彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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負け知らずのコンビニ店員②

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 刹那と満たない“気を取られた”格好を晒すと、店員と客を仕切る衝立を田中は慣れた手付きで乗り越えた。俊敏な動きで一気呵成に懐へ飛び込もうとする田中の淀みない行動は、振りかぶった金属バットを振る隙が潰れ、男は跳ねるようにして後退する。それは、極めて冷静な判断であった。刃物による脅しを腐したばかりの男にとって、“間合い”を保つ為に足を動かしたのは至極真っ当だ。金属バットの利点は、長さにある。一方的に相手を痛めつけることを念頭に置いた凶器の選択は、慈悲や尊厳など、人に対する敬意を全く持って顧みない極めて非道な考えにあたり、その主眼は今し方果たされようとしていた。

 何故なら、田中は男の趣旨を理解した上で足を止めるような素振り見せなかったからである。男が作った付け焼き刃の間合いに踏み込もうとする田中の姿勢から、積み上げられた過去の成功体験が透けて見え、躊躇の類いはまるで見られない。が、男も馬鹿正直に田中の接近を許すつもりはなかった。振り上げた金属バットを水平に構え直し、蚊を振り払うようにして左右へ振り回す。勿論、そこへ突っ込んでいけば痛い目に遭うことは明白であり、然しもの田中も立ち止まらざるを得なかった。

 油断も隙もない田中の所作から始まった一連の出来事は、鳩が豆鉄砲を食らったような面差しを作った。先んじて田中の挙動を制御するつもりでいたであろう男を顧みれば、気持ちの良い展開ではないと確信できる。意気揚々とコンビニエンスストアに足を踏み入れ、金属バットを掲げて果たし状を突き付けるかの如く対立を宣言した手前、能動的に金属バットを振る想定していたはずなのだ。田中の誘導に見事に引っ掛かり、錯乱したように金属バットを振り回す不恰好な振る舞いは、想定外の首尾の悪さに違いない。

「ヘヘッ」

 男は自嘲し、金属バットを握り直す。ただ、上記の出来事を鑑みるに、男にとって暴力は日頃から卑近なものにあり、それによって起きる事象を危惧する気配がまるでない。つまり、田中が足を止めなければ、忽ち金属バットの餌食となり、致命的な怪我を負っていたということだ。二人の衝突の先にある末路は、尽く暗い。だが、「悔恨」の二文字はまるで見られず、田中は欠伸をする始末である。金属バットという脅威を取るに足らない物とし、男の鼻息を荒くさせた。

「舐めてるな」

 男は、力がより伝わるように金属バットを深く握り込む。田中もまた、呼応するように手足を脱力させ、埃を落とすかのように身体を上下に揺らす。その動作は軽い有酸素運動をする前の準備運動のように見え、男が如何に矮小な存在であるかが、一挙手一投足に込められていた。

「クソが」
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