探偵小説の正体とその内訳

駄犬

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第一部

「江藤まどか」について

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 “江藤まどか”成人式をこの前迎えたばかりの二十歳の女で、通過儀礼のように催される飲み会を尽く断り、大学の課題である「デッサン」を自宅に戻ってこなしたようだ。薄化粧に無地のズボンにパーカーという、飾り気のない私服は、俗世間に皆目執着がないように見え、それによって生じる周囲の奇異な視線もまた、取るに足らない路傍の石礫と然のみ変わらない。躓くような障害とはならず、足運びは威風堂々と日々を謳歌する軽やかさがあった。私が声を掛けたところで立ち止まるような性格の持ち主ではないことは、一目で理解できるし、肩を掴めば糞にも劣ると誹られてもおかしくない。

 つまり、江藤と接点を持つには、のっぴきならない理由を拵えるか。過失を問うような事故を装うしかない。私は、カーブミラーによる事故防止を怠った十字路にて、不注意な通行人を演じることにした。これは所謂、「当たり屋」と呼ばれる不名誉な身の上になるが、徐に関係を築いて親睦を深めるような回りくどい方法は、私の仕事に於いて最も徒労な時間だ。強引な方法になろうとも、蟠りを顧みず接点を持つことが私にとって最良だった。はいえ、衝突ばかりに気を取られ、死角を意識すればするほど、江藤に受け身や警戒の準備を奪うことになる。それは怪我の原因となり、如月ツカサが計画する「殺人事件」の妨げになる。私が視界に入ってから二、三秒の猶予を与え、その後は人間の防衛反応に期待するしかない。

 美術を人生の要衝に置く並々ならぬ努力と、常識に囚われない発想の捻出は、才能溢れる同級生とのすったもんだの果てに形を成し、絶え間ない自己問答に汗水を垂らす江藤の日常は極めて予測しづらかった。私は、身辺調査を依頼された探偵よろしく、ひがな一日目を光らせる。凝り固まった行動様式美を何より嫌う江藤は、自宅と美術大学を結ぶ順路を設定せず、歩き慣れていない景色から何らかの刺激を常に求め、横道があれば顔を出し、その視線は誰よりも散逸的であった。先回りしようとすれば、気まぐれな江藤の足運びに振り回され、昨日に続き、今日も終ぞ接点を持つきっかけを作り出せなかった。私の概算では四日もあれば全員と接点を持ち、如月のアリバイ作りに寄与するつもりだった。

 公共交通機関を蛇蝎の如く嫌う江藤は、自分の肉体を操ることに固執しており、歩くには少々離れた距離にある画材屋への移動手段として、自転車を利用する徹底ぶりだ。私はこれ以上、江藤に時間を掛けるつもりはなく、大学へ足を伸ばすその背中に目を引く赤い布を空目する。鼻息の荒い闘牛さながらに、私は早足で近付いて行った。周囲の景色へ常に意識を向ける江藤の五感は鋭かった。背後から近付いてくる足音の忙しなさを不審に思ったパーカーの背中にいくつもの皺が隆起し、振り向くだけの動機をそこに見る。踵を返す江藤に私は文字通り「衝突」した。

「っ?!」

 私怨でもなければ起こり得ない理不尽な行動を江藤は目を剥いて驚いてみせる。

「すみませーん」

 まるで風のように扱ってくれと言わんばかりに軽々しい謝罪を江藤に行い、唖然とした表情を置き去りにしてその場を去った。記憶の片隅に居座るのに充分な接点となったことは、ぽつねんと立ち尽くした江藤の様子から十二分に伝わった。
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