彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第二章 その出会いに、名をつけるのならば

㉒ 『願い』

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 メルエーナの話を聞き終えたリリィは、感動に体を震わせる。

「すごい……。すごすぎるわ! まさしく運命の出会い! 悪い人たちから命がけで自分守ってくれた素敵な男性との別れ。そして再会なんて。そんなこと物語のヒロインでないと普通は体験できないわよ!」
 興奮で鼻息を荒くするリリィに、メルエーナは困ったような笑みを浮かべる。

「いいえ、その……。そんなにいいことではありませんでしたよ。今でこそこうやってお話できますが、その時はものすごく怖くて仕方がなかったですし、何もできない自分がただただ不甲斐なくて仕方がなかったですから」
 メルエーナはそう言うが、恋愛どころか異性を好きになった経験さえないリリィには、それは贅沢な話だとしか思えない。

 しかも、相手はあのジェノだ。
 バルネアの店で偶に食事を食べる度に、あの黒髪の男性を見かける。そのあまりにも端正な容姿に、初めてみた時は、リリィも思わず見惚れてしまった。
 しかも、今までのメルエーナの話を聞く限りでは、口数が少ないが決して悪い人ではなく、むしろ優しい性格なのだと推測できる。

「でもね、メル。その首飾りをずっと身につけているってことは、やっぱりジェノさんとの出会いは特別なものだと思っているんでしょう? 願掛けっていうのも……」
 リリィがニヤニヤとした笑みを向けると、メルエーナは顔を真っ赤にして頷いた。

「はっ、はい。その、図々しい話なんですが……。私も、この街でジェノさんに再会できた時に思ってしまったんです。ジェノさんとの出会いは、きっと……」
「きっと?」
 ワクワクしながら、メルエーナの次の言葉を待つリリィ。
 だが、メルエーナはそこでいっそう顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「いっ、いえ、その、なんでもありません……」
「もう! そこまで言って、最後まで言わないのはずるい!」
 抗議の声を上げるリリィに、メルエーナは手つかずにしていた飲み物を口に運ぶ。

「でっ、ですが、考えてみると、あの困った母にすべてお膳立てされていただけな気もしますし……」
「でも、その首飾りの文字が読めるかどうかは違うんでしょう?」
「そっ、それはそうですが……」
 メルエーナは顔を俯けて、ついには黙り込んでしまう。

「ああっ、ごめんなさい。ちょっとからかい過ぎてしまったわ……」
「いっ、いえ。大丈夫ですから」
 メルエーナが許してくれたので、ホッとするリリィ。

 だが、そこでリリィは、話を聞いてからずっと気になっていた、彼女の首飾りを近くで実際に見せてもらいたいと思ってしまう。

「メル。ごめん。良かったらなんだけれど、その首飾りを近くで見せてもらってもいい? きっとその首飾りには、特定の人しか読めないような魔法が掛けられているんじゃあないかと思うの。
 その、私、お師匠様にまだ早いと言われて、座学だけで、実際に魔法の掛かった品物に触れたことがないの。だから、魔力を持つ私がそれに触れたらどんな風に感じるのか気になって……」
 図々しい頼みなのは分かっているが、メルエーナの話に出てきたペンダントの文字を、自分が読めるかどうか確認してみたい気持ちもあり、リリィは頼み込む。

「ええ。いいですよ。これに魔法がかかっているのかどうか、私も気になりますし」
 メルエーナは笑顔で快諾してくれて、首飾りを外し、それをリリィに手渡してくれた。

「ありがとう、メル」
 笑顔で礼を言い、首飾りを丁寧に確認していく。

「文字は彫られているのよね? でも、どこにもそれらしきものは見えないし、手触りでもそんな形跡はまったく分からないわね……」
 メルエーナが嘘を言っているとは思わないが、この二つに割れたペンダントに名前が彫られているとは考えられない。

「あれっ? でも、何だか、少し熱く……」
 分かれたペンダントの片方を触っていると、何故かそれが少しだけ熱を持ったような気がした。そして、そうリリィが感じた次の瞬間だった。

 何かが、リリィの体を通過していった。
 そう、彼女の体を目に見えない何かが通り過ぎて行ったのだ。

 それが何だったのかは分からない。ただ、リリィの胸を一つの感情が、激情が襲った。
 
「あっ、あれ……」
 不意に、リリィの瞳から大粒の涙がこぼれ落ち始めた。

「リリィさん、どうなさったんですか?」
 メルエーナの心配そうな声。
 それに、大丈夫だと答えようと思ったが、際限なくこみ上げてくる悲しさに、リリィはついには声を上げて泣き出してしまう。

「お客様? 何かございましたでしょうか?」
 大慌てで店の店員が駆け寄ってきたが、リリィにはそれを気にしている余裕などなかった。

 この負の感情がまぜこぜになった感情を、何と修辞すればいいのかわからない。ただ、悲しくて、辛くて、腹立たしくて、切なくて、涙が際限なくこぼれ落ちていく。

「リリィさん」
 メルエーナが泣きじゃくる自分を抱きしめてくれた。
 だが、それからしばらくの間、リリィは泣き止むことができなかった。







 日が西に沈んでいく。
 赤い輝きに染まるナイムの街をメルエーナと二人で歩き、リリィは今の自分の住処、魔法のお師匠の家の前にたどり着くことができた。

「その、ごめんね、メル。お店でさんざん迷惑をかけただけじゃあなくて、送ってまでもらって……」
「いいえ。気にしないで下さい。帰り道とそれほど離れていませんから」
 メルエーナは笑顔を絶やさない。
 さんざん迷惑をかけてしまったのに、優しく微笑んでくれる。

「本当に今日はいろいろありがとう。……そっ、その……迷惑かもしれないけれど……」
「はい。リリィさんがよければ、またお買い物に行きましょう」
 こちらが言いたかったことを察し、メルエーナはそう言ってくれた。

「あっ、ありがとう、メル。その、ジェノさんと上手くいくように、私も応援しているから、頑張ってね」
 他に何を言えばいいのか分からずに、リリィはそんな言葉をメルエーナに贈る。

「……はっ、はい。その、頑張ります」
 顔を赤くしながら、メルエーナは顔を俯かせてそう答え、更に言葉を続ける。

「あのお店では恥ずかしくて言えませんでしたけれど、私も、ジェノさんとの出会いはきっと特別なものだと思っています。
 もしかすると、ただの偶然が重なっているだけなのかもしれません。でも、その……」
 そこまで言うと、メルエーナは顔を上げる。
 そして、恥ずかしそうに、けれどはっきりと笑顔で言った。

「私は、偶然ではないといいなって、ずっと思っているんです」
「…………」
 沈みゆく朝日よりも輝いてみえるその笑顔に、リリィは言葉を失った。

 綺麗だった。この上なく。可愛かった。誰よりも。
 そのあまりに魅力的な笑顔に、ドキッとしてしまった。

 誰かを心から好きになると、こんな風に女の子は笑えるのだと初めて知った。

 いつか自分もこんな笑顔ができるほど、思い焦がれる男性に出会えるのだろうか?

 ……出会いたい。
 私もこんな風に笑えるようになりたい。

「そっ、それでは、失礼しますね」
「あっ、うん。ありがとう。またね、メル」
「はい」

 メルエーナはいつもの顔に戻ったので、リリィは普段どおりに彼女を見送る。
 そして、彼女の姿が見えなくなると、リリィは今日買った服の入った袋を片手に、家に戻るのだった。







 リリィは叱られた。
 思いっきり、叱られた。
 
 目の腫れがまだひいていなかったから、お師匠様に何事かと尋ねられて、リリィは正直に話すしかなかった。

 何故なら、リリィが誰かに虐められたと早とちりしたお師匠様が、怖い顔をして、「私の可愛い弟子を虐めるなんて、何処のどいつだい! 丸焼きにしてやるよ!」と鼻息を荒くしていたので、ごまかすわけにもいかなかったのだ。

 リリィは、椅子に座る白髪の老婆――エリンシアの向かいの席で、ただただ頭を下げ続けることしかできなかった。

 一通りのお説教の後に、顔を上げるように言われて、リリィは言われたとおりにする。

「リリィ。何度も言ったはずだよ。あんたが魔法の品に触れるのはまだ早いと。それは、何も意地悪で言っていたんじゃあない。危険だからなんだ。あんたの場合は、特に……」
「私の場合、ですか?」

 エリンシアはリリィの言葉に頷く。

「いいかい。増長してしまう可能性と、好奇心から魔法の品に触れようとしてしまう危険性があったから内緒にしていたが、あんたには一つだけ稀有な魔法の才能があるんだよ」
「えっ? わっ、私に、そんな才能が!」
 目を輝かせたリリィは、しかし、老婆に杖で頭を叩かれてしまう。

「話は最後までお聞き。あんたの才能というのは、すごく厄介で扱いにくいものなんだ。それは、『魔法の品に込められた感情を読み取る』という才能だからね」

「感情を読み取る才能、ですか?」
 叩かれた頭を擦りながら、オウム返しにリリィは尋ねる。

「これは使いようによってはいい才能なんだ。例えば、魔法の品物がどのような性質のものかがなんとなくだが把握できる。憎悪がいっぱいにこもった魔法の品なんてろくでもないことくらいは、あんたでも分かるだろう?」
「はっ、はい。それがきっとよくないものだとは思います」

 リリィの言葉に、エリンシアは頷く。

「ただね、この能力は制御できないと、あんたの精神のほうが魔法の品の感情に引っ張られてしまうんだよ。最悪、その感情に支配されて、あんたの精神が壊れてしまうかもしれない」
 エリンシアの言葉に、リリィは自分がした行動の浅はかさにようやく気づく。

「……すみませんでした、お師匠様」
 リリィが心からの謝罪をすると、エリンシアは「分かればいい。私がいいと言うまでは、もう魔法の品に触れようとしては駄目だよ」と優しく言ってくれた。

 だが、リリィの脳裏に、満面の笑顔を浮かべた大切な友人の顔が浮かんだ。

「あっ、あの、お師匠様!」
「うん? どうしたんだい、そんなに慌てて」
 詰め寄らんばかりの勢いのリリィに、エリンシアは驚く。

「その、特定の人にしか文字を読めなくする魔法って、きっと存在しますよね?」
 リリィの突飛な質問に、エリンシアは顎に手を当てて少し考える。

「あんたの言うとおりだよ。たしかにそういう魔法は存在する。だが、どうしていきなりそんなことを聞くんだい?」
「その、私が触れてしまったのは、私の友達とその娘の大切な人しか文字が読めない首飾りなんです。でも、その娘はすごく幸せそうで……。だから、私があんな悲しい思いをするなんて……」
 感情ばかりが先走って、上手く言葉にできない。
 エリンシアに落ち着くように言われて、リリィはもう一度事の経緯を詳しく説明する。

「……なるほどね。それは妙な話だね。特定の人間にしか文字がわからないようにする魔法は、その当事者しか読めないはず。だが、代々伝わって来たその首飾りの文字を、お前と同い年の子供が読めるというのは……。それに、涙が止まらなくなるほどの悲しい気持ちが宿っていたというのも謎だねぇ」
 エリンシアはそういうと、心配そうな顔をするリリィの頭を優しくなでた。

「そんな顔をするもんじゃあないよ。たまたまその文字が読める条件に、あんたの友達が当てはまっただけだろうさ。それに、その首飾りはかなり古いものなんだろう?
 人から人へ渡る間に、とある持ち主の強い感情がそれに込められてしまったんだろう。少なくとも、今の持ち主とは関係ないはずだよ」
「……はい。ありがとうございます、お師匠様」

 リリィはエリンシアの気遣いに礼を言い、その言葉を信じることにした。

 あの幸せそうな笑顔を浮かべていたメルエーナと、彼女が大切に思うジェノに、不幸なことが起こらないでほしい。

 リリィは心の中で、そのことを神様に強く願うのだった。


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