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1巻
1-1
しおりを挟む第一章
「貴女がヴォルク様の妻女なのっ!?」
「はい……?」
開口一番言われた内容に、まあおったまげた。
私の眼前には、黄金色の美女。
午前の陽光が差し込む客間の一室、落ち着いた濃紅に金刺繍が施された絨毯の上で、目に涙を湛えた美女が私を睨みつけていた。
朝食後、食後のティータイムと洒落込んでいたはずなのに……
来客ですよーと呼び出され、出迎えてみたら――これである。
……ええと、どちら様ですか。
猫のような湖色の吊り目に、波打つ豊かな金髪。胸元の開いた真紅のドレスも気の強そうな容姿によく似合っている。
お胸は一体私の何倍あるんだろうか。よければちょっと触りたい。
と、まじまじ胸元を凝視するのはなんとか堪えた。
その代わりに、たっぷりとした金髪の蠱惑的な女性を再び眺めたところで、ふと気が付く。
……ああ、なるほど。
ヴォルク様という呼び方。
そしてこの、怒りと嫉妬と悲しみ、憂いを含んだ表情は――まあ、なんということでしょう。
――元カノか。
「はい。私がヴォルク=レグナガルドが妻、レオノーラでございます。あの……貴女様は……?」
何となく先は読めつつも、戸惑っている風を装いながら名乗った。ここで平然とした顔をしないのは、使用人の手前というやつである。
客間の隅で「私ら空気。もしくは塵っす」とばかりに気配を消している彼らの目は、あからさまに輝いていて、興味津々なのが見て取れた。
というかガン見してるでしょ。もう少し抑えて抑えてー。
とりあえず、私はわざとらしくならないよう気を付けつつ、突然の来訪者にオロオロする『奥方』を決め込んだ。
すると、金髪巨乳美女が綺麗な湖色の瞳を一層潤ませて、私をきっと睨みつけた。
うん。美女が凄むと迫力ありますね。しかし目の保養にしかならん! ……とか思っていたら。
「ワタクシの名はエリシエル=プロシュベール! プロシュベール公爵家の娘ですっ! ヴォルク様と結ばれるのはこのワタクシのはずでしたのよ! 今すぐ別れて下さいませっ!」
結構な剣幕と声量で、思いっ切り怒鳴られました。
ほうほうなるほどー。わかりやすくて助かります。腹の探り合いってあんまし得意じゃないもので。
予想通りの展開に内心頷きながらも、貴族の奥方らしく「えっ」とか驚いた声を出しておく。
予想よりも結構なお名前が出てきたので、美女の身元については内心本気で吃驚していたけど。
だって、プロシュベール公爵家って言いましたよ?
あの貴族名鑑にも貴族位第一位でどばーんと載っちゃってる階級の方ですよ。
なかなかお目にかかれるもんじゃございません。
ここ西王国イゼルマールでは、王族を除いた貴族階級は五つに分類されている。上から公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵とされており、これは五歳のお子様でさえ答えられるほどの常識だ。
ついでに言えば、私の実家は伯爵の称号を持ってはいるが、公爵家と比べれば天と地ほどの差がある。
しかもプロシュベール家って、現王族と縁戚関係にあったんじゃなかろうか?
わーお、とんでもない方がお相手だったんですね、旦那様。
金髪巨乳美女、エリシエル様が口にした『ヴォルク様』というのは、つい三か月前に私の夫となったヴォルク=レグナガルド様のことである。西王国イゼルマール蒼の士隊騎士隊長という小難しい肩書を持つ、かなりの美丈夫様なので、まあ元カノがいてもおかしくなかろうと思ってはいた。
……でも、まさかその元カノに電撃訪問されるとは。流石に予想外の事態です。
と、私が少々感慨に耽っていた間に、エリシエル様は痺れを切らしたのか、ぐっと目元に力を入れて、綺麗な赤い唇を大きく開いた。
「ワタクシとヴォルク様は、それはそれは深く愛し合っておりましたわ! けれどお父様がワタクシ達の仲を許しては下さらなかった! ……ヴォルク様は騎士とはいえ元は平民の出、かつ貴族位の最下級である男爵では、我がプロシュベール家とは不釣り合いだと仰って。でもあの方は先の遠征で大きな成果を上げられました。その褒賞として、いずれ王国士隊将軍師の位を授かるとのこと。ならばと、やっとお父様がお許しを下さったのに……っ。よもや血迷って伯爵家の娘などと婚儀を挙げられたなんてっ!!」
全て言い終わった後で、エリシエル嬢がはぁ、と盛大に息を吐く。胸元に置かれた華奢な手は、握り締められて白くなっていた。
それがまた色っぽ……って、そうじゃなくて。
なるほどねー。そんなご事情があったんですか。
そういえば私と結婚する少し前、ヴォルク様は王命によって我が国イゼルマールと、隣国である南王国ドルテアとの境界の地域へ遠征したと聞いた覚えがある。
よくある国同士の小競り合いというやつだろう。だが一方で、この件にはその地方を治める高位貴族デミカス侯爵が関わっていたという噂が、王都で一時期流れていた。
何しろ結婚前のお話なので、簡単な情報しか耳にしていなかったけれど、私が思っていたよりも大きな功績だったようである。
にしても、今更評価するって遅くないか? ちゃんと仕事しようよお偉いさん。
でもすごいなーヴォルク様。将軍師って各士隊の最高位にあたるんじゃなかろうか。
感心しつつ納得する。
エリシエル様という、こんなでっかい魚を逃したから、自棄になって私なんぞとの縁談を持ち上げたのか、あの方は。
おかしいとは思っていたのだ。この縁談は、あまりにも突然過ぎた。
まあプロシュベール公爵家ほどではないけれど、我が家にも一応伯爵の称号があったから、これでいいやって感じだったのかもしれない。人間自棄になると色々突っ走ってしまうものらしいし。
んで、身分違いの恋で引き離されたけれど、今はお許しが出たので私が邪魔ってことですね。
ということはあれだ。私が身を引けば二人は無事にハッピーエンドを迎えられるということか。
なるほどなるほど、理解した。
そこで、はたと気付く。
……あれ。
これはもしかして――いや、もしかしなくとも。
チャンスなんじゃなかろうか。
私が当初計画していた人生設計に、軌道修正するための。
元々結婚するつもりなんぞ全くなかった私だ。しかも人様の恋の障害になっているのなら、退場するのが道理だろう。
いかず後家どころか離縁された妻になるけれど、それはそれで好都合。
夫に離縁された元妻は、修道院入りと相場が決まっている。
エリシエル様の願いと、ヴォルク様の幸せと、自身の将来を考えて、私は一つの結論を導き出した。
そして、よし、と心を決めて、嫉妬心のせいか悔しさのせいか、美しい双眸を歪ませて私を睨む美女へと視線を合わせる。
「そんなご事情が……それはさぞお辛い思いをされましたね。そんなこととは露知らず……私、お恥ずかしいですわ」
私の言葉に、今の今までキツい視線をよこしていた金髪巨乳美女、もといエリシエル嬢が、え? と驚いた顔で固まった。
ああ、まさか即納得されるとは思ってなかったんだろうなあ。
少しはゴネたりした方がよかったんだろうか。しかし、善は急げとも言いますし。
それに、元々ものすごい疑問だったんですよ。王国騎士で騎士隊長を務めておられるヴォルク様が、なぜに私なんぞと結婚したのかって、そりゃあもう。蒼の士隊騎士隊長のヴォルク=レグナガルド様と言えば、街の若い女性の間でファンクラブが作られるくらいの美丈夫ですから。縁談が纏まったーとか言われた時には、何の間違いだって思ったもんです。
お父様なんて泣いて喜ぶ始末だし。私は結婚しない、したくないって散々言っていたというのに。
そんなわけで、人のものを盗っちゃっていたんなら返すとしか思わないんですよねえこれが。
いや、ヴォルク様を物扱いするわけではないですが。ともあれ話を進めましょうか。
「私、ヴォルク様に離縁していただけるようにお話しいたします。やはり想い合うお二人がご一緒にならなければいけませんもの」
私は心底晴れ晴れとした顔でにっこりと、エリシエル嬢に微笑みかけた。
銅鑼でも叩きながら小躍りしたい心境だったけれど、表に出ないよう表情筋にぐっと力を入れる。気を抜いたら微笑みがニヤケ顔になってしまいそうで、結構な神経を要した。
「ヴォルク様も、もうしばらくすればお戻りになるかと思います。まずは私からお話しいたしますので、エリシエル様はこちらの部屋でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
努めてお淑やかに、優しげな笑みを浮かべつつ、戸惑う黄金色の令嬢に促す。
――瓦解するなよ表情筋。今だけでいいから保ってくれ。
「貴女は、それでいいの……?」
あまりにもすんなり話が進むのが心配なのか、エリシエル嬢の瞳が揺れる。
うあ、ヤバイ。美女の不安げな顔って威力すごい。これは男じゃなくても守りたくなるわ。
女性の好みは旦那様と気が合うかもしれないな。と、そんなことを思いつつ続ける。
「ええ、もちろん。だって私達は未だ……真実の夫婦ではないのですから」
言外に、貴女の想い人には触っちゃいませんよと匂わせてみせた。
恋する美女に恨まれたくもなければ、馬に蹴られたくもないですし。
私の言葉を受けて、彼女の淡い湖色の瞳が、驚愕に見開かれた。
あ、すごい吃驚されてる。
――うん。まあ、でも。
事実、そうなんですよ。
私達はれっきとした、正真正銘、紛うことなき。
『仮面夫婦』なのですよ――っ!
* * *
私は、ここへ嫁いでからこれまでの日々について思い出す。
「……今日は遅くなる。先に寝ていてくれ」
「かしこまりました」
ここ三か月ほど繰り返しているヴォルク様との朝のやり取りを、貼り付けた笑顔でこなす。
この、妻が夫をお見送りするという慣習を考えたのは誰だろうかと、常々思う。
……正直言って迷惑だ。
眩い朝日に照らされた玄関ホール。広く取られた空間内には幾筋もの白い光が差し込み、絨毯を輝かせている。
けれど、その明るさとは対照的な重苦しさが、私と彼の周囲を包んでいた。
彼の銀色の髪が朝の光を反射して、まるで星屑を撒くように輝いている。なのに派手には見えず硬質とさえ感じられるのは、ひとえに本人が纏う空気故だろう。
夫と呼ぶべき人を見るたび、目の保養が出来るのは幸運だったと思う。彼の顔は彫刻の如く綺麗である。彫刻と同じくらい表情が乏しいのは否めないが。
所属する隊と同名の差し色が入った騎士隊服を纏った夫は、今日も格好良く、陽光に照らされキラッキラに輝いていた。
イゼルマールには、他国と同じような騎士団ではなく『士隊』と呼ばれる軍隊がある。
十八歳以上の成年騎士によって形成されているそれは紅、蒼、碧、宵の四つの色名によって隊が分けられていて、それぞれの色が隊の制服として用いられていた。
そのため、一般市民でも制服の色によってその人がどの士隊の人間で、どういった役割にあるのか一目でわかるようになっているのだ。
それにしても、うちの旦那様はやっぱり無駄に格好いい。超絶素晴らしく格好いい。……見惚れないけど。
オールバックの銀髪に、晒された綺麗な額。凛々しい眉の下には、蒼く鋭い双眸がある。高い鼻梁は彫りの深さを強調し、引き結んだ口元には、何の感情も乗せていない。
お堅い感じで無表情。確かこれが、私がヴォルク様に対して抱いた第一印象だった。
ちなみにそれは、初対面から時間が経った今も変わっていない。
ヴォルク様と私の初対面。
それは、今から三か月と少し前のことだった。
* * *
……顔合わせって、顔を合わせるから顔合わせって言うんですよね。私、そんなに見るに堪えない顔をしてますか。今日は、これでも着飾った方なんですが。
なのに縁談相手に目を逸らされまくっているのはどうしたものか、と、私は内心で力いっぱい文句を述べていた。
それというのも全て、この状況を作ったお父様に責があるのだ。
その日、私は『縁談相手』であるヴォルク=レグナガルド様のお屋敷に招かれていた。
――いや、これには少々語弊がある。正しくは連れてこられたのだ。
結果、静まり返った客間で、無言の銀髪男性と、かなり無理をして化けましたと言わんばかりの私の二人が、互いに言葉を発することなくじっとしていた。
なんか、もう、すいませんねー……としか言いようがないんですが。
したくもないお見合いをさせられて、無駄に時間を消費させられているこの感覚……
はい、無意味! 帰らせて! 誰か!
しかもこの話を持ってきたのが、お父様だというのだからまた驚きだ。
――先月の頭、それまで引き籠り生活を続けていた我が家のどうしようもないお父様が、突然憑き物が落ちたみたいに部屋から飛び出し、かつての笑顔を取り戻して私に言った。
「レオノーラ、お前の縁談が決まったよ」と。
……うん。ボケたと思うよねー……だって伯爵家当主としての仕事さえ私に丸投げして引き籠っていたくせに、突然縁談話だなんて。夢か妄想の類だと疑うじゃない。塞ぎ込んでいたお父様が復活したのは嬉しかったけど、出来れば正気で出てきてほしかった。
だからまさか思わないでしょう。よもやその縁談話が、真実だったなんてこと……っ!
「……」
「……」
静寂が辺りを包み込み、それに伴う睡魔が、私の意識を誘惑し――って駄目だ駄目だ。寝るのは流石にマズイ。
思わず意識を手放しそうになって、慌ててぶんぶん頭を振った。
今の私が着ているのは、いつの間に仕立てられたのかわからないお父様からのプレゼントの濃緑のドレスと、お母様に譲られたエメラルドのネックレス。普段下ろしている黒髪は、今日だけは高く結い上げていた。
なんていうかこのドレス、やたらと胸元がすーすーするんですが気のせいか。
一方、お相手であるヴォルク=レグナガルド様は、騎士の家系であることも相まって、蒼い騎士隊服に身を包んでいる。うん。とても素敵ですねー。ですが出来れば、お身体はムキムキマッチョな方が大変よろしいと存じます。
にしてもおかしい。どうしてこんなイケメン様が、私なんぞと顔合わせをしているのだろう。
疑問符が頭に浮かんだが、とりあえずこの沈黙をどうにかしたくて、改めて名乗ることにした。一応ここに来る前に聞かされていたけど、念のためね念のため! 挨拶って大事です!
「あ、あのっ……」
「……」
思い切って顔を上げて声をかけてみたけれど、返ってきたのは綺麗な蒼い瞳のみだった。
「わ、私、レオノーラ=ローゼルと申しま……ひゅ……っ!」
「……」
――うん。
……噛んだね、今。私。
ふ、ふふふふふふ。……穴があったら入りたい。ひゅってなんだ。どこの三歳児だ、私は。
開口一番噛んでしまったのが死ぬほど恥ずかしくて、これ以上は何も言うまいと口を噤むことに決めた。
だってお相手のヴォルク様だって、呆れたのかそっぽ向いてるし。さっきなんて顔を見ようとしただけでぷいって逸らされてしまったし。
いいですよもう。見事なくらいご要望には添えなかったようですし、十中八九この縁談はなかったことになるだろう。
むしろその方が私にとっては都合がいい、終わりよければ全てよしというのはこのことだ。
――と、この時の私は思っていた。
次の日、式の日程やらお屋敷入りする日やらの連絡が、ヴォルク様側から届けられるまでは。
どうやら、今回の件はどうあってもしなければならない政略結婚だったらしい。お父様も、政略結婚なんだったら最初からはっきりそう言ってくれればよかったのだ。そうしたら逃げられないものは仕方がないと、変に力を入れることもなかったというのに。
まあ確かに、私は結婚せず将来は神の家、つまり教会に入りますと豪語していた。だからお父様は心配していたのかもしれない。そんなことに気が付くくらいなら、もうしばらく引き籠ってくれててもよかったのに、お父様ってば本当に娘の心親知らずなんだからどうしようもない。
そんなこんなで、私は頭を抱える暇もなく、この屋敷の主であるヴォルク様の妻という座に座らされていたというわけである。
人生とは、全くもって理不尽だ。
知ってたけども。
* * *
出会った頃のことを思い出しつつ、私は『夫』となった人を見る。
私の夫となったヴォルク=レグナガルド様は、我が西王国イゼルマール王国士隊、蒼の士隊騎士隊長という大層な肩書を持つお方だ。
背も高いし、顔も整ってるし、立ち姿なんてまるで絵物語の主人公にすら見える。
街にある『ヴォルク様ファンクラブ』とかいうのに所属する娘達からは、銀蒼の貴公子だとかなんとか言われているらしい。
若い子って貴公子とか王子とか好きよねー……。いや、私も十九だけどさ。
私としてはこう、なんというか、線が細過ぎる?
贅沢と言うなかれ。好みじゃないもんはどうしようもないのである。
一般的には綺麗系と言うんだろうけど、私個人の好みとしてはこれじゃない感ありありで。だって違うでしょう、騎士って言ったら、もっと胸板厚くてがっしり系でしょ! オールバック銀髪は許せるとしても、出来ればそこは短髪でしょう! 毛先ツンツンでしょう! 騎士って言えば! と、こぶしを握りしめ熱く語りたくなるのである。私の理想とする騎士の姿とは! 的な!
しかし、それを主張出来るわけも、する意味もないので、この滾りは内心のみで留めている。
……にしても、私としてはいい迷惑だった。
跡継ぎである弟のオルファを、没している母の代わりに育て上げようと思っていたのが、まさかの結婚である。弟が成人した暁には、神の家に入って独身人生を謳歌する、なんていう人生設計もおかげで綺麗さっぱり吹き飛んでしまったのだ。まあ、娘の人生観にほとほと困り果てていたお父様は、諸手を上げて喜んでたけど。
こうして始まった清々しいほどの政略結婚生活も、三か月もすれば慣れてきた。が、これがずっと続くのかと思うと、ちょっと溜息を吐いてしまいたくなる。
本音を言うなら、逃げたい。
元々上品な奥方を気取っていられる性格でもなし。人間、適材適所ってありますし。
「……逃げたい」
「今、何か言ったか。レオノーラ」
「い、いいえヴォルク様っ。何も申しておりませんわっ」
おほほ、と口元を覆い、動揺を隠す。
あっぶなー……つい本音が。じわりと浮かんだ冷や汗を、そっと拭った。
だってこんなに静かだと、どうしても他のことを考えちゃうんだもの。ヴォルク様、いつも無声に近いお方だし。
もうちょっとでいいから会話をしてくれたら、まだマシだったんだろうけど。
私が思いに耽る間に、彼は着々と出勤の準備を進めていた。
だめだ。なんだか自分の境遇を顧みていたせいでぼうっとしてしまう。もっとピシッとしておかないと。
そう自分に言い聞かせていると、綺麗な外見とは少し雰囲気の違う無骨な手が、私に向かって差し出された。その大きな手に、私は持っていた蒼い騎士服の上衣を載せる。
手は、すごく騎士って感じなんだよね。剣だことかもあるし、よく見たら小さな傷もいっぱいあるし。
私から受け取った騎士服を、ヴォルク様が周囲の風を揺らしながらばさりと羽織る。
ただ上着を着てるだけなのに、なぜにこうもサマになるのか。
彼は、騎士という職務についているためか、基本的に自分のことは自分でこなす。どこかの貴族の子息みたいに、お風呂から着替えまで人任せという人間でなかったのは、私としても好ましいところだった。
「……どうぞ」
「ああ」
短い言葉を交わしつつ、次にずしりと重い剣を手渡す。凝った細工が施されているそれは美しさもあるものの、やはり武器だからか妙な仰々しさがあった。
弟のオルファが貴族男子の嗜みとして習っている剣技では、もっと簡素な練習用の剣が使われていたけれど、やはり本物の騎士様の剣は、刃の幅といい持ち手といい、造りからして違っている。重さは私が両手で何とか持ち上げられるくらいだが、彼は片手で軽々持っているので、すらりとした体躯に似合わず腕力は結構あるみたいだ。
でもやっぱり、私はがっつりマッチョ様の方が好みなんですけどねー。
……それはさておき。
朝の見送りと、僅かな支度の手伝い。
物凄く些細なことではあるが、これが妻の朝一番の仕事となっている。私は特に朝が弱いというわけでもないので、目覚ましとしては丁度いいくらいの役割だ。どちらかと言うと動いている方が性に合っているし、こういったすべきことを与えられるのは正直ありがたい。
結婚して三か月、最近はなんとなくだけどヴォルク様との距離感を掴みかけていた。
なるべく触れない近寄らない、質問や会話は最小限。それが私がこの短い間に学んだヴォルク様への対応術だ。
出来ればもう少し打ち解けたいものだけど、そこはそれ、相手にその気がなければ無理というもので……
騎士隊服をかっちりと着込んだ夫を窺うと、腰元に剣を装着しているところだった。
留め金と剣がぶつかる小さな音が辺りに響く。手慣れた仕草で剣が留められていくのを見るのは結構好きだ。
じっと目線を顔に向けてみるけれど、視線が返されることもなければ、会話があるわけでもない。
うーん……本当に、清々しいほどの無言だ。いや全く。
「貴様に話すことなどない」と言われているかのようで、寂しいとかではないけれど、なんだかなあと思ってしまう。
政略とはいえ、長い付き合いになるのなら、愛だの恋だのじゃなくていいから良好な関係を築いておきたい、と考えるのはおかしいのだろうか。どうせ生活するのなら、気持ちよく日々を過ごしたい。真実夫婦にはなれなくとも、友達くらいの気やすい関係になれたなら、お互いに楽だろうと思うのだけど。
まー……この現状じゃ、取り付く島もなさそうだ。
そんな風に思いつつ、再びふっと彼へ視線を向けたところで、思考が中断された。
……あれ。
考えに耽っていたせいで気が付かなかったけれど、いつの間にか視線を向けられていた。帯剣が終わっていたらしい。
ぶつかった蒼い瞳に一瞬びくりとして、けれどそれに気付かれないよう普段と同じ微笑を浮かべる。
一応、こちらからは歩み寄るつもりがありますよーと伝えているつもりだった。
……が、凝視は出来ればやめてもらいたいんですが、如何でしょうか。
美形なのはわかってます。イケメンなのも存じてます。でも、貴方表情ないから恐いんだってば。
私何かしたかな。何かミスった?
いや、いつもと同じはず……はて。
と、意味不明の視線の理由を考えていたら、なぜか不意に彼の手が私の頬に添えられた。
……添えられました。
そりゃもうぺたりんこと、片頬全部、彼の手に覆われました。顔の片側があったかい。
なんですかね今回も藪から棒に。前から聞きたかったのですが、一言も発しないのにこの行動はなんですか。
頬っぺた何かついてましたか? 涎かな? ちゃんと洗顔したんだけども。いや、涎ついてたら普通触らないか。ばっちいものね。
なら、一体これはなんだろう。
目をぱちくりと瞬かせながら、その行動の意味を考える。
ついでに『夫』を観察してみた。
人の顔に手を置いたままのヴォルク様は、なぜか全く動かない。瞳が何か言いたげな色をしているようにも思えるけれど、口を開く気配は微塵もなかった。振り払うわけにもいかないので、仕方なく私もそのままじっとする。
……うーん。
何がしたいんだ、この方は。
毎朝見送りをするようになってから、まれにこんな風に触れてくることがあるけれど、その意図が正直さっぱりわからない。だけど出来ることならば、無表情でじっと真正面から見られる居心地の悪さを、少しは酌んでほしいと思う。
離して下さいましー。居心地悪すぎるんですけどもー。何か言いたいことがあるのならはっきり言って下さいなー。とは言えるわけもなく、とりあえず私はいつもされるがままになっていた。
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