彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第六章 『そこに、救いなどなくて……』

① 『英雄ファリルの像の前で』

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 どうして、私はついていかなかったのでしょうか?

 いえ、私がついて行っても足を引っ張るだけで迷惑にしかならなかったであろうことは分かっています。
 けれど、そう思わずにはいられなかったのです。

 全てを終えてなんとか帰ってきた、あの人達はボロボロでした。
 体だけでなく、心までも。
 それこそ痛々しすぎて見ていられないほどに。

 冷酷な人間達によって具現化された、この世の地獄がそこには広がっていたのです。




『そこに、救いなど無くて……』



 ふと気がつくと、窓の外が暗くなっていることに気が付く。
 ジェノは今日のところはこの辺りにしておこうと思い、手にしていた本を静かに閉じて席を立つ。

 ここはエルマイラム王国の公立図書館。文化レベルが高い先進国であるこの国では、誰でも自由に本を閲覧することができるのだ。
 この巨大な図書館の本を全て読破するにはどれほどの年月が必要なのかと思えるほど、その蔵書数は多く、億に届きそうなほどらしい。
 これは笑い話だが、田舎からこのエルマイラム王国の首都であるこのナイムの街に来たとある男性など、この図書館の巨大さと厳かで佇まいに、ここを王城と勘違いしてしまったという笑い話もあるくらいだ。

 静かに読んでいた本を所定の場所に返そうと足を進ませていると、不意に背中から声がかかった。
 振り返ると、金色の髪で特徴的な神官服を身に纏った、自分と同年代の女が近寄ってくる。

「ジェノ君じゃあないの。ここで会うなんて珍しいわね」
「そうですね、パメラさん。ご無沙汰しています」
 パメラはジェノの一つ上の年齢ながら、リーシス神殿の神官である才女だ。
 また、メルエーナたちの友人であり、よく<パニヨン>にも足を運んでくれているのだが、ジェノの稽古の時間と重なることが多く、ここの所、疎遠になってしまっていた。

「ああ、それは気にしなくてもいいわ。メルの口から貴方のことはしっかり訊いているから。全然久しぶりって気がしないもの」
「そうですか」
 パメラは口元に手を当てながらも、ニヨニヨとした笑みを浮かべていたが、ジェノは普段通りのポーカーフェイスで端的に言葉を返すのみだ。

「でも、ちょうどよかったわ。貴方に、いいえ、貴方達の冒険者グループ、『   』に依頼したいことがあったの。それで、これから<パニヨン>に行こうと考えていたところだったのよ」
「……依頼ですか?」
 予想外の言葉に、ジェノは思わず尋ね返す。

「ええ。私個人ではなく、リーシス神殿からの依頼ですよ。正直、あまり報酬の多い仕事ではないけれど、受けてくれたらお姉さん嬉しいなぁ~」
 最初こそ厳かな表情で言っていたパメラだったが、後半部分は友人に対する砕けたものだった。
 きっとこんな喋り方をしているところを他の者に見られたらまずいだろうに、パメラは茶目っ気たっぷりに言うのだ。

 わずか一歳しか違いがないのに妙に年上振るかと思えば、こんな表情も浮かべるこのパメラという女性だが、ジェノはこの女性のことが嫌いではない。
 それは他の者も同じようで、特に年若い女信者は彼女を神聖視する者も居るらしい。

「ジェノ君。もうすぐ閉館時間だから、これから<パニヨン>に戻るのよね? 私もバルネアさんから夕食に呼ばれているから、一緒に行きましょう。何かと最近物騒だから、お姉さんのボディーガードをしてくれると嬉しいなぁ」
「わかりました」
 ジェノはそう言いながらも、笑えない冗談だと内心で思う。立ち振舞で分かる範囲でも、パメラはかなり武術を嗜んでいることが分かる。少なくとも、未熟な自分では勝てるとは断言できない程には。

 それから、ジェノはパメラと一緒に、居候先である<パニヨン>に向かうことにした。
 パメラはジェノの少し後ろを歩いてついてくる。

 なんでも、『メルに勘違いされたら、お互い困るでしょう?』とのことだ。
 そんな気を使わなくてもいいと思うのだが、これもパメラの優しさだと考え、ジェノは頻繁に声をかけてくるパメラに、顔を向けずに応える。

「だんだん、日が短くなってくるのはなんだか物悲しいわね」
 パメラの呟きに、ジェノは「ええ」と頷く。まだ温かい日が続くが、少しずつ日が短くなってきたなとジェノも感じていた。
 
「あっ、ジェノ君。少しだけ待っていて」
 不意にパメラに足を止めるように言われた。その場所は、この街の救世主でもあり冒険者の英雄でもある、ファリルの石像の前だ。

「ごめんね。ファリル様にお祈りを捧げて行きたいの」
「ええ。構いませんよ」
「ありがとう」
 
  パメラはにっこり微笑んだかと思うと、ファリルの石像の前に跪く。

「ファリル様。先の通り魔騒ぎも落ち着き、このナイムの街には平和が戻りました。何卒、今後もこの街の平和を見守り下さいませ」
 厳かな声でパメラは、英雄ファリルに祈りを捧げる。
 その姿はさすが本職であり、堂に入ったものだった。

 少しの沈黙の後、パメラは静かに立ち上がると、ファリルの石像に頭を下げてからジェノの方に顔を向ける。

「お待たせしちゃったわね。それじゃあ、行きましょう」
 パメラはまた年相応の素の口調に戻り、ジェノに<パニヨン>に向かうように促すので、ジェノは再び足を動かす。

「パメラさん」
「んっ? 何かな、ジェノ君?」
「単純な質問ですが、女神リーシスに仕えるパメラさんが、冒険者の英雄であるファリルに祈りを捧げるのは何故なんでしょうか?」
 友人に対する気安さもあり、ジェノはパメラに疑問に思ったことを尋ねる。

「んっ? そんなに不思議かな? だって、この街を、もっと言うならばこの国を救ってくださった方なんだから、敬意を持つのは当然じゃあないの。それに、寛容なリーシス様は、他の男神、女神の教えを否定はしないもの」
 さも当たり前のようにパメラは答えた。それだけなら格好いいのだが、

「……まぁ、正直、リーシス様はマイナーだからね。自分のところの信徒を増やすので精一杯で、争いをしている場合じゃあないっていう事情もあるんだけれどね」
 彼女は苦笑してそう続けてしまう。だが、その正直なところも彼女の魅力なのだろう。

「そういえば、ジェノ君はイルリアと同じ、商いの男神であるカーキー様を信仰しているのよね?」
「熱心な信徒ではありませんが、そうです」
「別に熱心でなくてもいいじゃあない。神様の教えは胸の奥に置いて、それに恥じないようにするための試金石にするだけでいいの。邪神信仰なんて大昔の話だし、今現存している神様の教えならば、私はどれも大切にした方がいいとさえ思っているの。だって、どの教えも人が人と暮らしていく上で必要な事柄を説いているんだからね」
 パメラはそこまで言うと、「あっ、うちの神殿の皆には内緒ね」と茶目っ気たっぷりに付け加える。

 ジェノは口元を僅かに緩める。
 若くして神官となり、人格的にも立派なパメラと誼を結べたことは、行幸だったのだとジェノは思う。

「ジェノ君……」
 不意に、パメラの声が低くなった。

「頼まれていた資料なんだけれど……正直、君が望むような情報はなかったわ」
「……そうですか。こんな早く確認してくださり、ありがとうございました」
 ジェノは足を止め、後ろのパメラに頭を軽く下げる。

「ううん。私も本を読むのは好きだから、気にしないで。それより、力になれなくてごめんね」
「謝らないで下さい。それと、店についたら報酬を支払わせて頂きます」
「いらないわよ。お姉さんと君の仲じゃあないの」
 パメラはそう言って微笑む。

「ですが……」
 いくら読書好きとはいえ、リーシス神殿の蔵書の本を確認するのは骨が折れたはずだ。それ相応のお礼はしたい。

「いいから。私ね、友達間でお金のやり取りはしたくないのよ。それに、君が私に話してくれた情報は、有意義なものだったしね……」
 パメラの声は重い。

 先日、ジェノはパメラに相談をした。
 その内容は、<霧>について。
 何故パメラに相談したかと言うと、端的に一番可能性が高い事柄に関係しているからだった。

 それは、英雄ファリルの伝説に記されている事柄。

 数百年前、ファリルはこのナイムの街を覆わんとする<幻夢の>というものを払ったと言われているのだ。
 同じ<霧>の名を関していることはもとより、その霧に触れたものは体が人の形を留めていられなくなり命を落としたと伝承で伝わっている。
 しかしながら、数百年という時間が経過してしまったことの弊害で、これにも諸説あるのだ。

 曰く、霧は、英雄であるファリルが光り輝く龍を呼び出し、それを消滅させた。

 曰く、霧は、ファリルが食い止めていたが、実際にそれを消滅させたのは、彼の弟分であるマイテルという人物である。
 
 曰く、霧というのは、魔物の大群の別称に過ぎず、後世の研究家が勝手に脚色した事柄に過ぎない。

 ジェノは、図書館の本でこのことを調べるだけでは解決しないと思い、パメラに相談をしてリーシス神殿の蔵書から<霧>に関するものを調べて貰ったのだ。
 これは、英雄ファリルの妻が、女神リーシスの信徒だったという情報に基づいて頼んだのだ。

 だが、いかんせん昔の事柄だ。
 少しでも可能性を上げたいと、藁にもすがる思いでお願いした事柄に過ぎない。 
 それが失敗に終わる可能性は高いとジェノも考えていた。

「だから、気にしないでいいからね。はい、お返事は?」
「……分かりました。ありがとうございます」
「うんうん。よろしい。ただ、私が一番信用している先輩神官が一度君から話を訊きたいって言っていたから、そのうち<パニヨン>に食事に行くことにするわ。そのときに、私にした話をもう一度話してね」
「はい」
 荒唐無稽としか思えないはずの、<霧>の話をパメラは信じてくれている。それが嬉しかった。

 事は公に喧伝することではない。
 正気かどうか疑われるのは些細なことで、この街にも<霧>を利用しようとしている人間に気取られてしまう可能性があるから。
 だが、何も準備をしておかない訳にはいかない。事が起こってからの対応では遅いのだから。

 事前に<自警団>には団長のガイウスさんを介して伝えているが、それだけでは足りないと思い、リットに相談して、パメラ達、リーシス神殿には話しておくことにしたのだ。
 それが、いざ事がこの街で起こったときに、どれほどの成果があるかは未知だが。

「ふふっ、そんな深刻な顔をしない、しない。君たちにはこのパメラお姉さんがついている。大船に乗ったつもりでいなさい」
「……ええ。期待しています」
 ジェノの言葉は、パメラの気遣いに応えるためのもので、本当に彼女が力になってくれることを期待したものではなかった。

 けれど、後に彼はこのときの判断が間違っていなかったことを痛感することになるのだ。
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