは、『魔法』なのかな?」
自らの発想に、何を馬鹿げたことをとユウヤ自身も思う。
これが以前にユウヤの住んでいた世界――あくまでここを異世界と仮定した話だが――での出来事であれば、ユウヤは何かしらのトリックを疑っただろう。
だが、自分以外は男が居ないという異常な世界での事となると、ついそう考えてしまう。
「もしも『魔法』なのだとしたら……。なんでもありだな、この世界は……」
諦めにも似たような気持ちでそう思い、ユウヤは苦笑する。
あまりにも異常な環境に居るせいか、ベッドが勝手に光だしてもさして驚かない自分に呆れてしまう。
そんなことを暢気に考えていたユウヤとは対照的に、ファリアとリナは額に大粒の汗を浮かべながら祈りを捧げ続ける。傍目にも楽な作業ではないことは明らかだった。
「こんなことを一時間も……」
祈りを捧げるということは、宗教上の形式的なものだと思っていたが、どうやらこの二人の少女が行っているのは違うらしい。本当に『魔法』というものを込めているのかも知れない。
「……ル・アレル、アリエル、アテル……」
意味がまったく分からない言語を口にするファリアとリナ。
目に見えて少女二人が疲労していくのが分かる。
ユウヤは見ているのが辛くて、何度も祈りを止めさせる言葉が喉元まで出掛かるが、懸命に祈りの言葉を紡ぎ続けるファリア達の真摯な姿に、その言葉を飲み込まざるをえなかった。
そして、長い長い祈りが終わるころには、ユウヤも気疲れで倒れてしまいそうだった。
祈りの言葉が終わり、ファリアが「リナ、よく頑張りました」と口にしたときには、ユウヤも重いため息をつき、胸を撫で下ろしたほどだ。
「はぁ、はぁ……」
リナは疲労困憊といった感じで息をつき、ファリアは気丈にも疲労の色を見せまいと小さく息を整え、ユウヤの前まで足を進め、頭を下げる。
「ユウヤ様。お待たせをして申し訳ありませんでした。明日も同じように祈りを捧げさせて頂きますので、ご都合のよろしい時間帯をお知ら……」
ファリアの言葉が途切れた。それと同時に彼女は力を失い、そのまま背中から倒れ込みそうになる。
だが、反射的にユウヤはファリアを抱き支え、彼女を助けた。
「だっ、大丈夫ですか?」
そう声をかけ、ユウヤは改めてファリアという少女の美貌に見惚れてしまった。
美しい。あまりにも美しい顔立ち。
少女から大人へと成長していく過程の中で失われていく子どもの愛らしさをも含んだそれは、あまりにも鮮烈だった。
過ぎた美は醜さと同位なものだと何かの本で誰かが評していたが、ならばこの少女の美貌はその限界点にあるものではないだろうかとユウヤは思う。
いや、それだけではない。肉付きが少ないとはいえ、硬く無骨な男の腕に伝わる、柔らかくも華奢な背中とその温もりがユウヤの肌を、少女特有の甘い香りが彼女の汗でより強くユウヤの鼻腔をくすぐる。
そして、支えた腕の角度から、ユウヤの胸に押し当てられた、柔らかく心地よい温もりを持った大きな乳房の感触は、ユウヤに今腕の中にある存在がこの上なく「女」であることを告げていた。
「なっ、なにを。相手は子ども。それに、この子は突然倒れて……」
子どもに「女」を感じてしまった自分を戒め、ユウヤは彼女から視線をはずす。
それは、そのまま彼女を見つめていたら何かしらの間違いを犯してしまうのではと心のどこかで危惧したためだろうか。
「ファリアさん! ……ファリアさん!」
気を失ってしまったファリアを心配して、リナが駆け寄ってきて、彼女の名前を叫ぶ。
幸いなことに、ファリアはその声に意識を取り戻した。おそらくは疲労時に急に動いたために軽い眩暈を起こしただけだったのだろう。
「……リナ? 何を慌てて……」
泣き出しそうなリナの顔を怪訝に思い、ファリアが状況を確認しようと辺りに視線を移す。そして、ユウヤと目が合った。
「…………」
ファリアはそのまま硬直し、言葉を失う。
「あっ、すみません」
ユウヤは慌てて彼女を床に座らせて手を離す。だが、その行動はあまりにも遅かった。
自分がユウヤに抱き支えられていたことを理解し、顔を紅潮させたファリアの絹を裂くような悲鳴が響き渡ったのは、それから間もなくの出来事だった。
思っていたよりも宿から距離があったが、若い二人にとってはどうということはない。
それよりも、問題なのは……。
「ファリアさん。それでは、私が最初にユウヤさんにご挨拶をします」
リナがそう緊張で震える自らを叱咤するように告げてきたので、ファリアは苦笑交じりに「ええ、お願いしますね」と答える。
「本当に、この子は真面目ですね」
昨日、街を出歩いた際に迷子になってしまったことを、リナはファリアに正直に話して謝罪した。
これほどの大きな街だ。気をつけていても道に迷うこともあるだろう。
ファリア自身、この街の地図はある程度頭に入れているつもりだが、一人で出歩いて絶対に迷わないなどとは断言できない。
幸い、コリィと言う親切な方が今回も道案内をしてくれたおかげで、リナは無事に宿屋に戻ってくることが出来た。そして、その事をリナは深く反省している。
だからファリアは形式上、「今後は気をつけなければいけませんよ」と軽いお小言を口にしてその話は終わりにしようとしたのだが、リナの顔色は優れなかった。
おそらく、先日と同じ失敗を繰り返してしまったリナは、その程度のお小言だけでは、自分自身を許せなかったのだろう。
その後、宿を出て、友人のルーアが是非にと勧めていた料理店に向かうことにしたのだが、やはりリナは気落ちして元気がなかった。そのため、ファリアは一つだけリナに罰を与えることにした。
それが、この家を訪ねた際に、一人でユウヤという男性に今回の訪問内容を説明することだった。
ファリアの突然の提案に、リナは狼狽したが、やがて、「分かりました」と頷いた。どこか安堵するような表情を浮かべて。
それが功を奏してか、その後の素晴らしい夕食は、二人で心から楽しむことが出来た。
「ごっ、ごめん下さい!」
リナが少し上ずった声で控えめにノックする。すると、ドアの外からも分かるくらいに慌てて玄関に向かって走ってくる足音が聞こえた。
いよいよだと、リナほどではないが、ファリアも緊張で硬くなりそうな自らを律する。
「……ユウヤ様……。いったいどのような方なのでしょうか? いえ、愚問ですね。男性なのですから、やはりあの男の人のように傲慢で、威圧的な……」
そう思うと、ファリアはいつの間にか無意識に拳を握り締めていた。
「あっ、はい。今出ます」
「……えっ?」
ドア越しに聞こえた、明らかに女性のものとは違う声に、ファリアは危うく言葉が出そうになり、慌ててそれを飲み込んだ。
あまりにもファリアが知っている男性の声とは違った声。
無論、同じ人間ではないのだから声質が違うのは当たり前だ。だが、ファリアが聞いたその声は、彼女の知る男のものとは大違いのとても優しい響きだった。
ファリアが想像していた声色との違いに呆然としているうちに、ドアが開かれた。
「はっ、はじめまして。私はリスレ神殿のシスターで、リナと申します」
リナが傍目にも気の毒になるほど緊張した声で名前を名乗り、頭を下げたが、ファリアはまだ呆然としたままだった。
「あっ、ええ……」
「そっ、その、こちらはユウヤ様のお宅で間違えありませんか?」
何とか賢明に声を出して、男の人に尋ねるリナ。その言葉に、ファリアはようやく我に返る。
「……何をしていたのでしょうか、私は。リナに全てを押し付けるつもりなのですか?」
ファリアは無意識のうちにドアの影に立っていた自分を恥じると、リナと会話を交代するために足を踏み出す。
「リナ、まずは初めにご用件をお伝えしなければいけませんよ」
リナの後ろを回って前に歩みを進めると、ファリアはリナを庇う様に彼女とユウヤの間に入り込んで静かに頭を下げた。
「なっ……」
ユウヤが何か声を上げたが、ファリアは気にせずに言葉を続ける。
最初が肝心だ。毅然とした態度で挑まなければと自らに言い聞かせる。
「失礼致しました。私はヴェリス神殿のシスターで、ファリアと申します。私達…は……」
慇懃な物言いで、ファリアは笑みを浮かべることもせずに事務的に事を進めるつもりだった。だが、ユウヤの顔を直視するうちに、彼女は言葉を失ってしまう。
驚きの表情のまま固まったその顔は、一般的には魅力的な姿ではないだろう。だが、腹に一物を抱えているようなあの男の顔とは異なり、ファリアの嫌うものではなかった。
「……あっ、すみません。続けてください」
やはり優しい声だとファリアは思う。
きっと、自らの反応が私の話を遮ったと思ったに違いない。
それで私に謝罪の言葉を……。
年齢は私より随分上のようなのに、この物腰の柔らかさはなんだろう?
困ったような笑みを浮かべる顔も優しさに溢れていて、メガネ越しに見える薄茶色の瞳も穏やかな光を宿している。……まるで違う。私の知っている男の人とは……。
「……あの、ファリアさん……」
困惑を含んだリナの声に、ファリアは目の前の男性に見とれていたことに気づく。
「大変失礼いたしました。事前にお手紙でお知らせさせて頂きましたとおり、私達は、先日、ユウヤ様にお届けさせて頂いた寝具に最後の仕上げをするために参りました」
普段の自分では考えられない地に足が着かない感覚を何とか押し殺し、ファリアは簡潔に用件を告げる。
この上なく単純明快な説明を普段どおりの話し方と速度で行い、ファリアは少し自分の気持ちが落ち着くのを感じた。
そして、この調子で話を進めようと口を開きかけた時だった。
「……えっ、ええと……。手紙って、なんです?」
ユウヤの口から信じられない事実を聞かされたのは。
「あっ、あの、改めまして、リスレ神殿のシスターで、リナと申します」
赤髪の可愛らしい少女に握手を求められ、ユウヤは差し出された手を軽く握る。
その際に、リナが「あっ」と眉をしかめたので、ユウヤは慌てて手を引っ込めた。
「ヴェリス神殿のシスター、ファリアです。重ね重ね大変失礼を致しました。お手紙が届いていないばかりか、寝具をお届けした際にも説明をさせて頂いていないとは……」
ファリアは握手を求めようとはせずに、お詫びの言葉だけを口にする。
「あっ、いや、お気になさらずに」
テーブルを挟み、二人の少女に深々と頭を下げられ、ユウヤのほうが恐縮してしまう。
このファリアとリナと名乗ったシスター達によると、本来は、神殿から件のベッドの仕上げというものを行う通知が来ているはずで、また、先日ベッドを届けた際にもその説明がされているはずだったらしい。
念のためにユウヤは郵便受けを確認したが、そのような手紙は入っていなかった。
おそらく郵便の手違いか何かなのだろう。
「ええと、それで、あのベッドの仕上げというのはいったい……」
すでに組み立てが終わり、形を成しているベッドにこれ以上することがあるのだろうかと怪訝に思い尋ねると、ファリアが「はい、ご説明させていただきます」と慇懃に頭を下げて説明をしてくれた。
彼女の話によると、これから三日間、毎日一時間ほどベッドに祈りを捧げる儀式を行うことが最後の仕上げで、そのために彼女たちは遠方からこの街まで旅をしてきたと言う。
「そんなことのために、わざわざ……」
声にこそ出さなかったが、ユウヤの正直な感想はその一言だった。
信心深くないユウヤにしてみると、ベッドなどただ使えればいいもので、そのような祈りを捧げるという行為の必要性が理解できない。
「突然の訪問に加えて、図々しい事この上ありませんが、どうか祈りを捧げさせて頂けませんでしょうか?」
「どっ、どうか、よろしくお願いいたします」
再び二人に頭を下げられ、ユウヤは苦笑するしかなかった。
特に断る理由はないし、こんなに熱心に頼まれては、嫌とは言えない。
「ええ。分かりました。お願いします。ご覧のとおり、ベッドはあの部屋にありますので」
空いたドアから見える別室に置かれた巨大なベッドに視線を遣り、ユウヤは少し後ろめたい気持ちになる。
ベッドには骨組みの木材部分だけで、付属されていた敷布団などは一切見当たらない。
必要がないので、それらは押入れにしまってあるのだ。
ユウヤ自身、ベッドが完成した際にコリィにせがまれてためしに一度横になったことがあるだけで、それ以外に使用したことは一度もない。
「ありがとうございます、ユウヤ様」
リナは嬉しそうに零れんばかりの笑顔になったが、ファリアは静かに「ありがとうございます」と事務的な感謝の言葉を口にするだけだった。
「……すごく綺麗な女の子だけど、何か嫌われているようだな、僕は……」
ユウヤ自身、自分が初対面の相手に好かれる類の人間ではないと分かっているが、彼女の応対はあまりに冷淡だと思う。
しかし、ユウヤは顔にはそれを出さずに、彼女たちを別室に案内する。
部屋に入るとすぐに、彼女たちはお互いを見つめて小さく頷きあった。
「それでは、早速始めさせて頂きましょう。リナ、準備はいいですか?」
「はい、ファリアさん」
二人の少女はベッドの前に跪くと、目を閉じ、歌うように祈りの言葉を唱え始めた。
「……綺麗な声だな」
祈りの言葉は日本語ではないため、その意味は分からないが、そのあまりに美しい声の音に聞き惚れる。
お経のようなものを想像していたユウヤにとって、二人の少女の美声は驚きで、しかしそれは同時に荘重なものだった。
「……あれっ?……」
ユウヤは、不意に木製のベッドが淡い光を帯びていくことに気づく。
まるで、ファリアたちの声に呼応しているかのよう――いや、間違いなく呼応し、常識では考えられない現象を起こしている。
ファリアたちは一度もベッドに手を触れていないし、今日この日まで今のような現象が起こったことはないのだから。
「……これは、『魔法』なのかな?」
自らの発想に、何を馬鹿げたことをとユウヤ自身も思う。
これが以前にユウヤの住んでいた世界――あくまでここを異世界と仮定した話だが――での出来事であれば、ユウヤは何かしらのトリックを疑っただろう。
だが、自分以外は男が居ないという異常な世界での事となると、ついそう考えてしまう。
「もしも『魔法』なのだとしたら……。なんでもありだな、この世界は……」
諦めにも似たような気持ちでそう思い、ユウヤは苦笑する。
あまりにも異常な環境に居るせいか、ベッドが勝手に光だしてもさして驚かない自分に呆れてしまう。
そんなことを暢気に考えていたユウヤとは対照的に、ファリアとリナは額に大粒の汗を浮かべながら祈りを捧げ続ける。傍目にも楽な作業ではないことは明らかだった。
「こんなことを一時間も……」
祈りを捧げるということは、宗教上の形式的なものだと思っていたが、どうやらこの二人の少女が行っているのは違うらしい。本当に『魔法』というものを込めているのかも知れない。
「……ル・アレル、アリエル、アテル……」
意味がまったく分からない言語を口にするファリアとリナ。
目に見えて少女二人が疲労していくのが分かる。
ユウヤは見ているのが辛くて、何度も祈りを止めさせる言葉が喉元まで出掛かるが、懸命に祈りの言葉を紡ぎ続けるファリア達の真摯な姿に、その言葉を飲み込まざるをえなかった。
そして、長い長い祈りが終わるころには、ユウヤも気疲れで倒れてしまいそうだった。
祈りの言葉が終わり、ファリアが「リナ、よく頑張りました」と口にしたときには、ユウヤも重いため息をつき、胸を撫で下ろしたほどだ。
「はぁ、はぁ……」
リナは疲労困憊といった感じで息をつき、ファリアは気丈にも疲労の色を見せまいと小さく息を整え、ユウヤの前まで足を進め、頭を下げる。
「ユウヤ様。お待たせをして申し訳ありませんでした。明日も同じように祈りを捧げさせて頂きますので、ご都合のよろしい時間帯をお知ら……」
ファリアの言葉が途切れた。それと同時に彼女は力を失い、そのまま背中から倒れ込みそうになる。
だが、反射的にユウヤはファリアを抱き支え、彼女を助けた。
「だっ、大丈夫ですか?」
そう声をかけ、ユウヤは改めてファリアという少女の美貌に見惚れてしまった。
美しい。あまりにも美しい顔立ち。
少女から大人へと成長していく過程の中で失われていく子どもの愛らしさをも含んだそれは、あまりにも鮮烈だった。
過ぎた美は醜さと同位なものだと何かの本で誰かが評していたが、ならばこの少女の美貌はその限界点にあるものではないだろうかとユウヤは思う。
いや、それだけではない。肉付きが少ないとはいえ、硬く無骨な男の腕に伝わる、柔らかくも華奢な背中とその温もりがユウヤの肌を、少女特有の甘い香りが彼女の汗でより強くユウヤの鼻腔をくすぐる。
そして、支えた腕の角度から、ユウヤの胸に押し当てられた、柔らかく心地よい温もりを持った大きな乳房の感触は、ユウヤに今腕の中にある存在がこの上なく「女」であることを告げていた。
「なっ、なにを。相手は子ども。それに、この子は突然倒れて……」
子どもに「女」を感じてしまった自分を戒め、ユウヤは彼女から視線をはずす。
それは、そのまま彼女を見つめていたら何かしらの間違いを犯してしまうのではと心のどこかで危惧したためだろうか。
「ファリアさん! ……ファリアさん!」
気を失ってしまったファリアを心配して、リナが駆け寄ってきて、彼女の名前を叫ぶ。
幸いなことに、ファリアはその声に意識を取り戻した。おそらくは疲労時に急に動いたために軽い眩暈を起こしただけだったのだろう。
「……リナ? 何を慌てて……」
泣き出しそうなリナの顔を怪訝に思い、ファリアが状況を確認しようと辺りに視線を移す。そして、ユウヤと目が合った。
「…………」
ファリアはそのまま硬直し、言葉を失う。
「あっ、すみません」
ユウヤは慌てて彼女を床に座らせて手を離す。だが、その行動はあまりにも遅かった。
自分がユウヤに抱き支えられていたことを理解し、顔を紅潮させたファリアの絹を裂くような悲鳴が響き渡ったのは、それから間もなくの出来事だった。
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