ときにはシリーズ

トド

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ときには、心休まる休息を

⑦ 『その感情の名は』

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 春になったとは言っても、まだまだ夜は肌寒い。特に今晩は昨日よりも冷えるようだ。

 そんな寒くて暗い夜道を、バルネアはランプを片手に笑顔で歩いていた。



「おっ、いたわね」

 目的地近くの松明の灯のそばに、もう一つ小さな灯りが灯っている。あれはティルのランプに違いない。



「ティル、良かったら少し休憩にしない?」

 近づいてそう声をかけると、ティルの方も足音と明かりでこちらのことを認識していたようで、望遠鏡から目を離してこちらを向いた。



「バルネア……。君一人でここまで来たのかい?」

「ええ。料理の試作も一段落したから、差し入れを持ってきたのよ」

 困り顔のティルに、バルネアは笑顔で答え、風呂敷に包んでいたフタ付きの木製の容器を彼に手渡す。



「その、差し入れをしてくれるのはものすごく嬉しいのだけど、やっぱり、女の子がこんな時間に一人で出歩くのは危険だよ」

「大丈夫よ。逃げ足には自信があるって言ったでしょう。まぁ、そんな事はいいから、冷めてしまう前に食べて。言っておくけど、試作の残りなんかじゃないわよ。自信作なんだから」

 ティルの注意をサラッと受け流し、バルネアはティルに料理を食べるように言う。



「わかったよ。ちょうど小腹が空いていたところだったんだ。ありがたくいただくよ」

 苦笑してティルは芝生に腰を下ろす。バルネアもそれに倣って彼の隣に座った。



「これは何かのスープだね。うん、すごくいい香りだ。それに温かいね」

「ええ。できたてを持ってきたんだもの。ほらほら、食べて感想をきかせて」

 バルネアはスプーンをティルに手渡して、早く食べるように急かす。



「うん。いただきます」



 ティルは早速一口スープを口に運び、



「あっ、これはそら豆のスープってだけじゃないね。すごく複雑に味が重なっている。でも、後味は軽い。ははっ、すごい。すごいなぁ。すごく美味しいよ」



 そう言って満面の笑みを浮かべた。



「うん。ありがとう。そう言ってもらえて、とても嬉しいわ」

 バルネアも笑顔でティルにお礼を言う。



 ティルは暫くスープを堪能し、バルネアは笑顔でそれを眺めていた。

 そしてその容器が空になると、ティルは満足そうに「ごちそうさまでした」と感謝の言葉を述べる。



「はい、お粗末さまでした」

 バルネアは笑顔でティルから容器とスプーンを受け取り、それを風呂敷で縛って手早く片付ける。



「その、すごく美味しかったけど、いいのかい? 料理コンテストまでもうあまり時間がないんだよね? 料理のメニューを考えないといけないんじゃないのかな?」

「うん。もちろんコンテストには全力で取り組むわよ。でも、コンテストで美味しい料理を作るためにも、貴方に食べてもらいたかったのよ」

「どういうこと? 僕はただ美味しいとしか言えないよ」

「ええ。それでいいのよ。その言葉を聞きたいの」

 バルネアは怪訝な顔をするティルに笑みを向ける。



「ティル、お昼に私の焼いたステーキが物足りないって言っていたわよね。私、どうして貴方がそう思ったのか理由が分かったの」

「そういえば、そう言っていたよね」

「ええ。貴方のおかげで気づくことができたわ。私の料理に欠けてしまっていたものを」

 そう言い、バルネアは笑みを強める。



「今回が最後のチャンスだってことに焦って、私は自分の料理を見失いかけていたわ。技術だけを求めていた。それが一朝一夕で身につくものではないと分かっていたのに、そればかりを求めていた。そして出来上がっていたのが料理長にダメ出しをされた料理。そして、貴方に一口しか食べてもらえなかったステーキなの」

 バルネアは小さく嘆息し、話を続ける。



「私ね、今まで料理をするのが楽しくて仕方がなかった。もちろん、うまくいかないこともたくさんあって悔しい思いや悲しい思いをしたこともたくさんあったけど、それらも含めて楽しかったわ。でも、ここ最近は料理をすることが怖かった。もしも自分の料理が評価されなかったらどうしようって、コンテストで高評価を取れなかったらどうしようかってことばっかり考えていたわ。そして、一番大切なことを、食べてくれる人に喜んでもらおう、笑顔になってもらおうって気持ちを忘れてしまっていたの」



「バルネア……。でも、君が昨日、僕に作ってくれた料理は……。いや、今日の料理だって……」

「うん。昨日は久しぶりに料理が楽しいって思えた。食べてくれる人に喜んでもらおうって気持ちで料理をつくることができたの。今日の料理もそう。あのステーキ以外は、全て貴方に喜んでもらいたい、喜ばせたいって思って作ったわ。だから、貴方に笑ってもらうことができたんだと思うの」

 さきほどティルが食べてくれたスープも、ただ彼に喜んで欲しくて作った。だから、ティルは心から笑ってくれたのだとバルネアは思う。



「料理の技術を上げれば、確かな腕があれば、決められた手順を淡々とこなしていくだけで美味しい料理はできるのかもしれないわ。でも、今の私にはそんな腕はないし、そもそもそれは私の料理じゃない。食べてくれる人のことを考えて、喜んでもらおうという気持ちがこもった料理。それが私の作りたい料理なんだって。そしてそんな料理を誰よりもおいしく作れるのが、私の目指す世界一の料理人だってことに気づくことができたの」

 バルネアはそこまで言うと、満面の笑みをティルに向けた。



「ありがとう、ティル。全部貴方のおかげよ。貴方のおかげで私は自分を取り戻せたわ。料理コンテストも精一杯頑張ってみせるわ」

「ははっ。僕がどれほどのことができたかは分からないけれど、君が笑顔になってくれるのなら何よりも嬉しいよ。でも、くれぐれも無理はしないでね……」



 ティルはそう言うと静かに夜空を指差し、



「バルネア。晴れた日には、たまに夜空を見上げてみるといいよ。そして、そこに浮かんでいる星を見て確認してみて」



 不意にそう言った。



「……ティル?」

「僕みたいに毎日、星を見ている人間にはあまり変わりはしないんだけど、そういう習慣がない人には星明かりが綺麗に見えたり、そうは見えなかったりする事があるらしいんだ。そしてそれは、心が疲れているかどうかで変わってくる……みたいなんだ。……僕の父さんの受け売りだけどね」

 ティルは呆然とするバルネアに、困ったような笑顔を浮かべた。



「僕は、星を見ること以外にあまり物事に深く関心がないんだ。だから、君みたいに一生懸命に何かを頑張っている人が、すごく羨ましく思える。眩しく見える。でも、そういう人たちは一生懸命になりすぎて、時々周りが見えなくなってしまうみたいなんだ。ほんの少し距離をとってみてみれば、ほんの少し足を止めてみれば、簡単に見えるはずのことが、時々見えなくなってしまうみたいなんだ」

 ティルはそう言ってまた微笑む。けれどその笑顔はどこか寂しげなものだった。



「どうか、僕が今言ったことを忘れないでくれないかな? そして疲れた時は休むことを忘れないで。そうすれば大丈夫。君はこれからも笑顔で料理をつくることができるはずだよ。君は自分の力で進むべき道を選ぶことができる人だからね」

 そこまで言われて、ようやくバルネアはティルの言葉の意味が分かった。ティルは自分にもう会うのはやめようと言っているのだ。



「……ティル。どうして……」

 バルネアの言葉に、ティルは苦笑する。



「君はこれから料理コンテストに出て優勝する。そうしたら、『銀の旋律』と言うお店で働くことができるんだよね? でも、新しい店で働くことになったら、きっと今以上に大忙しで働かなくちゃあいけない。そして、僕もそのうち故郷に帰る。またこの街に来ることもあるだろうけど、それがどれだけ先になるかわからない。……ちょうどいい機会だと思う。君が元気になる手助けができたのならば、僕はそれで満足なんだ」

 ティルはそういってまた寂しげに微笑む。その笑顔に、バルネアはギュッと拳を握りしめ、そして行動に出た。



「ティル。あそこの星のことで、ちょっと教えてほしいんだけど」

 バルネアは不意にティルの真横を指差して尋ねる。



「えっ? 急にどうしたの? えっと、どの星の事か……」

 横を向いたティルの言葉が途切れた。それは、不意にバルネアが彼の頬に自分の唇を合わせたからだった。



「……えっ? あっ……」

 バルネアが唇を離すと、暫く呆然としていたティルの顔が真っ赤になる。そしてバルネアがキスをした箇所に手をやって、一層真っ赤になって何も言えなくなってしまった。



「もう、それ以上言ったら本気で怒るわよ! これだけ私のことを助けてくれたのに、今更さようならなんてあんまりじゃない。それに、私はまだまだ貴方と話し足りないわ。貴方の夢だってまだ決まっていないでしょうが!」

 バルネアは怒りを露わにして、ティルに文句を言う。



「あっ、あの、でも、バルネア。僕は、その、つまらない人間なんだ。僕なんかじゃあ、君と……」

「ていっ!」

 バルネアはティルの頭を本気で叩く。



「なによそれ。貴方がどんな人かは私が判断することでしょうが。勝手に結論を出さないでよ!」

「でっ、でも……」

「どこの誰が貴方のことをつまらないと言ったのか知らないけど、私は貴方に心から感謝しているし、……その、笑顔が素敵な人だと思っているわよ。なによ、それじゃ不満なの?」

 バルネアは真っ赤な顔でそう言うと、睨むような目つきでじっとティルの目を見る。



「あっ……。いや、その……」

 ティルは真っ赤な顔を俯けて言葉を失った。



「とりあえず、そんな将来の話は後よ。貴方も暫くはこの街にいられるんでしょう? とにかく今は料理コンテストのことを考えないと。私、精一杯頑張ってみるわ。でも、貴方が言っていたようにたまには休息も必要だと思うの。だから、晴れた日の晩には、これからも毎日貴方に差し入れを持ってこさせて。そして私と話をしてちょうだい」

「……バルネア。でも……」

「ああっ、もう。ときには休むことも必要だって言ったのは貴方なんだから、黙って責任を取りなさい!」

 バルネア自身、無茶なことを言っているのは自覚している。だが、このままティルと別れたくなかった。

 そして、その感情がなんなのかは、もう答えが出ていた。



「……うん。その、分かったよ」

 ティルがそう承諾したのを確認し、バルネアは満足気に微笑んだ。
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