彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第二章 その出会いに、名をつけるのならば

⑳ 『ささやかな宴』

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 疲れて帰ってきたのに、家に入れず、二時間以上公衆浴場で時間を潰していたはずの父だが、機嫌はとても良い。
 まぁ、抜け目のない母のことだ。きっと上手くフォローを入れたのだろうとメルエーナは推測する。

 コーリスとリアラも、あの二人が来るのを楽しみに待っている。
 もっとも、イルリアは少し前までこの家で眠っていたのだから、戻ってくる、の方が正しいのかもしれない。

 睡眠をしっかり取ったイルリアは、ジェノを迎えに行っている。
 安全の為、父が同行を申し出たのだが、やんわりと断られた。『まだ何種類か魔法が残っているので心配ありません』と言われては、彼女の魔法に何度も助けられた父は、それ以上何も言えなかった。

「……しかし、まったく人騒がせな奴だな、ハンクの奴は。村長に、もうあいつを茸取りに行かせるなと言っておかなければならんな」
「そうね。こう何度も立て続けでは、流石にねぇ……」

 父と母の言葉に、メルエーナは苦笑せざるをえなかった。

 何でも、メルエーナ達がハンクの捜索に出発してから半日も経たないうちに、彼は自分の足で無事に村に戻ってきたのらしい。
 だが、その事を伝えたくても、捜索隊――つまり自分達は、すでに茸の群生地にたどり着いた頃だったので、村長さんたちもただ帰ってくるのを待つしかなかったようだ。

 父と母は話に花を咲かせるが、メルエーナはそわそわしてしまい、会話に参加しようとは思えなかった。

「ふふっ。大丈夫よ、メル。今の貴女は、すごく可愛いわ」
 突然母にそう言われ、メルエーナは頬を朱に染める。

 ただ、ジェノとイルリアをゲストに迎えて、みんなで食事を食べるだけなのに、こんなに落ち着かないのは何故だろう?

 どうして、早く来てくれないものかと、待ちきれない気持ちになるのだろう?

 それに、出かけるわけでもないのに、何故、一番のお気に入りの服を着ているのだろう?
 
 分からない。でも、そうしたい。
 あの人には、できれば一番綺麗な自分を見て貰いたい。

「……ぬぅ」
「あなた。そんな怖い顔をしては駄目よ」
 すごく不機嫌そうな顔をする父と、それを嗜める母のやり取りにも気づかずに、メルエーナはただその時を待っていた。

 やがて、家のドアをノックする音が聞こえると、メルエーナは椅子から立ち上がって玄関に向かう。

 声を確認し、鍵を開けて「どうぞ」と口にすると、イルリアがドアを開けて笑顔を見せてくれた。
「遅くなってすみません。そして、改めまして、お招きいただきありがとうございます」
 イルリアは笑顔で言い、頭を下げる。
 
 そして……。

「すみません、遅くなりました」
 黒髪の端正な顔つきの少年――ジェノが、慇懃に頭を下げて挨拶をする。

 彼は当然森に入るときとはまるで違う格好をしていた。
 とは言っても、白いジャケットを黒いシャツの上にはおっているだけで、下は紺のズボンというとてもシンプルな服装だ。
 
 だが、初めて見るジェノの私服姿に、メルエーナは思わず見とれてしまった。

「う~ん。モデルが良いと、何でも似合うわねぇ」
 後から出迎えに来たリアラも、そんな感想を口にする。
 その言葉にはメルエーナも全面的に同意だったのだが、母はにんまりと笑みを浮かべると、

「ジェノ君。うちの娘を見て、なにか一言ないかしら?」

 突然そんな事をジェノに尋ねる。

「おっ、お母さん……」
 メルエーナは大胆な母の行動に驚く。
 しかし、母の言葉に、ジェノが真っ直ぐな瞳を向けてくるのが分かり、頬が熱くなってくるのを止められなかった。

「ゆっくり休めたようだな。だいぶ顔色が良くなった」
 しかし、ジェノは相変わらずの仏頂面で、ただそれだけを口にする。

「あっ、その、はい……。ありがとうございます」
 メルエーナはがっかりしながらも、お礼を言う。

「あんたね。もう少し気の利いたこと言えないわけ?」
 そんなメルエーナを不憫に思ったのだろう。イルリアがジェノを嗜めた。

「どういうことだ?」
「……本気で言っているの? いや、本気ね、あんたの場合」
 イルリアは呆れて嘆息する。

「メル、これは強敵ね。でもね、貴女の顔色の変化に気づいているってことは、全く貴女に興味がないと言うわけではないはずよ」
 母が、そっと耳打ちをしてフォローしてくれたので、なんとかメルエーナは笑顔を浮かべる。
 
「まぁ、立ち話も何だ。二人共、上がるといい」
 そんなメルエーナとは対象的に、何故か父は上機嫌でジェノとイルリアを歓迎する。

 そして、『依頼』という名の宴が始まった。







 母の料理は大好評だった。
 あのジェノでさえ、「素晴らしく美味しいです」と言って驚いていたほどだ。

「そうだろう、そうだろう。リアラの料理は最高だからな」
 普段寡黙なジェノに愛妻の料理を褒められて、コーリスは上機嫌でワインを飲みながら食事を楽しんでいた。

 だが、メルエーナはそんな母を誇るのと同時に、やはり自分は何も分かっていなかったことを再認識する。

 母の料理は、料理上手のジェノが驚愕するほどのものなのだ。
 だが、普段からそれを食べ慣れている自分には、その凄さが理解できていなかった。
 自分の調理技術がどれほど未熟であり、真似事ができるようになったと錯覚していた母の料理が、どれほど高い次元のそれに裏打ちされたものなのかを痛感する。

 ただ、せっかく家に来てくれたジェノとイルリアを心配させないように、その気持ちに蓋をし、メルエーナは積極的に二人に話しかけた。

 イルリアは流暢に楽しく、ジェノは端的ながらも話してくれる。
 特に、二人が話してくれた何気ない日常の話がとても興味深かった。

 しかしその話の中で、メルエーナは思わぬ事を知ることになる。

「何? 明日には村を出るのか?」
 驚きの声を上げるコーリス。
 声にこそ出さないが、メルエーナも驚いた。

 ようやく仕事が終わったばかりだと言うのに、そんなに急いで帰らなくてもいいのにと寂しく思ってしまう。

「ええ。冒険者見習いが雇い主を殺害しようとした事実を冒険者ギルドに報告する必要があります。ですが、殆どの正規の冒険者が、件の貴族の積み荷探しに出払っているので、自分達が代わってナイムの街まで罪人を送り届けることになりました」
 ジェノは淡々と事実を語る。

「でも、今日ようやく仕事を終えて帰ってきたばかりなのに、それは酷すぎない?」
「そうです。少しは休まないと」
 母のリアラと一緒に、メルエーナは抗議の声を上げる。
 それが無意味なことだと分かっていても。言わずにはいられなかった。

「ありがとう、メル。でも、私とこいつがやるしか無いのよ」
「ああ。ローグ達は、他の冒険者見習い達に恨みを買っている。そんな恨みを持つ人間にこの仕事を任せるわけにはいかない」

 ジェノはそれ以上口にしなかったが、父は全て分かったようで、頷いた。

「なるほど。他の見習い達が怒りに任せて、あの三人を殺してしまうことを危惧しているんだな。もしもそんな事態になってしまったら、今回の一件が有耶無耶になってしまう可能性がある、と」

 父の言葉に、イルリアが頷く。

「はい。そのようなことになれば、皆さんに対する賠償もなくなってしまうかもしれません。
 それに、最悪の場合、あの三人の仲間が他の見習いの中に紛れている可能性もあります。その仲間の手引で彼らが脱走し、逆恨みからこの村に害を及ぼさないとも限りませんので」
「……そうか。すまんな。お前たちにばかり貧乏くじを引かせてしまっているな」
 父は申し訳無さそうにジェノ達に頭を下げる。

「これが俺たちの仕事です。ですから、どうか顔を上げて下さい」
 ジェノはそう言いって顔を上げさせると、「明日も早い。そろそろ……」とイルリアに声をかける。

「そうね。すっかり遅くなってしまったわね」
 イルリアもそれに同意し、帰り支度を始める。

「ねぇ、あなた……」
「分かっている」
 父は母にそう答えると、奥の寝室に行き、革袋を手にして戻ってきた。
 
「ジェノ。イルリア。これは、今回のことで迷惑をかけたお前達にと、村長が用意した金だ。それに、リアラが払うはずだった報酬も加えてある。どうか、これを受け取ってくれないか? 頼む。このままでは俺達の気持ちが収まらん」
 父はそう懇願したが、二人は首を縦には振らない。

「お気遣いはありがたいですが、私達にも今回の一件の迷惑料ということで、それなりの金額が支払われますので、ご心配には及びませんよ」
 イルリアは苦笑し、同意を求めるようにジェノを見る。

「イルリアの言うとおりです。それに、金銭を頂いてしまっては、今回の責任の所在が分からなくなってしまいます。今回のことは完全に冒険者ギルドの落ち度です。それを明確にしておかねばなりません」

 ジェノもイルリアに同意し、

「依頼を完遂できなかったにもかかわらず、このような歓待をして頂きました。俺達にはそれで十分過ぎます」

 そう言って頭を下げる。
 
 父と母は、それでも二人にお金を渡そうとしたが、二人はどうしても受け取ろうとはしない。

 そして、やがて二人は踵を返して帰ろうとしてしまう。

「ジェノさん……。イルリアさん……」
 二人が自分達のためにしてくれたことを思い出し、メルエーナは堪らず叫ぶ。

「待って下さい!」
 メルエーナの呼びかけに、ジェノ達は振り返ってくれた。

「その、せめて、これだけでも受け取って頂けませんか?」
 自分の首にかけていた、二つに分かれたペンダントの首飾りを外して、メルエーナはそれをジェノに強引に手渡す。

「その、売っても大した金額にはならないと思いますが、私の宝物です。お金を受け取れないのでしたら、せめて感謝の気持ちとして、これを、どうか……」

 幼い頃からずっと大切にしていた首飾り。
 けれど、命を助けてもらったうえに、自分達一家とこの村のために更に頑張ろうとしてくれる、この優しい二人に、何かで感謝を伝えたかった。

 ジェノは少しの間首飾りを見ていたが、「いや、これも受け取れない」とメルエーナに返そうとする。

「ねぇ、そこまで頑なになることはないんじゃあないの? メルが言うとおり、金銭でなく、高価な品でないのなら、少しくらい……」
 流石に何度も断るのは悪いと思ってくれたのか、イルリアはそう言ってくれた。だが、ジェノは考えを変えることなく、メルエーナに首飾りを返してよこす。

「……すみません。迷惑でしたよね。こんなものを渡されても……」
 気落ちするメルエーナ。
 しかし、ジェノは首を横に振る。

「自分の名前を刻むほど、大切な品なんだろう? そんな思いの込められた物を手放させるわけには行かない。それだけの話だ。心遣いはよく分かった」
 ジェノはそう言い、口の端を僅かに上げて微笑む。
 気持ちは充分伝わったと、その笑顔が語っていた。

 だが、メルエーナには、それを気にしている余裕がなかった。

「……えっ? よっ、読めるんですか、この文字が?」
「どういうことだ? 共通語だ。子供でも読めるはずだが?」
 怪訝な顔をし、ジェノが尋ね返してくる。

「いえ、その、そうではなくて……。あっ、あの、それでは、もう片方のペンダントにはなんと刻んであるか分かりますか?」
 メルエーナはそう言って、もう一度首飾りをジェノに手渡す。

「……『ラーフィン』と刻んであるな。これがどうかしたのか?」
 ジェノは当たり前のようにそう答え、また首飾りを返してきた。だが、それを受け取ったものの、メルエーナはあまりのことに言葉を失う。

「ジェノ君。イルリアちゃん。あなた達の気持ちが変わらないことは分かったわ。引き止めてごめんなさいね」
「リアラ。しかし……」
「これ以上話を続けても、ただ単に二人の睡眠時間を削ることになるだけよ」
 
 父と母の会話で我に返ったメルエーナは、「すみません、おかしな事をさせてしまって」とジェノに謝罪する。
 ジェノは気にする必要はないと言って、今度こそ踵を返して玄関に向かっていく。

「昨日、少し話しましたが、後日、冒険者ギルドの運営に関わる人間が、皆さんに聞き取り調査を行いますので、その際にはどうかご協力をお願いします。では、お世話になりました。俺達はこれで」
「起こったことをありのままに伝えて下されば結構ですので。それでは、おやすみなさい。本当にありがとうございました」
 ジェノとイルリアは一礼して帰っていってしまった。

 それは仕方がない。二人はこの村の人間ではないのだから。
 けれど、メルエーナはもっと話をしたかった。
 特に、この首飾りに刻まれた文字を読んだジェノのことが、今まで以上に気になって仕方がない。

 どうして、あの人はこの二つに分かれたペンダントに書かれている文字を読むことができたのだろう?

 今まで誰に聞いても、自分以外には読める人はいなかったのに。

 父と母でさえそれは同じだったのに……。

 初めてあの人を見た時の、どこかで出会った事があるような気持ちといい、いったいあの人は何なのだろう?

「ジェノさん、貴方はいったい……」
 メルエーナはそう小さく呟き、手の中の首飾りを握りしめた。
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