彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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未必の故意①

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 ここから自転車を転がして十分足らずで百景に数えられる山に登ることもできるし、その十分を使って海へ行くこともできる。山は両手を広げて寒気を阻み、海は暖かな潮風を町に送り届ける。数年に一度、塵を吸い込み過ぎた雲が咳き込むついでに白い吐瀉を撒き散らすが、感慨に耽る間もなく見慣れた雨に変わる。この土地が暖かいと知ったのは、つい最近であった。勉学に励みもしない学生ならではの憂鬱な無関心さがもたらした物知らず加減は、教室の中で殊更に珍しいことではない。そして、耳を傾けていると世俗のことを吹き込んでくれる友人が俺にはいた。

「海沿いの国道があるだろ? その一画を今工事しているんだけど、真夜中の作業中に車が突っ込んだらしいよ」

「嗚呼、そう」

 故郷と呼んで差し支えないこの町の出来事について、路肩の小石ほど関心が持てなかった。中休みを有意義に過ごそうとする友人の世間話を気のない返事で返すと、目敏く指摘を受ける。

「今、心底どうでもいいと思ったでしょう?」

「そんなことないさ」

「僕がただの事故を話すと思ってる?」

 何やら、腹に一物あるようである。

「二度目なんだよ。車が突っ込んだのは」

「それぐらいはあるだろう」

 俺は撥ねつけるように返した。事故の偶発性に何かを見出すことは、陰謀論の始まりのような気がして、腐してしまう。

「海沿いの国道線は富士山が拝めるほど見晴らしもいい。そんな偶然が二度も起こるかな?」

「……」

 友人の前傾姿勢は軽々しく蔑ろにできる雰囲気にない。

「絶対に何かあるよ」

 政治家の汚職や芸能人のゴシップ。世間の耳目を集める情報を俺への手土産にしてきた友人が、今自ら発信する側に回り、語りかけてきている。この変化を慮らず、平々凡々と排斥してまで、無関心でいることが正しいのか? 不慣れながら、俺は友人の疑問に寄り添ってみることにした。

「オカルトとか、そういうこと?」

「そんなんじゃないよ。僕はもっと……」

「もっと?」

「ごめん。君に話す内容ではなかったかもしれない。もう止めよう」

 次の授業を喚起するチャイムが鳴った。苦手な教科が始まるために頭を抱えたわけじゃない。友人の背中に申し訳が立たず、頭を下げていた。俺は友人が持ってくる他愛もない話題を、話半分に聞くのを癖付けていた為に、始めの受け取り方を間違えてしまったのだ。

 神経質に黒板を走るチョークが三十八本の鉛筆を従える中、俺は友人に対する姿勢について再考する時間に充てた。時間を潰す相手として耳を貸しながら、無下に扱うのを振る舞い方の基準にし、誠実な態度には及びもしなかった。きっと友人も、それを分かった上で四方山話を献上していたように思う。しかし、今回は明らかに違い、身につまされる面差しが窺えた。俺は授業が終わると、友人のもとへ向かう。

「さっきはごめん。ろくに話を聞かず茶化して」

「だったら放課後、僕に付き合ってくれないかな」

 俺の謝意と引き換えに、同行を求められる。勿論、それを断る道理になく、快く友人の提案に乗った。

「勿論、付き合うよ」

 網目状に海まで伸びる幾つもの道は、ほとんどが代わり映えのない民家が並び立つ風景であり、選り好みするような道程ではなかった。しかし今回に限っては、友人が所望する道なりを進んだ。枝が露出したみそぼらしい街路樹を横目に、首を窄めて顎を襟にしまいこむ。風は冷たく、自転車のハンドルを握る手の感覚をゆっくりと奪っていく。季節は冬だ。空には厚ぼったい雲が連なり、太陽が差し込む隙間がない。連日このような天気が続いている。晴れやかな気分になる日が少ないのは、きっとこの空模様のせいだろう。ふいに鼻を掠めた海風の匂いは、俺たちが目指す場所に近づいてきた証拠だ。
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