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第2章 街での暮らし⑩『似てない親子』

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 跳躍者拉致未遂事件から三週間が経ち、海人が二回目の給料をもらった頃、領主であるサラディール伯爵が長い外遊から帰ってきた。
 
 領主が戻ると屋敷から先触れがあったようで、海人はイリアスと共に駐屯地を出た。
 屋敷に向かう並木道を進みながら、海人は馬上のイリアスに話しかけた。

「領主様ってどんな人?」
「会えばわかる」
「……」

 まったく、なんだってこの人はこうなんだろう。

 海人はひそかにため息を吐いた。
 イリアスの愛馬が、わかるわ、とでも言うように鼻を鳴らした。
 
 陽射しは夏のように強くまぶしい。
 
 海人はイリアスの笑った顔が見たかった。
 
 柔らかなあの微笑を思い出すと、胸がどきどきする。
 あれから少しは笑うことも増えるかと期待したが、何も変わらなかった。
 
 陽光が肌を照り付けるが、蒸し暑さはない。気温が高くても過ごしやすい気候である。
 緑萌ゆる、ゆるやかな丘を登っていると、イリアスが話しかけてきた。

「王宮に行きたいという気持ちに変わりはないか」

 見上げると、イリアスは正面を向いたままだった。

 相変わらず表情が読めない。
 海人は今の気持ちを素直に言った。

「うん、やっぱり会ってみたい。自分の世界の話ができるのは、アフロディーテ様だけだし」

 イリアスは黙って続きを促した。

「前に、帰る方法はないのに会ってどうするんだって言ったよね。どうにもなんないんだけど、でも、その人がこっちに来た時の話とか聞けたらさ、おれもここで頑張ろうって思える気がするんだ」

 実のところ、海人はもうこの世界で生きていく覚悟はすでにできていた。

 日本に帰りたいとイリアスに漏らしてしまったあの日、彼が困っているのがわかった。
 何も言わなくとも、抱いてくれた腕からそれが伝わってきた。

(この人をこれ以上、困らせちゃいけない)
 
 もうひとりの跳躍者に会うのはけじめのようなものだ。
 一度だけ会って、この世界変だよねって笑って、それで終わりだ。
 
 その後はイリアスの傍で、彼の役に立つことならなんでもしようと思っていた。
 
 そして王宮から戻ったら、辺境警備隊に入隊させてほしいと頼むつもりでいた。
 自分に魔法は使えないけれど、さらわれないだけの剣術を身につけて、自分の身は自分で守れるようになろうと決めた。

 このことはイリアスにはまだ内緒にしている。
 すべてはもうひとりの異世界人に会ってからだ。
 
 海人がそんな決意をしているとは知らず、イリアスは淡々と言った。

「もし王宮で暮らせと言われたらどうする」
「え、嫌だって言うけど」

 間髪入れずに答えた。

「なんで?」

 問い返したが、イリアスはなんでもない、と言った。
 そっけない。

 その質問がなぜか引っかかった海人だが、追及する前に屋敷に着いてしまった。
 これから領主であるイリアスの父君と対面だ。

 海人は緊張していた。

 屋敷に入るとにわかに騒がしかった。

 領主である伯爵の外遊に付き添っていた屋敷の人たちも共に帰って来ている。
 三か月半ぶりの挨拶が交わされており、みな笑顔だ。

 イリアスが戻ってくると、外遊に出ていた者たちは丁寧に腰を折ったが、イリアスは軽く手を挙げるだけで済ませた。

 海人が彼の後ろを急ぎ足でついて行っていると、あの方は? という声が聞こえてきた。

 二階に上がり、イリアスの部屋と反対の回廊の奥に向かう。
 グレンに教えてもらった領主の執務室だった。
 
 イリアスが扉を叩くと、入りなさい、という声と共に、内側から扉が開いた。
 執事のグレンが中にいて、開けてくれた。
 
 領主の部屋には、執務机の前に男が立っていた。
 
 イリアスに似た金髪のロマンスグレーな感じの人が……と思いきや海人は予想外の事実に面食らった。

 思わずグレンを見ると、彼はにっこりとした。
 
 ルテアニア王国の四大領主のひとり、サウスリー領サラディール伯爵は、イリアスには似ても似つかない、中肉中背で茶色い髪をした壮年の男だった。

(なんか、全然似てないんだけど⁉)

 だが、内心の驚きは顔に出さないようにする。

「父上、長らくの外遊おつかれさまでした」

 イリアスが言うと、息子の挨拶に伯爵はうれしそうに寄ってきた。

「おお、イリアス。留守中、世話をかけたな。問題はなかったか、と言いたいところだが。グレンから聞いたぞ」
「ご報告が遅くなりまして申し訳ございません。彼がルンダの森に現れた跳躍者、フジワラカイトです」

 海人は背筋を伸ばした。
 近寄って来た伯爵は海人よりも少し背が低い。

 イリアスは海人に体を向けた。

「カイト。この方がサウスリー領主、マウイ=サラディール伯爵だ」

 イリアスとは対照的に笑顔の伯爵である。顔は日に焼けていた。

 海人は緊張した面持ちで、

「藤原海人です。イリアス……様に拾ってもらいました」

 ペコリと頭を下げると、伯爵は声を出して笑った。

「ようこそ、我が領へ。私は君を歓迎するよ」

 出された手を握ると力強く返してくれた。

「まあ、座って話そう」

 ソファに促され、伯爵が座ると対面にイリアスが座り、イリアスの隣に座るように促された。グレンが紅茶を出してくれ、伯爵はひとくち飲んだ。

「外してくれるか」

 伯爵の一声で、グレンが一礼をして出ていった。
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