Irregular ~存在を許されざるもの~

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三伏(前編)

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 いつも僕のそばには、アリシアがいてくれた。
 そう、初めて出会ったあの時から、変わらずに僕のことを守ってくれていたんだ。


 目を覚ますと、僕は見慣れた病室ではなく、見たこともない街の路地裏のような所に倒れていた。
 いつもの胸の苦しさが無くなっていることに、きっと夢を見ているのだろうと思った。

「……いったい、ここはどこなんだろう?」
 立ち上がろうと思うと、僕の身体は思ったとおりの行動をしてくれた。

「ああっ、そうか……。やっぱり、これは夢なんだ……」
 試しに腕や手を動かしてみると、きちんと動く。最近はご飯も一人では食べられなくなった僕が、こんな事をできるはずがない。

「……ははっ。格好は元のままなんだ」
 僕は変わらず病衣を着たままだった。夢の中でくらい、別の服を着てみたかったのに。

 それから、黙っていれば目が覚めると思ったけれど、なかなかその時は訪れない。だから、僕は適当に歩いてみることにした。

 明るい方に向かって足を進ませていく。そんなに速度を出しているわけではないのだけれど、大地をしっかり踏みしめて、身体の重さを支えて進むことができる足の強さに涙が出そうになる。
 ずっと昔。本当に小さい頃のおぼろげな記憶でしか、僕はこんなふうに歩いたことはない。一歩進むごとに身体に返ってくる反動がとても懐かしかった。

「……えっ?」
 角を曲がった瞬間、眩いばかりの光景が広がる。

 明るい太陽の光に照らされた、レンガ造りのいくつもの建物。そして、たくさんの人達。いつも病院の天井と壁しか見ていなかった僕には情報量が多すぎて、すぐには全てを理解できなかった。

 でも、目の前に広がる光景はあまりにも……その、生々しいとでも言えばいいのかな? 凄くリアルで、夢の中の作り物のようには見えなかった。

 僕は試しに近くの壁に触れてみた。日陰だからだろうか? レンガのひんやりとした感触が僕の手に伝わってきた。

「夢じゃない? ここは、僕の夢の中じゃないの?」
 試しに右手で左手をつねってみる。僅かだけど、たしかに痛みがあった。けれど、一向に目が覚める様子もない。

「……なんで、こんなことが……」
 僕は呆然と自分の両手を見ていた。

 分からない。何が起こったのだろう? ……もしかして僕は死んだのだろうか? そして、生まれ変わったのだろうか? でも、僕は僕のままだ。身体は元気になったけれど、記憶もしっかり……。

「えっ、ええと、僕の名前は……ルイ。そう、ルイだ。あっ、あれっ、えっと……」
 名前を思い出す。そんな単純なことに少し時間がかかったけれど、僕ははっきりと思い出した。間違いなく僕はルイという名だ。でも、どうしてだろう。何かが引っかかる。何かが足りない気がする。

「……年は十二歳。お父さんの名前はクレス。お母さんの名前はシェリー。生まれた場所は……」
 いろいろと記憶が蘇ってくるけど、何か一つ大切なことを思い出せない……気がする。

「ねぇ、何やっているの、貴方?」
 不意に誰かが僕に話しかけてきた。

 顔を上げると、僕と同じくらいの年頃の、赤髪の女の子が不思議そうな顔で僕を覗き込んでいた。目の色は僕と同じ青色で、すごく綺麗な女の子だった。

「……えっと、何をやっているんだろう?」
 自分でもなんと答えれば良いのか分からなくて、僕は困った顔で尋ね返す。

「はぁっ? それを私が聞いているんじゃないの!」
 赤髪の女の子は、少し怒って詰め寄ってくる。

「それに、なんなのその格好は? 寝ぼけて寝間着のまま外に出てきたの?」
「……ごめん。本当に僕にも分からないんだ。気がついたら、僕はそこの路地裏の奥に倒れていて……」
 僕は苦笑して俯くしかなかった。

 病気は何故か治っているようだけど、僕の運命は変わらない。
 ……僕は、何もできない子供のままだ。

 お父さんもお母さんも、最近は全くお見舞いに来なくなった。
 日に日に弱っていく僕の姿を見るのが辛いとよく看護師さんが言っていたけれど、きっと二人もそう思っているのだろう。

「何よ、その笑い方! そんな寂しそうに笑うなんて絶対おかしいわよ! 一体何があったのよ。話してみなさい。力になってあげるから!」
 赤髪の女の子は僕の顔を両手で掴んで、無理やり顔と顔を突き合わせる。

「……寂しそう? 僕が? それはきっと気のせいだよ。だって、僕はもう諦めているんだから……」
「だから、そんな断片的な話じゃあ分からないわよ! 何があったのかをきちんと話しなさい! その、え~と、貴方の名前は何ていうの?」
 赤髪の女の子は僕の顔に息がかかるほどの距離で、そう尋ねてくる。

「……ルイだよ」
「そう、ルイね。悪くない名前じゃないの。私の名前はアリシアよ。……それで、何があったの、ルイ?」
 僕が事情を話さない限り手を離してくれないみたいなので、僕は仕方なく今までのことを話す。

 この街に来る前のことまで話す事になったので、結構長い時間、僕は自分のことを話した。でも、アリシアと名乗った女の子は、僕の話を黙って聞いていてくれた。
 こんなふうに長い時間、人と話すのは久しぶりのことだ。

「……うん。とりあえず話をまとめるわね」
 今まで黙って話を聞いていてくれたアリシアは、そう言って右手の人差し指で、自分のこめかみ辺りをトントンと叩きながら、僕の話を整理する。

「貴方の名前は、ルイ。十二歳。私が十三歳だから、私のほうが年上。まずはここまでは良いわね?」
「あっ、うん……」
 十二歳も十三歳も大した違いではないと思うのだけど、アリシアにとっては最も優先する事柄らしい。

「そして、ルイ。貴方はずっと前から病気にかかって、満足に動くこともできずに、病院に入院していたのよね?」
「うん。そうだよ……」
 生まれた年月の半分以上を僕は病院で過ごしていた。

「でも、今日気がつくと、何故かそこの路地裏に倒れていて、病気が治っていたってことよね。確認するけど、貴方はこの街の生まれではないのよね?」
「うん。ポーラスって名前の街は知らないよ。僕がいたのは、フランスって国の……」
「ふらんす? って国は知らないわ。今まで聞いたことがないもの」

 やっぱり、ここは僕のいた街ではなかった。でも、僕はあまり勉強をしたことがないから、僕が知らないだけでフランスのどこかの街かもと思ったのだけど、それも違うみたいだ。

「とにかく、ルイ。貴方は困っているのね? お父さんもお母さんも何処にいるのか分からないし、知り合いもいないのよね?」
「あっ、うん……」
 本当に、どうしたら良いのかわからない。でも、どうでもいいや。僕はもう終わっているはずの人間なんだから。

「よし、完璧に理解したわ! ほらっ、そうと分かれば行くわよ!」
 アリシアは嬉しそうに微笑むと、僕の手を引っ張って歩き出す。

 きっと警察か何かに連れて行かれるのだろうと思っていた。でも、僕が手を引かれて案内されたのは、そんなところではなく、彼女の家だった。

「ただいま~、お母さん! 新しい家族を連れてきたわ!」
「あらっ、おかえりなさい、アリシア。……って、新しい家族って何?」
 アリシアと同じ赤髪の綺麗な女の人が、不思議そうな顔で尋ねてくる。当たり前だと思う。捨て犬や猫を拾ってきたわけじゃあないのだから。

「この子はルイ! 親とはぐれてしまって行き場がないの! だから、うちで面倒を見てあげたいのよ」
 全く説明になっていない説明をするアリシアに、きっと彼女のお母さんも呆れると僕は思った。でも、僕の予想はまた外れた。

 アリシアのお母さんは、驚きの表情で少しの間固まっていた。でも、少し顔を俯けたかと思うと……。

「……まぁ、まぁ! アリシアと殆ど変わらない子供なのに、親御さんとはぐれてしまうなんて! 大丈夫、大丈夫よ。私達が力になってあげますからね!」
 突然僕に迫ってきて、抱きしめてきた。

 柔らかな胸の感触と体温に、僕はなんだかとても恥ずかしくなってしまう。でも、本当に久しぶりだ。こうやって抱きしめてもらうのは。

「……あらっ、あらっ? 貴方、男の子なのね」
 僕の背中をペタペタと触り、アリシアのお母さんは分かりきったことを呟く。

 どうしてそんな事を聞いてきたのかはわからなかったけれど、僕は「はい」と答える。

「えっ? えええええっ! ルイ! 貴方、男の子だったの?」
 アリシアも驚きの声を上げる。どうして、そんなに驚くのだろう?

 僕はそう不思議に思ったけれど、ここで違和感に気づいた。僕がこの家に連れられてくる間も、街の景色を眺めている間も、一度も男の人に出会わなかったことに気づいたんだ。

「髪は短いとは思ったけれど、こんなにサラサラな金髪だし、顔も私達と違わないじゃない。もっと男の子って全然違うものだと思っていたわ」
 アリシアはお母さんから僕を引っ張りとると、興味深そうに僕の顔を見て、お母さんと同じようにペタペタ触ってくる。

「そっ、その。止めてよ!」
 あまりにも執拗に顔を弄ってくるアリシアの手を思わず振り払う。

「あっ……。その、ごめんなさい。私、男の子を見るのって初めてだからつい……」
 アリシアが本当に申し訳無さそうに頭を下げてくる姿に、胸が痛んだ。

「いやっ、その、僕の方こそごめんなさい。こんなふうに顔を触られたことってないから、つい手を叩いちゃって……。痛かったよね? その、あの……」
「だっ、大丈夫よ! 全然痛くなんてなかったから」
 アリシアは笑顔に戻って、僕に微笑みかけてくる。

「あっ、うん……。良かったよ……」
 僕は顔を俯けて答える。

 何故だろう? アリシアの笑顔を見ていると、なんだかとても恥ずかしい気持ちになるのは。こんなふうに同年代の女の子と話したことがないからなのかな?

「うふふふっ。見ていて微笑ましいわね。うんうん。でも、立ち話も何だから、お話はお昼ごはんを食べながらにしましょう」
「あっ、賛成! ルイ、お母さんの料理は美味しいから期待していいわよ。ほらっ、とりあえずそこに座って」
 アリシアは僕の手を取って、テーブルまで案内してくれる。

 小さいけど温かな手の感触を今更ながらに意識して、僕は顔が熱くなることに戸惑っていた。

「ほらほら、ここがいつも私達親子でご飯を食べているテーブルよ。こっちがお母さんの席で、向かいが私の席。そして、ここの私の隣が、ルイ、貴方の席よ」
 アリシアはそう言って僕の席だという椅子を引く。

「さぁ、座って、ルイ」
「……うん。ありがとう、アリシア」
 僕の感謝の言葉に、アリシアも少し顔を赤くして微笑んでくれた。

 


 ……こうして、僕はアリシアの家族にしてもらえた。
 僕は何もかも諦めていたはずなのに、アリシア達がそんな僕の気持ちを少しずつ変えていってくれたんだ。

 最初は色々戸惑うことばかりだったけれど、アリシアと彼女のお母さん――シーナさんがいつも助けてくれた。
 そのおかげで、僕は次第に笑顔を浮かべられるように、心から笑えるようになった。

 そうしたら、僕の世界がさらにどんどん広がっていった。
 しばらくすると、僕にも欲しかった友だちができた。

 女の子ばかりだったけれど、ほとんど友だちと遊んだことがない僕には、すごく嬉しかったのを覚えている。

 でも、それでも、僕の中で一番大切な女の子はアリシアだった。
 いつもお姉さんぶって、僕の手を引いてくれるアリシアの存在が、僕の中で日増しに大きくなっていった。

 だから、アリシアも僕と同じ気持ちでいてくれることを知ったときには、涙が出そうになるくらいに嬉しかった。そして、僕たちは……。










 蒼い。ただ蒼一色の街を、僕は中心に向かって歩いていく。
 もう、僕は疲れきっていた。

 でも、皆もここまで懸命に頑張ってきてくれた。僕が立ち止まる訳にはいかないんだ。僕じゃないと、この街を『起動』することは出来ないから。

「……やっと、街までたどり着いたんだから……」
 街にたどり着いた僕達四人は、全員ボロボロだった。その格好も、身体も、心も。

 でも、それでも命があるだけ幸運だった。殺されてしまったレイアの事を考えたら……。
 大時計の前にやってきた僕は、最後の、本当に最後の力を使ってこの街を起動する。

 起動の作業は二回目だったから、無事に終える事ができた。
 でも、街が色を取り戻していくのを確認した僕は、すべての力を使い果たして深い眠りに落ちてしまった。









 いい匂いがする。すごく胃を刺激する匂い。
 そう言えば、もう何日もきちんとした食事を食べていないな……。
 そんな事を考えながら、僕は重いまぶたを上げる。

「あっ、目が覚めたみたいね。ちょうど朝食が来たところよ」
 綺麗な赤髪がまず目に入ってきた。そして、気の強そうな少しだけつりあがった目をした可愛い女の子の笑顔に、僕は安堵した。

「……アリシア。ここは、いったい?」
「安心して。このスフレスの街の宿屋よ。憶えていない? 貴方は街を起動するなり気を失ってしまったみたいなの。それを私達皆でここまで運んできたってわけ。もう、大変だったんだからね」
 口では文句を言いながらも、アリシアは涙を浮かべて微笑んでいた。

「そうなんだ。ごめんね、アリシア。……それと、ありがとう」
 僕は笑顔でお礼を言う。

「もう、お礼なんて良いわよ。私と貴方の仲じゃない。それより、お腹が空いているでしょう? 朝ごはんにしましょうよ」
 アリシアはベッドに横たわっていた僕に、テーブルまで来るように手招きする。

「ああっ、美味しそう。こんな焼き立てのパンなんていつ以来かしら!」
「うん。そうだね。でもアリシア、サリア達は?」
「サリアは念のために、追手が来ないか確認してくれている。そして、他の皆はまだ眠っているわ。かなり今回は無理をさせたからね……。って、まずは食事よ。お腹が空いていたら何も出来ないわ。まずはしっかり食べましょう」
 アリシアにそう言われ、僕は朝食を食べることにする。

 柔らかい焼き立てのパン。新鮮そうなサラダとスクランブルエッグ。ウインナーにスープといった簡単な朝食メニューだったけれど、久しぶりに味わうまともな料理に、食べているうちに僕の瞳から涙がこぼれ落ちた。

 美味しい。本当に美味しい。でも、できれば皆で食べたいなと思ってしまう。もう、それは決して叶わないのだけれども……。

「いい味ね。身体に染み渡るみたいだわ」
 アリシアの目の端にも、涙が浮かんでいた。

「ほらっ、ルイ。貴方の分は大盛りにしてもらったから、しっかり食べなさいよ。成長期なんだし」
「それは、アリシアだって同じだよね。僕とちょっとしか違わないんだから」
「違うわよ。数ヶ月違えばだいぶ。それに、私は女の子だけど、貴方は男の子なんだから」
 僕は十三歳。アリシアは十四歳。そこに違いはないように思えるけど、あまりその事を言うとアリシアが怒りそうなので、僕は食事を続ける。

 食事の量が少ないアリシアは早々に食べ終わって、僕が食べるのをただ嬉しそうに見ている。

「あと一日頑張れば、『約束の日』よ。そうなればひとまずは安全だわ。とりあえず、私も休んで力もだいぶ回復したから、サリアと交代するわね」
「アリシア……」
「こらっ、そんな心配そうな顔をしないの。お姉さんに任せなさい。大丈夫よ、私は強いんだからね」
 無理をしてアリシアは微笑む。

 そう、アリシアはたしかに強い。それは分かっている。でも……。

「……うん。いつもありがとう、アリシア」
 僕はなんとか微笑むことができた。

「うん、それでいいのよ、ルイ。よ~し、それじゃあ、サリアと交代してくるわね」
 アリシアは僕の額に優しくキスをして、微笑んで出かけていった。

「……ごめんね、アリシア。僕のせいでまた無理をさせて……」
 僕は食事の手を止めて、アリシアに謝る。

 心が重くなっていくのを感じながら、でも僕は気合を入れて食事を再開した。食べておかないと、いざという時に僕は何もできない。

「……本当は、僕が戦わないといけなかったんだよね。それくらいは僕にも分かるよ。だって、僕にはみんなの力が宿っているんだから……」
 僕は自分の小さな手を見つめ、それを握りしめた。









 時計の針が十二時を指した。待ち望んでいたその日は、ようやくやってきた。

 『約束の日』と呼ばれるこの日は、誰もが『駒』としての力も『能力』を使うことができない。つまり、安全な日だと言うことだ。

 本当ならば、他にもっとやらなければいけないことは有るはずだと、ルイ達も考えてはいた。だが、彼と四人の少女たちはもう限界だった。

 だから、ルイ達はその日を全て休日にした。久しぶりの、本当に久しぶりの人間らしい生活の時間に充てることにしたのだ。

 



「ふぅ~。暑いわねぇ」
 僕の隣を歩くサリアが、紫の髪を掻き分けて、額の汗を拭いながら呟く。
 十六歳と僕たちの中では一番年上で、いつも頼りになるお姉さんだ。

「うん。そうだね。でも、夏らしくて良いんじゃないかな?」
 病院にいた頃はさほど感じなかった季節の変化が、この世界ではすっかりと当たり前のものになっていた。でも、こんなふうにのんきに天気のことを口にできるのは、久しぶりのことだ。

「ほらほら、ルイもサリアも、急ぎなさいよ」
 先を歩いていたアリシアが振り返って駆け戻ってくると、いつものように僕の手を取る。

「宿の人に聞いたのよ。ものすごく美味しいお菓子を売る店があるって!」
「そう。美味しいだけじゃあなくって、目でもいろいろ楽しめるらしいのよ」
 アリシアの横にいる短い金髪の女の子は、リミファ。一見するとおとなしそうな雰囲気の女の子に思えるけど、実はアリシアに負けず劣らずのお転婆だ。

「まったく、往来で騒ぐんじゃない。周りの人の迷惑だ」
 呆れた声で呟くのは、ティア。すごく冷静な女の子で、僕たちの仲間ですごく大事な役割をこなしてくれている。
 短い黒髪で、初めてあったときには、僕は男の子と勘違いしてしまった。いまでも、度々その時のことで文句を言われることがある。

「もう、いいじゃないのよ、ティア。ほらっ、早く行くわよ」
 僕の手を引いて走り出すアリシア。本当に、いつもアリシアはこうだ。僕の前をいつもいつも歩いてくれる。

「あっ、きっとあのお店よ! ひと目見たら忘れない外観だって、宿の人が言っていたもの」
 レンガ造りが主流のこの街で、木造の建物というのは嫌でも目立つ。アリシアの言うとおり、あれがお目当ての店に違いないだろう。

「でも、みんな大丈夫なの? 朝ごはんを食べてから、そんなに時間が経っていないのに」
 僕は心配をして言ったのだけど、その言葉にアリシア達全員が一斉に僕の方を向いた。

「ル~イ~。女の子は、甘いものは別腹だってお話したわよねぇ~」
 アリシアは笑顔で言っているけど、僕に反論を言わせない迫力がある。

「そうよ。アリシアの言うとおり。それに、私は朝ごはんをちゃんと加減したから問題ないわよ」
「いや、嘘をつくな。おかわりするのを止めただけで、お前も十分朝食を食べていただろうが」
 とぼけるリミファに、ティアの鋭い指摘が突き刺さった。

「あらっ、何のことかしら、ティアったら。私、今日は暑くてあまり食べ物が喉を通らなかったのよ」
「そうか。まぁ、豚になってルイに愛想を尽かされるのはお前自身だから、私は一向に構わないが……」
「もう、そんな事あるはずないじゃない。私の栄養は背丈と胸にしか行かないようになっているのよ。私のこの豊かな胸がさらに大きくなって、ルイを独り占めされたくないのはわかるけれど、貧乳の嫉妬は見苦しいわよ、ティア」
 笑顔でリミファが言い返す。でも、胸のことを言ったのは本格的にまずいと思う。

「……私は今日も健康のために腹八分目に止めていたんだが、急に腹ごなしの運動がしたくなってきた」
 ティアの目が剣呑な光を灯したことに気づき、ルイは慌てて彼女を止めようとする。だが、
「はいはい、じゃれ合うのはそこまでよ。もうお店が目の前なんだから。ねっ?」
 今まで黙っていたサリアが、手をパンパンと叩いて、険悪な二人を止めてくれた。

「ううっ。分かったよ、サリ姉……」
「は~い。反省してま~す」
 サリアを敵に回したくないティアとリミファは、そう答えて愛想笑いを浮かべる。

「もう、何じゃれ合っているのよ。 早くお店に入りましょうよ! こんな暑い中外にいるよりは、お店の中のほうが涼しいはずよ」
 アリシアはそう言うと、僕の手を握ったまま店の中に引っ張っていく。
 強引だけど、いつもアリシアはこうだから、僕はもうすっかり慣れている。
 僕は、されるがままに店の中に入っていった。

「いらっしゃいませ。笹色庵へようこそ」
 店の中に入ると、変わった服装の女の子が出迎えてくれた。

 この気温が高い中、全身を覆う服装はいかにも暑そうだけど、店の従業員全員が同じ格好だ。

「ささいろあん? 変わった名前ね。けど、ほら、ルイ! 見てよ、これ!」
 嬉しそうに僕の手を引っ張るアリシア。その声は弾んでいる。でも、それは仕方がないことだと思う。僕もアリシアと同じように、ショーケースの中の色とりどりのお菓子に目を奪われてしまったのだから。

「すごい……。こんなに綺麗なんだね」
 僕は、淡い水色と透明が半々のゼリーだろうか? 小さな塊に興味を惹かれた。その中に更に小さな魚が二匹泳いでいる。海藻まで生えている。どれだけこのお菓子一つに手間を掛けているのか、想像もできない。

「もう、たしかにそのお魚たちも可愛いけど、こっちを見てよ。ほら!」
 アリシアの指差す先を見ると、そこには夜空を切り取ったようなゼリーが置かれていた。

 淡い青と濃い青がグラディエーションになっていて、そこに三日月と星々が閉じ込められているようだ。
「これって、本当に食べられるのかな?」
 食べ物は食べてしまえば無くなってしまう。いや、食べ物だというのならば、時間の経過とともに腐ってしまうはずだ。長い時間その形を留められる絵ならまだしも、すぐに無くなってしまうものにここまでの細工を施す理由が僕には分からない。

「ふふっ。もちろん食べられますよ。うちのお店は、販売だけではなく小上がりで召し上がっていただけるようになってますんで、よかったら試してみて下さい」
 長い黒髪の大人の女の人が、僕に声をかけてきた。

「…………」
 僕は何も言えずに、その女の人を見つめる。
 分からない。なぜかは分からないけれど、僕はその女性から目が離せなかった。

「ルイ……」
 低いアリシアの声に、僕は小さくすくみ上がる。

 まずい。この声で喋るときは、アリシアは本気で怒っている。

「何を見とれているのよ、このスケベ! 貴方には私達がいるでしょうが!」
「あっ、いやっ、別に見とれていたわけじゃあないよ。ただ、なんとなく見てしまっただけで……」
「それを見とれているっていうのよ! ああっ、もう、早くお菓子を注文して食べるわよ!」

 アリシアはリミファ達に、「適当に注文しておいて!」と言って、他の従業員の人に案内を受け、僕の手を引いて、コアガリ? とかいう席に着く。

 椅子ではなく床に腰を下ろすことに最初は戸惑ったけれど、お尻の下にはクッションも有り、広いので足を崩しても大丈夫なのでそれほど苦ではなかった。
 それよりも、問題なのは……。

「……アリシア。その、機嫌を直してほしいんだけど……」
 アリシアは僕の隣りに座ったんだけど、不満げな顔で僕と目を合わせようとしない。

「ふんだ。ルイのスケベ。浮気者」
 アリシアは完全に拗ねてしまっている。でも、たしかにさっきのは僕が悪いので、何度も彼女に謝るしかなかった。

 僕が一番大切に思っているのはアリシアだ。もちろん、リミファ達も特別な女の子だけど。そして、さっきのは決して変な気持ちで他の女の人に目を奪われたわけではないことを何回も説明する。

「……それじゃあ、証拠を見せて。そうしたら許してあげるわ……」
 アリシアはそう言って、自分の唇を指差す。

 その意図を理解した僕は、みんながまだお菓子選びを続けているのを確認し、優しくアリシアの唇に自分の唇を重ね合わせた。

 思えば、キスをするのも久しぶりだ。
 きっと、アリシアはそのことが不安だったんだと思う。
 僕は心を込めてアリシアとキスを交わす。
 僕は仲間のみんなを大切に思っている。でも、一番大切な女の子はアリシアだ。
 この世界に突然やって来ることになってしまって、どうすれば良いのか分からなかった僕を助けてくれたのはアリシアだった。

 いつも「私のほうがお姉さんだから」と言って、僕の前を歩いてくれる。この手を引っ張ってくれる。
 そして、このお店に来るように提案したのもアリシアだ。レイアのことで心を痛めるみんなを、そして僕を元気づけるために考えてくれたんだろう。

「……本当は、アリシアが一番辛いはずなのに……」
 アリシアはレイアと仲が良かった。親友だった。それなのに、今も僕やみんなの前でいつもと変わらぬ様子で振る舞っている。

 長いキスの後に、アリシアは恥ずかしそうにそっぽを向き、
「ふん、仕方ないわね。許してあげるわよ」
 真っ赤な顔でそう言って僕のことを許してくれた。

 そして、みんながお菓子を選んで来るまで二人で待っていたんだけれど……。

 丸いトレーにお菓子とお茶だろうか? 陶器製の容器を持ってやってきた先程の店員さんに
「……ふふふっ、仲が良くてええことです」
 そう言われてしまった。

「あっ、あのね、ルイ、アリシア。もう少し時と場合は考えたほうが良いと思うわよ」
 リミファが呆れたような、恥ずかしがっているような、なんとも言えない口調で僕たちにそう言い、咳払いをする。

「えっ? 何を言って……」
 この場所は完全に店の入口からは死角になっているはず……。

 僕はそう思ったけれど、黒髪の店員さんは僕と目を合わせると、静かに視線を横にずらす。それを目で追いかけると、とても大きな鏡が見えた。

「……あっ、あっ、貴女達、もっ、もしかして見ていたの?」
 僕と同じことに気づいたのだろう。アリシアが顔を真っ赤にしてみんなに尋ねる。

「見ていたというか……」
「嫌でも目に入ってきた。というか、見せつけられているようで気分が悪いし、恥ずかしかったぞ」
 リミファとティアの言葉に、アリシアと僕は顔を抑えて俯く。

「ふふっ、ごちそうさまね。まだお菓子は頂いていないけれど」
 サリアの追い打ちに、僕たちは耳まで真っ赤になってしまう。

「まぁ、もう十分に甘い雰囲気かもしれまへんけど、うちのお店のお菓子も味わってみてください」
 黒髪の店員さんは、少し変わった口調で話す。でも、意味は分かるので問題ない。

「まずは、お茶を。そないに熱くはありまへんので、お試しください」
 てっきり冷たい飲み物が出てくると思っていたのだけれど、僕たちに店員さんが淹れてくれたのは温かいお茶だった。

「この暑い中、温かなお茶を出されるとは思わなかったですけれど……、美味しいですね、このお茶。初めて飲むのに、落ち着く感じです」
 リミファがさっそくお茶を飲み、幸せそうに微笑む。

 その笑顔に、僕たちも温かな緑色のお茶を飲んでみた。
 少しだけ、ほんの少しだけ苦味を感じるけれど、それ以上に甘さを感じる。でも、砂糖なんかの強めの甘さではなくて、すごく優しい味だ。
 店の中が外より涼しいことも有るのだろうけれど、このお茶を飲むと、暑さが少し和らいだように思えるのは何故だろう?

「お茶が必要な場合はお声掛けください。それでは、ごゆっくり……」
 黒髪の店員さんは、お茶のおかわりを僕たちのカップに注ぎ、お菓子を僕たち一人一人の前に配膳したかと思うと、頭を下げてカウンターの方に戻って行った。

 何故かは分からないけれど、僕はまたその姿を目で追ってしまう。
 本当に何故なんだろう? どうしてあの女の人が気になってしまうのだろう。

「こ~ら。ルイ。またアリシアが拗ねてしまうわよ」
 サリアの指摘に、僕は慌てて視線を戻す。案の定、アリシアは面白くなさそうに僕を睨んでいる。

「もう、やっぱり気になるんじゃない。ルイの馬鹿!」
 アリシアはそう言って、串を使って目の前のお菓子を乱暴に口に運ぶ。でも、不意にアリシアは笑顔になった。

「おっ、美味しい! なっ、なんなの、このお菓子! 綺麗なだけじゃなくて、こんなに美味しいなんて!」
 アリシアの称賛の声に、みんなもお菓子を口にする。僕も同じように串で一口大にお菓子を切って口に運んだ。
 甘い。でも、決してくどくない。上品な甘さだ。

 僕が口にしたのは、お菓子選びの際に僕が一番気になった淡い水色と透明が半々のゼリーだった。でも、ゼリーとは少し違う食感だった。ゼリーよりももっと柔らかくて、すぅーと口の中で溶けていくみたいだ。それに、中に入っている魚は、もちもちとした不思議な触感で、すごく楽しい。

「ねぇ、ねぇ、ルイ。これ食べてみてよ。すごく美味しいわよ!」
「うん。それじゃあ交換しようか。僕が食べたのもすごく美味しかったから、アリシアにも食べてもらいたい」
 アリシアの機嫌が戻ったことに、僕は安堵して残ったお菓子を交換する。

「ああっ、アリシアばっかりずるい。ルイ、私のも美味しいから食べてみてよ」
 リミファが串にお菓子の半分を刺して、僕の口元に近づけてくる。

「そうだな。まぁ、アリシアが一番なのに今更文句はないが、あまりにも不公平なのは私達の結束を乱すことになる。というわけで、私達のも責任を持って食べてもらうぞ」
「そうね。せっかくこんなに種類があるんだから、皆で少しずつ色々食べることにしましょうか」
 サリアの提案に、みんな頷く。

 そして、僕たちは久しぶりに心から笑い合えた。
 辛い現実を忘れることができたんだ。




 ……もしも、この時、どうしてあの黒髪の女の人が気になるのか気づいていたら、未来は変わっていたのかな?

 いや、きっと変わらない。だって、僕にとってあの女の人は……。
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