彼岸よ、ララバイ!

駄犬

文字の大きさ
132 / 139

変身⑰

しおりを挟む
 事も無げに車のアクセルペダルが踏み込まれ、背もたれに身体を張り付かせた。余計な口を挟み、長髪の男から睥睨されるのはまだいい。居心地の悪さに託けて無粋な質問をして、少女からも睨まれてしまうと、車内での立場は危うくなり、迂闊なことは言えなかった。

「♪」

 背後から鼻歌のようなものが聞こえて来て、想像しているよりも悪い結果にはならないのではないか。そんな気持ちも幾ばくか湧きかけたが、都合のいい解釈だと一蹴されて然るべき、踏ん張りが利かない楽観的思考であった。何故なら、長髪の男が愉快そうにハンドルをあやなす姿を横目にすると、悪い予感がこんこんと肌に纏わり付き、決して遊戯に繰り出すような健全さが伴っていないと説得されてしまったのだ。

 先刻の賑わいは立ち枯れて、人気が見る間になくなった。地名も定かではない住宅街に入り込んだようだ。しかしながら、長髪の男には土地勘があるようで、幾度も横道に逸れながら、全く憂慮を感じさせないアクセルとブレーキの使い方で住宅街を駆っていく。直裁に目的を尋ねて、思いも寄らない一撃を貰う恐れから、軽々に口を開く気にはなれなかった。きわめて保身的な彼の身のこなしは、首尾一貫しており、その尻込みを自己批判的に内省するようなことはしない。

 アスファルトの地面とは打って変わって、車体が小刻みに上下する砂利の敷かれた駐車場に黒いワゴン車が侵入する。そこは本来、近隣住民が一ヶ月の契約料金を支払って利用する場所であり、部外者であろう我々が、躊躇いなく足を踏み入れて停車すれば、盗人猛々しい振る舞いによって背中に汗が流れた。

「ムササビちゃん、後ろに取ってほしいもんがあるんだ」

 以前から交流があることを匂わせる親しげなやりとりが直ぐそばで行われ、彼は少しだけ一安心したのも束の間、少女が後ろを向いて無防備な背中を晒したのを見計らい、右手に工具らしき物を握り締めた長髪の男が運転席と助手席を分ける僅かな空間に身体を滑り込ませる。まるで蛇のように身体を操って少女の背中に迫る様は、これから起きようとする事件を明朗に語り、硬質な工具が頭部の頂点に向かって振り下ろされた。

「ん」

 言葉にならない声が少女の口から発せられ、抵抗しようとする両手の蠢きは、二度目の殴打によって打ち砕かれた。

「たすっ、け」

 辛うじて聞き取れる彼女の訴えを聞いた彼は、助手席から弾き出されるようにして外へ出る。白刃が目の前で怪光を放ったかのような鋭い目眩に襲われて、彼は泡を吹きかけたが、不穏に揺れる黒いワゴン車を目にした瞬間、不満に腫れた腹が割腹する過去の鬱憤が去来した。さほど珍しくもない母子家庭にあった彼の日常は、経済的に困窮しつつも、笑顔が絶えない家庭であった。しかしある日、母親が連れてきた新たな恋人の存在が、歯車を大きく狂わせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。 意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。 隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

意味が分かると、分からないと怖い話【体験談+】

緑川
ホラー
ショートショートの寄せ集め。 幻想的から現実味溢れるものなど様々、存在。 出来の良し悪しについては格差あるので悪しからず。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...