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第二部
おずおずと
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「……」
軽薄に口を開くような居心地の良さはなく、一触即発とはいかないまでも触れ難い刺々しさが醸成される。電車の車両内で偶さか、遼遠の知人と顔を合わせたような気まずさに堪え兼ねて、俺は紙をハンカチ代わりに左右へ振り、別れの挨拶を送る。それは、第二次世界大戦に生まれたとされる、伝統的な所作に因んでおり、きっと国境を跨いだとしても齟齬が生まれないはずだ。
「あぁ」
ベレトも手を振り返し、事も無げに立ち去ろうとすれば、沈潜した澱を巻き上げるように、息を切らしたアイが俺達をまとめて引き止める。
「あの! お二方」
言伝を授かった足軽の忙しなさを体現するアイの様子に、ベレトはあからさまに苦い顔をし、今にも舌打ちをしそうな苛立ちを見せる。
「アイ、どうした?」
水面から顔を出して息継ぎを繰り返すように、落ち着かない息を喉に詰まらせるアイへ、肩での深呼吸を促した。アイは胸に手を当てて、矢継ぎ早に言葉を吐き出すより先に息を整えた。
「バエル様が、お二人を呼んできて欲しいと。場所はわたしが案内致します」
先刻の息苦しさはすっかり霧散して、上司の指令を承った部下による誘導に理解を示す。だが、俺の横で苦虫を潰すベレトは、アイの言うことを鵜呑みにして子飼いになるつもりはないと、全身で悪態をつく様子から窺える。俺は老婆心にも声を掛けざるを得なかった。
「ベレト、行こう」
要らぬお節介だと暗に言うベレトの嘆息が、しずしずと歩き出すアイの背中を追う合図であった。しかし、拙速にバエルが集合を求めた理由に不可解さがなかったといえば、嘘になる。もっともらしい訳を楽観的に思考することは叶わず、どうしても後ろ髪を引かれる思いで足を動かすしかない。ベレトが鬱々とアイの背中を凝視する様に感化されて、額から流れ落ちる汗は酷く冷気を帯びた。
廊下を道なりに進んでいると、突き当たりとなる壁が迫った。建物の奥行きを余すことなく利用したアイの先導は、のっぴきならない事情を寓意に語り、これから先に待つ事物の仄暗さから俺はベレトと目を合わせた。口にせずとも、言いたいことは分かる。バエルとの関係に能動的な姿勢を見せた俺の振る舞いを恨めしく思っているのだろう。だがしかし、ソリが合わないと煙に巻いてバエルをやり過ごすような度量を持たぬ自身の薄弱さをベレトは呪うべきだ。
「この部屋でバエル様はお待ちです」
扉を開けることを案内するアイを横目に、俺とベレトは視線の鍔迫り合いに励み、ひたすら責任の押し付ける醜い争いをこなす。埒が明かないこのやりとりに終止符を打ったのは、序列が一つ下に位置する俺であった。職員室へ呼び出されたかのような心構えで扉を押し開く。
「再三、すまないな。レラジェ」
手前に抱いた俺の心中をみごとに拾い上げたバエルは、眉を下げて詫びる。あの権威の象徴に座った者が見せる器量とは、素直に自分の非を認めて謝る余裕に繋がり、蠱惑的な雰囲気の出来上がりだ。
「いえ。突然、どうしたんですか?」
ベレトより浅からぬ関係にあると自負する俺は、積極的なコミュニケーションで今し方の立ち位置をなるべく良きものにしようとした。
「これを見てほしいんだ」
家具や物などの足場を邪魔する一切合切を取り除いて、濛々と燃える松明の灯りだけがこの部屋の備品として存在している。藪から棒にバエルの呼びかけに応じた結果、三人の柱がこうして同時に顔を合わせる妙な切迫感から、バエルが差し出す一枚の紙は疎ましく映った。地蔵のように動かず、俺の背中をまんじりと見やるベレトの気配を感じ、そぞろに受け手に回る。
「これは……」
軽薄に口を開くような居心地の良さはなく、一触即発とはいかないまでも触れ難い刺々しさが醸成される。電車の車両内で偶さか、遼遠の知人と顔を合わせたような気まずさに堪え兼ねて、俺は紙をハンカチ代わりに左右へ振り、別れの挨拶を送る。それは、第二次世界大戦に生まれたとされる、伝統的な所作に因んでおり、きっと国境を跨いだとしても齟齬が生まれないはずだ。
「あぁ」
ベレトも手を振り返し、事も無げに立ち去ろうとすれば、沈潜した澱を巻き上げるように、息を切らしたアイが俺達をまとめて引き止める。
「あの! お二方」
言伝を授かった足軽の忙しなさを体現するアイの様子に、ベレトはあからさまに苦い顔をし、今にも舌打ちをしそうな苛立ちを見せる。
「アイ、どうした?」
水面から顔を出して息継ぎを繰り返すように、落ち着かない息を喉に詰まらせるアイへ、肩での深呼吸を促した。アイは胸に手を当てて、矢継ぎ早に言葉を吐き出すより先に息を整えた。
「バエル様が、お二人を呼んできて欲しいと。場所はわたしが案内致します」
先刻の息苦しさはすっかり霧散して、上司の指令を承った部下による誘導に理解を示す。だが、俺の横で苦虫を潰すベレトは、アイの言うことを鵜呑みにして子飼いになるつもりはないと、全身で悪態をつく様子から窺える。俺は老婆心にも声を掛けざるを得なかった。
「ベレト、行こう」
要らぬお節介だと暗に言うベレトの嘆息が、しずしずと歩き出すアイの背中を追う合図であった。しかし、拙速にバエルが集合を求めた理由に不可解さがなかったといえば、嘘になる。もっともらしい訳を楽観的に思考することは叶わず、どうしても後ろ髪を引かれる思いで足を動かすしかない。ベレトが鬱々とアイの背中を凝視する様に感化されて、額から流れ落ちる汗は酷く冷気を帯びた。
廊下を道なりに進んでいると、突き当たりとなる壁が迫った。建物の奥行きを余すことなく利用したアイの先導は、のっぴきならない事情を寓意に語り、これから先に待つ事物の仄暗さから俺はベレトと目を合わせた。口にせずとも、言いたいことは分かる。バエルとの関係に能動的な姿勢を見せた俺の振る舞いを恨めしく思っているのだろう。だがしかし、ソリが合わないと煙に巻いてバエルをやり過ごすような度量を持たぬ自身の薄弱さをベレトは呪うべきだ。
「この部屋でバエル様はお待ちです」
扉を開けることを案内するアイを横目に、俺とベレトは視線の鍔迫り合いに励み、ひたすら責任の押し付ける醜い争いをこなす。埒が明かないこのやりとりに終止符を打ったのは、序列が一つ下に位置する俺であった。職員室へ呼び出されたかのような心構えで扉を押し開く。
「再三、すまないな。レラジェ」
手前に抱いた俺の心中をみごとに拾い上げたバエルは、眉を下げて詫びる。あの権威の象徴に座った者が見せる器量とは、素直に自分の非を認めて謝る余裕に繋がり、蠱惑的な雰囲気の出来上がりだ。
「いえ。突然、どうしたんですか?」
ベレトより浅からぬ関係にあると自負する俺は、積極的なコミュニケーションで今し方の立ち位置をなるべく良きものにしようとした。
「これを見てほしいんだ」
家具や物などの足場を邪魔する一切合切を取り除いて、濛々と燃える松明の灯りだけがこの部屋の備品として存在している。藪から棒にバエルの呼びかけに応じた結果、三人の柱がこうして同時に顔を合わせる妙な切迫感から、バエルが差し出す一枚の紙は疎ましく映った。地蔵のように動かず、俺の背中をまんじりと見やるベレトの気配を感じ、そぞろに受け手に回る。
「これは……」
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