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第2章:黄金の瞳の覚醒 〜
目覚めの朝、小さな窓の向こう
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ロゼレイド公爵邸の朝は、高い天窓から差し込む一筋の黄金色の光から始まる。 かつてのエレーナにとって、その光は「自分を晒す恐怖」を連れてくるものでしかなかった。けれど今朝、目蓋の裏を叩く陽だまりは、どこか自分を急かさず、優しく見守ってくれているような心地よさがあった。 「……ん、……っ」 エレーナはゆっくりと瞳を開けた。 真っ先に視界に飛び込んできたのは、いつもの「壁の冷たい質感」ではなく、真っ白で柔らかなシルクのシーツだった。 「……あ……」 自分がベッドの真ん中にいることを自覚し、エレーナは驚きに目を見開いた。 これまでは、夜中に無意識に「隙間」へと逃げ込んでいたはずなのに。今朝は、一度も暗闇に頼ることなく、この広すぎるほどの聖域の中心で朝を迎えたのだ。 エレーナは、自分の小さな手のひらをじっと見つめる。 (私……ちゃんと、真ん中で寝られたわ……!) それは、彼女にとって、騎士が魔物を討ち倒すのと同じくらい大きな「勝利」だった。 けれど、背中に壁の硬さを感じていないと、まるで広い海に放り出されたような、落ち着かない気持ちも同時に込み上げてくる。無防備な、広すぎる場所。エレーナは思わずシーツをぎゅっと握りしめ、体を小さく丸めた。 一瞬、いつもの隙間へ逃げ込もうかと足が動く。 けれど、昨夜の自分の決意が、そしてヴィンセントの温かな腕の感触が、彼女を思いとどまらせた。 (……大丈夫。お父様が、ここがいいよって、言ってくれたんだもん) 自分に言い聞かせるように、何度も深呼吸を繰り返す。 そんな彼女の心の葛藤を、傍らで控えていた見習いメイドのアンは、息を止めるような思いで見守っていた。 「……エレーナ様。おはようございます」 アンの控えめな、けれど温かな声に、エレーナは顔を上げた。 「……おはよう、アン。……ねえ、私……。ちゃんと、真ん中でねんねできた……? 隙間に、行ってない?」 確認するように問いかけるエレーナの声は、まだ少し震えている。アンは大きく頷き、瞳を潤ませながら答えた。 「はい! 一度も、隙間へは行かれませんでしたよ。とっても頑張りましたね、エレーナ様」 「……よかったぁ。……でも、ちょっとだけ……まだ、広くて、ドキドキするの」 エレーナは、困ったように、けれどどこか誇らしげに笑った。その顔は、紛れもなく自分の弱さと戦い、勝利した「勇者」の顔だった。 ちょうどその時、扉が「コン、コン」と控えめな音を立てて開いた。 メイド長のマギーが、銀色のワゴンを押して入ってくる。部屋の中に、食欲をそそる香ばしいパンの匂いと、ハーブティーの香りが広がった。 「おはようございます、エレーナ様。**今朝もお食事をお部屋へお持ちしましたわ。**温かいうちに召し上がってくださいね」 エレーナはベッドから降り、一歩、また一歩と、自分の足で床を踏みしめてテーブルへ向かった。まだみんながいる食堂へ行くのは、5歳の彼女には怖すぎる。けれど、自分の部屋で椅子に座るだけでも、今のエレーナにとっては大変なことなのだ。 椅子に座り、マギーが注いでくれたスープを一口飲む。温かいものがお腹に入ると、少しだけ肩の力が抜けた。エレーナはふと窓の外を見て、隣に立つマギーに尋ねた。 「マギーさん。……お父様たちは、もうお仕事に行っちゃったの?」 その瞬間、マギーの手がピタリと止まった。 今、この小さな主は、なんとおっしゃったか。 「公爵閣下」でも「あの方」でもなく、はっきりと、愛おしそうに「お父様」と。 マギーは溢れそうになる喜びをグッと堪え、優しい笑みを浮かべて、エレーナの目線に合わせて静かに跪いた。 「……エレーナ様。今、さらりと仰いましたね。……『お父様』と」 エレーナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから自分の言った言葉に気づいて、頬をポッと赤く染めた。 「……あ。……うん。……ダメ、だった?」 「いいえ、とんでもございません。……本当にお呼びになられたのですね。閣下がお聞きになれば、お仕事も放り出して飛んで帰ってこられるほど、お喜びになりますわ」 マギーの心からの笑顔を見て、エレーナは少し照れくさそうに、けれど力強く頷いた。 「……えへへ。……あのね、がんばって、ちゃんというようにするの! もっといっぱい、がんばって呼ぶの!」 エレーナは、小さく握りこぶしを作って宣言した。 5歳の彼女にとって、それは魔法の言葉を覚えるのと同じくらい勇気のいることで、大好きな家族への精一杯の「大好き」の証だった。 「ええ、ええ……。そのお言葉を、私共もずっと、ずっと待っておりましたのよ」 マギーが目元をそっと拭うのを見て、エレーナは少し安心したようにスープをまた一口飲んだ。そして、窓の向こうの広い空を見つめながら、小さな声で聞いた。 「……ねえ、マギーさん。……今日も、フェイさんはくるの?」 「フェイ様ですか? ええ、午後にはまた、閣下の伝令としてこちらへ顔を出す予定ですよ」 「そっか……よかった。フェイさん、おもしろいから……。……ねえ、マギーさん。フェイさん以外にも、このお家には……どんな人がいるの?」 これまでは「知らない人」というだけで震えていたエレーナが、自分から問いかけた。マギーの眼鏡の奥で、驚きに瞳が揺れる。 「……会うのは、まだ、とっても、とっても怖いけど。……でも、お父様がいつもお話ししている『仲間』の人たちが、どんな人なのか……少しだけ、知っておきたいの」 「……左様でございますか。……そうですわね」 マギーは慈愛に満ちた眼差しで、エレーナを見守った。 「例えば、いつも正門を守っている、熊さんみたいに大きなバッシュという騎士や、図書室で本を整理している物知りのジョエルという者……。皆様、エレーナ様がこうして一歩踏み出される日を、それこそ一生の宝物を待つような気持ちでお待ちしておりますわ」 「……熊さん……? 物知りさん……?」 エレーナは、まだ見たことのない人たちの姿をそっと想像した。 お花を育てる大きな騎士、難しい本をたくさん読める人。 扉の向こうは、まだ「暗くて怖い場所」に見えるけれど、マギーが教えてくれる名前を聞いていると、そこが少しだけ「お父様の大切な人たちがいる場所」に見えてくる気がした。 「……いつか、私がもっと……お外が怖くなくなったら。……挨拶、できるかな」 「ええ。その時を、みんな楽しみに待っていますわ。エレーナ様、貴女様はもう、隙間に隠れる必要のない、立派なロゼレイドの姫君です」 「……マギーさん、ありがとう。私、頑張るわ。お父様が私のことを自慢したくなるような、そんな女の子になりたいの!」 不安を抱えたまま、それでも前を向こうとする。その健気で力強い決意に、アンはついに堪えきれず、エプロンの端で目元を拭った。 窓の外では、黄金色の朝日が帝都の街並みを鮮やかに彩っている。 昨日までの暗い恐怖も、震えながら逃げ込んだ隙間の冷たさも、まだ完全には消えていない。 けれど、5歳の少女の心は、もう暗い隙間には閉じ込められてはいなかった。 一歩。 たった一歩、ベッドの中央へ。 そして、勇気を出して呼ぶ「お父様」という言葉。 それが今、少女を「広い世界」へと繋ぐ、小さくて確かな光になろうとしていた。 エレーナ・ロゼレイドの物語は、弱さを抱えながら、愛を信じようとする、静かな希望の朝から始まる。 第2章:家族の絆と、小さな勇気 ―― 完
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