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初恋
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「近くで見なくて良かったんですか?」
皆が出払った職場の窓から外を眺めていた俺は、声を掛けられ慌てて振り返る。するとそこには、少し困った表情の同僚、チヅルがいた。
「あ、ああ……俺はもう、祝いの言葉も直接伝えたから」
「そうだったんですね」
チヅルは納得したのか、柔らかく微笑む。そして俺から少し離れた窓の前に立ち、同じように窓の外を見た。
そこには、成婚パレードの列と、祝福するたくさんの国民の姿がある。パレードの主役は、魔王様の姉であるクライア様とその伴侶である。魔王様が結婚するまで待っていたのだろう、などと噂されるくらいにクライア様は長く独り身だったため、国民の喜びもひときわだ。
「でも、クライア様が結婚されるなんて……初めて聞いた時は本当にびっくりしました」
俺はそれを聞いて、チヅルはクライア様の夫に対して驚いたのだと思った。
それというのも、クライア様の夫となったのは、妻や婚約者が続けて亡くなっており「死の公爵」と影で呼ばれていた男だったからだ。それがどうして国で一番の高嶺の花を射止めたのか、正直俺も知らない。だが、魔王様が止めなかったという事は、公爵には何の問題もなかったのだろう。
だが、チヅルの驚きは違うところにあった。
「私、クライア様はずっとおひとりでいるのを望んでいるとばかり思っていたんです」
「それはまた、何故」
「笑わないで下さいね……単なる勘なんです。クライア様の事は、時折遠くから見るだけだったけれど、あの方の瞳を見るたびに思っていたんです。与える事は惜しまないのに、自分の欲しい物は、決して手に入らないと……まるで何かを諦めているような……そんな瞳だって。……でも、私の勝手な考えですから、あまり気にしないで下さい……ね?」
話していて恥ずかしくなったのか、肩をすくめて、困ったように笑うチヅル。
だが俺は、そんな彼女に恐怖のような感情を抱いていた。俺がずっとクライア様に感じていた小さな違和感。口にするのが怖くて、誰にも言った事さえないそれを、あろうことか、俺よりもクライア様との距離が遠いチヅルが、言葉にして語ったのだ。
俺は、動揺を悟られないよう、彼女につられたように装って笑う。そんな俺に、チヅルは安堵の表情を浮かべた。
「……やっぱり、私の考え過ぎですね。まあ、何にしても、クライア様が共に生きていきたいと思える方に出会えて、本当に良かったですね」
「ああ、君の言う通りだよ」
そして、俺たちはしばらく窓の外を見つめる。が、ふと視線を感じ、俺はチヅルの方を見る。彼女は、不思議そうな顔で俺を見ていた。
「何か?」
「……ええと、寂しそうな顔を、されてたので」
「ああ……」
俺は、顔に出ていた事に驚きながら自分の顔に触れ、それから苦笑する。
「君の言う通り、寂しいんだろうな。なにせ、姉のように慕っていた方だから」
「姉の……よう?」
「ああ。クライア様は、遠い異国から来た右も左も分からない俺を、姉のように世話して下さった。男は単純だからな、そんな思い出ひとつでも、まるで自分の宝物を取られたような気分になるんだよ」
笑いの一つでも取れると思って言ったつもりが、チヅルの表情はなぜか逆に曇っていく。
「それは……寂しいですね」
「あ、いや……」
「私にも似たような思い出があるから……その気持ち、分かります」
そう言うとチヅルは、再び窓の外に視線を移す。その横顔はどこか、昔を懐かしむような表情に見える。
「小さい頃、近所に兄のように慕っていたひとがいたんです。でもある日、結婚すると聞かされて……それがすごく悲しくて、隠れてひとりで泣いたのをおぼえてます。ふふ、きっとそれが、私の初恋だったんでしょうね」
初恋。チヅルのその言葉に、何故か胸が痛む。いや、待て、俺が胸を痛める理由など何もないだろう。俺は胸の痛みを単なる気のせいだと片付け、話を続けた。
「なら俺も、クライア様が初恋だったのかもしれないな」
「ふふっ、きっとそうですよ。子供の頃に、あんなにお綺麗でお優しい方を見たら、きっと、私だって恋に落ちます」
「そうだな。じゃあきっとあの中にも、クライア様が初恋の奴らが沢山いるぞ。今夜の酒場は失恋した奴らで溢れているかもしれないな」
俺の言葉に、チヅルはくすくすと笑う。俺もつられて笑い、過去を懐かしむしんみりした空気がようやくなくなった。
「でも……不思議」
「不思議?」
チヅルの自問自答のような言葉に、彼女を見る。窓の外を、遠い目をして見つめたまま、彼女は続けた。
「小さい頃は、あんなに自由に誰かを好きになっていたのに。大人になるにつれて、どんどん難しくなってしまった」
「……確かに、そうだな」
チヅルの言葉に同意しかない。だが、彼女は驚いた顔でにこちらを見た。
「意外……スクルさんでも、そう思うんですか?」
「当たり前だろう?一体俺を何だと思ってるんだ」
俺がそう言うと、チヅルは少しだけ思案し、それから指折り数えながら言った。
「ええと……スクルさんは社交的で、誰にでも優しくて、頼り甲斐があって、誰からも好かれて、とても気が利いて、魔王様からの信頼も厚くて……だから、誰かに好かれる事も慣れているし、逆もそう……気持ちにしっかり応えてあげられてる……そんなすごい男性だと」
俺は呆気に取られる。チヅルは自分のいいところを聞かれても、困って口を閉ざすような女なのに、何故俺の事はそんなにスラスラと言えるのだろう。
彼女があげたどれもが、俺がそうありたいと努力している事ばかりで、普段の俺なら喜んでいたと思う。だが、先ほどの話題的に、今の俺にとってはあまり嬉しくなかった。思わずため息が出てしまう。
「な、何でそんなに落ち込むんですか?いいところしか話してなかった筈なのに」
「……本当に君の言う通りなら、俺は、とっくの昔に結婚してる筈だろう?」
俺が、若干不貞腐れながらそう言うと、チヅルは困った顔をする。
「あ……ええと……で、でも、自分を好いてくれたひとを同じように好きになれるかは……また、別の話じゃあないですか……結婚はひとりでできない事ですし……」
「はいはいそうですね。俺の理想が高すぎて選り好みするから、いつまでも独り身だと」
「そ、そんなつもりじゃ……ああもう……何を言っても裏目……」
心が折れてしまったかのような、絶望感漂う表情のチヅルに、俺は流石に申し訳なくなってきた。からかっている自覚はあったが、やり過ぎてしまった。俺は苦笑しながら、チヅルに謝罪した。
「すまない。少しからかいが過ぎた」
でもそこで、チヅルは怒るわけでもなく、安堵したように息を吐く。そして何故かその直後、彼女の頬に一筋の涙が流れた。
「何で泣く!?」
俺は大いに焦る。何か拭くものをと慌てて探し、まだ使ってないハンカチを取り出すと、強引にチヅルの手に押し付ける。
「す……すみません……やだ……どうしよう……」
チヅルは、俺のハンカチを握ったまま、何故か自分の服の袖で涙を拭うと、俺から顔を逸らして言った。
「あ、あの、これは、な、何でもないですから」
「泣いておいて、何でもないは通用しないだろう?からかい過ぎたからか?それとも、他に何か傷つけるような事を言ったか?謝るにしてもせめて、何が悪かったか教えてくれないか……?」
でも結局、チヅルは何でもないを貫き通し、急に「まだ仕事があった」とわざとらしく言ったと思うと、俺のハンカチと共に部屋を飛び出して行ってしまった。
「……何、だったんだ」
俺の何かが彼女を泣かせてしまった、という罪悪感。何がそうさせてしまったのか分からない、というもやもや。そんな気持ちに足を取られ、俺は、チヅルの背中を見送るしかできなかった。
皆が出払った職場の窓から外を眺めていた俺は、声を掛けられ慌てて振り返る。するとそこには、少し困った表情の同僚、チヅルがいた。
「あ、ああ……俺はもう、祝いの言葉も直接伝えたから」
「そうだったんですね」
チヅルは納得したのか、柔らかく微笑む。そして俺から少し離れた窓の前に立ち、同じように窓の外を見た。
そこには、成婚パレードの列と、祝福するたくさんの国民の姿がある。パレードの主役は、魔王様の姉であるクライア様とその伴侶である。魔王様が結婚するまで待っていたのだろう、などと噂されるくらいにクライア様は長く独り身だったため、国民の喜びもひときわだ。
「でも、クライア様が結婚されるなんて……初めて聞いた時は本当にびっくりしました」
俺はそれを聞いて、チヅルはクライア様の夫に対して驚いたのだと思った。
それというのも、クライア様の夫となったのは、妻や婚約者が続けて亡くなっており「死の公爵」と影で呼ばれていた男だったからだ。それがどうして国で一番の高嶺の花を射止めたのか、正直俺も知らない。だが、魔王様が止めなかったという事は、公爵には何の問題もなかったのだろう。
だが、チヅルの驚きは違うところにあった。
「私、クライア様はずっとおひとりでいるのを望んでいるとばかり思っていたんです」
「それはまた、何故」
「笑わないで下さいね……単なる勘なんです。クライア様の事は、時折遠くから見るだけだったけれど、あの方の瞳を見るたびに思っていたんです。与える事は惜しまないのに、自分の欲しい物は、決して手に入らないと……まるで何かを諦めているような……そんな瞳だって。……でも、私の勝手な考えですから、あまり気にしないで下さい……ね?」
話していて恥ずかしくなったのか、肩をすくめて、困ったように笑うチヅル。
だが俺は、そんな彼女に恐怖のような感情を抱いていた。俺がずっとクライア様に感じていた小さな違和感。口にするのが怖くて、誰にも言った事さえないそれを、あろうことか、俺よりもクライア様との距離が遠いチヅルが、言葉にして語ったのだ。
俺は、動揺を悟られないよう、彼女につられたように装って笑う。そんな俺に、チヅルは安堵の表情を浮かべた。
「……やっぱり、私の考え過ぎですね。まあ、何にしても、クライア様が共に生きていきたいと思える方に出会えて、本当に良かったですね」
「ああ、君の言う通りだよ」
そして、俺たちはしばらく窓の外を見つめる。が、ふと視線を感じ、俺はチヅルの方を見る。彼女は、不思議そうな顔で俺を見ていた。
「何か?」
「……ええと、寂しそうな顔を、されてたので」
「ああ……」
俺は、顔に出ていた事に驚きながら自分の顔に触れ、それから苦笑する。
「君の言う通り、寂しいんだろうな。なにせ、姉のように慕っていた方だから」
「姉の……よう?」
「ああ。クライア様は、遠い異国から来た右も左も分からない俺を、姉のように世話して下さった。男は単純だからな、そんな思い出ひとつでも、まるで自分の宝物を取られたような気分になるんだよ」
笑いの一つでも取れると思って言ったつもりが、チヅルの表情はなぜか逆に曇っていく。
「それは……寂しいですね」
「あ、いや……」
「私にも似たような思い出があるから……その気持ち、分かります」
そう言うとチヅルは、再び窓の外に視線を移す。その横顔はどこか、昔を懐かしむような表情に見える。
「小さい頃、近所に兄のように慕っていたひとがいたんです。でもある日、結婚すると聞かされて……それがすごく悲しくて、隠れてひとりで泣いたのをおぼえてます。ふふ、きっとそれが、私の初恋だったんでしょうね」
初恋。チヅルのその言葉に、何故か胸が痛む。いや、待て、俺が胸を痛める理由など何もないだろう。俺は胸の痛みを単なる気のせいだと片付け、話を続けた。
「なら俺も、クライア様が初恋だったのかもしれないな」
「ふふっ、きっとそうですよ。子供の頃に、あんなにお綺麗でお優しい方を見たら、きっと、私だって恋に落ちます」
「そうだな。じゃあきっとあの中にも、クライア様が初恋の奴らが沢山いるぞ。今夜の酒場は失恋した奴らで溢れているかもしれないな」
俺の言葉に、チヅルはくすくすと笑う。俺もつられて笑い、過去を懐かしむしんみりした空気がようやくなくなった。
「でも……不思議」
「不思議?」
チヅルの自問自答のような言葉に、彼女を見る。窓の外を、遠い目をして見つめたまま、彼女は続けた。
「小さい頃は、あんなに自由に誰かを好きになっていたのに。大人になるにつれて、どんどん難しくなってしまった」
「……確かに、そうだな」
チヅルの言葉に同意しかない。だが、彼女は驚いた顔でにこちらを見た。
「意外……スクルさんでも、そう思うんですか?」
「当たり前だろう?一体俺を何だと思ってるんだ」
俺がそう言うと、チヅルは少しだけ思案し、それから指折り数えながら言った。
「ええと……スクルさんは社交的で、誰にでも優しくて、頼り甲斐があって、誰からも好かれて、とても気が利いて、魔王様からの信頼も厚くて……だから、誰かに好かれる事も慣れているし、逆もそう……気持ちにしっかり応えてあげられてる……そんなすごい男性だと」
俺は呆気に取られる。チヅルは自分のいいところを聞かれても、困って口を閉ざすような女なのに、何故俺の事はそんなにスラスラと言えるのだろう。
彼女があげたどれもが、俺がそうありたいと努力している事ばかりで、普段の俺なら喜んでいたと思う。だが、先ほどの話題的に、今の俺にとってはあまり嬉しくなかった。思わずため息が出てしまう。
「な、何でそんなに落ち込むんですか?いいところしか話してなかった筈なのに」
「……本当に君の言う通りなら、俺は、とっくの昔に結婚してる筈だろう?」
俺が、若干不貞腐れながらそう言うと、チヅルは困った顔をする。
「あ……ええと……で、でも、自分を好いてくれたひとを同じように好きになれるかは……また、別の話じゃあないですか……結婚はひとりでできない事ですし……」
「はいはいそうですね。俺の理想が高すぎて選り好みするから、いつまでも独り身だと」
「そ、そんなつもりじゃ……ああもう……何を言っても裏目……」
心が折れてしまったかのような、絶望感漂う表情のチヅルに、俺は流石に申し訳なくなってきた。からかっている自覚はあったが、やり過ぎてしまった。俺は苦笑しながら、チヅルに謝罪した。
「すまない。少しからかいが過ぎた」
でもそこで、チヅルは怒るわけでもなく、安堵したように息を吐く。そして何故かその直後、彼女の頬に一筋の涙が流れた。
「何で泣く!?」
俺は大いに焦る。何か拭くものをと慌てて探し、まだ使ってないハンカチを取り出すと、強引にチヅルの手に押し付ける。
「す……すみません……やだ……どうしよう……」
チヅルは、俺のハンカチを握ったまま、何故か自分の服の袖で涙を拭うと、俺から顔を逸らして言った。
「あ、あの、これは、な、何でもないですから」
「泣いておいて、何でもないは通用しないだろう?からかい過ぎたからか?それとも、他に何か傷つけるような事を言ったか?謝るにしてもせめて、何が悪かったか教えてくれないか……?」
でも結局、チヅルは何でもないを貫き通し、急に「まだ仕事があった」とわざとらしく言ったと思うと、俺のハンカチと共に部屋を飛び出して行ってしまった。
「……何、だったんだ」
俺の何かが彼女を泣かせてしまった、という罪悪感。何がそうさせてしまったのか分からない、というもやもや。そんな気持ちに足を取られ、俺は、チヅルの背中を見送るしかできなかった。
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