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第五章 嫉妬

第五章ー⑤

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 今朝もいつもどおり朝早くに目を覚ましたリナは、玄関の掃除をしていのだが、そこで、たまたま牛乳を配達しにきたコリィと鉢合わせることになった。

「……えっ? リナ? リナだよね?」
「コリィさん?」

 リナもコリィも、お互いにまさかこんなところで再開するとは思っていなかった。

「あっ、おはようございます、コリィさん。先日はありがとうございました」
「うっ、うん。おはよう。いや、そんな事は気にしなくてもいいんだけど。なんでこんなに朝早くに、リナがユウヤさんの家から出てくるわけ?」

 コリィに尋ねられては答えないわけにも行かず、リナは恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、正直なことを話すことにする。

「その、私、ユウヤさんの妻にして頂いたんです」
 神殿から連絡が来て、式が終わるまでは正式に夫婦として認められないが、それもそう遠くない話だ。
 それに、リナはもうすっかりユウヤの妻であるつもりだ。

「えっ? えっ? つっ、妻? それって、ユウヤさんのお嫁さんになったってこと? だって、だって、シノさん……。ユウヤさんにはシノさんが……。なっ、どうして?」

 質問なのか自問なのか分からないことを口にしながら、傍目にも気の毒に思えるほどにコリィは狼狽している。

「あの、コリィさん?」
「ちょっ、ちょっと待って。気持ちを落ち着けるから」

 コリィは大きなカバンを置きもせずに、そのまま深呼吸を数回してから、まっすぐな瞳をリナに向ける。

「ねぇ、リナ。ユウヤさんには、シノさんという大切な女の人がいるのは知っている?」
「……はい。知っています。昨日、御本人がこの家を訪ねて来られましたので」
 リナの答えに、コリィは目を大きく見開いて驚きの表情を浮かべる。

「そっ、それで、シノさんは何て言ったの?」
 コリィは興奮して、リナの肩を掴んで詰め寄る。

「……その、あの……」

 昨日の晩のことをおいそれと話していいものかと迷い、リナは返答に窮する。

 自分だけのことならばいいのだが、このままではファリアのことも、そしてシノとの確執についても話さなければいけない。

「……ごめん。そんなこと、ここでおいそれと話せることじゃないよね」
 コリィは力を込めていた手を離し、リナに頭を下げる。だが、
「でも、お願い、リナ。何があったのか、あたしにも教えて。ユウヤさんのこと、あたしも知りたいんだ。だから、お願い……」
 コリィは頭を下げたまま、懸命に頼み込んでくる。

 その真摯な姿に、コリィがただの興味本位でユウヤのことを尋ねているわけではないことがよく分かった。

 いや、それだけではない。リナは彼女がユウヤに対して抱いている気持ちを理解してしまった。

「……街の中央通りの少し離れたところに、『フクロウの鳴き声』って名前のカフェがあるんだ。あまりみんなには知られていない、穴場なんだけど、後からそこに来てくれない?
 あたし、今日は朝の配達が終わったら休みだから……。勝手なことを言っているのは分かっているけど、お願い……」

 コリィの声は震えていた。
 顔を一向にあげようとしないからその表情はわからないが、察するに余る。

 リナは考えなしに、自分の現状を話してしまったことを悔いた。
 だが、もう言葉を引っ込めることはできない。
 それに、いつかは分かってしまうことなのだ。

「……分かりました。家のお仕事を片付けてからになりますので、何時にとはお約束できませんが、その『フクロウの鳴き声』というお店に行きます」

 コリィには恩がある。
 それに、同じ男性に想いを寄せている女として、きちんと話をしておかねばならないといけないと思う。

「……ありがとう。待っているから……」
 コリィはそう言うと、顔を上げずに後ろを向いて逃げるように走り出す。

 彼女は決してリナに顔を見せはしなかった。


 ◇


 まだ道に不慣れなリナを気遣ってくれたのだろう。
 コリィは外で待っていてくれた。

 だが、「話は店の中で。他の人に聞かれたくないから」と言って、コリィはリナを店の一番奥の席に案内して席に着く。
 リナもそれに倣った。

 軽く店内を見渡すと、まだ朝方だというのに少し薄暗い感じがする独特な雰囲気が印象的だ。
 あまりこういった店に入ったことがないリナは、まるで別の時間に迷いでてしまったようだと思う。
 けれど、この少し薄暗い感じは、不安よりも神秘性のようなものが先に来て、不快な感じはまるでしない。

 コリィが店の主らしき、エプロン姿の落ち着いた雰囲気の女性に目配せをすると、彼女はただ小さく頷いて、コーヒーと紅茶を運んできてくれた。

「ごゆっくり」
 それだけ言い残して、女性が去っていく。

 カウンターとこの奥の席は距離があるため、よほど大声で話さなければ彼女に話し声が聞こえることはないだろう。
 それに、自分たち以外に店の中にお客さんは居ないようだ。

「ごめん。突然来たこともない店に軟禁するような形になってしまって。でも、この店なら他の人に話が漏れることはないから……。
 お願い、貴女とユウヤさんに一体何があったのかを話して」

 コリィの有無を言わさぬ眼力に戸惑いながらも、リナは意を決して話し始める。

 ここに来るまでに、どう話そうかといろいろ考えてきた。

 不安な気持ちからその内容が飛んでいきそうになるが、リナは心を落ち着けて自分のペースを守って分かりやすくこれまでの経緯を話す。

「…………」
 リナの話を、コリィは黙って真剣な表情で聞いていた。
 リナの言葉を一言一句聞き漏らさぬような雰囲気で。

 どれくらいの間話していただろう? 

 時計を確認していなかったので正確な時間は分からないが、十分や二十分ではないはずだ。

 全てを話し終えたリナが一息つくと、コリィが無言で手付かずだった紅茶をリナの方に差し出してくる。

「あっ、いただきます」
 リナはすっかり冷めてしまった紅茶で喉を潤した。

「……ねぇ、リナ。少しぼやかしていたけど、結局、ファリアさんと貴女は、ユウヤさんと寝たんだよね?」
 コリィの単刀直入の質問に、しかしリナは気持ちを落ち着かせて、静かに頷いた。

「はい。契りを交わしました。そして、次の日の朝に、ユウヤさんが妻になって欲しいと言って下さって、そのお話をお受けしました」

 恥ずかしさがないわけではない。
 けれど、今回のことで自らの立ち位置を、気持ちを整理した結果、リナは自分の行いを恥じることを止めた。

 切っ掛けは、傍目には軽率ではしたない行為に他ならないかもしれない。
 けれど、過程はなんであれ、自分はもうユウヤの妻なのだ。
 そのことに後悔などない。

「……そんなの、そんなの、酷いよ! ユウヤさんは、ずっとシノさんのことが好きで、二人はお似合いで……。だから、だから私は……」
 コリィは片手でテーブルを壊さんばかりの勢いで叩き、リナを非難する。

「シノさん、という方のことは知っています。ですが、私もファリアさんも、ユウヤさんのことを譲り渡すつもりはありません」
 しかし、リナは毅然とした顔でそう返した。

 親切にしてくれた人に、危機を救ってくれた恩人に対して、このような仕打ちをしないですむのであればそうしたい。
 恩を仇で返すようなことなどしたくはなかった。

 胸が痛む。分かってしまったから。
 コリィも自分と同じようにユウヤのことを好いていると理解してしまったから。
 でも、コリィのためにユウヤのことを諦めることなどできない。

「……うっ、あっ……。そっ、そんなの、そんなの、認めない! だって、貴女は私と同じ年なのに、ユウヤさんに……。ずるい、ずるいよ、そんなの!」

 乾いた音が静かな店内に響いた。

 それは、コリィの平手がリナの頬を叩いた音。

 リナは叩かれて驚くしかなかった。
 だが、自分以上に呆然としているコリィに気づき、頬の痛みなど忘れてしまった。

「あっ、ああ……。わっ、私、何を……。ごめん、叩くつもりなんてなかったのに……」
 コリィは激しく狼狽し、後ずさる。

「いえ。どうか気になさらないでください。私は、コリィさんを傷つけてしまいました。当然の行為だと思います」

「……ちっ、違う。私は、私はこんなことするつもりは……。ごめん、ごめん、リナ!」

 謝罪の言葉を口にしながら、しかし、コリィはリナに背を向けて、店の外に駆け出していった。

 リナは慌ててそれを追おうとしたが、コリィはあっという間に視界から見えなくなってしまう。

 それに、仮に追いついたところで、彼女に掛ける言葉がないことに気づき、リナは痛む胸を押さえる。

 叩かれた頬の痛みなどなんというほどのものはない。
 けれど、心が痛かった。

 男性を、異性を好きになるということは本当に胸が痛いものなのだと、リナは痛感した。

 暫くの間待ったが、コリィが帰ってくる様子がないことから、リナはやむを得ず、エプロン姿の店主らしき女性のもとに歩み寄る。

「あの、すみません。お勘定をお願いできますでしょうか?」
 リナの言葉に、その女性は首を横に振る。

「お代は、今度コリィから受け取るから必要ないよ。……お願いだから、そうしてやってくれないかな?」
 女性は困ったようにそう言うと、それ以上は何も言わない。

「……ご馳走さまでした」
 リナは言われるがまま店を後にするしかなかった。

 ひどく重い気持ちを抱えたまま、リナは自分の家に向かって足を進めるのだった。
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