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第六章 依存

第六章ー②

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「偶には、街の外に出たほうがいいな……」
 ユウヤは自分の出不精を反省する。

 もともとインドア派な自覚はあったのだが、異世界ということに尻込みしてしまい、それが増長してしまっていたようだ。

 少し街を出ただけで、こんなに素敵な施設があるとは思わなかった。



 シノに案内されて、先程の茶屋からもう少し登っていくと、そこにはそれなりの大きさの家屋があった。

 木造の、いかにも昔の日本の家を思わせる作りの建物。

 なかなか趣があるなと思っていると、その建物の付近から湯気が立っている事に気づき、ユウヤはこの建物が何のためにあるのかを理解した。

「ふふっ、さすがはユウヤはん。うちが説明する前に気づきはったみたいやな。せや、ここは温泉なんです」
「ははっ、やっぱりそうですか。」
 心底嬉しそうなシノに、ユウヤは笑顔を返す。

「ユウヤはんも、何かと疲れが溜まっている思うて、今日はうちのおすすめの温泉に案内したかったんです」
「いいですね。久しぶりです、温泉は」

 自宅のお風呂場もかなり立派で、浴槽もユウヤが手足を伸ばせるくらいには大きく不満はまったくないのだが、やはり温泉となると、比較にならないほど広いに違いない。

「……なんて、贅沢な話だよな」

 ユウヤは少し前の自分の生活を思い出して、苦笑する。

 ファリアとリナが毎日お風呂を用意してくれるから、ありがたく湯船に浸からせて貰えるのだ。
 それがなければ、以前のように、ほとんどシャワーだけで済ませていただろう。

「ユウヤはん、早く行きまへんか?」
 思考していたユウヤは、シノに笑顔で足を進めるよう促される。

「ええ。すみません」
 ユウヤは謝罪の言葉を口にし、シノの後を追って家屋に入った。
 すると、建物の中は、いかにも昔の日本の温泉宿といった感じの内装だった。
 あまりにも自分のイメージするそれと差異がなさすぎて、本当にここが日本ではないのかと疑いたくなってしまうほどだ。

 ただ、ずいぶんと閑散としている気がする。

「シノさん、この建物は宿も兼ねているようですけど、僕たちの他にお客さんは居ないようですね」
「ああ、今日だけは、特別に貸し切りにしてもらいました」
「えっ? この宿まるまる一つをですか?」
「はい、そうです。せやから、従業員も最低限しかいないはずです」

 シノはなんでもない事のように言うが、かなり無理をしたのではないかとユウヤは危惧する。

「ふふっ、安心して下さい。この宿の経営者とは友達で、うちがええ人を連れていきたいと相談すると、彼女から貸し切りを提案してくれはったんです。せやから、うちは大したお金は使っていまへん」

 きっとまた顔に出ていたのだろう。
 シノはそう説明してくれた。

「……シノさん、今日のために、そこまで準備をしてくれたんですか?」
「ええ。当たり前やないですか。他ならぬユウヤはんとの逢引なんですから」

 あのシノさんが、本当に自分なんかとのデートを楽しみにしていてくれたのだと分かり、ユウヤは胸が熱くなるのを感じていた。

「さぁ、温泉はすぐそこです。ほんで、汗を流してさっぱりしたら、昼食にしましょう。今日のお弁当は特に力を入れましたんで、楽しみにしていて下さい」

 シノはずっと手に持っていた風呂敷を顔の高さまであげて、アピールをしてくる。
 よほどの自信作に違いない。

 シノの笑顔が眩しくて仕方がない。

 愛しい妻に悪いと思いながらも、今日だけだと心のうちで言い訳をして、ユウヤはシノと連れ立って温泉目指して歩みを進めるのだった。
 



「……ああっ、予想よりもずっと広いな。それに、すごく雰囲気がいい」
 早々に脱衣所で着物を脱いで、ユウヤは暖簾をくぐって浴場に足を運ぶ。

 自然の石をふんだんに使用し、仕切壁には竹を使っている。
 贅沢な作りだと思うが、決して華美ではない。
 非常に趣のある素晴らしい浴場だ。

「まずは、身体を洗おう」
 早く湯船に入りたいが、そうも行かない。

 洗い場もきちんとあるのを確認し、ユウヤはそこで身体を清める。
 そしてそれから、湯気が立ち上る温泉に身体を委ねるべく足を進める。

 お湯は透明で浴槽の底が見えた。
 濁っているよりもこういった水質のほうが好みなユウヤは、嬉しくなって早々に温泉に身を委ねる。

「はぁ、やっぱりいいなぁ、温泉って」
 思い切り手足を伸ばしきって湯に浸かるのは、非常に心地が良い。
 貸し切りなので人の目を気にしないで良いのがまたありがたい。

 シノから手渡された手ぬぐいを頭に乗っけて、ユウヤは温泉を満喫していた。

「ふふふっ。気に入ってくれはったようで、何よりです」
 だが、背後から聞こえたその声に、彼の思考はフリーズした。

「失礼致します」

 そう言葉が続いたかと思うと、誰かが湯に入る音が聞こえて、湯面に波紋が起こる。
 何が起きたのかは明らかだった。
 だが、ユウヤは振り返ることもできずに硬直し続けるしかない。

「しっ、シノさん。どっ、どうして男湯に……」
 なんとか口が動いたので、ユウヤは背後にいるシノに当然の疑問をぶつける。

 だが、シノはとても楽しげな声で、
「ああっ、申し訳ありまへん。うちとしたことが、大事なことを言い忘れとりました。ここは、混浴なんです」
 そんな事実を今更告げてくる。

 考えてみれば、一応体裁的に脱衣場は別に作られていたが、男性が圧倒的に少ないこの国に置いては、わざわざ男湯と女湯を分けるのは不合理だ。
 この温泉がここまで広いのも、それを隔てる垣根がなかったからだったのだと、ユウヤは現実逃避気味の頭で理解した。

「あらあら、ユウヤはん。なしてそないに身を固くしてはるんです? こちらを振り向こうともしまへんし……。温泉はゆったりした気分で入らなもったいないですよ」

 ユウヤが硬直したままな理由を知っているにも関わらず、シノは不思議そうにそう尋ねてくる。
 そして、そればかりか……。

「ユウヤはん、そないにうちのことを見てくれへんのやったら、悪戯してまいますよ?」
 その言葉が終わるか否かで、ユウヤは頬と肩に柔らかくて温かな感触を感じる。
 それは、シノが顔をユウヤにピッタリとくっつけたためだ。

「しっ、シノさん……」

 背中にも、柔らかくて弾力のある二つの双丘の感触が伝わってくる。
 湯船に浸かるのだから当たり前なのかも知れないが、シノが何も身に着けていないことは明らかだ。

「女の裸なんて、あの二人ので見慣れとるはずやありまへんの? ふふっ、若い子と比較されるんは少し恥ずかしいですが、うちもそれなりに躰には自信がありますんよ」
 シノの吐く甘いと息と囁きが、ユウヤを陶酔させる。

 思わず視線をシノの顔に向けると、彼女は朱に染まった顔で満足気に微笑む。

「やっと、こっち向いてくれはった」
「しっ、シノさん……。その、僕は、僕は……」

 欲望に流されそうになるのを懸命にこらえて、ユウヤは彼女を拒絶しようと思った。
 だが、頭がぼーっとして行動に移れない。

 以前にも、これと似たような感覚に襲われたことがあるのをユウヤは思い出した。
 そう、あれは、ファリアと初めて……。

「駄目です、ユウヤ様!」

 不意に、ぼんやりと夢心地だったユウヤは覚醒する。
 それは、声が聞こえたから。
 聞き間違えるはずのない、毎日聞き続けている妻の声が。

「……まったく、ようやく姿を現したんか」

 シノはそっとユウヤから離れて、彼に声を掛けた少女の方に視線を移し、
「まったく、そないな尾行に、うちが気づかへんでいるとでも思うとったんか?」
 声を発した人物に告げる。

 ユウヤは、自分が入ってきた入り口に一人の見知った少女が立っていることに驚愕する。

「……ふぁっ、ファリア! なっ、何で、君がここに……」
 現れたのは白いローブを纏った美しい金髪の少女。
 自分の妻の一人のファリアだ。

 家で自分の帰りを待っているものだと思っていたのに、何故こんなところにいるのだろう?

「……申し訳ありません、ユウヤ様……」
 ファリアは開口一番、心底申し訳無さそうな表情でユウヤに詫びの言葉を口にする。

「今日一日は、うちとユウヤはんの二人きりで逢引するいう約束だったはず。あんたもそれを了承したはずや。せやのに、これはどういうつもりや?」
 シノの問に、ファリアは表情を一変させて彼女を睨んで口を開く。

「決まっています。貴女が信用ならないからです。ユウヤ様に不埒な真似をするに違いないと踏んで後を付いて来てみれば……案の定でした!」

 ファリアは激怒していた。
 思わず、ユウヤが後ずさる程に。

「……まったく、ええかげんにしいや」
 だが、シノはこれ見よがしに嘆息し、片手で頭を押さえて頭を横に振るう。

「ユウヤはんが優しいからいうて、どこまで甘えきるつもりなんや。こないな娘を世話せなあかんとは、ユウヤはんも気苦労が絶えないやろな」
 シノの言葉に、ユウヤも流石に言いすぎだと思い、立ち上がって口を挟む。

「待って下さい、シノさん。ファリアは僕なんかには出来すぎた妻です。そのような言い方は、いくらシノさんでも……」
 ファリアが自分のことを心配して尾行してきていたことに、ユウヤは特段彼女を批難するつもりはない。
 むしろ、優柔不断にシノとの関係を続けていた自分に非があると思っている。

「ほんまに、ユウヤはんは優しいです。せやけど、少しは厳しい顔もせなあきまへんよ。それと、立ち話しをしとったら体が冷えてしまいます。とりあえずお湯に浸かって下さい」
 ユウヤは少しの間ためらったが、裸で立ち尽くすのもどうかと思い、湯船に浸かることにする。

 そんなユウヤにシノは微笑みかけ、自分も同じように湯に躰を委ねる。
 そして、未だに自分を睨みつけているファリアの方を向き、もう一度嘆息した。

「ファリアはん。そないに人のことを睨んでも、あんたに何ができるんや?」
「ファリアで結構です。それと、先日は不覚を取りましたが、いつもしてやられると思わないことです」

 ファリアの挑発的な言葉に、しかしシノは「そうですか」興味なさげに呟いたかと思うと、
「無知だというんは、はたから見るとここまで滑稽なんやな」
 そう続けた言葉とともに、シノはファリアに向けて何かをした。

 それを、ユウヤは「何か」としか言い表せない。
 何も見えなかったし、音もなかった。
 だが、確実にシノは何かをしたのだ。だから、
「……くっ……こっ、こんな……」
 ファリアが不意に膝を突き、苦悶の表情を浮かべたのだ。

「シノさん!」
「大丈夫です。怪我をさせるつもりなんてありまへんから。せやけど、流石に今回のことは見過ごせまへん。どうか少しだけ、この娘と話をさせて下さい」
 シノはユウヤに懇願する。

 彼女のこの桁外れの力があれば、ユウヤの了解など取る必要がないのにも関わらず。

「……分かりました」
 今は、怪我をさせないと言ってくれたシノの言葉を信じることしか出来ない。
 ユウヤは了承するしかなかった。

「ありがとうございます。ほんなら、番台前の休憩所に戻ります。いつまでも裸のままというんははしたないですし」
 シノはそう言って、お湯からあがる。
 その際に、シノの美しい白い肌と形の良いおしりが目に入ってしまい、ユウヤは慌てて目をそらす。

「ユウヤはん。もう少ししたらファリアも動けるようになるはずなんで、申し訳ありまへんが一緒に連れてきてください」

 目をそらしたユウヤに、シノは妖艶な笑みを浮かべてそう頼むと、ユウヤが入ってきたのとは別の入口に戻っていってしまった。





 ユウヤ達三人は、温泉宿の休憩所の畳の小上がりに腰を下ろし、顔を見つめあわせていたのだが、不意に乾いたパァンという音が温泉宿に響き渡る。
 それは、シノがファリアの頬を平手打ちしたためだった。

「シノさん!」
 思わずユウヤが声を上げたが、シノは真摯な瞳をユウヤに向ける。

「すみまへん。少しだけ、ユウヤはんは黙っていて下さい。この娘には、自分がしたことを分からせなければなりまへんから……」
「ですが……」
 なおも食い下がろうとするユウヤだったが、
「ユウヤ様。私は大丈夫ですから」
 頬を叩かれても、全くひるんだ様子のないファリアの静止の声に、押し黙らざるを得なくなってしまう。

「その顔は、なして頬を叩かれたのか分からへんという顔やな」
「ええ。そのとおりです。人の大切な夫を誘惑しようとした女に、このような仕打ちを受ける謂れはありませんので」

 先程、シノにしてやられたというのに、ファリアは毅然としている。

「そうですか。……ほんまに呆れてまうわ。あんたの軽率な行動が、ユウヤはんに危害を及ぼす可能性が高かったこともわからないなんてな」
「それは貴女の方でしょう? 人の幸せな家庭をめちゃくちゃにしようとしたのは、他ならぬ貴女自身です」
「幸せ? そな、あんたは幸せやろな。ユウヤはんが結婚すると言うてくれた事を笠に着て、我儘をし放題なんやからな」

 声こそ荒らげないが、二人の激しい言い争いに、ユウヤはどうしたら良いものかと困り果てるしかない。

「すみまへん、ユウヤはん。すぐにこのわからず屋にも分かるように説明しますんで」
 シノは困り顔のユウヤに詫び、ファリアに一つの簡単な質問をする。

「なぁ、ファリア。あんたはほんまにユウヤはんのことを大切に思うとるんか?」
「何を聞くかと思えば。当たり前です。私はユウヤ様を誰よりも大切に思っています。愛しています」
 照れることなく真剣な表情で答えるファリア。
 そんな彼女に、シノはさらに質問を続ける。

「そんならなんで、先程の温泉での一件では、ユウヤはんの安全を第一に考えなかったんや?」
「……どういう意味ですか?」

「言葉通りや。あんたはあのとき、先日は不覚を取ったが、いつもしてやられると思わないことやと、うちに息巻いとったな? もしもあのままうちがアンタの挑発に乗って喧嘩を始めとったら、ユウヤはんがそれに巻き込まれてしまうとは微塵も考えもせずに」
「……それは……。でっ、ですが、貴女もユウヤ様に危害は加えるはずは……」
 言葉に一瞬詰まったファリアに、シノは首を横に振る。

「なして、そないな楽観思考でユウヤはんを危険に晒すんや? うちが自分のものにならへんのやったら、ユウヤはんを殺して自分だけのものにしようとする女やったらどうするつもりだったんや?」
 シノの指摘に、ファリアは回答に窮する。

 ユウヤはなんとか助け舟を出したかったが、どう言葉をかければ良いのかわからない。
 暫く沈黙が続いたが、シノが再び口を開いた。

「今回、うちがユウヤはんと二人きりで逢引をするということをあんたは了承したのに、それを反故にした。まぁ、うちに対してはそれでもええ。せやけど、あんたはユウヤはんの事も信用していなかったんやろ? うちと浮気するんやないかと疑っていたわけや」
「それは違います! 私はユウヤ様を信じていました」
「嘘やな。あんたが信じとったんは、優しいユウヤはんが、最後には妻にすると言ってくれた自分の味方をしてくれるはずやいう打算的な気持ちだけや」
 シノの容赦のない指摘は続く。

「うちがユウヤはんに言い寄るとすぐに割って入ってきた。ユウヤはんがうちのその行為を拒絶してくれると信じ切れへんかったから。だから、ユウヤはんが口を開くよりも先にユウヤはんを止めようとしたんやろ? 自分が姿を現せば、優しいユウヤはんは必ず自分の方を選んでくれると思うて」
「違います! 私は貴女がユウヤ様を誘惑するのが見るに絶えなくて……。それに、貴女は大事な事を隠しています!」
「大事なことを隠している?」

 ユウヤは思いもしなかったファリアの指摘に驚く。
 いったいシノが何を隠しているのだというのだろう?

「そうです、ユウヤ様。あの温泉で、この女はおかしな香を焚いていました。そっ、その、淫らな気持ちにさせる香を……。それを使用してユウヤ様をおかしな気持ちにさせて……」
 あまりに予想外のファリアの言葉に、ユウヤは驚きシノを問い詰める。

「……シノさん。その、今の話は本当なんですか?」
「ええ。そのとおりです。うちは、ユウヤはんが浴場に入ったのを確認し、殿方の脱衣所から香を焚きました。強力な催淫効果のある香を」
 シノはあっさりと認める。

「せやけど、よくわかったものやな。香は入れ物ごと片付けておいたのに」
「悪びれもせず、なにを言っているのですか!」
 一転攻勢で文句を口にするファリアに、シノはしかし何も言わずに、また首を横に振る。

「ファリア。アンタは絶対に信じへんやろうけど、うちはあの場で、ユウヤはんを篭絡しようなんて思おてはいまへんでした。あの香は別の目的があって使用したんです」
「目的?」
「今更何を。ユウヤ様、これ以上この女の戯言を聞くことはありません!」

 ファリアはそう言うが、ユウヤはシノがすぐにバレるような嘘をつかないと思っている。
 そんな彼女が言うのだ。
 本当に何か別の目的があったのだろう。

「ごめん、ファリア。少し話を聞こう。僕には、シノさんが嘘を言っているようには思えないんだ」
「……分かりました。ユウヤ様がそう仰るのならば……」
 ファリアは複雑な表情をしながらも、ユウヤの意見を尊重してくれた。

 ユウヤはファリアに心のうちで感謝をし、シノを見つめる。
 彼女は心得ましたとばかりに頷いて口を開く。

「あの香を使ったのは、ユウヤはんに事実を知ってもらいたかったからです」
「真実、ですか?」
 シノは頷いて言葉を続ける。

「はい。いまユウヤはんが、そこにいるファリアとリナに対して結婚を約束したんは、ユウヤはんがその二人に手を出してしまったからやというてました。せやけど、もしもそのような行為をした理由が、別にあったとしたらどないします?」
 シノの言葉は断片的だ。
 しかしユウヤは彼女が言わんとしていることの察しがついてしまった。

「さすがはユウヤはんです。うちの言いたいことをもう分かってはるようや」
「どういうことです? ユウヤ様?」

 怪訝そうにこちらに視線を向けるファリアに、ユウヤはなんと言えば良いのか言葉が出てこない。
 けれど、ファリアとリナをユウヤは信じたかった。

「ですが、シノさん。ファリア達は……」
「たしかに、こないな香は使っていなかったはずです。せやけど、この娘達には魔法があります」
「待って下さい。貴女は私が、いえ、私とリナがユウヤ様に、先程の香のようなふしだらな魔法を使用したと言うつもりですか?」
 魔法という言葉とそれまでの話の流れで察したのだろう。
 ファリアの顔に怒りの表情が浮かぶ。

「言うつもりやありまへん。断定しとるんです。あんた達二人は、ユウヤはんに魔法をかけました。こないな香よりも強力で淫らな魔法を」
「ふざけないで! どうしてそんな根も葉もない嘘を言うのです!」
 ファリアの怒声に、しかしシノは彼女に冷たい視線を向ける。

「その様子から察すると、やはり自分たちでも気づいていなかったようやな。それはそうや。そないなことが明らかになったら、神殿の名誉に関わるんやから。
 せやけど、先日、うちがユウヤはんの家を訪ねた際にも、あのベッドに魔法の残滓を感じたんやから間違いありまへん」
 シノは怒るファリアとは対称的に、落ち着いた口調で淡々と話す。

「あのベッドに? ふざけたことを言わないで。私とリナが祈祷して掛けた魔法は祝福の魔法。経年劣化を抑えるための……。そっ、それに、魔法は私達神殿に属するシスターたちしか使えない力です。どうして、貴女に魔法のことが分かるのですか!」
 普段の物言いを崩してしまうほどに激怒するファリア。
 しかし、シノは眉一つ動かさない。

「魔法という力はたしかに特殊なものです。うちも使うことは出来まへん。せやけど、うちはその力を感じ取ることができるんです。
 ああ、あんたは無理に信じなくてもええです。けれど、このことが真実だと言うんを、ユウヤはんは分かっているんやから」

 シノの指摘は確かなものだった。
 ユウヤはシノが魔法という力を正確に認識できるということを理解していた。
 先程温泉で体験した感覚は、ファリアとリナを汚したあの夜に、自分が侵されていた熱と大差がなかった。
 魔法の種類が分からなければ、その状況を再現する香を選ぶことなど出来ないはずなのだ。

「ユウヤ様……」
 不安げに自分を見つめるファリア。
 しかし、ユウヤは「大丈夫だよ」と優しく声を掛ける。

「シノさん。ファリアは僕の妻です。貴女の言っていることが嘘ではないと思います。そして、神殿というものがどのような企てで、そのような魔法を僕に掛けるに至ったのかは分かりません。でも、それでも、ファリアとリナはそのような事実は知らなかったのだと思います。……僕は、僕の妻を信じます」

 ユウヤの言葉に、ファリアは彼の背中に抱きついた。
 彼女の瞳には涙さえ浮かんでいる事に気づき、ユウヤは妻の頭を優しく撫でる。

「やっぱりユウヤはんは優しいです。ほんまに、優しすぎるくらいに」
 シノはそう言って微笑んだが、すぐにコホンと小さく咳払いをする。

「ユウヤはん。ここまでが、うちがユウヤはんに伝えたかった真実です。先日、『奸計にはまってしまって、うちのことを諦めなあかんと思いこんでしまっているだけ』と言うたんはこのことです」
「……はい。よく分かりました」
「そして、この間の続きなのですが、ユウヤはんを一途に想おとる気持ちは、うちもこの娘達に負けはしないつもりです。そんなうちの気持ちには、何も応えてくれはりまへんの?」
 シノは上目遣いに、ユウヤに恨めしやかな視線を向ける。

「……そっ、それは、その……」
「事実は今話したとおりです。この娘達に悪意はなかったのかもしれまへんが、ユウヤはんがこの娘達に手を出したのは魔法の影響です。それがないんやったら、ユウヤはんはまだうちのことを好いていてくれはったんやないんですか?」
 シノの妖艶な声に、ユウヤは言葉に詰まる。

「だっ、駄目です。ユウヤ様は、私達の……」
 ファリアが抗議の声を上げるが、シノはそれを否定する。

「ファリア。先にも言うたように、うちとユウヤはんはもともとええ関係だったんです。そこに、あなた達が割り込んできただけや」
 シノは少しきつめの声でそう釘を差したが、すぐに小さく嘆息して表情を緩める。

「……せやけど、別にうちはあんたらからユウヤはんを奪い取ろうとは考えていまへん。そないなことをしたら、ユウヤはんは罪悪感でどうにかなってしまいます」

「えっ?」
 驚きの声を上げるユウヤに、シノは拗ねたように口を尖らせる。

「仕方ないやありまへんか。うちだって苦渋の決断なんやから。せやけど、一番この方法が角が立たへんやろうから……」
 シノはそこまで言うと、居住まいを正し、静かに頭を下げた。

「ユウヤ様。私は貴方様をお慕い申し上げております。不束者ではありますが、どうか私を貴方の妻にして下さい。他の妻たちとともに貴方様に使えさせて下さいませ」

 シノのその発言に、ユウヤもファリアも驚きで二の句が続けられなかった。
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