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権力者の悪巧み

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(見合い……)

 気を抜けば、俺はそのことばかり考えてしまうようになっていた。そしてその度に、頭を掻きむしりたくなるような最悪な気分に襲われていた。

(……ああ、もう!くそ、仕事だ仕事!俺は仕事と死ぬまで添い遂げる!)

 俺の頭を支配する忌々しい単語を、必死に頭の中から追い出し、相変わらず山のような書類との戦いを再開した。

「スクルさん、あの、今よろしいですか?」
「うわ!……あ、す、すまない。どうした?」

 急にチヅルに声をかけられ、思わず変な声が出てしまう。慌てて取り繕う俺を、チヅルは心配そうな顔で見て、それから話を続けた。

「あの、スクルさんにお客様が……今そちらに」
「客?」

 チヅルが入り口の方を手で示し、俺は視線をそっちに向ける。そこに見えた姿に、俺は目を見開く。

「母さん!?」
「え?」

 そこにいたのは、俺の母。驚きで固まる俺、そしてそんな俺と母をオロオロと交互に見るチヅル。

「はあーい、ママよ。ふふ、スクル、元気にしてた?」

 楽しそうにこちらに手を振る母。突然の事に、頭がついていかないが、とにかく母を放っておくわけにはいかないという事だけは分かる。

「チヅル、すまない。俺は少し席を外す。君は仕事に戻って」
「は、はい」

 俺は、困惑した表情のチヅルにそう声をかけてから、慌てて母のところまで向かうと、廊下まで連れ出す。
 母とは特別な連絡手段があるため、こういう場合は必ず事前に連絡があった。それなのに今回は、何の連絡ももらっていなかったのだ。驚きと、そして少しの苛立ちに、俺は思わず声を荒げてしまう。

「急にこんな……一体何しに来たんだ」
「何って、可愛い息子に会いに来たに決まってるでしょ?」
「急に職場に来る母親がいるか!」
「あら、レミーにはちゃんと許可をもらったわよ?」

 母が愛称で呼んでいるのは魔王様の事である。そんな呼び方をこの国でしている者など、誰ひとりとして存在しないだろう。母が、それを許される立場だと分かっていても、俺の胃は小さく痛む。

「それでも、だ。いきなりこういう事をするのはやめてくれ。心臓に悪い」

 せめて事前に連絡を、そう続けようとした時だった。俺の背後に、よく知った声が響いた。

「それはすまない。だが、少しでも早く息子に会いたかった母親の気持ちも、少しは汲んでやれ」

 俺は、小さくため息をついてから、声の主に体を向け、頭を下げる。

「……魔王様。それなら、仕事場に母親が来たところを、同僚に見られてしまった息子の気持ちも汲んでもらわないと困ります」
「はは!それもそうだな。では、次からは気をつけるとしよう」

 反省などしていない様子の魔王様。俺はもう一つ小さいため息をつき、それから魔王様と母が見えるよう向きを変えた。

「母と魔王様が揃って……一体、俺に何の用ですか?」

 俺の前にいるのは、この国の主、そして遠い異国の王妃。こんな状況、組み合わせ。これで何もないという方がおかしいだろう。
 だが、真面目に聞いた俺の質問に、ふたりは顔を見合わせて揃って笑い声を上げた。

「いや、そんな深刻な話ではないよスクル。だが、こんな場所で話す内容でもないな。とりあえず、私の執務室で話すとしようか」

 ――

 魔王様の執務室。俺は、ソファに座るふたりに茶を出し、それから母の隣に座ると、すかさず魔王様に尋ねた。

「それで、話とはなんですか?」
「そう焦るな、スクル」

 そう言うと魔王様は、優雅に紅茶を飲み始める。明らかに俺を焦らそうとしているが、魔王様に対して強く出るわけにもいかない。
 カップをソーサーに置いた魔王様は、悪巧みをしているとしか思えない笑顔で俺を見る。

「スクル。お前、見合いをする気はないか?」

 見合い。俺は、俺の心をかき乱すその言葉にうんざりする。チヅルに、そして俺に。まさか魔王様は、仲人にでもハマりだしたのだろうか。

(……ちょっと待てよ)

 俺は、突然頭に閃いた、とてつもなく嫌な仮説に、血の気が引いていく。

「魔王様。ひとついいですか」
「何だ?」
「その見合いの相手というのは、まさか」

 俺の言葉に、魔王様はニヤリと笑う。

「察しがいい部下を持って余は幸せ者だよ。さてスクル。この魔王が直々に持ってきた見合いを、まさか断るとは言わぬよな?」

 俺はその瞬間、頭を抱えて項垂れる。

 執務室の中は、魔王様と母の心底楽しそうな笑い声だけが響いていた。
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