彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

文字の大きさ
109 / 249
第四章 あの日憧れたあの人のように

② 『手紙』

しおりを挟む
 メルエーナとリアラの親子の不毛な言い争いが一段落したところで、ジェノが稽古から帰ってきた。
 彼はリアラが訪ねてきたことにもあまり驚きはせずに、「お久しぶりです」と慇懃に礼をして、社交辞令的な会話を少し交わしただけだった。

「すみませんが、汗をかいていますので」
 ジェノはそう言うと、頭を下げて、自分の部屋に戻って行こうとする。

「ジェノさん。お風呂を沸かしてありますので……」
「そうか。いつもすまない。感謝する」
 メルエーナの言葉に、ジェノは振り返って短く感謝の言葉を口にしたが、それ以上は何も言わずに部屋に戻って行った。

「メル。どうしてそこで、『お背中を流しましょうか?』って言えないのよ」
「言えるわけありません、そんな端ない事!」
 真っ赤になって母に抗議するメルエーナ。しかし、リアラは真剣な表情でメルエーナを見つめてくる。

「あのねぇ、メル。私の言っていることは、確かに少しだけ端ないかもしれないけれど、『私は、貴方に好意を持っています』という気持ちをまったく相手に伝えようとしないのは、清純派を気取った、ただの怠惰よ」
「……それは……」
 前半の、少しだけ、という言葉に納得は行かないが、後半の話はそのとおりだと、メルエーナも思ってしまう。

「何も、本当に背中を流さなくてもいいのよ。ジェノ君がもしも貴女の話に乗ってきたら、『もう、冗談ですよ。本気にしないで下さい』って言ってもいいの。
 ただ、その一言で、私は貴方を異性として見ていますよと伝えることができるわ。もちろん、やりすぎると誂われているだけだと思われるから、加減が必要だけどね」
 母のその指摘は、グサリとメルエーナの心に突き刺さった。

 メルエーナは常日頃、ジェノが自分のことを異性だと見てくれないと嘆いていた。けれど、母の言うとおり、自分はジェノの事を、男性として見ているという事をまるで伝えていなかったことに気付かされたのだ。

「メル。貴女がこの街に居られるのは、あと一年程だけ。それは長いようで短いわ。その間に、貴女はジェノの心を掴まなければいけない。そうしなければ、一生後悔するわ。
 だって、貴女からの手紙に、ジェノ君の近況が書かれていなかった事はないでしょう?
 それだけ貴女は、ジェノ君が好きなのよ」
 母に断言されて、メルエーナは気持ちを新たにする。

「お母さん、ありがとうございます」
「うん。分かればいいわ。ただ頭でこの事を理解するだけでは駄目。行動することが重要よ。
 だからまず、相手のことを、つまりはジェノ君の趣味嗜好を貴女はもっと理解する所から始めましょう。そこで、提案があるんだけど……」
 リアラは椅子から腰を上げ、メルエーナに顔を近づき耳打ちをする。

「えっ! いきなりそんな事を頼んだら、ジェノさんに引かれてしまいます!」
「大丈夫よ。その辺りは私がフォローするわ。いい? 男の子の心情を理解するには、この方法が一番なのよ。だから、勇気を出しなさい」
 リアラの説明を聞き、顔を真っ赤にしたメルエーナは、しかし力強く頷く。

 そして、母の訪問を歓迎する夕食を作っているバルネアを手伝い、その時を待つことにするのだった。







「俺の部屋を? 別に構わないが、理由を聞いてもいいか?」
 メルエーナが意を決し、食事中にジェノに彼の部屋を見せて欲しいと頼んだところ、当然の問が返ってきた。

「ああ、ごめんなさいね、ジェノ君。うちの娘は男の子に対する免疫がなくてね。親としては心配なのよ。そこで、まずは身近な男の子であるジェノ君の部屋を見せてもらって、男の子ってどういうものが好きなのかとかを学ばせたいのよ。申し訳ないけれど、協力してくれないかしら」
 リアラがそう援護をし、ジェノに頼み込む。

「……自分の部屋を見ても、あまり学べるものはないと思いますが、構いませんよ」
 予想外に、ジェノがあっさりと認めてくれた事に、メルエーナは驚く。

 先程の母との話では、男の子は部屋にあまり他人に見られたくないものを隠していることが一般的らしい。
 けれど、ジェノは全く動じた様子がない。

「ふふっ。良かったわね、メルちゃん」
 バルネアが優しい笑顔をメルエーナに向けてくれたので、「はい」とメルエーナは笑顔で返す。

「そう言えば、ジェノ君。娘から聞いたわよ。あと一週間で十八歳になるそうね」
「はい」
「ふふっ。これでジェノ君も大人の仲間入りね。大っぴらにお酒を飲んだりもできるようになるわね。でも、大人になったら、色々と大変なこともあるのよ。
 大人としての責任を負うことになる。それは、税金の増加のような事柄の他に、家庭を持って独り立ちすることも次第に求められるようになるわ」
 リアラはそこまで言うと、にっこり微笑んだ。

「ねぇ、ジェノ君。ジェノ君には気になる女性はいないの?」
「いません」
 ジェノは間髪をいれずに断言する。

 その事に、メルエーナは安堵するのと同時に寂しく思ってしまう。

「そう。まぁ、今はまだそれでもいいわね。ただ、ジェノ君は格好いいから、きっと女の子が放っておかないだろうけれど」
「……自分にはよく分かりません」
 ジェノが今度はなぜか少し間をおいて答えたことに、メルエーナは気づく。

「ジェノさん、その……」
 メルエーナがジェノに声をかけようとしたが、それよりも早くにジェノは静かに席を立つ。
 明らかに、これ以上この話を続けたくない様だ。

「ごちそうさまでした、バルネアさん。食器は俺が……」
「私がやっておくから大丈夫よ。それよりも、メルちゃんにお部屋を見せて上げるんでしょう? メルちゃんも食べ終わっているみたいだし、早速見せてあげたらどうかしら?」
 バルネアはそうジェノに提案し、こっそりメルエーナの方を向いて片目を瞑る。

「それは別に構いませんが。メルエーナ、それでいいか?」
「はっ、はい!」
 メルエーナはなんとかそう応えて、静かに席を立つ。

「あっ、私もいいわよね。男の子の部屋って興味あるのよね」
 リアラまでがそう言って席を立つと、「あら、それなら私も」とバルネアまでもが楽しそうに立ち上がる。

「全員で見るような部屋ではないと思いますが」
 ジェノは小さく嘆息し、部屋に向かって足を進め、その後を、メルエーナ達が付いていく。

 そして、メルエーナは初めてジェノの部屋に足を踏み入れるのだった。








「綺麗な部屋ね。……綺麗すぎるくらいに」
 リアラがそんな感想を口にした。
 少し失礼な感想だと思うが、メルエーナも同じ感想を胸に秘めていた。

 間取りはメルエーナの部屋と変わらない。
 窓が二箇所あり、そこにベッドと作業机と椅子とクローゼットが置かれているのも同じだ。
 差異は調度品の色が違うことくらいだろうか。

 塵一つ落ちていないフローリングの床。机の上も整理が行き届き、その上に本が数冊本立てに収納されているだけだ。
 ベッドもきちんと整えられており、本さえどこかに移動してしまえば、そのまま別の入居者が来ても全く問題がないと思えるような綺麗さだ。

 けれど、メルエーナはこの部屋を見て怪訝に思う。
 あまりにもこの部屋には、生活感がない。なさ過ぎるのだ。

「そっ、そうだ。ジェノ君はどんな本を読んでいるの?」
 あまりにも特筆することのない部屋に、話をするネタがなかったからだろう。リアラが、ジェノの机の上の本の背表紙を確認する。

 メルエーナもそれに倣うと、そこに置かれていた本は、料理の本と剣術の本だけだった。

「あれ、ジェノさん、何かがここに挟まっていますよ?」
 メルエーナは、背表紙が付いていない古ぼけた本の隙間から、何かの厚めの紙が出っ張っていることに気づく。

「触らないでくれ!」
 不意に、ジェノが声を上げた。
 それほど大きな声ではなかったが、全く喋っていなかったジェノが突然声を発したことで、メルエーナ達は驚く。

「……驚かせてすまない」
 ジェノは謝罪しながら机に近づくと、古ぼけた本を手に取り、そこから紙を、いや、便箋らしきものを取り出した。

「あっ……」
 メルエーナは、その便箋には、『親愛なるジェノへ』と書かれ、その封に、ハートマークのシールが使われていることに気づく。

「大事な手紙なんだ」
 ジェノはそう言うと、その便箋を机の引き出しに仕舞う。

「…………」
 メルエーナは何も言えなかった。
 ただ、心臓がバクバクと忙しなく鼓動を刻む。

 今の便箋に書かれていた宛名。ハートマークの封。そして、ジェノが大切な手紙だと言った。その事がグルグルと頭の中で回転し、メルエーナは何も考えられなくなってしまう。

「あらっ? もしかしてラブレターかしら? さっきは気になる女性は居ないと言っていたけれど、本命の彼女がいるの?」
 冗談めかして尋ねるリアラ。だが、その声は少し硬い。

 そしてリアラがそう尋ねたことで、一層メルエーナの心臓は早鐘のように鼓動し、胸が痛くなってくる。

「ジェノちゃん。私も気になるわね。話してくれないかしら?」
 バルネアもジェノに手紙の内容を話すように促す。

 二人がジェノに手紙の内容を話すように言っているのは、自分のことを気遣ってのことだとメルエーナは理解している。

 でも、怖い。怖くて仕方がなくて、耳を塞ぎたくなってしまう。
 もしも、ジェノさんに好きな人がいたらと思うと、苦しくて仕方がない。

 メルエーナは耳を塞ぎたくなる衝動をなんとか堪えて、ジェノが口を開くのを待った。

「これは、自分が幼い頃に大切な人に貰った手紙です。ただ、あと一週間は封を切るわけにはいかないので、つい声を荒げてしまいました。すみません」
 ジェノはそう説明してくれたので、メルエーナは、ほっと胸を撫で下ろす。

 けれど、一週間は封を切れない手紙というのはどういう事だろうか?
 安心すると、そんな疑問が湧いてくる。

「あと一週間? それって、ジェノ君の誕生日よね?」
「はい。この手紙は、自分の誕生日に封を切る約束になっているんです」
 ジェノの説明を聞いても、メルエーナ達はやはり意味がわからない。

「……ジェノちゃん。その話、詳しく聞きたいわ。普段、ジェノちゃんは自分のことを話してくれないから、すごく気になるの」
 バルネアがそう口火を切ると、リアラもそれに賛成する。

「そうね。私もすごく気になるわ。メル、貴女も気になるわよね?」
 更にはメルエーナにも同意を求めてくる。けれど、メルエーナも確かに気になるので、「はい」と頷いた。

「せっかくリアラさんが、遠くから来て下さったんだ。積もる話もあるんじゃあないのか?」
 ジェノがそう言っても、メルエーナ達はジェノの話が気になると異口同音に口にする。

 ジェノはそれでも話をしたくないようだったが、そこでパンッと、バルネアが両手を叩いた。

「すぐに片付けをしてしまうから、いつものテーブルで話をしてもらいましょう。私特製のとっておきのおつまみもあるから、楽しみにしてね」
 バルネアの中ではジェノが話をするのは決定事項のようで、そう宣言する。

「いや、バルネアさん。聞いても面白い話では……」
 ジェノはそう食い下がったが、バルネアはいたずらっぽく微笑む。

「あらあら、困ったわ。ジェノちゃんが話してくれないと、私とリアラ先輩とメルちゃんだけで話すことになるわ。でも、男の人と違って、女のお喋りって長くなるから、おつまみを食べる量も増えてしまいそうよ」
 バルネアのその言葉に、リアラも企みに気づいたようで、ニンマリと微笑んで口を開く。

「そうよね、バルネア。ついつい食が進んで、太ってしまうかも。それに、美容にも良くないわ。それに、嫁入り前のメルまでもそんな事になってしまったら、もうその一因を作ったジェノ君に責任を取ってもらうしかなくなるわよね」

「おっ、お母さん……」
 あまりにも理不尽な要求をする母に、メルエーナは困り、そっとジェノの方を見る。すると彼は、深いため息を付いて、こちらに視線を向けてくる。

「あっ、その……。すみません、私も気になります。ですので、話して下さると嬉しいです」
 メルエーナは申し訳なく思いながらも、素直な気持ちを口にする。

「……分かりました」
 結局、ジェノは降参し、後片付けが終わるとすぐに、彼の子供の頃の話を皆で聞くこととなったのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。

灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

一国一城の主を目指す!〜渇望の日々を超えて。

リョウ
ファンタジー
 何者かになりたかった。  だが現世でその願いは叶わず、男は敗北感と悲嘆を胸に沈んでいた。  そんな彼の前に現れたのは、一柱の女神。  導かれるまま異世界へ転移した男は、新たにレイと名乗り、剣も魔法も身分もない底辺から成り上がることを決意する。  冒険者として生きる術を学び、魔法を覚え、剣を磨き、人と裏社会を見極めながら、レイは少しずつ力を蓄えていく。  目指すのは、ただ生き延びることではない。  一国一城の主となり、この世界で“何者か”になること。  渇望を燃料に、知恵と執念で上へ上へと這い上がる、ダークファンタジー成り上がり譚。

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

処理中です...