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第1章 跳躍と出会い②『なんと呼べば?』
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広い廊下が続いている。
幾何学模様の描かれた赤い絨毯に部屋がいくつかあった。
ところどころにある花瓶や陶器の調度品のある廊下は、アニメで観たことがある洋館そのものだった。
きょろきょろと見渡しながら、カーブを描く階段を降りると、玄関ホールと思しきところに出た。
両翼に通路があったが、階段を降りて右に行く。
そして一室の前で男が止まった。扉は開かれている。
「どうぞ、中に」
促されて入ると、ソファにテーブル、暖炉、そしてシャンデリアが目に入った。
壁には大きな風景画が飾ってあり、自分がいた部屋よりずっと華美な応接間だった。
その豪華な部屋のソファに見事におさまっているのは、あの金髪の彼だ。
(着替えてる……)
部屋に来たときのラフなシャツと違って、スマートな詰襟のオフホワイトの服を着ている。
服の刺繍も手が込んでいて、生地の質の良さを伺わせる。
それがまた文句なしの美貌によく似合っていた。
反対に自分は半袖のTシャツに着古したジーンズとスニーカーである。
場違いにも程があった。
圧倒的な差に怖気づいたが、彼は気にする様子もなく、座るように手で示した。
緻密なデザインが施されたソファは、いかにも高級そうだった。
海人は戸惑いながら、ソファに浅く腰かけた。
目の前の男は、あまりに端整な顔立ちすぎて(つまりかっこよすぎて)直視できない。
どこを見ていいのかわからず、うつむき膝を握ると、彼が話しかけてきた。
「具合は悪くないか?」
気遣いの言葉に海人は顔を上げた。
灰色の瞳とかち合う。
「あ……大丈夫です。あの、おれ……」
海人は緊張で胸がどきどきした。
聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が出てこない。詰まってしまった海人に彼は小さくうなずいた。
「私の名はイリアス=ウィル=サラディール。あなたの名前を聞いてもいいか?」
滑らかな日本語にわずかに緊張が解けた。
「おれは、藤原海人っていいます」
答えると彼は少し黙って、そして続けて訊いてきた。
「なんと呼べば?」
姓と名がどちらかわからなかったのだろうか。
それであれば初対面の人間同士は家名で呼び合うのが普通である。
だが、
「海人でいいです」
あえて名を選んだ。
小さな田舎町の学生で、社会経験のない海人は友人からも大人からも名前で呼ばれていた。
学校の先生からも親しみを持って呼び捨てされている。
特段変なことはないと思って答えたが、彼は意外な反応を示した。
「カイトというのは、名ではないのか?」
名で呼んでもいいのか、という意思を確認するような言い方だった。
少し馴れ馴れしかっただろうか、と海人は思ったが、やっぱり苗字で、などと言えない。
海人は問題ないと答えた。すると彼はまた黙り、
「では、私のこともイリアスと呼んでくれてかまわない」
と、無表情で言われた。
(自分はいいけどこの人は名前で呼んでいい雰囲気じゃない……)
海人は名前呼びでいいと言ったことを若干後悔した。
そんな海人の胸中を知ってか知らずか、金髪の彼、イリアスは膝の上で手を組んだ。
「さて、カイト。あなたはさきほどまで、こことは別の場所にいた。違うか?」
「!」
いきなり核心である。
まさに海人はそのことをどう話せばいいのかわからなかったのだ。
海人は身を乗り出した。
「あの! ここはどこなんですか? おれはなんでこんなとこに……!」
勢いよく言ったところで、ティーカップが差し出された。
いつの間にかお茶の準備をしていた初老の男が、落ち着いてくださいといわんばかりに、ティーカップをテーブルに置いた。
イリアスは質問に答える前に紅茶のようなものを一口飲んだ。
それを見て、海人も飲もうと口をつけたが、舌をひっこめた。
熱くて飲めない。仕方なしにカップを置くと、彼は海人を見た。
「ここはルテアニア王国、サウスリー領のリンデという街だ。おそらく、あなたがいたところでは聞いたことのない街ではないか」
まっすぐ見つめてくる灰色の瞳に、海人は目を見開き、大きくうなずいた。
「おれはさっきまで地元の神社にいたんです。気が付いたらここにいて……」
そう、自分は神社にいた。
高校三年、大学受験の夏だ。
緑豊かで海沿いの町に生まれた海人は、都会の大学を目指して勉強していた。
だがどうにも集中できず、近くの神社に参拝に出かけたのだ。
海沿いを歩き、海水浴場のそばにその神社はあった。
海に向かって建てられた社は、普段は無人で社務所もないが、祭りは夏と秋に行われ、そのときと初詣には人が集まりにぎやかになる。
海水客を見守るように静かに鎮座する社殿に上がり、今日もまた合格祈願をするため鈴を鳴らした。
そしていつもと違うことに気がついた。
拝殿の奥にある木枠の扉が少し開いていた。賽銭箱があり、近づくことはできない。ただ珍しかったので、御神体でもあるのかと身を乗り出し、暗い先をのぞき込もうとした瞬間―
そこから記憶がない。目覚めたら、ここにいた。
「ルテアニアという国は知らなくてすみません。ヨーロッパのどこかですよね? どのあたりですか? あ、すごく日本語うまいですけど、日本にいたとかですか?」
海人は堰を切ったように、矢継ぎ早に質問した。
お茶を差し出し、ここまで案内してくれた初老の男も流暢な日本語を話していた。
外国人特有の訛のない日本語だ。
だが、目の前の彼は涼しい顔をして言った。
「私たちは言葉が通じている。だがそれは、私があなたの国の言葉をしゃべっているわけではない」
海人は眉を潜めた。
いま、彼とは言葉は通じているのだから、日本語を話しているはずだ。
日本語として聞こえている。だから言っている意味がわからない。
海人が理解できていないことに構わず、彼は続けた。
「私はこの世界のすべての国を知っているが、ニホンという国は存在しない。そして、私が話している言葉はニホン語ではなく、ルテアニア語だ」
これが、日本語ではない? いや、どう聞いても日本語だ。
海人は頭をフル回転させたが、やはり理解できずに眉間に皺を寄せた。
すると、イリアスは射貫くように海人を見た。
「カイト。ここはあなたの住んでいた世界とはまったく別の世界。いわゆる異世界だ」
海人は弾かれたように顔を上げ、叫んだ。
「異世界⁉ 異世界って地球じゃないってこと⁉」
大声を上げた海人に、イリアスは淡々と答えた。
「チキュウというのが何をさしているのか、わからない」
海人は言葉を失った。
そのままソファに深く沈みこむ。あまりのことに何も考えられない。
呆然としていたが、その間、イリアスは口を開かなかった。
しばらくして海人はつぶやくように言った。
「どうやって帰れば……」
この人なら何か知っているのではないかと、淡い期待を持った。
だが、イリアスは抑揚のない声ではっきりと言った。
「私の知っている限り、帰る方法はない」
幾何学模様の描かれた赤い絨毯に部屋がいくつかあった。
ところどころにある花瓶や陶器の調度品のある廊下は、アニメで観たことがある洋館そのものだった。
きょろきょろと見渡しながら、カーブを描く階段を降りると、玄関ホールと思しきところに出た。
両翼に通路があったが、階段を降りて右に行く。
そして一室の前で男が止まった。扉は開かれている。
「どうぞ、中に」
促されて入ると、ソファにテーブル、暖炉、そしてシャンデリアが目に入った。
壁には大きな風景画が飾ってあり、自分がいた部屋よりずっと華美な応接間だった。
その豪華な部屋のソファに見事におさまっているのは、あの金髪の彼だ。
(着替えてる……)
部屋に来たときのラフなシャツと違って、スマートな詰襟のオフホワイトの服を着ている。
服の刺繍も手が込んでいて、生地の質の良さを伺わせる。
それがまた文句なしの美貌によく似合っていた。
反対に自分は半袖のTシャツに着古したジーンズとスニーカーである。
場違いにも程があった。
圧倒的な差に怖気づいたが、彼は気にする様子もなく、座るように手で示した。
緻密なデザインが施されたソファは、いかにも高級そうだった。
海人は戸惑いながら、ソファに浅く腰かけた。
目の前の男は、あまりに端整な顔立ちすぎて(つまりかっこよすぎて)直視できない。
どこを見ていいのかわからず、うつむき膝を握ると、彼が話しかけてきた。
「具合は悪くないか?」
気遣いの言葉に海人は顔を上げた。
灰色の瞳とかち合う。
「あ……大丈夫です。あの、おれ……」
海人は緊張で胸がどきどきした。
聞きたいことは山ほどあるのに、言葉が出てこない。詰まってしまった海人に彼は小さくうなずいた。
「私の名はイリアス=ウィル=サラディール。あなたの名前を聞いてもいいか?」
滑らかな日本語にわずかに緊張が解けた。
「おれは、藤原海人っていいます」
答えると彼は少し黙って、そして続けて訊いてきた。
「なんと呼べば?」
姓と名がどちらかわからなかったのだろうか。
それであれば初対面の人間同士は家名で呼び合うのが普通である。
だが、
「海人でいいです」
あえて名を選んだ。
小さな田舎町の学生で、社会経験のない海人は友人からも大人からも名前で呼ばれていた。
学校の先生からも親しみを持って呼び捨てされている。
特段変なことはないと思って答えたが、彼は意外な反応を示した。
「カイトというのは、名ではないのか?」
名で呼んでもいいのか、という意思を確認するような言い方だった。
少し馴れ馴れしかっただろうか、と海人は思ったが、やっぱり苗字で、などと言えない。
海人は問題ないと答えた。すると彼はまた黙り、
「では、私のこともイリアスと呼んでくれてかまわない」
と、無表情で言われた。
(自分はいいけどこの人は名前で呼んでいい雰囲気じゃない……)
海人は名前呼びでいいと言ったことを若干後悔した。
そんな海人の胸中を知ってか知らずか、金髪の彼、イリアスは膝の上で手を組んだ。
「さて、カイト。あなたはさきほどまで、こことは別の場所にいた。違うか?」
「!」
いきなり核心である。
まさに海人はそのことをどう話せばいいのかわからなかったのだ。
海人は身を乗り出した。
「あの! ここはどこなんですか? おれはなんでこんなとこに……!」
勢いよく言ったところで、ティーカップが差し出された。
いつの間にかお茶の準備をしていた初老の男が、落ち着いてくださいといわんばかりに、ティーカップをテーブルに置いた。
イリアスは質問に答える前に紅茶のようなものを一口飲んだ。
それを見て、海人も飲もうと口をつけたが、舌をひっこめた。
熱くて飲めない。仕方なしにカップを置くと、彼は海人を見た。
「ここはルテアニア王国、サウスリー領のリンデという街だ。おそらく、あなたがいたところでは聞いたことのない街ではないか」
まっすぐ見つめてくる灰色の瞳に、海人は目を見開き、大きくうなずいた。
「おれはさっきまで地元の神社にいたんです。気が付いたらここにいて……」
そう、自分は神社にいた。
高校三年、大学受験の夏だ。
緑豊かで海沿いの町に生まれた海人は、都会の大学を目指して勉強していた。
だがどうにも集中できず、近くの神社に参拝に出かけたのだ。
海沿いを歩き、海水浴場のそばにその神社はあった。
海に向かって建てられた社は、普段は無人で社務所もないが、祭りは夏と秋に行われ、そのときと初詣には人が集まりにぎやかになる。
海水客を見守るように静かに鎮座する社殿に上がり、今日もまた合格祈願をするため鈴を鳴らした。
そしていつもと違うことに気がついた。
拝殿の奥にある木枠の扉が少し開いていた。賽銭箱があり、近づくことはできない。ただ珍しかったので、御神体でもあるのかと身を乗り出し、暗い先をのぞき込もうとした瞬間―
そこから記憶がない。目覚めたら、ここにいた。
「ルテアニアという国は知らなくてすみません。ヨーロッパのどこかですよね? どのあたりですか? あ、すごく日本語うまいですけど、日本にいたとかですか?」
海人は堰を切ったように、矢継ぎ早に質問した。
お茶を差し出し、ここまで案内してくれた初老の男も流暢な日本語を話していた。
外国人特有の訛のない日本語だ。
だが、目の前の彼は涼しい顔をして言った。
「私たちは言葉が通じている。だがそれは、私があなたの国の言葉をしゃべっているわけではない」
海人は眉を潜めた。
いま、彼とは言葉は通じているのだから、日本語を話しているはずだ。
日本語として聞こえている。だから言っている意味がわからない。
海人が理解できていないことに構わず、彼は続けた。
「私はこの世界のすべての国を知っているが、ニホンという国は存在しない。そして、私が話している言葉はニホン語ではなく、ルテアニア語だ」
これが、日本語ではない? いや、どう聞いても日本語だ。
海人は頭をフル回転させたが、やはり理解できずに眉間に皺を寄せた。
すると、イリアスは射貫くように海人を見た。
「カイト。ここはあなたの住んでいた世界とはまったく別の世界。いわゆる異世界だ」
海人は弾かれたように顔を上げ、叫んだ。
「異世界⁉ 異世界って地球じゃないってこと⁉」
大声を上げた海人に、イリアスは淡々と答えた。
「チキュウというのが何をさしているのか、わからない」
海人は言葉を失った。
そのままソファに深く沈みこむ。あまりのことに何も考えられない。
呆然としていたが、その間、イリアスは口を開かなかった。
しばらくして海人はつぶやくように言った。
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◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)
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上総啓
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―――
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BL
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2023/04/06 後日談追加
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