彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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ひとごと①

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「ふっ、ざけんな!」

 横一列になって五十メートルを何度も往復するサッカー部員の血と汗が、巻き上がる土煙と混じり合い、校庭のグラウンドに悲壮感を醸成する。息が絶え絶えになりながら、最後の往復を終えた俺達は、一人の部員を睨みつける。張り裂けそうな胸の収縮を落ち着けようと執する最中、グラウンドから去ろうとする三島が、地面に横臥して動かない衰弱した身体を足で小突くのを見た。俺はそれに関して、義憤を抱いて三島へ掴み掛かろうとは思えなかった。何故ならば、この罰走のきっかけが、三島の悪態に込められていたからだ。

 教師と生徒とという関係に甘んじて成立していた指導の劣悪さが昨今は見直されてきている。だが今も尚、時代の気風に逆らった環境は蔓延っており、俺が属するサッカー部は正に上記の理不尽さを有していた。馬車馬のように走らされ、外周の道沿いは吐瀉物が当たり前に落ちている。暴力じみた叱責を受ける部員は、苦虫を噛み潰して耐え忍び、ひたすら虫の居所が良くなるのを待った。

「あーあ、三年間これとか、一体どうなっちまうんだ」

 教室の窓に腰掛ける物憂げな葛城を俺は慰めるように言う。

「やめるしかないのかも」

 半分冗談で半分本気であった。

「……最悪だ」

 稲穂のように垂れ下がった頭は、学生の本分である次の修学時間が始まるチャイムの音色をきっかけに、青々しく持ち上がる。俺達は学校という箱庭で、社会に通底する対人関係の大事さを教わる。そこが死んだ川ならば、「最悪」という言葉の通り居た堪れなくなり、ひたすら頭を抱えざるを得ない。教師達の裁量で教室の人間模様は一年毎に変わるものの、俺達にとってみればくじ引きと形容しても一切の齟齬がない。そして、部活動はその最たる例である。指導者の質を俺達が選べる立場になく、雛鳥さながらに餌を待つ事しかできない。一連の不自由さは、社会に出る前に味わう理不尽さへ繋がり、家畜同然の仕事ぶりを受け入れる器作りなのだ。

 身の丈に合わない部活動は、個人の問題に収まらず、そのシワ寄せによって生じる不利益をサッカー部顧問がもたらす。絵に描いたような悪循環を俺達は享受し、授業の合間の中休みに諦観を吐露するに至る。誰を恨み、悪態をつくのかはハッキリしていて、三島がそれを体現していた。

 放課後を告げるチャイムは、各々の活動を始める合図である。部活動は入部から退部に至るまで、生徒の自由意志に基づく。だがしかし、俺は不可視の力によって背中を押され、決まりきった外周を走る準備を始めてしまう。目の前に餌が垂れ下がっている訳でもなく、気高き目標を掲げて身体に鞭打つ覚悟すらない。ただ、慣例化された行動を辿るだけの蟻と変わらない。ここまで来ると自虐的だ。
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