彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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ギニーピッグ2 ③

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 不承不承ながら水溜りを渡り歩いたおかげで、すっかりふやけた両足を労るように包み込む。タオルによる僅かな温かみを覚え、少しだけ表情が緩んだ気がした。私は「A」に誇示するように入念な拭き取りを見せて、ようやく廊下に立った。いつもと変わらぬ息遣いをしていたはずだが、「A」の目にはそう映っていなかったようである。

「僕を極度の潔癖症だと思ってる? 仮にそうだとしたら、人を家には招かないよ」

 私を取り扱う際に求めた事柄すべてに於いて、良識の範囲内であり正当性がある。それを道義から逸脱した病理のように形容されては、腹を据えかねる。「A」の主張は大体こうだろう。確かに、他人の敷居を跨いで過ごす上で必要なのは、粗忽な態度より礼儀に他ならない。ただし、それを強要するようなやり方は、阿るような苦笑を生むきっかけになる。

「そうだな。私も君の事を潔癖症だとは思ってないよ」

 当たり障りのない言葉で「A」の溜飲を下げ、ふやけた足の指が廊下の床を捉えた。

 トイレ、風呂、洗面台が一緒になったユニットバスと六畳一間の居間は、一人暮らしをするのに何不自由がなく、私のような知人を一人招いてもそれほど手狭には感じない。壁際に陣取った三人掛けのソファと、それに対面する薄型のテレビ。無地のカーペットの上には、比較的安価であろう丸テーブルがこじんまりに置かれている。収納は見る限り、備え付けのタンスが最も頼りになり、常用するような上着はハンガーラックに掛ける事でなんとかやりくりしているようだ。折り畳み式のベッドは居間を広く見せるのを手助けしているが、就寝を前に増える手間を考えると生真面目な「A」の性質が垣間見える。テレビ台にビッシリと詰め込まれた映画のタイトルは、私も半数を認識しており、次の一本はどれになるかを何気なく値踏みした。

「飲み物、何がいいかな」

 キッチンの方で冷蔵庫の中を探る音がする。

「なんでもいいよ」

 仮に出されたものが水道水であろうが私は不満に思わない。そんな気構えでいれば、丸いテーブルの上にプラスチック特有の軽い透明のコップが置かれた。乳白色に染まったコップの中身は、搾乳に従った牛の雫である。それは私にとってあまり好ましくない。幼少期の頃、鼻から垂らすほどの量を飲まされて以来、苦い記憶として長らくこべりついていた。あっけらかんとコップを手にして飲み干すような真似は、錯乱した人間が催す気の迷いになる。

 私は喉が乾いていない事を示す為に、再びテレビ台の中身を注視する。邦画、洋画問わず様々な映画の名前が整然と並んでおり、その中から見聞にない題名をそぞろに探す。

「明日も雨らしいな」

 明日には忘れてしまうはずの四方山話を絶えず繰り返すのは、生物が生きていくために必要な機能の、呼吸・消化・排泄・体温調節・血液循環・代謝の中に組み込まれる言語を獲得した人間特有の生理だろう。

「ちょっとトイレにいくよ」

「A」がそう言って、席を立った。
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