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本編

第4話 初めてのお酒(後編)

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 目を覚ますと、優しい表情で私を見つめているフォールスの顔が見えた。手は、私の髪をいじっている。

「……私、寝てたの?」
「うん。可愛い寝顔と……寝言を堪能してた」
「ちょっと……本当に?寝言?私、変な事言ってなかった?」

 夢を見た記憶もないけれど、また昔の事を夢に見ていたのだろうか。焦る私に、フォールスは苦笑する。

「変というより、ひたすら昆虫の知識を披露してたよ……君、そんなに昆虫が好きだったの?」
「え……ええ。子供の頃だけど、夢中で図鑑を読んでいたわ。虫は何も言わないし、ひとといるよりよっぽど楽しかったもの」

 そう言う私の頬を、フォールスは優しく撫でてくれる。

「そんなのに興味持つ女の子なんて、いるんだな……君らしいというか……」
「そういうの、あなたも嫌よね?私、女の子らしくないってよく言われたわ……」

 虫が好きなんて、と言われる事なんてしょっちゅうだった。女の子からは気持ち悪い、男の子からは女のくせに……と。
 でも、フォールスはクスッと笑うと、私の頬を優しく摘む。

「嫌なんかじゃないさ。女の子らしいのが好きだったら、君と今、こうしてるわけないだろ?」
「……それ、前にスクルにも言われたわ。フォールスは、女性らしいっていうのに興味ない、って」

 フォールスの仕事仲間かつ友人のスクルから、彼の好みを聞かされた時の事を思い出す。
 顔で惚れてこなくて、女性らしいとかに興味はなくて、着飾らないようなひとが好みなのだと言っていた。

「そんな事言ってたのか……スクルめ。……いや、興味ないっていうより、うんざりしてたって方が正しい」
「うんざり?」
「僕を好きって言ってくれるのは、まさに女の子って言う感じの、可愛らしい子ばっかりだった。でも、僕の事が好きっていうより、僕を……自分の価値を上げてくれるアクセサリーみたいに思って、それを恋愛感情と勘違いしてるようにしか見えなかったんだ」

 その言い方が、とても悲しく聞こえてしまう。私は、頬を撫でる彼の手に、自分の手を重ね、言った。

「そんな事……ないわよ。私があなたを好きなように、きっと今までの子も、あなたの事を本当に好きだったはず。だって……ひとの美醜に興味のない私が、こんなに好きになるくらいのひとなのよ?だから……ね?そんな風に言わないで……」

 言いながら、目が潤みだす。彼の事になると、感情的になってしまう。それを誤魔化したくて、目を閉じて、彼の手に頬をすり寄せる。

「……好きよフォールス、あなたの全部が。私、誰にも、一緒にいる所を見せびらかしたいなんて思ったりしない。こうして、ふたりきりでいられるだけで……幸せよ?」

 こらえていたのに、いつの間にか涙が溢れてしまう。彼と私の手に、涙が流れる。すると、フォールスの指が動き、優しく私の涙を拭っていく。

「今は、君がそう言ってくれるだけで十分だよ。……あの日、怖い思いをしていたのに、会いに来てくれて……本当にありがとう」

 フォールスは、私と再会した日の事を言っている。彼と結婚をしろと母に連れられて、彼の家に行った日の事を。
 幼い頃に、私に対して酷い言葉を投げつけてきた彼との再会は、その時の私には本当に恐ろしかった。

「……あの時、本当は嫌で嫌で仕方なかったのよ。でも、母の言う事に逆らえなかっただけ。……あなたが、昔の事を申し訳ないと思ってるなんて、想像もしていなかったんだもの」

 そう……あの時、再会に対してあまりの恐怖に、気絶までしてしまったのを思い出す。
 でも彼は私に、申し訳ないと謝ってくれた。そしていつの間にか、思いを寄せてくれるまでになった。

「うん……仕方ないよ。僕は、それだけの事をしたんだから。そんな僕を受け入れてくれて、君には、本当に感謝してる」
「もう……あれは悪い夢だって言ったでしょう?あなた……やっぱり、申し訳なさで私を好きになってくれたの?」

 過去の事はただの悪い夢だったのだと、そう私は彼に言った。それでもう、申し訳ないと思うフォールスの気持ちを消して欲しかったのだ。

「そんなわけない……申し訳ないと思ってたら、君を好きだなんて言うわけないよ。そんな事言っても、困らせるだけだって思ってた。だって君は僕の事、異性としてなんて見てなかっただろ?」
「……だって、私がそう思われてるなんて、考えもしなかったんだもの」

 私は、自分が恋愛や結婚などと無縁のまま、一生を終えるのだと思っていたのだ。
 当然、フォールスの事も、最初は可愛い弟のようにしか見ていなかった。

「……でも、いまだに、なぜあなたが私を好きになってくれたのか分からないの。だって、あなたが私を好きだと言ってくれたのは、再会してそんなに経っていなかった頃だったもの……」
「それは……その……アステ?気を悪くしたらごめん……。実を言うと、これといった明確な理由がないんだ」

 そうだったのか、と私は驚く。
 でも、彼に思いを寄せられるような事をしたおぼえもなかったので、逆にそう言われた方が、納得がいってしまう自分がいる。

「でも……再会した時から、君に心惹かれてる自分がいたのは確かなんだ。それで、会うたびにそれが強くなって……。君の涙を初めて見た時にはもう、君の事が好きなんだって……そう自覚してた」

 涙を流した事がなかった私が、ショックのあまり号泣した時の事だ。あの時の事は、今思い出しても、胃が痛くなる。それくらいショックな出来事だったのだ。

「君を悲しませたくなくて、笑っていて欲しくて、君が喜ぶなら、何でも叶えてあげたいと思った。でも……僕が君に好きになってもらいたいなんて思うのは、君に悪いと思って、必死で気持ちを抑えてた」
「そ……そうだったの?」

 フォールスがそんな葛藤を抱えていたとは、全く気づかなかった。ただ過去の事への申し訳なさで、私に親切にしてくれているだけとしか思っていなかった。

「でも……スクルが君に求婚したり、君と楽しそうに話してるのを見ていたら、どうしても我慢できなくて……」
「ふふ……そんな風に見てたなんて知ったら、スクル、きっと驚くわね」

 クスッと笑いながら言った私だったけれど、フォールスは真顔で私を見てくる。

「いや、あれは絶対本気だ。スクルの事をそばで見てきた僕には分かる」
「そんな……だって、あなたのいない所でスクルと会った事は何度もあったけれど、あなたが心配するような事なんて何もなかったわよ?それどころか、あなたとの事を気にかけてくれていたもの」

 私がそう説明しても、フォールスは納得したように見えない。

「そうやって理解者ぶって安心させて、隙を見せた瞬間に掻っ攫っていくんだよ……仕事もできるし……顔しか取り柄のない僕よりよっぽど優良物件だよ……くそ……」
「……もう、フォールスったら。ねえ……私たち、スクルに色々とお世話になったんだから、少しは信用してあげて?」

 そう私が言うと、フォールスは膨れっ面になってしまう。

「分かってる。それは本当に感謝してる。……でも、今後僕との間で何かあっても、スクルだけはダメだからな!そんな事になったら、絶対に立ち直れない……」
「なによ……何かあるって……あなたまさか、私の事を嫌いになる予定でもあるの?」

 そう言いながら、私の胸はズキズキと痛む。私を嫌うフォールスを想像して、苦しくて仕方ない。

「そんな予定ないよ!何言ってるんだ!?僕が君を嫌いになるわけない……そうじゃなくて……君が僕に愛想を尽かすかもしれないだろ……」
「……私が?フォールスに?」

 ぽかんとしたまま言うと、フォールスはうんうんと頷く。でも私には、彼の言う事の意味が全く理解できない。

「……そんなわけ……ない。私が……?私……こんなに、あなたの事を好きなのに……?」

 言いながら、涙が溢れてしまう。胸が苦しくて、呼吸が止まりそうだ。嗚咽まで出てくる。
 そんな私に、フォールスはおろおろと慌て出した。

「ご、ごめん!泣かせるつもりじゃなかったんだ!……疑ってごめん!ああ……でも、幸せすぎる……僕のためにこんなに泣いてくれるなんて……愛してるアステ……」

 フォールスは、私の頬に口付けをして、涙を舐めとって行く。それが恥ずかしくて、でも嬉しくて、胸がくすぐったい。彼への愛おしさが、どんどん強くなる。

「……私も……愛してるわ……あなたを不安にさせているのなら……私……今すぐ子供を作ってもいい……だからお願い……信じて……?」

 私は、フォールスに信じてもらえる方法がそれしか思いつかず、必死で彼に伝える。そんな私を見て彼は、ハッと我に返ったような表情になった。

「アステ……ごめん……僕が悪かった。信じないわけないだろ……!ちゃんとする……ちゃんと結婚してから、僕たちの子供を作ろう?君に無理させたくなんかない……ごめん……君の事が好きすぎて、狭量になってる……」

 フォールスはそう言いながら、優しく、頭を撫でたり、口付けをしてきてくれる。

「ううん……狭量だなんて思ってないわ……それだけ私の事を好きでいてくれてるんでしょう……?嬉しい……フォールス……ありがとう……」

 悲しかったはずの涙が、いつの間にか嬉し涙に変わっていく。笑いながら、涙がポロポロと流れていく。

「私なんかって言わなくなったな……そうだよ、君の事が好きで好きで、どうしようもないんだ。ああ……早く結婚して、君との子供をたくさん作りたい……」

 そう言う彼の目が、欲望で暗く光ったように見えて、私は少し不安になってしまった。

「……私の体……もつかしら……」
「まだ時間はあるんだ。体力作り……しておいてよ?」
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