彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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スギ花粉徹底弾圧隊②

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 掛け声を合図にチェンソーは、粗悪な表面を削り始める。手加減を知らないチェンソーの食い込み加減にスギは悲鳴の代わりに木屑を吐き出し、手元を狂わせようとしてくるが、差し当たっての問題とするには些か物足りず、青柳慶太は一切手を緩めない。氷を切るかのように滞りなく半分まで歯が進むと、エンジンの回転を徐に落としていき、停止させた。幹の隙間にチェンソーの歯は挟まっているような状態にあり、その意図を汲み取ろうと三人は注視を続ける。すると、青柳慶太は右足を振り上げ、スギに向かって蹴りをかます。

「オラッ!」

 続けて何度も繰り返し行われ、積年の鬱憤を晴らす悪態のようにも見えたが、本分はスギの倒れる方向を定める為に行う安全確保であった。右斜め前方に傾きつつあるスギを見て、青柳慶太は再びエンジンを始動させる。チェンソーの騒がしい音は次第に、衰退して久しい林業の影法師を浮き彫りにしていき、社会的体裁をかなぐり捨てたある種のレジスタンス行為が、奇しくも背景にある問題の追求に繋がった。今にも振動が伝わってきそうなチェンソーのけたたましい音は、スギが事切れる瞬間を一心不乱に目指す。

 そのうち、皮一枚残った幹の端は、倒木の前兆となる軋みを立て始め、青柳慶太は手を止めた。事前に計算した通りに桜の木の間を目指して、スギはゆっくりと倒れ出す。記録を任された撮影者は、これから先に待ち受ける紛糾など目もくれず、ひたすら注文に従い、地面へ横たわる瞬間を捉え続ける。派手な音もなく、倒木としてその生を終えたスギに対して、青柳慶太は両手に拳を作って空へ掲げた。

「皆さん! これはまだ始まりに過ぎません。手を取り合い、悪名高いスギへ厳然と対処しましょう!」

 それは契機と例えるのに充分すぎる波紋の中心となった。“スギ花粉徹底弾圧隊”はその名が持つ通りに過激な主張のぶつかり合いを生み出し、表立って語られる二者の言い分は、暮らしに於ける快適さを求める個人と環境破壊に敏感な団体による高尚な思想に分けられた。決して混じり合うことのない二者は、互いを忌み嫌い、口に出すには憚られる言葉の応酬をネット上にて行う。そんな中、青柳慶太は白い背景となる簡素な撮影スタジオを借りる。“スギ花粉徹底弾圧隊”を尻切蜻蛉にするつもりはなかったのだ。

 青柳慶太は、撮影スタジオで貸し出しされるカメラを一台、ぽつねんと置く。レンズの前に役者はいない。ただ、人型のパネルがそこに置かれており、黙々と録画を始めるのであった。
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