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見合い

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 ログとの揉め事から何週間か過ぎた頃。書類仕事をしていた俺は、チヅルに声を掛けられた。

「スクルさん、少し大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。どうした?」

 軽く背伸びをしながら言うと、チヅルは、綺麗な包装紙に包まれた物を差し出しながら言った。

「王妃様から、これを渡して欲しいと頼まれて」
「王妃様から?」
「はい。渡せば分かるとの事でした」

 俺は、チヅルからそれを受け取り、包み紙を開くと、中には新しいハンカチが入っていた。それを見た瞬間、俺は、ログとの少し前の記憶を鮮明に思い出した。

『…………きれいにしてから返すから』

 俺が渡したハンカチを握って、目も合わせずそう言ったログ。
 ……あれから俺は、徹底的にログに避けられていた。それまでは割と頻繁に俺の前に現れていたのに、全く姿を見なくなった。泣かせた負い目はあるが、それでも、会いたくなくなるまでなのか。

(直接、渡しに来いよ……)

 ハンカチに視線を落としたままの俺の眉間に皺が寄る。そんな俺を、チヅルは心配そうに覗き込んだ。

「何か、ありましたか?」

 目が合い、俺は慌てて取り繕う。

「あ、ああ……すまない。いや、大した事じゃないんだ。これ、届けてくれてありがとう」
「いいえ、どういたしまして」

 ほっとしたように笑うチヅル。そういえば彼女からも、新しいハンカチをもらったばかりだ。ログもチヅルも俺の前で涙を流し、俺がハンカチを貸した。
 だが、ログと違い、チヅルが泣いた理由はいまだに分からない。しつこく問い詰めるのも悪いかと、聞けないままでいる。

(何でもないなんて、そんな事ないだろうよ……)

 そう思いながら見たチヅルの表情は、どこか困惑が残ったように見え、俺はそれについて深く考える事なく口を開いていた。

「何か、あったのか?」

 聞かれたチヅルはきょとんとして、それから小さく吹き出した。

「ふふっ……私と、同じ質問ですね」
「ははっ、そうだな」
「もしかして、顔に出ていましたか?実はさっき、少し、信じられない事があったんです。魔王様に、お見合いを」
「見合い!?」

 驚きのあまり、チヅルの言葉を遮るように大声を上げてしまった。びっくりした顔で俺を見るチヅルに構わず、俺は畳み掛けるように質問する。

「い、一体、誰と」
「あの、ええと、魔王様と親しくされている方の、ご子息とだそうです。何度か私の事を見かけて気に入って下さったそうで、それで、一度そういう場を設けてみないかと」
「そ、それで、何て返事を?」

 チヅルの事だ、どうせ断るだろう。そう思った俺に、チヅルは困ったように笑って答えた。

「お願いします、とお返事しました」
「……本当、に?」
「はい。魔王様のご紹介なら、ちゃんとした方でしょうし、一度お会いしてみようかな……と」

(断らない……だと?)

 俺は心の中で舌打ちする。魔王様は当然の事、チヅルまでもが俺を焚き付けようとしているのでは、などという被害妄想まで抱いてしまう。
 だが、頭に浮かぶ、魔王様がほくそ笑んでいる光景だけはきっと正しい。俺が少なからずチヅルを意識している事は、ログから色々と盛られた状態で、何度も聞かされているだろう。そして、この国の女に本気になればここから離れられないだろうという俺の性格も、当然理解しているだろう。

(気になる女の見合い話が出れば、焦って行動に移すと思ったか?)

 苛立ちを感じ、再び眉間に皺が寄りそうになった、その時だった。

「お見合いって、どういう事かしら?」
「うわ!」

 急に声をかけられ、一瞬で苛立ちが吹き飛んでしまった。俺達に声をかけてきたのは、俺やチヅルの上司であるフラスさんだ。

「もう、そんなに驚く事ないでしょう?スクル君の大声で、こっちの方がびっくりしちゃうわ」
「す、すみません」

 慌てて謝罪する俺に目もくれず、フラスさんはチヅルに訊ねる。

「ねえチヅルさん。お見合いって、一体どういう事かしら?」
「あ、はい……実は魔王様から、お見合いの話をいただいて」

 途端にフラスさんが、まあ!と目を輝かせる。そして、なぜか俺とチヅルを交互に見て、言った。

「まさか、あなたたちふたりでお見合い?」
「そんなわけないでしょう!」

 慌てて否定する俺だが、何故かフラスさんはとても楽しそうだ。

「いやだ、冗談に決まっているでしょう?それなのに、そんなにムキになっちゃって……ふふ」
「全く……笑えない冗談はやめて下さい」
「あら、ごめんなさい。ふふ、動揺するスクル君なんてとても珍しいから、ついからかってしまったわ」

 少しでも隙を見せれば、すぐにこうしてからかわれてしまう。俺は、うんざりしながらフラスさんに言った。

「……フラスさん、見合いの話はチヅルから聞いて下さい。俺はいい加減、この山のような書類を片付けなきゃいけないので」
「ふふ……分かったわ。じゃあチヅルさん、休憩しながら詳しく聞かせてちょうだい?」
「え……あの……ええと……はい、分かりました……」

 俺の事を気にしながらも、チヅルはフラスさんに背中を押されるように部屋を出て行った。

「はあ……何なんだ、もう……」

 俺は、特大のため息とともに、机の上に突っ伏した。
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