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3 道連れ

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「…………***」

 男が言葉を発した事に驚き、思わず手を離す。あちらの世界の言葉は分からないから、何という意味なのかも分からない。

 だが、最後にちらりと見えた光景と繋がっているのだろう。男の隣に座っていた、意識を失った少女。男のどの記憶よりも鮮明な、その光景。

 少女は、男にとって、かけがえのない存在なのだろう。たった一瞬、流れ込んできた強い感情。わたしの感情まで支配しそうな程の。

 わたしは、疲労感に息を吐く。

「……疲れた。記憶をのぞくのは、本当に疲れる」

 疲れるだけならまだいい。こうして、相手の感情に飲み込まれそうになるのが、苦手だ。
 わたしがわたしでなくなるのは、どうしても耐えられない。倫理観、愛、常識……ちっぽけな存在のくだらないもの。肌がゾワゾワする。

 わたしは、床に視線を移す。

 わたしに記憶をのぞかれ、男も同じように過去を見たのだろう。床に伏せたまま、小さく縮こまり、震えている。

 わたしは見た光景を振り返る。あれは。

「お前の父親は、息子の罪に耐えられず、一家心中を選んだのか」

 息子は奪われた事への復讐を果たしたというのに、よくやったと褒めてやるどころか、家族を道連れに死を選んだのだろう。

「隣にいたのは妹か?可哀想に!なにもしていない妹が、愚かな兄と父のせいで命を奪われたのか!あはは!なんて可哀想なんだ!あははっ!」

 あまりに愚かで、愉快で、腹の底から笑ってしまう。

「それなのに、お前だけが生き残った……ふふ……あははは!両親も妹も無駄死だったな!」

 男は、わたしの言葉の意味など分からないだろうに、わたしを見て、涙を流し始める。そんな男の表情は、ぞっとするほど美しく見えて、わたしの背中は震える。男の事がたまらなく愛おしくなって、わたしは床に座り込んで、男を覆うように抱きしめる。

「**……**……」
「死にたいの?だめだよ、お前は死と絶望の淵で生き続けるんだ。わたしのために」

 体を離し、その頬に流れている涙を見た時、それを味わってみたくなった。欲望に忠実にわたしの舌が舐めとったそれは、美味だとか、そういうものじゃない。それなのになぜか、頭が焼けるように痺れる。
 悲しみに味があるのならば、こんなものなのかもしれない。

 急に、胸のあたりが苦しくなる。今まであった快感が、息を潜める。男の悲しみは、わたしの喜びのはずなのに。息が止まりそうになる。苦しい。

 男の瞳が、涙で輝いている。それなのに、その奥には暗く暗く、底の知れない闇が広がっている。

「……可哀想に」

 無意識に呟いた言葉に、喉が詰まる。これは同情なのだろうか。だれかの幸せなど、望んだ事もないのに。

「お前も、狂ってしまえばいいのに……そうしたら……」

 わたしの呟きに応えるものなど、いなかった。
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