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第二章 お役目
第二章ー⑥
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ベッドのある部屋から居間に戻り、リナとファリアはユウヤに勧められるまま、テーブルを挟んで彼と向かい合って席に座る。
「たっ、大変失礼を致しました……」
ファリアは顔を赤らめて、もう何度目か分からない謝罪の言葉とともに視線を落とす。
あまりの恥ずかしさに俯くしかないためだろう。
その謝罪に、「いや、気にしないで下さい」と答えるユウヤに釣られて、ファリアには悪いと思いながらもリナは笑みを浮かべる。
これまでの旅の間、まったく見ることが出来なかったファリアの一面に驚きながらも、リナはいままで以上にファリアに好感を持った。
ものすごく綺麗で完璧な人。ファリアに対してのリナの最初の印象。でも、旅を続けて親交を深めるにつれて、それは少しずつ変わっていった。
ファリアさんは綺麗で、頭も良くて、礼儀正しい人。
でも、私をからかうちょっとだけ意地悪なところもあって、ユーモラスなところもあって、優しいところがいっぱいある人。
でも、ファリアさんはあまりにも綺麗だから、初対面の人はそこにばかり目を奪われて、そういった所が良く分からない。それはとても残念な事だとリナは思う。
リナにとって、ファリアは憧れの存在だ。もちろん、綺麗な容姿もそうだが、それ以上に彼女の内面がリナには何よりも魅力的だった。
不測の事態が起こると慌てふためいてしまう自分とは違い、冷静に物事を判断できる人。
私は恐怖で足がすくんでしまっていたのに、狼に襲われている人たちを助けるために危険を厭わない心の強さを持っている。
怯える私を叱咤激励してくれて、そして、狼との戦いを思い出してしまい、震える私が寝付くまで優しく抱きしめてくれた……。
「今のような微笑ましいところをもっと多くの人が理解してくれたら、ファリアさんは寂しそうな顔をしなくてもすむ様になるのでしょうか……」
時々見せるファリアの寂しげな表情が、いつもリナの心に影を落とす。
出来ることならばもうあんな顔はさせたくない。
リナは思考の海を漂っていたが、コトッとテーブルの上に何かを置かれた音に、慌ててそちらに視線を移す。
テーブルの上には、木のコップが置かれていた。中には紫色の液体が入っている。
「飲み物も出さずに申し訳ありませんでした。葡萄のジュースです」
言葉の意味が分からずに、呆然とコップを見つめるリナ。それはファリアも同じだった。
「……あっ、その、ええと……」
リナもファリアもまったく手を付けようとしないことに困ったユウヤは、とりあえず自らの分のジュースを口に運び、「おいしいですよ、このジュース」と二人にジュースを飲むように促す。
「あっ、すみません。いただきます!」
リナは慌ててコップを手に取り、一口ジュースを口に運ぶ。
葡萄のさわやかな香りと甘い味が口いっぱいに広がり、水分を失った身体にしみこんでいくのが分かった。
「……ユウヤ様。失礼ですが、ユウヤ様は本当に男性なのですか?」
リナと同じようにジュースを一口口にし、ファリアは疑問を直球でユウヤに投げかけた。
「……えっ? いや、間違いなく男ですけど……」
質問の意図が分からず困惑するユウヤに、ファリアは眉をしかめる。
「まさか、男の人からこのような施しを受けるとは思いませんでした。その、私は、男の人はもっと威圧的な存在だと思っていたものですから……」
ファリアは歯に絹を着せずにユウヤに尋ねる。
あまりにも理解がしがたくて、遠まわしに尋ねることができないためだとリナは彼女の気持ちを察した。
ファリアとは異なり、リナはユウヤを威圧的な人とは思っていなかった。
それは、コリィから怖い人じゃないと教えてもらっていたことと、彼が纏う雰囲気を実際に見てそう思ったためだ。
しかし、実際の生身の男の人は、自分の知らない、得体の知れない存在であることには変わりない。だからやはり不安な気持ちは完全には消えなかった。
ユウヤは飲み物を振舞ってくれた。それは、来客に対してのごく普通の行為なのだが、それを男の人にしてもらうということには、リナもなんともいえない違和感というか、不思議なことに思えてしまう。
「ええと、男の人にもいろいろな人がいますから、ファリアさんの言うような男の人もいるとは思いますけど……。僕は、こんな感じの男なので……」
困ったように笑うユウヤ。
その笑顔を見て、コリィが言っていたことが本当であったことをリナは確信した。
「本当に、アゼルさんに似ています」
『魔法使いの家事手伝い』という物語に出てくる少し頼りない男性の姿を思い出し、ついまた口元を綻ばせた。
「あっ、んっ……」
不意にリナの右手におかしな感覚が走った。
先ほどユウヤと握手を交わした時もそうだった。
少し痛いような、こそばゆいような感覚が掌を走り、思わず声を上げてしまった。
幸い今回は声が小さかったためか、ユウヤもファリアもリナがおかしな声を上げたことに気づかなかったようだ。
怪訝に思いながらも、一瞬のことだったので気のせいだと結論付け、リナはファリアの言葉に耳を傾ける。
ファリアは先ほどの不躾な質問をしたことを詫び、淡々とユウヤと明日の日程を打ち合わせていた。
「……ええ。明日は仕事なので、夜の六時くらいからなら。食事もそれまでに済ませておきますので、それ以降であればいつでも」
「はい。分かりました。では、六時に伺います。それでは、今日はこれでおいとまさせて頂きます。リナ、帰りますよ」
ファリアは必要なことを確認すると、一刻も早くこの場を去りたいといわんばかりに、リナに宿に戻ることを告げて席を立つ。
「はい、ファ……ファリアさん!」
リナが返事をする前に、ファリアは再び体勢を崩してテーブルに倒れこむ。
「くっ!」
ファリアは何とか手を付いてテーブルとの衝突を回避する。しかし、ファリアの体調が回復していないことは明らかだった。
「大丈夫です。帰りますよ、リナ……」
「無茶です、ファリアさん!」
珍しくリナが声を荒げたが、ファリアは「心配には及びません」と頑なに宿に戻ろうとする。
「無理をしないで少し休んでいって下さい。このままだと、帰り道でまた倒れてしまうかもしれない」
そうユウヤが優しい言葉をかけてくれたが、ファリアはそれを拒もうと口を開き、そして言葉を失った。
「ユウヤさん……」
リナはファリアが言葉を失った訳を理解した。
ユウヤは本当に心配そうな顔をしていた。この人は心からファリアさんのことを案じている。その表情でそれがよく分かった。
「リナさん、今、あのベッドを使ってはいけないんですか?」
「えっ? いっ、いえ。そのようなことはありません」
突然の質問に戸惑いながらもそう答えると、ユウヤは「よかった」と小さく息を吐く。そして足早に隣の部屋に入って大きな敷布団を引っ張り出してきた。
「すみません、少し手を貸してください。あっ、ファリアさんは無理をしないで座っていて下さい」
「あっ、はい!」
リナはユウヤに乞われるままに二人で大きな敷布団を件のベッドに敷くと、続けてユウヤが隣の部屋から持ってきたシーツと掛け布団を準備する。
ファリアは申し訳なさそうに椅子に腰掛けながら顔を俯かせていた。
サイズがサイズなだけに二人での準備作業は時間が掛かったが、何とか寝床が出来上がると、リナがファリアに肩を貸し、ベッドのある部屋まで連れてきて、そこに寝かせる。
「この家には僕用のベッド以外に他の寝具がないので、そこで少し横になって下さい」
「……ありがとう……ございます」
消え入りそうな声で礼をいい、ファリアは頭を下げた。
「ええと、リナさん。休むだけとはいえ、男の僕がここに居るとなにかと不都合もあると思うので、ここはお任せしてもいいですか?」
ユウヤのそんな提案に、リナとファリアは慌てた。
「あっ、ありがたいお申し出ですが、ここはユウヤ様のお宅です。それなのにユウヤ様をないがしろにするようなまねは!」
「リナの言うとおりです! そこまでして頂く必要はありません!」
リナたちはそう訴えたが、ユウヤは困ったように笑い、
「僕は奥の部屋に居ますから、何かあったら声をかけて下さい。ええと、水は居間の台所の瓶に入っています。先ほどのジュースもテーブルの上に置いてあるので、よければ飲んで下さい。それと、トイレは向こうです」
そう必要なことを教えると、二人の制止の声も聞かずにそのまま奥の部屋に入ってドアを閉めてしまった。
リナたちは呆然とそのドアを見つめることしか出来なかった。
◇
「……ふぅ。だめだな……」
興味を引かれて借りてきた本だが、その内容がまったく頭に入ってこない。
ユウヤは本を閉じて机の上に置き、ふと部屋のドアに視線を移す。もちろんドアが気になるのではない。その向こうにいる二人のシスターが気がかりなのだ。
時計を確認すると、あれから三十分ほどが経過している。ファリアというシスターは元気になったのだろうか?
「……少し無責任だったかな。でも、僕は嫌われているようだし」
体調の悪いファリアのことをリナに任せきりにしたことに罪悪感を覚えるが、ユウヤには他に上手い方法が浮かばなかった。
「でも、あのファリアって子。信じられないくらい綺麗だったな……。それに……」
脳裏にファリアの、女の感触が鮮明に思い出されて、ユウヤは慌ててがぶりを振る。
「だから、何を考えているんだ、僕は……。相手は子どもだぞ……」
ユウヤは小さく嘆息し、コツンと自分の頭を叩く。
「シノさんに会えなくて、欲求不満なのかな、僕は……」
ユウヤも健康な男性だ。当然異性に対する欲求はある。だが、シノに出会って以来、その欲求の対象はシノだけだった。
シノという女性を自分の思い通りにしたい。自分のものにしたい。そんな気持ちは当然ユウヤにもある。異性に好意を寄せるということには多かれ少なかれそういった気持ちは含まれるものだ。
もっともユウヤはそんな気持ちを自制し、毎日シノと会い、他愛もない世間話をすることで自分を満足させていた。
だが、この一ヶ月近くはそれさえもままならない。その寂しさがあんな子ども相手におかしな気持ちを抱かせたのだろう。
「……でも、最低なのは変わりないよな……」
ユウヤはもう一度自らの頭を叩く。子ども相手に欲情するなど最低最悪だ。
「あの、ユウヤ様……」
控えめなノックとともに、名前を呼ばれた。この声はリナという少女の方だ。
「どうかしましたか?」
ユウヤはドアを開けようと腰を上げたが、
「あの、お部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
リナにそう先に言われ、「どうぞ」と入室を許可する。
遠慮がちにリナは部屋に入ってくると、深々とユウヤに頭を下げた。
「その、ご、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ファリアさんはかなり疲れていたようで、眠ってしまいました。ですから、その、もう少しだけ……」
「気にしないでゆっくり休ませてあげて下さい。どうせ今日は特に予定もなく、家で読書でもしていようと思っていましたので。あっ、よければ座って下さい」
まったく、我ながら気が利かないと思いながら、ユウヤは立ち上がり、自分が座っていた椅子をリナの前に置いて自分はベッドの上に腰を降ろす。
わざわざこの部屋に入ってきたということは、何か自分に話があるのだろう。
リナは遠慮がちに椅子に腰を下ろし、ユウヤと視線を合わせたが、どう話を切り出したものかと言葉につまってしまったようで、「あっ、その……」と口にするだけで二の句がつながらず、会話が始まらない。
あがり症で上手く思ったことを口に出来ない性格のユウヤは、そんなリナの姿が自分と重なって見え、助け舟を出すことにした。
「その、リナさん。よければ少し教えてもらいたいことがあるんですが……」
「はっ、はい! なっ、なんでしょうか?」
ガチガチに緊張した面持ちで尋ね返してくるリナに、ユウヤは穏やかな笑みを浮かべ、彼女とファリアというシスターの所属する「神殿」とはどのようなものかを教えてくれるように頼んだ。
もちろん、話しやすそうな話題を振ってリナの緊張をほぐすのが一番の目的だが、以前にシノに尋ねたときにもあまり詳しい話は聞けなかったので、ユウヤ自身どのようなものか知りたいという欲求があった。
たとえば、「○○教会」や「○○教」と言った名称は日本で何度も聞いた事があるが、「神殿」というそれは建築物の呼称でしか聞くことがなかった。だから、「神殿」という呼び名で所属を告げるシスター達をユウヤは少しだけ怪訝に思っていた。
「はっ、はい。分かりました。そっ、その、私の所属しているリスレ神殿とファリアさんの所属しているヴェリス神殿は……」
リナは戸惑いながらも丁寧に分かりやすく「神殿」について教えてくれた。
端的にリナの説明をまとめると、リスレ神殿とヴェリス神殿は、「創造と平和」の女神フォルシアという名の同じ神様を信仰している宗教で、「神殿」の呼称は、建築物の名称以外には「支部」を意味しているだけなのだという。
「創造と平和」と限定をしていることからも分かるように、女神フォルシアは唯一神ではなく、その信者の数もあまり多くはない。
また、信者は全て女性だけらしい。もっとも、男性がほとんど居ない世界のようなのだから、それは仕方がないのかもしれないが。
「……そう。特に食べ物に制限があったりはしないんだ。僕の住んでいた国では、戒律……いや、規則によって食べていいものと駄目なものが決まっている宗教があってね……」
「そうなのですか? そのような制限がないことを、私達はフォルシア様に感謝しないといけませんね」
リナはそういって可愛い笑顔を見せてくれた。
リナの話を聞き、そしてユウヤがあれこれと質問をして会話を続けていくうちに、随分と緊張は解けたようだ。
リナに自分のことを『様』付けで呼ぶのをやめてもらったことも良かったのかもしれない。
もっとも、その代わりに、敬語をやめるように頼まれてしまったが。
ユウヤ自身、年下の人間に敬語を使うことにはさして苦痛とは思わない。
社会人にもなれば、歳若い相手であろうと敬語で話す事の方が多いからだ。
かえって、馴れ馴れしく、初対面の相手に親しげな人間にするような物言いで声をかけたり、かけられたりするほうが苦手だし、不快に思う。
だが、それが自分と相手の間に壁を作ってしまう一面はあったのかもしれない。
「あの、ユウヤさん。先ほどから、お話したかったことがありまして……」
リナの申し出に、ユウヤは笑顔で続きを促す。
「その、実は、ファリアさんが倒れてしまったのは私が原因なんです。緊張していたせいで、私が上手くファリアさんと力をあわせることが出来ず、そのせいで、ファリアさんはほとんど一人で二人分のことをしなければならなくなってしまって……。
お願いします、ユウヤさん。明日以降は決してこのようなことが起こらないようにしますので、どうか、どうか明日もお役目を続けさせてください。お願いします!」
そういって深々と頭を下げるリナに、ユウヤは口元をほころばせる。
「いい子だな。本当に……」
訪問先で仲間が倒れ、そこの家主に迷惑をかけてしまったことをリナは心底申し訳なく思っており、それを心から謝罪していることが彼女の表情から読み取れた。
そして、そのような事態を引き起こした原因は、ファリアではなく自分にあると主張し、リナはファリアの名誉も守ろうとしている。この若さでなかなかできることではない。
「そんなに心配しないで。止めて欲しいなんて言わないから。ただ、無理だけはしないでほしいな。ファリアさんにも、君にもね」
ユウヤは穏やかにそう言った直後だった。不意に「ぐぅぅっ」という音が部屋に響き渡ったのは。
「……すっ、すみません……」
リナが顔を真っ赤にして恥ずかしそうに謝る。時計を確認すると、いつの間にかそろそろお昼になろうとしている。
思っていたよりも長い時間、リナと話し込んでいたようだ。まだまだ育ち盛りの少女が空腹を訴えるのも仕方がない。
「すまないけど、ファリアさんが目を覚ましているか確認してくれないかな?」
ユウヤの言葉に、リナは「はい」と頷いて部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。
「まだ、眠っているようです……」
申し訳なさと不安が混在するその表情に、ユウヤは苦笑する。
「それならそのままゆっくり休んでもらったほうがいいね。ちょっと街までみんなのお昼を買ってくるから、ファリアさんのことと留守をお願いしてもいいかな?」
生憎と今この家にはほとんど食料がない。
休日の昼に外食をして、翌日以降の食料などを買いだしに行くのがユウヤのこの一ヶ月の習慣だったためだ。
「まっ、待ってください! そこまでして頂くわけには参りません! 私が買い物をして来ますので、ユウヤさんは……。あっ……」
リナは何かを思いついたのか、
「ユウヤさん。ご迷惑でなければ、少しだけ、今までのお詫びをさせて頂けませんか?」
そう話を切り出してユウヤが思いもしなかった提案を彼に告げた。
ユウヤは驚きながらも、リナの熱意に負け、それを了承せざるを得なかった。
「たっ、大変失礼を致しました……」
ファリアは顔を赤らめて、もう何度目か分からない謝罪の言葉とともに視線を落とす。
あまりの恥ずかしさに俯くしかないためだろう。
その謝罪に、「いや、気にしないで下さい」と答えるユウヤに釣られて、ファリアには悪いと思いながらもリナは笑みを浮かべる。
これまでの旅の間、まったく見ることが出来なかったファリアの一面に驚きながらも、リナはいままで以上にファリアに好感を持った。
ものすごく綺麗で完璧な人。ファリアに対してのリナの最初の印象。でも、旅を続けて親交を深めるにつれて、それは少しずつ変わっていった。
ファリアさんは綺麗で、頭も良くて、礼儀正しい人。
でも、私をからかうちょっとだけ意地悪なところもあって、ユーモラスなところもあって、優しいところがいっぱいある人。
でも、ファリアさんはあまりにも綺麗だから、初対面の人はそこにばかり目を奪われて、そういった所が良く分からない。それはとても残念な事だとリナは思う。
リナにとって、ファリアは憧れの存在だ。もちろん、綺麗な容姿もそうだが、それ以上に彼女の内面がリナには何よりも魅力的だった。
不測の事態が起こると慌てふためいてしまう自分とは違い、冷静に物事を判断できる人。
私は恐怖で足がすくんでしまっていたのに、狼に襲われている人たちを助けるために危険を厭わない心の強さを持っている。
怯える私を叱咤激励してくれて、そして、狼との戦いを思い出してしまい、震える私が寝付くまで優しく抱きしめてくれた……。
「今のような微笑ましいところをもっと多くの人が理解してくれたら、ファリアさんは寂しそうな顔をしなくてもすむ様になるのでしょうか……」
時々見せるファリアの寂しげな表情が、いつもリナの心に影を落とす。
出来ることならばもうあんな顔はさせたくない。
リナは思考の海を漂っていたが、コトッとテーブルの上に何かを置かれた音に、慌ててそちらに視線を移す。
テーブルの上には、木のコップが置かれていた。中には紫色の液体が入っている。
「飲み物も出さずに申し訳ありませんでした。葡萄のジュースです」
言葉の意味が分からずに、呆然とコップを見つめるリナ。それはファリアも同じだった。
「……あっ、その、ええと……」
リナもファリアもまったく手を付けようとしないことに困ったユウヤは、とりあえず自らの分のジュースを口に運び、「おいしいですよ、このジュース」と二人にジュースを飲むように促す。
「あっ、すみません。いただきます!」
リナは慌ててコップを手に取り、一口ジュースを口に運ぶ。
葡萄のさわやかな香りと甘い味が口いっぱいに広がり、水分を失った身体にしみこんでいくのが分かった。
「……ユウヤ様。失礼ですが、ユウヤ様は本当に男性なのですか?」
リナと同じようにジュースを一口口にし、ファリアは疑問を直球でユウヤに投げかけた。
「……えっ? いや、間違いなく男ですけど……」
質問の意図が分からず困惑するユウヤに、ファリアは眉をしかめる。
「まさか、男の人からこのような施しを受けるとは思いませんでした。その、私は、男の人はもっと威圧的な存在だと思っていたものですから……」
ファリアは歯に絹を着せずにユウヤに尋ねる。
あまりにも理解がしがたくて、遠まわしに尋ねることができないためだとリナは彼女の気持ちを察した。
ファリアとは異なり、リナはユウヤを威圧的な人とは思っていなかった。
それは、コリィから怖い人じゃないと教えてもらっていたことと、彼が纏う雰囲気を実際に見てそう思ったためだ。
しかし、実際の生身の男の人は、自分の知らない、得体の知れない存在であることには変わりない。だからやはり不安な気持ちは完全には消えなかった。
ユウヤは飲み物を振舞ってくれた。それは、来客に対してのごく普通の行為なのだが、それを男の人にしてもらうということには、リナもなんともいえない違和感というか、不思議なことに思えてしまう。
「ええと、男の人にもいろいろな人がいますから、ファリアさんの言うような男の人もいるとは思いますけど……。僕は、こんな感じの男なので……」
困ったように笑うユウヤ。
その笑顔を見て、コリィが言っていたことが本当であったことをリナは確信した。
「本当に、アゼルさんに似ています」
『魔法使いの家事手伝い』という物語に出てくる少し頼りない男性の姿を思い出し、ついまた口元を綻ばせた。
「あっ、んっ……」
不意にリナの右手におかしな感覚が走った。
先ほどユウヤと握手を交わした時もそうだった。
少し痛いような、こそばゆいような感覚が掌を走り、思わず声を上げてしまった。
幸い今回は声が小さかったためか、ユウヤもファリアもリナがおかしな声を上げたことに気づかなかったようだ。
怪訝に思いながらも、一瞬のことだったので気のせいだと結論付け、リナはファリアの言葉に耳を傾ける。
ファリアは先ほどの不躾な質問をしたことを詫び、淡々とユウヤと明日の日程を打ち合わせていた。
「……ええ。明日は仕事なので、夜の六時くらいからなら。食事もそれまでに済ませておきますので、それ以降であればいつでも」
「はい。分かりました。では、六時に伺います。それでは、今日はこれでおいとまさせて頂きます。リナ、帰りますよ」
ファリアは必要なことを確認すると、一刻も早くこの場を去りたいといわんばかりに、リナに宿に戻ることを告げて席を立つ。
「はい、ファ……ファリアさん!」
リナが返事をする前に、ファリアは再び体勢を崩してテーブルに倒れこむ。
「くっ!」
ファリアは何とか手を付いてテーブルとの衝突を回避する。しかし、ファリアの体調が回復していないことは明らかだった。
「大丈夫です。帰りますよ、リナ……」
「無茶です、ファリアさん!」
珍しくリナが声を荒げたが、ファリアは「心配には及びません」と頑なに宿に戻ろうとする。
「無理をしないで少し休んでいって下さい。このままだと、帰り道でまた倒れてしまうかもしれない」
そうユウヤが優しい言葉をかけてくれたが、ファリアはそれを拒もうと口を開き、そして言葉を失った。
「ユウヤさん……」
リナはファリアが言葉を失った訳を理解した。
ユウヤは本当に心配そうな顔をしていた。この人は心からファリアさんのことを案じている。その表情でそれがよく分かった。
「リナさん、今、あのベッドを使ってはいけないんですか?」
「えっ? いっ、いえ。そのようなことはありません」
突然の質問に戸惑いながらもそう答えると、ユウヤは「よかった」と小さく息を吐く。そして足早に隣の部屋に入って大きな敷布団を引っ張り出してきた。
「すみません、少し手を貸してください。あっ、ファリアさんは無理をしないで座っていて下さい」
「あっ、はい!」
リナはユウヤに乞われるままに二人で大きな敷布団を件のベッドに敷くと、続けてユウヤが隣の部屋から持ってきたシーツと掛け布団を準備する。
ファリアは申し訳なさそうに椅子に腰掛けながら顔を俯かせていた。
サイズがサイズなだけに二人での準備作業は時間が掛かったが、何とか寝床が出来上がると、リナがファリアに肩を貸し、ベッドのある部屋まで連れてきて、そこに寝かせる。
「この家には僕用のベッド以外に他の寝具がないので、そこで少し横になって下さい」
「……ありがとう……ございます」
消え入りそうな声で礼をいい、ファリアは頭を下げた。
「ええと、リナさん。休むだけとはいえ、男の僕がここに居るとなにかと不都合もあると思うので、ここはお任せしてもいいですか?」
ユウヤのそんな提案に、リナとファリアは慌てた。
「あっ、ありがたいお申し出ですが、ここはユウヤ様のお宅です。それなのにユウヤ様をないがしろにするようなまねは!」
「リナの言うとおりです! そこまでして頂く必要はありません!」
リナたちはそう訴えたが、ユウヤは困ったように笑い、
「僕は奥の部屋に居ますから、何かあったら声をかけて下さい。ええと、水は居間の台所の瓶に入っています。先ほどのジュースもテーブルの上に置いてあるので、よければ飲んで下さい。それと、トイレは向こうです」
そう必要なことを教えると、二人の制止の声も聞かずにそのまま奥の部屋に入ってドアを閉めてしまった。
リナたちは呆然とそのドアを見つめることしか出来なかった。
◇
「……ふぅ。だめだな……」
興味を引かれて借りてきた本だが、その内容がまったく頭に入ってこない。
ユウヤは本を閉じて机の上に置き、ふと部屋のドアに視線を移す。もちろんドアが気になるのではない。その向こうにいる二人のシスターが気がかりなのだ。
時計を確認すると、あれから三十分ほどが経過している。ファリアというシスターは元気になったのだろうか?
「……少し無責任だったかな。でも、僕は嫌われているようだし」
体調の悪いファリアのことをリナに任せきりにしたことに罪悪感を覚えるが、ユウヤには他に上手い方法が浮かばなかった。
「でも、あのファリアって子。信じられないくらい綺麗だったな……。それに……」
脳裏にファリアの、女の感触が鮮明に思い出されて、ユウヤは慌ててがぶりを振る。
「だから、何を考えているんだ、僕は……。相手は子どもだぞ……」
ユウヤは小さく嘆息し、コツンと自分の頭を叩く。
「シノさんに会えなくて、欲求不満なのかな、僕は……」
ユウヤも健康な男性だ。当然異性に対する欲求はある。だが、シノに出会って以来、その欲求の対象はシノだけだった。
シノという女性を自分の思い通りにしたい。自分のものにしたい。そんな気持ちは当然ユウヤにもある。異性に好意を寄せるということには多かれ少なかれそういった気持ちは含まれるものだ。
もっともユウヤはそんな気持ちを自制し、毎日シノと会い、他愛もない世間話をすることで自分を満足させていた。
だが、この一ヶ月近くはそれさえもままならない。その寂しさがあんな子ども相手におかしな気持ちを抱かせたのだろう。
「……でも、最低なのは変わりないよな……」
ユウヤはもう一度自らの頭を叩く。子ども相手に欲情するなど最低最悪だ。
「あの、ユウヤ様……」
控えめなノックとともに、名前を呼ばれた。この声はリナという少女の方だ。
「どうかしましたか?」
ユウヤはドアを開けようと腰を上げたが、
「あの、お部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
リナにそう先に言われ、「どうぞ」と入室を許可する。
遠慮がちにリナは部屋に入ってくると、深々とユウヤに頭を下げた。
「その、ご、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ファリアさんはかなり疲れていたようで、眠ってしまいました。ですから、その、もう少しだけ……」
「気にしないでゆっくり休ませてあげて下さい。どうせ今日は特に予定もなく、家で読書でもしていようと思っていましたので。あっ、よければ座って下さい」
まったく、我ながら気が利かないと思いながら、ユウヤは立ち上がり、自分が座っていた椅子をリナの前に置いて自分はベッドの上に腰を降ろす。
わざわざこの部屋に入ってきたということは、何か自分に話があるのだろう。
リナは遠慮がちに椅子に腰を下ろし、ユウヤと視線を合わせたが、どう話を切り出したものかと言葉につまってしまったようで、「あっ、その……」と口にするだけで二の句がつながらず、会話が始まらない。
あがり症で上手く思ったことを口に出来ない性格のユウヤは、そんなリナの姿が自分と重なって見え、助け舟を出すことにした。
「その、リナさん。よければ少し教えてもらいたいことがあるんですが……」
「はっ、はい! なっ、なんでしょうか?」
ガチガチに緊張した面持ちで尋ね返してくるリナに、ユウヤは穏やかな笑みを浮かべ、彼女とファリアというシスターの所属する「神殿」とはどのようなものかを教えてくれるように頼んだ。
もちろん、話しやすそうな話題を振ってリナの緊張をほぐすのが一番の目的だが、以前にシノに尋ねたときにもあまり詳しい話は聞けなかったので、ユウヤ自身どのようなものか知りたいという欲求があった。
たとえば、「○○教会」や「○○教」と言った名称は日本で何度も聞いた事があるが、「神殿」というそれは建築物の呼称でしか聞くことがなかった。だから、「神殿」という呼び名で所属を告げるシスター達をユウヤは少しだけ怪訝に思っていた。
「はっ、はい。分かりました。そっ、その、私の所属しているリスレ神殿とファリアさんの所属しているヴェリス神殿は……」
リナは戸惑いながらも丁寧に分かりやすく「神殿」について教えてくれた。
端的にリナの説明をまとめると、リスレ神殿とヴェリス神殿は、「創造と平和」の女神フォルシアという名の同じ神様を信仰している宗教で、「神殿」の呼称は、建築物の名称以外には「支部」を意味しているだけなのだという。
「創造と平和」と限定をしていることからも分かるように、女神フォルシアは唯一神ではなく、その信者の数もあまり多くはない。
また、信者は全て女性だけらしい。もっとも、男性がほとんど居ない世界のようなのだから、それは仕方がないのかもしれないが。
「……そう。特に食べ物に制限があったりはしないんだ。僕の住んでいた国では、戒律……いや、規則によって食べていいものと駄目なものが決まっている宗教があってね……」
「そうなのですか? そのような制限がないことを、私達はフォルシア様に感謝しないといけませんね」
リナはそういって可愛い笑顔を見せてくれた。
リナの話を聞き、そしてユウヤがあれこれと質問をして会話を続けていくうちに、随分と緊張は解けたようだ。
リナに自分のことを『様』付けで呼ぶのをやめてもらったことも良かったのかもしれない。
もっとも、その代わりに、敬語をやめるように頼まれてしまったが。
ユウヤ自身、年下の人間に敬語を使うことにはさして苦痛とは思わない。
社会人にもなれば、歳若い相手であろうと敬語で話す事の方が多いからだ。
かえって、馴れ馴れしく、初対面の相手に親しげな人間にするような物言いで声をかけたり、かけられたりするほうが苦手だし、不快に思う。
だが、それが自分と相手の間に壁を作ってしまう一面はあったのかもしれない。
「あの、ユウヤさん。先ほどから、お話したかったことがありまして……」
リナの申し出に、ユウヤは笑顔で続きを促す。
「その、実は、ファリアさんが倒れてしまったのは私が原因なんです。緊張していたせいで、私が上手くファリアさんと力をあわせることが出来ず、そのせいで、ファリアさんはほとんど一人で二人分のことをしなければならなくなってしまって……。
お願いします、ユウヤさん。明日以降は決してこのようなことが起こらないようにしますので、どうか、どうか明日もお役目を続けさせてください。お願いします!」
そういって深々と頭を下げるリナに、ユウヤは口元をほころばせる。
「いい子だな。本当に……」
訪問先で仲間が倒れ、そこの家主に迷惑をかけてしまったことをリナは心底申し訳なく思っており、それを心から謝罪していることが彼女の表情から読み取れた。
そして、そのような事態を引き起こした原因は、ファリアではなく自分にあると主張し、リナはファリアの名誉も守ろうとしている。この若さでなかなかできることではない。
「そんなに心配しないで。止めて欲しいなんて言わないから。ただ、無理だけはしないでほしいな。ファリアさんにも、君にもね」
ユウヤは穏やかにそう言った直後だった。不意に「ぐぅぅっ」という音が部屋に響き渡ったのは。
「……すっ、すみません……」
リナが顔を真っ赤にして恥ずかしそうに謝る。時計を確認すると、いつの間にかそろそろお昼になろうとしている。
思っていたよりも長い時間、リナと話し込んでいたようだ。まだまだ育ち盛りの少女が空腹を訴えるのも仕方がない。
「すまないけど、ファリアさんが目を覚ましているか確認してくれないかな?」
ユウヤの言葉に、リナは「はい」と頷いて部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。
「まだ、眠っているようです……」
申し訳なさと不安が混在するその表情に、ユウヤは苦笑する。
「それならそのままゆっくり休んでもらったほうがいいね。ちょっと街までみんなのお昼を買ってくるから、ファリアさんのことと留守をお願いしてもいいかな?」
生憎と今この家にはほとんど食料がない。
休日の昼に外食をして、翌日以降の食料などを買いだしに行くのがユウヤのこの一ヶ月の習慣だったためだ。
「まっ、待ってください! そこまでして頂くわけには参りません! 私が買い物をして来ますので、ユウヤさんは……。あっ……」
リナは何かを思いついたのか、
「ユウヤさん。ご迷惑でなければ、少しだけ、今までのお詫びをさせて頂けませんか?」
そう話を切り出してユウヤが思いもしなかった提案を彼に告げた。
ユウヤは驚きながらも、リナの熱意に負け、それを了承せざるを得なかった。
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