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異国の男

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 中庭のベンチ。そこにチヅルと見知らぬ男が並んで座っているのを見かけた俺は、思わず足を止める。

 前のめりに話しかける男と対照的に、チヅルの表情は明らかに困惑している。

(……またか)

 女性の美醜についてあまり語りたくはないが、チヅルは美人と言われる部類に入ると思う。そして、結婚まで清い事を求められるような上流階級の出身ではない。だから、後腐れのない遊び相手としてうってつけなのだろう。
 ただ、本人はまるで男に興味がないようで、男たちの下心が成就する事は、今のところはない。

 それでも、俺はなぜか少し腹が立ってしまう。それはチヅルの、男に対する態度だ。その気はないと分かるが、それでもきっぱり跳ね除けたりはしない。それは、俺が彼女と初めて会った時の態度と天と地の差だ。

(俺なんか、大丈夫かと聞いただけで、とっとと消えろと言われたんだぞ……)

 チヅルとの最悪の出会いを思い出し、なぜか胃がキリっと痛む。あの時の彼女の状況からすれば、そういう態度になるのも仕方ないというのは、頭では分かっている。だが、なぜかチヅルの事になると若干感情的になる自分がいる。

「あら、覗き見?」
「うわ!」

 急に話しかけられ、俺は思わず変な声が出てしまう。慌てて声の主を見ると、そこにいたのは。

「……王妃様」
「ふふ、ご機嫌よう」

 王妃という立場がすっかり板についたログが、俺に微笑みかけている。俺は姿勢を正して、礼をする。最初の頃は、俺にそうされるのを嫌そうにしていたのに、本音を隠すのもすっかり上手くなった。それは喜ぶべき事なのに、どこか寂しくもある。もしかしなくても、いつまでもわがままなのは、俺の方なのかもしれない。
 そんな寂しさは隠して、俺はログにかけられた言葉を否定する。

「覗いていた訳ではありませんよ」
「そう?その割には、熱心に見ていたようだけど」
「同僚として心配で、見守っていただけです」
「同僚として……ね」
「ええ、同僚ですよ」

 ログとは最近、こんな押し問答ばかりしているような気がする。そして最後には決まって、俺の将来が心配だと言うのだ。
 心配してくれる事はありがたいと思う。だがそれと同じくらい、余計なお世話だと思う気持ちもある。恋人だとか、結婚だとか、それだけが幸せの道ではないだろう。
 それに何より俺は、脈がない相手に想いを寄せて、その想いが成就しない……そんな目にあえば立ち直れないような気がしてならないのだ。

「……お前はいいよな。手を取るだけでよかったんだから」
「え……ちょっと……お兄ちゃん?」

 俺の突然のぼやきに、ログから王妃の仮面は簡単に落ち、オロオロと俺の様子をうかがう。

「どんな男にあんな風に言い寄られてもその気はないと言う女が、俺なんかを選ぶと思うか?」
「え……」
「何でそんな、信じられないって顔してるんだ」
「あの……気づいてないの?」
「何に」
「チヅルさん、お兄ちゃんの事見てる時だけ表情が違うんだよ?ねえ?ほんとに?まさか、全然気づいてなかったの?」
「……ちょっと待て、理解が追いついてない」
「ええ……うそだ……だって、お兄ちゃんの前だけなんだよ?安心しきったような……例えるなら……そうだ、迷子になった子供が親を見つけたみたいな感じ」

 俺は記憶を遡る。初対面の頃から比べると、チヅルの俺に対する態度や表情は柔らかくなっているのは分かる。だが、ログが言うように感じた事はないし、何よりその表現に俺は嫌な予感しかしない。

「なあログ。それはつまり、チヅルは俺を男としてじゃなく、保護者みたいに見ているって事じゃないのか?」
「……あ」

 そうなら納得できる。愛人にしようとした男から助けてやったのをきっかけに、仕事でも頼りにしてくれるようになった。兄や保護者を見るような眼差しになるのも、納得だ。

「で、でも……そこから始まる恋だってあるよぉ……」
「まったく、諦めが悪いな……」

 半泣きのログに、俺は苦笑するしかない。

「まあ、兄ちゃんも、そうなれたらいいと思う気持ちもあったさ」
「なら……頑張ってみたらいいじゃない……」

 ふてくされたような顔で言うログに、俺は首を横に振る。

「なあログ」
「……なに?」
「俺は、いつか遠い国に戻る男だ」

 俺がそう言った瞬間、ログの表情から感情が消える。そんな顔をさせると分かっていた。でも、ちょうどいい機会だろう。これはいつか、どうしても伝えておかないといけない事だった。

 常に、考えていた事だった。この地に骨を埋めるのか。それとも、故郷に戻るのか。でも俺は、ログが魔王様と結ばれ、子にも恵まれた事で、俺の役目が終わったように感じていた。ひとりで寂しそうにしていた幼い子は、新しい家族を手に入れたのだ。もう、仮初の兄は必要ない。

「異国の男がここで恋人を作っても、いつか別れる日が来るだろう?」
「……一緒に、連れて行けばいいじゃない」
「親や友人全部を捨てさせて、か?」
「…………」
「俺は、好きになった女に、そんな残酷な事をさせたくないよ」

 俺の言葉にログは、両手でスカートをぎゅっと握り、俯いてしまう。

「……そんなの……やだ……」
「ログ」
「……だったら……いればいいじゃない……ずっと……ここに……」

 ログの足元に、小さな水滴が次々と落ちていく。俺は、ログの前に跪いて、未使用のハンカチを差し出す。

「まだ……すぐにというわけじゃないんだ。だから、泣かないでくれ。それに、俺が泣かしたと知られたら、魔王様に何をされるか」
「…………」

 ログは、無言でハンカチを奪うと、それで涙をふき、それから鼻を思い切りかむ。

「…………きれいにしてから返すから。じゃあ、わたし、もう、行く」

 そしてログは、俺の顔も見ずに、小走りでその場から去っていった。
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